276話〜蔵人、少々良いかな?〜
会食も終盤に差し掛かり、最後のデザートが登場した。
美味しそうなケーキだ。
「わぁ!凄い!」
「美味しそう!」
慶太と桃花さんが大はしゃぎだ。
取り分けに来た男性スタッフも、2人の様子に顔を綻ばせている。
蔵人も、和やかになったみんなの様子を見ながら、ケーキにフォークを着ける。
と、その時、
(蔵人、少々良いかな?)
ディさんの声が、頭の中で響いた。
テレパス。
給仕している男性の異能力か。
(はい。私が答えられる範囲であれば)
(君でしか答えられない事だ)
まぁ、そうだろう。
態々、給仕を呼んでまで密会するのだから、きっとトップシークレットな内容だ。
(山城慶太、望月若葉、西風桃花、鶴海翠、そして柳綾子。君の周りに集まる者全てが、覚醒者の道を歩んでいる。加えて、その殆どの者が君とのシンクロも可能だ。これは、偶然では無いだろう?)
ああ、その事か。
蔵人は少しだけ肩を下ろし、フォークでケーキを掬った。
(はい。彼女達には、以前お話した私の訓練方法を教えて、取り入れてもらっています。柳さんは直接教えていませんが、きっと普段の自主練を見られていたので、それが原因かと思います)
(やはりそうか。あの訓練で、まさか4人同時のシンクロまで出来るとはな!)
ディさんの思念が、強い反響音を奏でる。
随分と興奮されている。
それだけ、興味がそそられたのだろう。
(蔵人。他にも君の周りには、覚醒者となり得る者が居るのか?)
(ええっと…)
確定では無いけれど、幾人か思い付く人達は居る。
海麗先輩とか、伏見さんとかね。
だが、まだ確定では無いので、蔵人は答えを濁した。
のだが、
(そうか。やはり、そうか)
ディさんはとても嬉しそうに返す。
言い淀むだけでも、彼には十分な答えであった。
(蔵人。君の移住の件なのだが、ただの護衛対象としてではなく、異能力の講師として、とある宿舎で教鞭を執って欲しい)
「うっ、ごほっ!けほっ!」
余りに唐突な提案に、蔵人はむせてしまった。
それを見て、鶴海さんと柳さんが、慌てて蔵人の背中を叩きに来た。
「大丈夫?!蔵人ちゃん!」
「蔵人様!ケーキでむせるなんて、カロリーを気にし過ぎです!」
今日はそう言う事じゃないんだよ、柳さん。
蔵人は、心配してくれる2人に手を挙げて礼を言いながら、元凶に意識を返す。
(また、随分と奇異な事を仰る。私が軍人さん相手に教鞭を?まさに釈迦に説法ではありませんか)
(いや、君に教えて貰いたい生徒は正規の軍人ではなく、訓練学校に通う予備兵士達だ。彼女達は普段、私の元で特別訓練を行っているのだが、今回はその一環として、君の授業を組み込みたいと考えている)
予備兵、それもディさんの元でか。
それを聞いて蔵人は、サマーパーティーでお会いした橙子さん達を思い出していた。
彼女は、アイザック殿下の護衛と、蔵人をディさんに引き合せる任をこなしていた。
ディさんはきっと、橙子さんの様な人達の事を言っているのだろう。
(ディ様。それでも、教える相手は私よりも年上で、女性ではありませんか?私の様な者では、とても講師として成り立たないと思うのですが)
年下の、軍務経験もない男性に教えを乞う軍人はいないだろう。
史実で言うなら、屈強な自衛官を相手に、年端もいかない少女が指示を出しているようなものだ。
何処の魔導大隊の少佐だ。現実でやったら舐められるに決まっている。
そう思った蔵人だったが、それはディさんも想定済だったみたいだ。
(そこは問題ない。訓練には普段の教官をサポートに付け、更に、君自身の素性と姿を偽る段取りだ)
つまり、メタモルフォーゼか何かで、教官の姿を作り出すという事か。
ここまで考えているという事は、ディさんは本気でこの件を考えられている。
余程、若葉さん達の戦う様子に感化されたと思われる。
こうなると、断る事は出来ない。
(分かりました。私が出来る範囲でお手伝いさせて頂きます。ですが、過度な期待はしないで下さいよ?)
(ふふっ、あのようなシンクロを見せておいて、それは無理な話だぞ?)
