240話~どうして、私だけ特別扱いなの?~
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他者視点でございます。
翌朝。
木漏れ日がカーテンの隙間から部屋に入り込んでいて、その明かりで目を覚ました。
いつも通りの朝を迎えて、グッと手を伸ばして伸びをすると、少し体が疲れているのを感じる。
何故かしら?
そう不思議に思って、昨日何があったのかを思い出そうと部屋の天井に視線を迷わす。
そして…。
思い出して、少し顔が火照るのを感じた。
ああ、そうだった。昨日はとても大変で、貴重な体験をしてしまった日だったわ。
昨日の事を思い出すと、疲れていた体も軽くなり、私はベッドから飛び降りる。
早く学校に行って、彼の様子を見ないといけない。昨夜の彼の様子であったら、もう大丈夫だと思うのだけど、私の勘違いだったら大変だもの。
私は何時もより少しだけ早く、家を出るのだった。
そうして、少しだけ早めに登校したけれど、彼に会う事は出来なかった。
教室に着いた途端に、文化祭の練習に誘われてしまったからだ。
文化祭までもう時間が無いから、みんなも必死で練習している。
私も、そんなみんなの役に立ちたくて、台本をリュックから取り出して、舞台に立つ。
すると、クラスメイトが1人、暗い顔をして私の方に近づいて来た。
何かしら?
「ミドリンごめん!ミドリンのセリフ、少し増やしても良い?小島君が劇に出たくないって言い始めちゃって、その分のセリフを誰かが言わないといけないの…」
「ええ、良いわよ。元々、私の出番は序盤がメインだから、彼のセリフくらい増えても問題ないわ」
「本当に!?ありがとう!」
クラスメイトの市川さんが飛び跳ねて喜んでいる。
彼女は文化祭委員で、この劇の監督をしてくれている。
男の子が急にへそを曲げちゃって、彼女も苦労しているみたいだ。
仕方がない。男の子が気分を害することなんて、よくある事。彼らが文化祭に参加してくれるだけでも、クラスのみんなからしたら御の字なのだから。
他のクラスでは、男子達が「文化祭当日には、登校しないから」と言い張っている所もあると聞く。
一般の学校なんて、そもそも男子がクラスに在席していなかったりするのだから、本当に恵まている。
…勿論、1年8組みたいに、男子が積極的に文化祭を引っ張ってくれるクラスもあるけれど、それは特例中の特例。蔵人ちゃんが居るから出来ること。
そんな風に、上ばかり見ていても仕方がないわ。
私は、不貞腐れた男子生徒を横目に、クラスメイト達とセリフ合わせをするのだった。
放課後。
私は、みんなの宿題を集めて、教員棟へと移動していた。
ノート30冊分だと、結構重い。
クラスの友達が手伝ってくれると言っていたが、断ってしまった。
みんなには舞台の練習があるから、時間を取らせる訳にはいかないわ。
私の役は、出番も序盤に偏っていて、今の練習パートでは比較的暇だから、放課後は部活動を優先させてくれる。
ファランクス部は忙しいでしょ?って、みんなが気を使ってくれる。
とても有り難い事だわ。
だからその分、私はみんなの役に立ちたいと思って、こうして荷物運びをしている。
「鶴海さん」
私が階段の手前辺りに来た時に、後ろで私を呼び止める声が聞こえた。
それと同時に、私の腕の中にあったノートの山が、急に軽くなった。
見ると、ノートの両脇と底に、薄い板が張り付いてた。
透明な板。これは…。
「随分と大荷物ですね。少しお手伝い致しましょうか?」
「蔵人ちゃん…」
そう言って微笑む顔は、私が会いたいと思っていた男の子の物だった。
いえっ、違うわ。会いたいというのは、別にそう言う意味で言ったのではなくて。ただ純粋に、彼の様子が気になっていて、もしも昨日の事が私の独りよがりでしか無くて、彼がまだ落ち込んでいたら心配だったからで…。
彼を見た瞬間に、私の心臓が跳ねあがり、急に顔が熱くなってしまった。
それを悟らせないように、私は少し俯いた。
「あ、ありがとう。でも、悪いわ。男の子に荷物を持たせるなんて…」
「とんでもない!貴女のお役に立てるのなら、どんな重い物でも持ちますよ!」
蔵人ちゃんは凄く嬉しそうにそう言って、ノートの山をそのまま盾に乗せて運んで行く。
私は、彼の大きな背中に見惚れそうになっていて、慌てて首を振って、彼の背中を追った。
