298話~幽霊じゃないよ~
大会4日目。
Aランク異能力者達の厳しい現実を目の当たりにした第3回戦から一夜開けた本日は、中休みである。
そう、中休み。1日フリーな日だ。
という事で、蔵人は朝から訓練に勤しんでいた。
先ずは、日の出前からの薪割り訓練。霜が降りた地面を踏み締めながら、スカンッ、スカンッと小気味よい音を響かせた。
途中で刃が止まる事も無くなり、断面もそれなりにキレイである。お爺さん程ではないが、当初よりは上達したと思いたい。
それが終わったら軽く汗を流し、朝食。そして、原木を買いに田丸さん達の所まで下山する。
薪の在庫はまだあるが、今朝のペースで薪割りをしていると最終日まで持たないから、試合がない今日の内に調達しておくのだ。道順も覚えているので、自分1人で大丈夫だと言ったのだが、何かあったらとお爺さんも着いて来てくれた。
何かとは、穏やかじゃないな。俺が田丸さん達に襲われるとでも思っているのだろうか?
そんな事ナイナイ…と楽観出来ない世界なんだよな、ここ。
「こんにちは!また原木を買いに来ました」
「いらっしゃい!お2人さん。この前来たばかりだけど、もう無くなったのかい?」
受付で声を掛けると、田丸さんが顔を綻ばせながら小走りで駆け寄って来る。他の従業員達も、パソコンと睨めっこをしているフリをして、チラチラとこちらを見ていた。
女性ばかりの職場だから、若い男子が珍しいのか。もしくは、田丸さんが何か言ったのかもしれない。男の子なのに凄い力持ちなんだよ、とか。
有り得そうだ。
お爺さんがお金をトレーに置いていると、田丸さんが手を合わせて謝って来た。何でも、玉切りされた原木が在庫切れしているので、少し待って欲しいとの事。
お爺さんは了承し、田丸さんに促されて休憩スペースに座らせて貰った。
とは言え、木材工場が併設されているのだから、物の数分で出来るだろう。
そう思っていたのだが、蔵人達が座った机の上にはコーヒーや麦茶、ケーキに和菓子などが次々と並べられた。
なんだ?お菓子の品評会でもするつもりなのか?
蔵人が驚いて机の上を眺めていると、お盆を胸元に抱えた田丸さんが、緊張気味に聞いて来た。
「ごめんね。こんなのしか無いけど、お口に合うかな?好きなのが無ければ、麓の町まで買い出しに行ってくるから」
いやいや。ちょっと待つだけなのに、過剰過ぎる対応ですよ。これは待たせているのが男性、特に自分が若い男性だから、過剰な反応になっているのだろう。この世界特有の考え方だ。
そう考えた蔵人は、微笑みながら小さく首を振る。
「とんでもない。格別のご配慮ありがとうございます。では、こちらを頂きます」
そう言って、蔵人は麦茶と小分けに包装されたお菓子を取る。流石に、ケーキに手を伸ばす度胸は無い。
隣のお爺さんも、緑茶を啜るだけだ。
そんな蔵人達を、いつの間にか集まってきたお姉さん達が遠目で見ていた。
視線が集中する。蔵人が咀嚼する姿を、熱心に見ている。
まるで動物園のパンダになった気分だ。
食べ辛い。
「ほら、みんな。男の子が来てるからって、浮き足立つんじゃないよ。早く仕事に戻んな」
「「「はーい…」」」
お姉さん達が、渋々持ち場に帰っていく。
それを見て、田丸さんが小さく溜息を吐いた。
「ごめんね。みんな、若い男の子を見て舞い上がってるんだよ。ただでさえ、林業ってのは女社会だし、時期的にも若い男性に熱を上げているのさ」
そう言って田丸さんは、後ろに視線を送る。
そこには大きな薄型テレビと、その後ろに掛かったカレンダーが見える。
時期的というと…。
「もしかして、クリスマスですか?」
全日本があって忘れそうになっていたが、今日は12月24日のクリスマスイブであった。
史実の日本では、男女が共に過ごす甘いイベント。それ故に、皆さん頭の中がお花畑になっているのか?