ディさんがニヤニヤ笑っている。
仕方なかった事とは言え、やはり公の場で蒼龍を出すべきではなかったか。
いや、思えば文化祭でブルードラゴンを出した時点で、ディさんは目を付けていたのだろう。
だから、自分がイギリスに行こうとした際に、全力で後押しもしてくれたし、ご自身も変身してまでご参加された。
これは、自分の撒いた種だ。
蔵人は肩を落とし、ケーキをもう一口頬張る。
(それはそうとして、蔵人。君は私に、何か聞きたいことがあったのではないか?)
よく見られているな、ディさん。
蔵人は頷く。
(はい。Eスコードロンにギデオン議員が拘束された時、彼が言っていた、悪魔の実験とは何の事なのでしょうか?彼は随分と、その事に固執している様に見えました)
彼の祖母、スカーレット・コッククロフトさんが行ったと言っていた実験。それが、嘗て男性を苦しめたと彼は叫んでいた。
その時の彼の様子から、きっとその実験が彼を女性嫌いに変えてしまったのではと、蔵人は考えた。
その蔵人の問いに、ディさんは「うむ…」と重い息を吐き出す。
(スカーレット博士の実験は、機密事項が多く関わっており、全てを話す事は出来ない)
(では、概要だけでも)
(うむ。そうだな…彼女の実験は、異能力の特性を明るみにしたマデリーン・ラザフォード博士を継ぐものだった。マデリーン博士の実績の中には、マデリーンの法則以外にも、多くの功績がある。その内の1つを追究して成果を上げた事で、スカーレット博士は大きな富と権力を得ることとなった)
だが、と、ディさんはワインを煽りながら、天井を見つめた。
(スカーレット博士の実験には、多くの犠牲も伴った)
(犠牲…ですか)
(ああ、そうだ。犠牲…以前にも言ったが、異能力の研究という物は、ある種人体実験の様な物だ)
ああ、そうだった。
蔵人は、ディさんと初めて会った時の事を思い出した。
解体新書の様に、人体の謎を解明するには、そう言う実験も必要となってくる。
つまり、スカーレット博士が行った悪魔の実験の中身も…?
(君の想像通り、その時の実験台の多くは、男性の囚人が担った。その当時、男性の死刑囚は多かったからな。先の世界大戦の責任を負った、B級戦犯という死刑囚が)
ああ、やはりこの世界でも、そう言う裏の顔はあるのだな。
男性社会が女性社会に切り替わったとしても、人が求める心と言うのは、変わらないのか。
蔵人はやるせない気持ちになり、その気持ちを少しでも吐き出すために、ふぅと小さく息を吐き出した。
途端に、向こう側の慶太がこちらを向いた。
「くーちゃん。もうお腹一杯?」
「うん?」
見ると、慶太は期待した目でこちらを、手元を見ていた。
うん。分かりやすい奴め。
「ああ、そうなんだ。もう一杯で、食べてくれるかな?」
「任せろ!」
慶太は嬉々として皿を受け取り、パクパクとケーキを平らげる。
助かるよ。腹じゃないが、胸が一杯なのは確かだから。
蔵人が暗い顔をしていると、ディさんの思念が優しく響く。
(済まない、蔵人。少々過剰な言葉で語ってしまった。人体実験とは言ったが、何も拷問紛いの非人道的実験を行っていた訳ではない。彼らは率先して、その実験に従事したと記録には残っている。加えて、その実験によって、異能力の解明に大きく前進することとなり、今の世の中をより豊かに、安全にしてくれたのも事実なのだ)
(安全に、ですか)
(ああ、そうだ。一つ例を挙げると、スカーレット博士の実験によって、それまで死病であった能力熱が大きく緩和することが出来た。マデリーン博士によって、異能力を使用する際に、脳の一部が活性化することを突き止めており、その実験を継承したスカーレット博士によって、その活性化を一部制御することが可能となったのだ。それにより、当時は発症すると半数近くの人間が死に追いやられた能力熱が、今では薬一つで治る病となった)
なるほど。新薬の実験台として、死刑囚を使ったのか。
それは仕方がない。何せ、その当時は異能力の解明と開発が急務であったろうから。
突然表舞台に現れた異能力という新エネルギーに、当時の人達は大いに沸き立ち、同時に混乱したことだろう。
少しでも早く異能力を理解し、周囲よりも有利に立ちたいと誰もが思った筈だ。
そんな中、スカーレット博士が能力熱の解明に成功したとなれば、一躍有名人となるだろう。
