241話~オラだよ、オラ~
それは、一本の電話から始まった。
『おう、蔵人。つくば大会以来じゃな。元気しとるか?』
そう言って、電話口の向こうから掛かって来た声は、間違いなく西濱のアニキであった。
飛行中だった蔵人は、周囲に張った盾を更に密にして、風切り音が入らないようにする。
「至って健康体ですよ。アニキの方はどうです?こんな時間に電話という事は、何かありましたか?」
現時刻は20時過ぎ。
蔵人は部活からの帰りで、先ほど特区の検問を越えて、特区外の空を飛び始めたばかりであった。
何か問題事であれば、このままアニキの方に行こうと、蔵人が方向修正していると、アニキは『ちゃう、ちゃう』と明るい声を出した。
『お前さんも色々あったらしいと、慶太の奴から聞いたからのぉ。ちょっと気になって電話しただけじゃ』
なんと。慶太はアニキにまで相談していたのか。
思い返せば、相談相手は1人とは言っていなかったからな。
翌日に会った鈴華達の様子は、特に変わりがなかったから、鶴海さんにだけ相談したのかと思っていた。
「そうでしたか。態々ありがとうございます。本当にもう、俺は大丈夫ですから」
ちょっと気恥ずかしくもあるけれど、こうして周囲から心配してもらえるのは嬉しい。
慶太には感謝だな。
蔵人が親友の薄目を思い描いていると、アニキが『う~ん…』と唸っていた。
うん?何か悩んでいる様子。やっぱり何か用事があるのでは?
「どうしました?アニキ」
『うん。いやぁ、お前さんの元気が無かったら、この週末にも遊びに誘おうと思っとったんじゃ』
「遊びですか?」
『おお、そうじゃ』
珍しい。
アニキもそろそろ、全日本Dランク戦の地区大会が始まる筈だ。
そんな忙しい人が、態々遊びに誘ってくれるとは…。
「ありがとうございます。今週の土日なら、土曜日は半日部活動がありますが、日曜日は1日空いていますよ」
『おおっ!そうか、そいつは丁度ええ。時間があるなら、是非ともうちに来い!』
「うち?ですか?」
『ああ、そうじゃ!』
アニキは嬉しそうに肯定した。
『うちら砦中学の、文化祭じゃ!』
数日後の日曜日。
蔵人はパッツンパッツンの学ラン姿で、小さな鉄盾に乗ってスケボースタイルで公道を滑っていた。
今日は砦中の文化祭である。
蔵人はちょっとした変装をして、参加する事にしていた。
先ず変えたのは服装。
急遽アンティークとなっていたパソコンを開いて、ネット通販で取り寄せたのは、砦中の制服になるべく近い物をと選んだ黒い学ランであった。
よく見ると、首元の校章が無かったり、ボタンの絵柄も違うのだが、パッと見では分からないだろう。
これで、砦中に潜入しても怪しまれないだろう。
砦中の文化祭に参加する人は、殆どが周辺の学生らしいので、私服で行ったらかなり浮くらしい。
かと言って、桜城の真っ白制服で行く訳にはいかない。
行ったら最後、アミューズメントパークのハザードが再来してしまう。
よって、特区外の学生さん達の中に溶け込めるように、学ランを着用しているのであった。
次に変えたのは、体型である。
学ランのお腹周りにEランクの膜を詰め込み、お腹が大きなおデブさん風に仕立て上げている。
加えて、頬の内側に膜を含んでみると、見事な関取さんの出来上がりだ。
首回りや指の太さ等はそのままなので、学ランを脱いでしまうと歪なおデブさんとバレてしまうだろうけど。
目には分厚い伊達メガネ。髪はベリーショートまで刈り込み、傍から見たらがり勉中学生である。
これで、アニキでも分からないだろう。
慶太は気付くかも知れないが…。
ここまでする必要は、無いのかもしれない。
蔵人の事を知る人は、特区の外では殆どいない。黒騎士の異名すら響いてない地域なのだから。
でも、もしもの事がある。
もしも特区と繋がっている人間がいたら?文化書店や白百合と繋がっている連中が居ないとも限らない。
それに、つくば大会で見られていたかも知れないから、用心に用心を重ねるくらいが丁度いいだろう。
「まぁ、新技の試運転も兼ねているんだけどね」
蔵人は独り言ち、お腹を摩る。
懐かしい、良い肉質の感触がしっかりと手に伝わってくる。
暫く鉄盾でのスケボーを楽しんでいると、向こうの方に学ランを着た男の子達が見えて来た。
恐らく、アニキと同じ砦中の学生さん達だろう。
蔵人は急いで盾を消して、みんなと同じように歩き出す。
日曜日の登校だから、気だるそうに歩いている子や、仲間達とバカ騒ぎしながら歩いている子もいる。
特区では久しく見れない光景に、蔵人は懐かしさと安心感を得る。