「蔵人ちゃん、大丈夫?重くないの?」
「大丈夫です。全く重くないですよ。水晶盾は、300㎏まで耐えられますから」
そう言って、私に微笑みかけてくる彼の表情は、昨日までの硬い笑顔ではなくなっていた。
いつも通りの笑顔。いつも通りの蔵人ちゃんであった。
私は、それがうれしくて、自然と笑みを浮かべていた。
「良かったわ。貴方のその笑顔を、また見ることが出来て」
「貴女のお陰ですよ、鶴海さん。貴女が気付かせてくれたから、俺達はまた、歩き出せたのです」
そんな事を言われてしまって、折角落ち着き始めていた私の心臓が、また大きく鼓動する。
でも、凄く嬉しい。
私が蔵人ちゃんの役に立てたという事実が、私の中を満たしていく。
自然と、足取りも軽くなり、いつの間にか蔵人ちゃんの横で歩いていた。
私と蔵人ちゃんが並んで歩いていると、廊下から教室から、多くの生徒が私達に注目する。
「見て見て!黒騎士様よ!」
「キャー!すてきぃい!」
相変わらず、凄い人気ね。
でも蔵人ちゃんは、そんな周りの様子を気にする素振りもなく、堂々と廊下を進み続けている。
本当に、貴方は凄いわ。
私は、もう何度目になるか分からない賛辞を、隣の彼に送る。
普通の男の子だったら、こんな風に女子から声を掛けられたら、怖がって泣いちゃうか、天狗になって横柄な態度を取ってしまうもの。
でも、貴方は何時も紳士的で、とっても…その…格好良いわ。
貴方が居たから、桜城のファランクスは全国に行けた。貴方が強いというだけなく、みんなを引っ張っていってくれたから、みんなはバラバラにならずに、あそこまで行けたのよ。
貴方の様になりたい。みんながそう憧れるような立派な人だったから、みんなが付いて来たの。
その反面、貴方が休みがちだったここ数日は、部活の雰囲気も少し悪かったわ。
最近は真面目に練習している鈴華ちゃんや、元気いっぱいだった桃花ちゃんまでも気がそぞろで、早紀ちゃんは必要以上に張り切ろうとしていた。
祭月ちゃんだけは、いつも通りの自由奔放だったけど。
他の1年生達も、何処か寂しそうだったし、先輩達なんて明らかに気持ちが抜けていたわ。
そのせいで、鹿島部長が鬼コーチに成らなければならなかったし。
やっぱり、顧問が居ないというのは大きなことね。練習メニューを考えたりするだけじゃなくて、選手達のストッパーになってくれるもの。
今までは、蔵人ちゃんがその役割を担ってくれていた。彼に気に入られようと、みんな頑張って練習に取り組んでいた。
彼の影響力が大きいが故に、少し居ないだけで雰囲気が大きく変わってしまう。
でも、なかなか顧問は決まらないらしい。
櫻井部長さんから聞いていた話では、夏休み明けにでも臨時顧問が来るはずだった。
でも、急遽取りやめとなってしまった。
決まっていた先生が、急に辞退してしまった。
若ちゃんから教えてもらった情報によると、白羽の矢が立っていた先生は「私には荷が重い」と言って辞退したらしい。
全国3位にまで登り詰めて、しかも黒騎士という一等星が輝くこの部活を指導することに、躊躇したってことみたい。
やったこともないファランクスを指導するだけでも重荷だったのに、余計に負担が掛かるということね。
だから、今でもファランクス部の顧問は産休中の先生が名前を貸しているだけの、生徒自らが率いる部活になっている。
その分、鹿島部長や蔵人ちゃんに掛かる重圧は大きくなっている。
神谷先輩とかは、何とか盛り上げようとしていたけど、蔵人ちゃんの代わりを担うのは難しいわ。
その代わり、昨日、蔵人ちゃんが帰ってきた時には、みんなは凄く喜んでいたわ
鈴華ちゃんや早紀ちゃんなんて、大型犬みたいにへばりついていたし、祭月ちゃんも心なしか、爆発がいつもより大きかった気がする。
でも、私はちょっと違和感を感じていた。
話しかけても反応が薄く、時々、悲しそうな顔をしていたから。
極力周りに心配かけないようにしているみたいで、誰かに話しかけられるといつも通りの笑顔を見せてくれるが、私にはそれが、仮面を取り換えているだけの、大人の対応に見えていた。
そう見えていたのは、私だけではなかった。
彼の親友、幼馴染の山城慶太君。
彼も蔵人ちゃんの様子に気が付いていて、私に相談しに来たの。
「くーちゃんの元気がないから、くーちゃんのそーだんに乗って下さい!」
…なんで、私に?