史実で言えば、世界的に広がった伝染病の特効薬を開発したのと同じレベルではないだろうか。
加えて、異能力という武器を使いやすくしたという事で、それ以上の評価を受けてもおかしくはない。
それこそ、新興財閥でも大きな権力を得られる程に。
だが、疑問点もある。
それだけ有名な人なら、何故自分は、今まで彼女の名前を知らなかったのだろうか。
マデリーン博士だって、マデリーンの法則で知っていたのに、スカーレット博士の名前は論文でも見かけた覚えが無かった。
能力熱の撲滅にも貢献しているなら、それこそ頼人が熱を出した時にも聞こえておかしくはないと思うのだが…。
いや、疑うべきは先ず自分か。
自分が、勉強不足なだけかもしれないな。
蔵人が独りで反省していると、ディさんは話を続けた。
(だが、そんな功績はギデオンには無関係だ。確かに、祖母が築いた富により、裕福な少年時代を過ごすことは出来ただろうが、反面、母親の愛情は一切得られなかった。ギデオンの母親は、スカーレット博士に追いつこうと必死だったらしいからな。余りにも大きすぎる祖母の偉業に、ギデオンの母は押し潰されそうになり、それに耐える様に、全てを犠牲にして研究に没頭した)
それによって彼は、母親に、女性に恨みを持ったのか。
愛情を注がれなかった過去の鬱憤を、現在の女性達で晴らすかのように。
もしかしたら、彼がやたらと人形の様な傀儡を作り出したのも、そんな悲しい少年時代があったからかもしれない。
愛が注がれない自分を、空っぽの人形の様に思っていたのかも。
本当に、ゲームのディザスターを彷彿とさせるエピソードだ。
そう思ったのは、もしかしたらギデオン議員も一緒かもしれない。
ゲームの中の蔵人君は、高校生でありながら、テロ組織の幹部にまで登り詰めた。
それを聞いた時には、余程あの元母親を憎んでいたのかと思ったが、冷静に考えれば、それは余りにも非現実的だ。
高校生がテロ組織の幹部なんて、実力や実績だけでは難しい。
だが、コネがあれば不可能でもないだろう。
あくまで予想だが、似たような境遇のディザスターに目を付けたデミウルゴスが、彼を幹部に仕立て上げたのではないだろうか。
ディザスターを、嘗ての自分に重ねてしまって。
改めて、議員の野望を阻止できて良かった。
彼がこのまま男性優遇策を推し進めていたら、ゲームの蔵人君の様な子が、第二のディザスターに仕立て上げられていた可能性も十分にあるから。
そう言えば。
(ディ様。もう1つ気になる事が)
(ああ、なんだね?)
ディさんはナプキンで口元を拭きながら、蔵人に思念を返す。
(大山製薬の大山社長についてですが、彼は議員と何か関係を持っているのでしょうか?)
議員の事を考えていたら、気になる断末魔を思い出した。
熾天使を貫通させた時、確か議員は『何故こんな化け物を寄越した、おおやま!』と叫んでいた。
あの時は深く考える時間がなかったが、今思えば色々と考えさせられる発言だ。
まるで、大山社長が蔵人達をコンビネーションカップへ寄越した様な言い方。
それに以前、議員は言っていた筈だ。『君達を寄越してくれた者に感謝する』と。
これを繋げると、議員と大山社長との間には、何か良からぬパイプがあるのではと思えてしまった。
何せ、大山社長も男性だからね。
女性ばかりが成り上がるこの世界では珍しい、男性の成功者だ。
ギデオン議員と同じ。
蔵人は再び、眉間に皺を寄せる。
それに、ディさんは、
(なに、特段気にする事はない。ただ昔、ギデオンが日本へ視察に赴いた事があり、その際に会談の席で大山社長とも顔を合わせたと言うだけの事だ)
軽い思念を、蔵人に返してきた。
いやいや。あの時のギデオン議員は、そんな薄い間柄の様には聞こえなかったぞ?
蔵人は片眉を上げて、ディさんを見る。
すると、彼は「ふふっ」と形のいい眉を下げた。
(全く、君の慧眼をはぐらかすには骨が折れる。本当に、他国が送ってきたスパイだったりしないだろうな?)
(ご冗談を。こんな注目を集めるスパイがいたら、今頃、本国から暗殺者でも送られて来てますよ)
(くっくっく…違いない)
ディさんは、笑いを飲み込む様にワインを煽って、空いたグラスをテーブルに置く。
(君の推測通り、大山は裏でテロ組織と繋がっている。だが、君が危惧する様な状況では無い)
(それは…どの様な意味で?)