そう思った蔵人だったが、田丸さんは笑いながらそれを否定する。
「クリスマスデートとかを言ってるなら、あたしらには縁のない話だよ。そう言うのは、貴族様のイベントだからね。そうじゃなくてさ、今はほら、全日本の真っ盛りだろ?高校の部ではそろそろ開会式だし、中学の部はいよいよ準々決勝だ。凄い盛り上がってんだよ」
ああ、なるほど。
年末にかけて行われる全日本は、日本人なら誰もが熱中する特大イベントだ。クリスマスイベントに縁遠い彼女達も、テレビで観戦出来る全日本は身近なイベントみたいだ。
だが、それと若い男性に熱を上げる事にどう繋がるのか。
蔵人が不思議に思っていると、それを見て田丸さんが頬を引き上げた。
「君はあまり興味無いかも知れないけど、今年の全日本は面白いよ。何せ、男の子が出場していて、しかもその子、この間の試合では優勝候補だった女の子を倒しちゃったんだからね!」
興奮気味に語る田丸さん。すると、彼女に追い散らされた他の従業員達も自然と集まって来て、彼女に同調する。
「凄いよねぇ。男の子でシールドなのに、最上位種の女の子を倒しちゃうなんてさ」
「しかも、魔力ランクはCだって言うんだから、聞いた時は映画か何かの宣伝だと思っちゃったよ」
「そりゃ、2ランクも違うからね。そう思って当然さ。でもその男の子って、どんな子なんだろうね?」
「そりゃ、相当のサラブレッドだよ。オリンピック選手の子供か、異能力先進国からの帰国子女だろうって、テレビのコメンテーターも言ってたよ」
「そんなの言ったら、皇帝ちゃんだってオリンピック選手の孫じゃないか」
「まぁ、そうだけどさ」
熱弁を振るう女性達。その中には、噂話や憶測が盛り込まれており、蔵人の知らない黒騎士像が出来上がりつつある。
でも、蔵人は止めようとはしなかった。彼女達の顔が、とても楽しそうに輝いていたからだ。
「何時もの全日本も盛り上がるけど、今年は特に凄い。普段、異能力戦に興味ない父も見てるくらいだから」
「やっぱり、今回のはドラマ性があるからね。弱者が知恵と工夫で強者に勝つ。まるで映画や漫画の世界だよ」
「それが現実で起きてるんだから、なんて言うか、まだまだ人生って捨てたもんじゃないって感じがする」
「うんうん、分かるよ。私も、異能力が使えないとか学が無いとか言い訳してたけど、もうちょっと頑張ってみようかな?なんて思っちゃったもの」
「あんたらはまだ若いんだから、ドンドン挑戦しなよ!あたしも、来年は管理士の資格に挑戦しようかって考えてるんだ」
「うわっ、先輩凄いですね!じゃあ私も、早く主任に上がれる様に仕事頑張ります!」
「おっ、良いねぇ。それなら、今日の枝打ち作業はあんたに任せたよ!」
「ひぇええー!言うんじゃなかった!」
大学生くらいの娘が悲鳴を上げると、周りのお姉さん達がドッと笑い出す。
とても明るい雰囲気、そして熱い空気が部屋全体に満たされている。
その向上心に目を輝かせている彼女達の土台を、黒騎士の活動が固めている。そう思うと、嬉しさと誇らしさが胸の内で膨らんでいく様であった。
彼女達の様子を眺めていたら、目の前の田丸さんが小さく頭を下げた。
「私達ばっかり熱くなっちゃってごめんね。でも、それだけ今年の全日本は面白いってことなんだ。無理強いする訳じゃないけど、君ももし黒騎士選手に興味が出てきたら、見てみてよ。きっと、頑張ろうって気持ちを分けてもらえるからさ」
「ええ。ありがとうございます」
リアルタイムで黒騎士を見るのは難しいだろうがね。
蔵人は、心の内で苦笑いを浮かべた。
田丸さんの所で原木を買い、蔵人達は宿へと戻る道を行く。今日は田丸さんも着いて来ていない。前回は本当に登れるのか心配で付いて来てくれたみたいだ。
お爺さんの先導の元、蔵人はリアカーを引っ張る。2回目という事もあり、初回程キツくはない。筋肉と盾の使い方に慣れたのだろうか。
そうして登る事、数分。先を行くお爺さんが小さく呟いた。
「おや?珍しい。登山客かのぉ」