そうそう。やっぱりこういうのが通学ってものだよな。毎朝、高級車が校門前で連なるなんて、やっぱり異常だったんだよな。
そんな事を思いながら、蔵人は学生達の列に紛れて、通学路らしき道を進む。
彼らは、蔵人の方を見ても、特に大きなリアクションはしていない。上手い事、砦中の生徒と思っていると信じたい。
暫く歩いていると、目の前にかなり急な坂が現れて、その坂の上に古びた校舎が2つ見えた。
これが、砦中だ。
蔵人は昨日、帰宅途中に下見をしていたのだが、その時は上空からだったので、こうしてみんなの目線で見上げてるのは新鮮だった。
また、安心感が胸の中に広がる。
そうだよな。学校って、こんな感じだよな。白亜の城が乱立する桜城の規模が、おかしいだけだよな。
膨らました胸を撫で下ろし、太い腕を楽し気に振って、蔵人は急な坂道をズンズン登る。
そんな時、
「うぃぃいりぃいい!」
「ヒャッハー!」
「邪魔だ!邪魔だ!退けや1年坊!」
ブルルン!ブゥンッ!と、吹かしたエンジン音と共に、数台のバイクが坂道を登っている最中の蔵人達を瞬く間に追い越して行った。
バイクには、砦中の制服を着崩した金髪茶髪のヤンキー達と、そのバイクの後ろに乗った女子生徒達が乗っていた。
女子生徒達は、原画が分からないくらいに化粧を塗りたくり、気だるそうな顔で携帯電話を弄繰り回していた。
そして、その集団は砦中の正門らしき所に突っ込んでいった。
うわぁ、時代を感じるなぁ…。
蔵人は、特区外の現状を再認識した。
坂道を登り切り、正門に差し掛かる。
そこには、ボロボロで頼りない看板が立て掛けてあり、〈第78回文化祭〉と手作り感満載の文字が貼り付けてあった。
門の先には数人の生徒が立っており、登校している生徒達に強めの挨拶を繰り返し投げかけていた。
彼ら彼女達の胸には、大きなワッペンの様な物で〈生徒会〉と書かれていた。
生徒会の挨拶活動か。これは、流石に呼び止められてしまうか?
蔵人はそう思い、もしも呼び止められても大丈夫な様に、懐から一通の手紙…この文化祭の招待状を取り出して、歩みを進めた。
だが、挨拶を繰り返す彼ら彼女らのすぐ脇を通り過ぎても、怪しむ素振りは見られない。
それどころか、彼らから投げかけられた挨拶を、大きな声で投げ返したら、凄く嬉しそうな顔で頷かれてしまった。
他の生徒達は、挨拶されても殆ど返さないからね。生徒会の人達も、生徒達からの反応に飢えていたのだろう。
結局、誰にも詰問されずに正門前を潜り抜けてしまった蔵人。
それで良いのか?生徒会。
随分とガタイが良くて、先生かと思ってしまう人も数人いたのだが、結局挨拶以外はなにもされなかった。
正直、肩透かしであった。
蔵人が更に歩みを進めると、校舎奥の方にある駐輪場で、怒号が飛び交っていた。
そちらを見てみると、そこにも数人の生徒会らしき生徒達と、先生らしき大人達が集まっていた。
彼らが厳しい視線を向ける先には、色とりどりの頭をしたヤンキー達と、駐輪されたバイクにもたれ掛かる不良少女達であった。
ああ、さっきのヤンキー達だ。先生達に注意されているのを見るに、バイクは校則違反だったみたいだな。
何か大事になるのかと思って見守っていると、退屈そうにしていた女子生徒が携帯をしまい、バイクから降りた。そして、ずいッと先生と生徒会の群れの前に出た。
その途端、先生達の壁が割れて、不良少女たちは悠々とその間を通っていき、彼女達の後ろをヤンキー達が急いで付いて行った。
どうやら、先生と言っても女子生徒は怖いらしい。確かに、集まっていた先生はみんな男性の先生だったから、余計に弱腰だったのかもしれない。
蔵人はそんな事を考えながら教師と生徒会の集団を見ていたが、その内の1人と目線が合いそうになると、急いで顔を背けて、その場をそそくさと立ち去った。
集団の中に、見知った顔を見つけてしまったのだ。
確か、ホノカとか呼ばれていた黒髪清楚系の娘だ。
まさか、生徒会の人間だったのかと、蔵人はため息を吐く。
あの娘は危険だから。
もう1人のカオリちゃんも危険だが、ホノカさんは図書館でも、蔵人の素性を察した雰囲気があった。
この変装は見破れないとは思うけど、絶対では無い。
彼女、黒髪だから、サイコメトラーとかだったら1発アウトなのだ。
恐ろしい。
校門で彼女に出くわさなくて良かったと、蔵人は胸を撫で下ろしながら、昇降口まで来た。
さて…ここからどうしようか。
ここまでバレずに来られたのは良かったが、流石に、知らない校舎に独りでは不味いだろう。
あまりにも早く来すぎたからか、文化祭はまだ準備中みたいだし、何処にも行く宛てがない。
何処かに潜伏しているか?