蔵人は動きを止めて、彼の言葉を待つと言う意志を見せる。
(以前も少し話題に上がったが、我々はアグリアの一部を泳がせている。重要な機密事項である、アグレスの情報が漏れない為にな。その一部と言うのが、彼だ)
つまり、大山社長は友釣りの鮎であり、その竿はしっかりと軍部が握っていると言う事か。
いや、鮎と言うよりもカジキマグロだろう。大手企業の社長と言う大物を泳がせて、一体誰を釣ろうと言うのか。
蔵人が懐疑の目をディさんに向けると、彼は構わずに話を進める。
(彼は会社の利益の一部を、NPO法人に寄付している。だが、その組織こそ、アグリアと繋がる裏組織だ。彼はそこに資金提供をして、更に活動方針にも口出しをしている)
ほうほう。
そこまで把握されているという事は、
(つまり、社長を泳がせる事で、アグリア組織の動きを把握しているという事でしょうか?)
(ああ、その通りだ。未来予知では、複数の可能性が示唆されてしまうからな。こうして組織の大元を抑えておけば、奴らの動きを的確に把握する事が出来る)
だから、アグリアの活動は尽く失敗に終わっているのだ。彼らの作戦内容も、参加する人数も、持っている武器も把握しているのだから、彼らが成功することは皆無である。
それ故に、社長を泳がせていると。
それを聞いて、蔵人は、
(大丈夫…なのでしょうか?)
不安を覚えた。
(私も先日、大山社長にお会いしました。その時には、それ程怪しい雰囲気を感じ取る事が出来ませんでした。もしも彼が、心の内を隠す事に長けた人間で、泳がせている様に見せていたりした場合、我々は大きなしっぺ返しを食らってしまうのではと思います)
自慢ではないが、人を見る目は多少なりともあると自負している蔵人。
ギデオン議員の時も、何となく危ない人だというのは表情だけでも察することが出来た。
まぁ、彼はとても分かりやすい性格でもあったから、余り引き合いには出せないが、少なくとも、大山社長の雰囲気に、怪しい影は見えなかった。
演劇を見ている時も、とても自然体で、とても楽しまれている様子に見えた。
もしも彼がアグリアの一員で、巻島蔵人を知っているのであれば、多少なりとも欲が見える筈だ。
蔵人をアグリアに誘うと言う、彼らの欲が。
故に、そう聞いた蔵人だったが、
(安心したまえ。彼の心の内は常に、軍部の高ランクサイコメトラーによって把握している。それに寄ると、彼はアグリアをビジネスパートナーの一部としか考えていないようだ)
つまりは、裏社会で動かす駒として使っていると。
確かに、昭和平成初期位まで、権力者達は裏社会の団体と手を組んで、地上げや借金取り等をやらせていた時期もあった。
それと同じで、アグリアに表では出来ない仕事をさせているのだという。
だが、本当にそうなのだろうか?
ディさんは、そのサイコメトラーを信じているみたいだが、異能力だけで、本当に人の心を把握し切れるのかは疑問だ。
本当に凄い人は、自分自身すらも騙せる程に、心を隠すことが出来たりする。
もしも社長がそう言う類いの人であれば、ディさん達が裏をかかれる可能性も十分にあると思う。
「さて、コースは以上だが、皆は満足してくれたかな?」
「オイラは満足だよ!」
「僕も、こんなに美味しいイギリス料理は初めてでした!」
「それは良かった」
しかし、今のディさんからは、一切の懸念も無いように見える。
いや、実際無いのだろう。
彼だけでなく、この世界の人間は、異能力に絶対の信頼を置いている。
特に、高ランクであればある程、期待と信頼を置く傾向にある。
それは、異能力が蔓延るこの世界では仕方のないことだ。
ならばせめて、外の世界から来た自分だけは、疑いの目で見よう。
そう、蔵人は心を固めるのだった。
議員が叫んでいた悪魔の実験とは、人体実験の事だったのですね。
「史実でも、その時期は様々な薬品の人体実験が行われていた。それが戦争を勝つための手段であり、目的の為には手段を選ぶなど出来なかった」
そこは、女性が世界を支配しても変わらなかったのですね。
でも、それが今の生活を豊かにしてくれたのでしたら、少しは浮かばれるのではないでしょうか?
「それは、史実でも同じだ。戦争によって技術が大きく進歩し、我々の生活を豊かにしている。ボールペン、電子レンジ、インターネット、携帯電話等々な」
…皮肉なものですね。