その声で顔を上げると、視線の先に山道を登っている3人組の背中が見えた。お爺さんは登山客と言っていたが、彼女達の服装はどう見ても山の中を歩く格好ではない。どちらかと言うと、街中をショッピングする出で立ちだ。
ジーンズを履いた女の子が、先を行くニット帽を被った娘と赤いウルフコートを着た娘に向かって手を伸ばしている。
「まっ、まってよ、2人とも。ちょっと、速いって…」
「も~。若ちゃん、あんまりゆっくり登ってると、お昼になっちゃうよ」
「そうだぞ、若。ボスの事だから、早く行かないとまた鍛錬だの修行だの言って、どっかに行っちまうぞ」
「鈴ちゃんの言う通りだよ。下手したら、山の中を駆けまわろうとしてるかもよ?」
「そ、そんな事、言ったって…」
後姿だけだったから自信はなかったが、その声と内容から、3人が桜城の仲間達であることが分かった。
鈴華達がグイグイ先を登る中で、若葉さんは膝に手を付いて肩で息をしている。彼女は新聞部だからね。普段の練習量からしても、ファランクス部の2人には勝てないだろう。
蔵人はリアカーを引きながら、未だに息を整えることに必死な若葉さんの横に着ける。
「お嬢さん、乗ってくかい?」
「はぁ、はぁ…はあ?」
俯きながら横を向いた若葉さんは、呼吸も忘れて大口を開けた。
余りに期待通りに、いや、期待以上に驚いてくれた彼女の顔が可笑しくて、蔵人は笑いを押し殺すように咳をする。
「人生とは長く険しい。急いで登って力尽きるよりも、確実に一歩ずつ進むべきだと俺は思う。そうすれば、救いの一手が目の前に現れる事もある。今回みたいにね」
「いや、いやいや。なんか良い事言ってる風だけど、そんなオンボロ車を引いた状態で語っても、全然恰好付かないよ?」
「ははっ、手厳しいな」
蔵人がワザとらしく肩を竦めると、それを見て若葉さんも大袈裟に首を振る。
「随分と大変な目に会ってるって美原先輩から聞いてたけど、思いのほか元気そうだね?」
「絶好調だよ。鍛錬尽くしの日々を送らせて貰っているからね」
「さっすが、ブレないね」
今度は、本当に呆れた様子で首を振る若葉さん。
そんな彼女に、蔵人は再び背後を示し、ニヤリと笑う。
「それで、どうする?頑張って歩くかい?それとも、乗ってくかい?」
「…乗る」
と言う事で、蔵人は若葉さんも荷台に積み込み、山道を駆け上がった。
途中、鈴華と桃花さんを抜き去った時は、2人とも呆気に取られた顔をしていたので、あとちょっとで噴き出しそうになった。
荷台に乗っていた若葉さんは、遠慮なく笑っていた。
「あたしも乗せろぉお!」
そう言って追いかけてくる鈴華とデットヒートを繰り広げながら、蔵人達は中腹の宿屋まで辿り着いた。
着いた途端、3人は表情を凍らせた。
「なに、これ…」
「薪小屋…だよな?」
桃花さんと鈴華が、何とか声を絞り出す。
その横で、若葉さんは荷台から降りながら、苦笑いを浮かべる。
「いやぁ。美原先輩から聞いていた以上にヤバいね、実物は」
おいおい。お爺さんが直ぐ近くで聞いてるんだから、言葉を選んでくれよ。
ヒヤヒヤしながらお爺さんを見る蔵人。だが、お爺さんは気にした素振りもなく、3人と一緒に宿を見上げていた。
「こいつにも随分と頑張ってもらってるからのぉ。儂と一緒で、そろそろ潮時なんじゃ」
そう言って、お爺さんは宿の柱を撫でる。
ボロボロになった宿の柱には、小さなひび割れが幾つも走っている。そこに、お爺さんの乾いた手が合わさると、まるで柱とお爺さんの体が一体になったような錯覚を覚える。
いや、錯覚ではないのか。
お爺さんはきっと、この宿を自分と重ねているのだろう。傾き、今にも崩れそうなこの宿の運命は、己と一緒であると。
「おっと、耽ってしまって済まんのぉ。今、茶を入れるから、みんな中に入っておくれ」
お爺さんは背中を丸めて、宿の中に入っていく。宿もみんなを招き入れるように、引き戸を大きく開けて迎えてくれた。
俺が開ける時は半分も開かないのに、どうやるのだろうか?