そう考え、蔵人が隠れ先を目で探していると、
見つけた。
蔵人は軽い足取りで靴箱の間を移動する。
そして、
「(低音)おはよう、竹内くーん」
見知った級友の姿に、手を挙げて挨拶する。
喉の盾で、声も少し低めに変えてみた。
竹内君は、靴箱から内履きを取り出しながらこちらを振り向き、
「ああ、おはよ…うん?だ、ダレ?」
半分上げた手を宙に浮かせながら、不審者を見る様に目を細めて返してきた。
蔵人は笑いそうになるのを堪える。
「(低音)何を言っとるだよ。オラだよ、オラ」
キャラクターを変えて話しかける蔵人。
気分は田舎から出て来た相撲取りだ。
どすこい!ごっつぁんです!
「ええっ?オラって、ええっ?ひ、人違いじゃないの?君の事、オレ、多分知らないと思うんだけど…?」
竹内君がアタフタしている。
ダメだ。笑ってしまう。
「ごめんごめん。俺だよ。巻島だよ」
「ああ、蔵人くんか」
そう納得した竹内君は、
直ぐに目玉を引ん剝いた。
「うぇえ!?くらふごっ!」
大声で名前を呼ばれる前に、蔵人は竹内君の口を塞ぐ。
そして、彼だけに聞こえる様に囁く。
「名前は呼ばんでくれ。今日はお忍びだ。分かるね?」
「ふごふごっ」
竹内君が頷くのです、手を離す蔵人。
うわっ、手がヨダレだらけだ。
「な、なんで君が…。えっ?文化祭を見に来たの?でも、君は特区だよね?」
「アニキにご招待頂いてね。少し変装して来たんだよ」
「いや、少しってレベルじゃないよ。それに、ちょっと早過ぎじゃない?文化祭まで、まだ時間があるよ?」
「そうなんだけどさ、ちょっと、普段の学校の様子も見てみたかったんだ」
桜城の校風に慣れすぎると、大変だからね。
それに、アニキの様子も気になっていた。
つくば大会でも大人気過ぎたアニキが、学校生活で苦労していないかを確認したかったのだ。
剣帝さんが稽古を付けに来てくれているだろうから、酷い事にはなっていないと思うのだけど。
蔵人は竹内君を連れて校舎を進む。上履きは無いのでスリッパを借りていた。
音で目立たないように、盾でスリッパを固定して歩く。
本当なら、スリッパも要らないのだけどね。盾で移動していると、特区の外ではとても目立つから、こうするしかないのだ。
砦中の校舎内は、お世辞にもキレイとは言い難い。
廊下のタイルは割れたり剥がれたりしているし、天井は煤だらけだ。壁には何かで削ったような跡や、小さな落書きが幾つもされている。扉は引き戸で、建付けが悪いのか、開ける時にガタガタとダンスをする。
そんな不具合を見かける度に、蔵人は安心感を抱く。
自分の良く知る学校の姿そのものという事と、通り過ぎる少年達が楽しそうなのも合わさって、余計にそう思うのだった。
蔵人は隣を見る。
竹内君は、少しダボ付いた大きめの学ランを引きずりながら、蔵人に付いて来ていた。
中学1年生だから、大きめの学ランを使っているんだね?それすら、桜城には無い懐かしさだ。
「見た感じは普通の学校っぽいけど、何か変わった事というか、困ったことはない?」
「困った事ねぇ。勉強は難しいし、女の子は小学校の頃と比べて少なくなったし、先輩は怖いし…でも、今ではそんな事にも慣れたかなぁ。ああ、ちょっと前までは怖いオジサンがうろついていて怖かったけど、剣帝さんが来るようになってからはかなり少なくなったよ。あれもくら…じゃなくて、猪瀬君が何か言ったからなの?」
竹内君が、約束通りに蔵人の名前を仮名で言い直す。
それに感謝しながら、蔵人は首を振る。
「いいや。俺からは何も言ってないよ。きっと、剣帝さんが出入りしているから、警備を薄くしたんだと思うけど」
加えて、青龍会の下っ端を見かけなくなったのも大きいだろう。
後で、日向さんにお礼と謝罪をしないとな。
きっと、抗争が起きなかったからご立腹しているだろうし。
預かり知らぬ事だけど。
そんな話をしながら廊下を歩いていると、急に竹内君が立ち止まった。
蔵人が不思議に思って彼を振り返ると、竹内君は青い顔をして俯いていた。
なんだ?具合でも悪くなったか?