蔵人は首を傾げる。
「なんて言うか…その…味のある建物だね」
玄関に入ると、桃花さんが言葉を選びながら評価する。
お爺さんが悲しそうな顔をしていたから、配慮したのだろう。でも、彼女の顔は青くなっている。きっと、内心ではお化け屋敷みたいだと怖がっているのが分かる。
そして、それを隠そうともしない奴もいる。
「すっげぇな。まるでお化け屋敷だ」
流石は鈴華。自由人である。
そんな鈴華に、桃花さんが慌てて駆け寄る。
「ちょっ、鈴ちゃん!」
「んだよ。別に良いだろ?本物のお化け屋敷じゃないんだから、何言っても呪われたりしねぇよ」
「そう言う事じゃなくてさ!」
桃花さんは慌てて周囲を見回しているが、そんなに気にしなくても、お爺さんには聞こえていないと思うぞ?きっと今頃、台所で腕を振るっているから。
「なぁ、ボス。ボスの部屋って何処なんだ?」
「ちょっ!鈴ちゃん!男の子になんてこと聞いてるの!?」
「なにビビッてんだよ、桃。ボスはこんなんで怒ったりしないって。なぁ、ボス?」
桃花さんの気持ちも分かる。この状況を史実で再現すると、中学生男子が女子の家にお邪魔して、男子の方から部屋の場所を聞き出すようなものだ。女子からしたら、引いてしまうだろう。
だが、鈴華の言う通りだ。史実世界から来ている人間からしたら、部屋を見られる事なんてどうということはない。
ことはないが、廊下を見ただけで怖がる桃花さんは大丈夫だろうか?あの部屋には、色々あるから。
少し気になるが、取りあえず自室となっている部屋まで案内する蔵人。開ける前に「廊下より雰囲気があるから」と忠告したのだが…。
「ぎゃぁあああ!!」
それでも、部屋を見た瞬間に桃花さんが飛び上がり、蔵人の右腕に引っ付いた。
済まんな、桃花さん。やっぱり怖かったか。
蔵人は小さく震える桃花さんの頭を撫でながら、他2人の様子を伺う。
先ず鈴華は、部屋の様子には気にする素振りもなく、中央に置いてある棺桶に一直線だった。
「へぇ、ダンボールで棺桶を作ったのか。凝ってるなぁ。いいなぁ。あたしも欲しいなぁ。ドラキュラ伯爵みたいで、なんかカッコ良くね?」
「恰好良いかどうかと問われても返答し辛いが、ダンボールで作ってあるから保温性と防音性はなかなかだぞ」
「おっ。マジか。じゃあ、あたしも自室のベッドをこいつにするかなぁ。天蓋よりこっちの方が楽しそうだし」
鈴華のベッドは天蓋付きなのか。流石は久我家のご令嬢。本物の御姫様だ。
そんな鈴華よりも奥の方で、若葉さんはジッと立ち止まって、部屋の隅を見ていた。
何を見ているのか。蔵人は気になって彼女の傍に立つ。
彼女が見ていたのは、箪笥の上、そこに座っている市松人形ちゃんであった。てっきり、棺桶の中で暖を取っているかと思ったが、来客用の定位置に移動していたか。
「どうしたんだ?若葉さん。この人形が気に入ったのかい?」
だが、蔵人は「そんなただの人形に、興味があるのかい?」とでも言うように、若葉さんに話しかけた。
右側で桃花さんが震えているからね。これ以上怖がらせない為の配慮だ。
鈴華はどうか分からないが、動く人形と分かれば、流石の若葉さんも怖がってしまうだろう。ここは知らぬ体で突き通す事にした蔵人。
だが、若葉さんは蔵人の問いにも答えずに、ジッと市松人形ちゃんを見上げ続けた。
…何か、感じるのか?
蔵人が興味深く彼女を見ていると、右側から小さく非難の声が上がった。
「ああ、また若ちゃんの悪い癖が出てるよ」
「悪い癖?」
「うん。初等部の時から、若ちゃんは不思議なものに目が無くてさ。初等部の4年生の時だったかな?幽霊を撮るんだって、深夜まで学校に潜伏しててね。その時に撮った写真を校内新聞に載せたら、先生にこっぴどく叱られたことがあったんだ」
「幽霊じゃないよ。動く人体模型」
市松人形を見詰めながら、若葉さんがピシャリと訂正した。
それに、桃花さんは首を傾げる。
「…一緒だと思うんだけど?」
そうだね。我々見えない者達からしたら、同じような存在に思えてしまう。
しかし、彼女がオカルト好きだったとは、意外な一面を見た。いや、元々世界の謎を解き明かそうとしていた彼女なのだから、当然の趣向とも取れるか。お婆様を見つける為でもあった調査だが、彼女が好きでなければ選ばない道だ。きっと、彼女は元々、そう言うミステリーだとかオカルトだとかが好きなのだろう。
そんな彼女の琴線に触れた市松人形ちゃんだが、一向に動こうとはしない。
…そもそも、彼女が動いている姿は蔵人も見たことが無い。何時も、移動し終えた後にしか気付かないから。
「ねぇ、蔵人君。この人形から、何か感じない?」
「いや、特には」
「そう。じゃあ、何か変わったことは?例えば、髪の毛が伸びたとか、気付いたら少し位置が移動しているとか」
髪は無いが、位置移動は得意技だよ。
そう、心の中で正直に答えた蔵人は、口先で大きく変換する。
「いや。1週間近く泊っているけど、特には…」
言葉を濁し、曖昧な受け答えをする蔵人。
これが若葉さんだけであれば、正直に話していたかも知れない。だが、今ここには桃花さんが居る。正直に話したら、失神してしまうかもしれない。既に彼女は、柱にビタビタ貼られたお札を視界に入れてしまい、ブルブルとマナーモードに移行してしまっているのだから。
それに、もしかしたら鈴華も興味を持つ恐れがある。彼女も刺激を求める女の子なので、不思議人形を欲しがってしまうかも。
そう言えば、彼女はどうしたのだろうと後ろを向くと、そこには棺桶にすっぽり入った鈴華の姿があった。
…自由だな、お前さん。幽霊だの市松人形だのって会話は聞こえているだろうに、全く怖がっていない。それどころか、布団の中で幸せそうに微笑んでいる。
そんなに、棺桶が気に入ったか?
「ん~…ボスの匂いだ」
うん。お前さんもか、鈴華。
感動しているところ悪いが、それは太陽の匂いだ。俺のじゃない。
蔵人が弁解しようか迷っていると、右手が軽くなる。
「ちょっと!鈴ちゃん!それは何でもやり過ぎだよ!変態だよ!」
「誰が変態だ!あたしはただ、好きな人の匂いを嗅いでるだけだぞ!」
「すっ、すきっ、あ、あわわっ!」
まるで自分が告白されたかのように、桃花さんが真っ赤になってアワアワし始めた。
だがな、桃花さん。そうしたいのは俺の方なんだよ。
蔵人は、どう反応したらいいのか決めかねて、カオスな状況をただ見詰めるしか出来なかった。
そんな時、廊下から声が掛かった。
お爺さんだ。
「みんな、お茶が入ったよ。居間までおいで。暖かいから」
おお。ナイスタイミング。
蔵人は、これ幸いと3人を部屋から押し出して、居間へと連れて行った。
そこには、湯気が立ち昇る入れたてのお茶と、黄金色の芋羊羹が並んで置いてあった。
まさかとは思うが、この羊羹もお手製?凄いサービスだ。
蔵人達が座ると、お爺さんは驚いた顔をこちらに向けた。
「おや。お嬢ちゃんはその子が気に入ったのかい?」
うん?その子?
お爺さんの視線に釣られて見てみると、若葉さんが市松人形を抱えているのが目に入った。
おいおい。そんなに気に入ったのか?それとも、そんなに気になったのか?
蔵人が冷や汗を流していると、お爺さんの明るい声が上がった。
「嬉しいね、そうして大切にしてくれると。その子は妻が嫁ぐ時に持って来た人形でね。何時も大切そうに抱いていたんだ。今のお嬢ちゃんの様にね」
「そう、なんですか…」
若葉さんが、少しばつの悪そうな顔を浮かべる。
きっと、彼女は可愛がると言うよりも、興味があって持って来ただけだから。
だが、今は別の感情が生まれているみたいだ。その証拠に、彼女は初めて市松人形の頭を撫でた。
「あの、この子に名前とかってありますか?」
「名前?ええっと、確か妻はいつも、フーちゃんって呼んでたから…フウコ、じゃない、文子じゃったかな?」
文子。随分と古めかしい名前を付けたものだ。それに、奥さんが嫁入り時に持って来たにしては、随分と綺麗な状態で保たれている。お爺さんが手入れをしているから?それとも、やはりミステリーな存在だからか?
蔵人が感慨深げに見つめる先で、若葉さんも興味深く人形を、文子ちゃんを撫でていた。
大会が中休みな分、お話も中休みな日常回でした。
「試合ばかりでは心も落ち着かん。特に、あ奴は白百合の護衛が邪魔するせいで、他者との交流も大きく制限されている。このような接触は、訓練よりも大事だ」
そうですね。
あわよくば、若葉さんから大会の情報を得たいところです。