蔵人が心配して彼を覗き込むと。
「く、蔵人君。オジギ。お辞儀してっ」
小さな声で、そんなことを必死に訴えかける竹内君。
その直後、
蔵人の後ろで、気配が動く。
蔵人が振り返ると、廊下の向こうの方から、3人の男子学生と剣呑な雰囲気の金髪女子生徒が、女子生徒を先頭にこちらへと歩いて来ていた。
彼女の右脇には、半透明な腕が形成されている。
伏見さんと同じ、サイコキネシスの腕だ。
蔵人が、自分の横を通り過ぎようとしていた彼女達を見ていた時、
その腕が、振り抜かれる。
透明な拳が、蔵人の腹に、深く突き刺さった。
「(低音)ぐっおっ!」
蔵人は、ワザと苦しい声を出した。
本当は、ダメージなど負ってはいない。
腹に突き刺さった異能力の拳は、蔵人の腹に蓄えられた膜を、10㎝程押し込んだ状態で止まっていたのだ。
でも、平然としていたら怪しまれてしまう。
何せ、今の攻撃はなかなかの威力だったのだ。
Eランクの防御とはいえ、それ相応に魔力を消費する膜を、ここまで押し込めるという事は、Dランクの上位並みの攻撃力だと思う。
腹を抑えた事で、自然と頭が下がる蔵人。
そこに、女子生徒の声が降りかかった。
「先輩が通ったら頭を下げる。覚えておけ、一年坊」
そう言いながら、蔵人の横を通過する女子生徒。
蔵人が視線で彼女を追うと、彼女は金色の長髪を靡かせて颯爽と廊下を進んで行く。
特に、こちらを振り替える素振りは見られない。
なるほど、そういう上下関係を指摘してくれたのか。
「(低音)あ、りがと…ございますっ」
蔵人は、なるべく苦しそうな声を出して、過ぎ去っていく先輩達の背中にお礼を投げた。
ちょっと手荒ではあるが、こうして後輩の教育を行い、処世術を教えてくれているのだろう。
なかなかに優しい先輩だと思い、蔵人は体を折りながら感謝の意志を伝えた。
のだが、
蔵人が感謝を伝えた途端、金髪の先輩は急に立ち止まり、後ろに連なる男子達がズッコケそうになっていた。
そして、金髪先輩がこちらを振り返り、思いっきり睨んできた。
えっ?なんでしょう?お腹抑えながらのお礼では、不敬でしたか?
蔵人が自分の発言を思い出そうとしていると、先輩は足早に蔵人の元まで戻ってきて、胸倉を掴んできた。
何だか分からないが、受け答えが不味かったみたいだ。
「(低音)す、すんません、先輩。どうか、許してもらえんでしょうか?」
「……」
先輩は無言で蔵人の顔を覗き込み、怪訝な顔をした。
そして、
「自分、何者や?」
「(低音)お、オラですか?オラは猪瀬って名前で、1年で…」
まさか、砦中の生徒でない事がバレたのか?
不良学生だから大丈夫だと思っていたが、思いの外そう言う事にも厳しいのかもしれない。
縄張りを荒らしに来た、他校生とでも思われてしまったか?
そう、蔵人が思っていると、金髪先輩は蔵人を解放し、代わりに後ろに控えていた男子を1人、呼びつけた。
「ヤス、来い」
「へ、へいっ」
そう返事をして、ヒョコヒョコやって来たガタイの良い先輩は、
金髪先輩のサイコキネシスに腹を殴られ、空中に浮いた。
「ぐぼぉおおおお!!!」
「「やすぅうう!!」」
他2人の男子生徒達が叫び、ヤス先輩は地面に蹲ってしまう。
そして、俯いた彼の口元から、ビチャビチャと唾液と何かが混ざった汚物が床に撒き散らかされた。
そんな可哀想な先輩を一瞥した金髪先輩は、直ぐに蔵人に視線を戻した。
「うちの異能力を喰ろうたらな、普通はこうなるんや」
こう、と言って、今もえずくヤスさんを顎で示し、鋭い視線をこちらに差してくる。
「せやけど、自分が吐き出したんはゲロやのうて、しっかりとした言葉や」
金髪先輩の目が、ギラギラと蛍光灯の光を反射させる。
「もう一度聞くで。自分、何者や?」
砦中は、ヤンキーの巣窟ですね…。
「いや。この学校が特別に不良という訳ではないみたいだ」
なんと…。
では、これが特区外の普通レベルなのですか?
随分と荒れています。これだったら、如月中の方がマシなのでは?
見たことありませんが。
「なんだかんだ言って、如月は特区の中にあるからな。公立とは言え、レベルが違うだろう」