そう口に出しそうになって、慌てて口を押えたわ。
下手に聞き返してしまうと、藪から棒が出てくるかもしれないから。
ただでさえ、クラスメイトとか、周りから色々と揶揄われているのに…。
それに、私自身も気になっていたところだったので、彼が帰るところを捕まえて、話を聞いてみた。
とても深刻なお話だった。きっと、小さい頃にトラウマを植え付けられてしまったのね。
多重人格の人は、そう言う事で発症することが多いと聞くし、彼の家庭事情が複雑なのは、若ちゃんから聞いたことがあったから。
私は、小さな頭脳を総動員して、自分の拙い体験談なんかを一生懸命に引っ張って来て、彼のお話について行こうとした。
そうしたら、彼が急に涙を流したから、少し驚いてしまったわ。
片腕を失っても、気丈に振舞っていた彼を見ていたから、余計に。
でも、厳しかった顔の筋は消えていた。
彼の名前を読んでみても、前のように反応してくれるようになった。
良かった。
本当に、良かった。
その時の私は、確かにそう思っていた。
でも…。
「鶴海さん?」
「えっ?」
突然、私の思考の中に、蔵人ちゃんの声が浸透してきた。
慌てて顔を上げると、そこには大きなウォールナット材の扉があった。
プレートには〈教員室〉の文字。
いつの間にか、目的地に着いていた。
「あっ、えっと、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて…」
言えない。
貴方の事を考えていたから、気付かなかったなんて…。
私がしどろもどろになっていると、彼は優しく微笑み、深くは追及して来なかった。
私は、蔵人ちゃんからノートを受け取って、先生に渡して来た。
退出して、扉を閉めると、そこにはまだ蔵人ちゃんが居てくれた。
あら?何か私に、ご用事だったのかしら?
「いえいえ。鶴海さんも部活に行くのでしたら、一緒に行こうと思いまして」
そう言う彼は、何処か昨日の鈴華ちゃん達と同じように見えてしまった。
ちょっと可愛い。
私は、幾分か軽くなった足取りで、蔵人ちゃんと一緒に部活に向かった。
でも、そんな風に浮かれていたからか、何でもない所で転んでしまった。
いいえ。転んでは無いわ。転びそうになっただけ。
私の体が前へと傾き、「あっ、やっちゃった」と思っている内に、フワリと体が浮いた。
気が付くと、私の視線の先には、薄っすらと茜色に染まりつつある空が見えて、その手前から、蔵人ちゃんの顔がぬっと突き出して来た。
「大丈夫ですか?鶴海さん」
「えっ?」
気付いたら、私は蔵人ちゃんの腕の中にいた。
所謂、王子様抱っこ…ではないわね。お姫様抱っこかしら?
そう、自分の状況が分かった途端、
心臓が、大きく跳ね上がった。
「く、蔵人ちゃん!えっと、あの、その、こ、これは…!?」
「すみません。咄嗟の事で、抱きかかえてしまいました」
と、咄嗟の事!?
そ、それならしょうがない…わよね?
いえ!ダメよ!そんな、こんなこと…まだ中学生じゃない、私達!
いえ、そうじゃなくて、大人なら良いとかじゃなくて、蔵人ちゃんみたいに凄い人と、私なんかが触れあっているのが不味いのよ!
「く、蔵人ちゃん。ありがとう。でも、もう大丈夫よ?降ろしてくれない」
「いえ、ダメです」
だ、ダメ!?
ど、どういう事?
直ぐに言う事を聞いてくれると思っていた私は、彼の言った事を暫く理解できなくて、口をパクパクさせてしまった。
そんな私に、少し鋭くなった彼の視線が送られた。
「鶴海さん。もしかしたら捻挫しているかも知れませんよ?足の骨が折れているかも」
「ええっ!?」
そんな事…無いわよね?
私は不安になり、足首をゆっくりと回してみる。
クルクルクル。
うん。大丈夫そう。
「だ、大丈夫よ、蔵人ちゃん。ちょっと痛みはあるけれど、歩けない程じゃないわ」
「そうですか?でも、念のために保健室で見てもらいましょう?」
そう言って、彼が歩き出す。
確かに、彼の言う事も一理ある。
捻挫程度と思っていて、骨でも折れていたらちょっと厄介だ。捻挫なら、Cランクのヒーラーさんでも十分だけど、骨折となると、変な方向に折れていないかを透視で見て、Bランクのヒーラーさんに治してもらう必要がある。
それは、そうなのだけれども…。
「ね、ねぇ、蔵人ちゃん。保健室には行くから…その、盾の担架で運んでもらえないかしら?」
「おっと、すみません。汗臭かったですね」
「ち、違うわ!とっても良い匂いよ!」
あっ、しまった。なんてことを口走っているのよ!私!
私が、セクハラ発言をしてしまった事にアワアワしていると、蔵人ちゃんは「それでしたら、良かったです」と言って、そのままズンズン進んで行く。
本当に蔵人ちゃんは規格外ね。普通の男子に今の言葉を言ったら、私は今頃、生徒指導室行きよ。
そもそも、こんなに男子と接触なんてしたら、訴えられても文句が言えないわ。
私は、暴れる心を押し留めて、なるべく冷静な言葉を吐き出す。
「蔵人ちゃん。わ、私も、その、そう!盾に乗ってみたいのよ。鈴華ちゃんが乗っているのを見て、いつかやってみたいって憧れていたの!」
「おお!そうでしたか!」
蔵人ちゃんの反応に、私は幾分安心して、でも、何処か寂しい気持ちになりながら、何度も頷いた。
「そうなの。だから、盾の担架で運んでくれる?」
「分かりました。では、治療が終わったらお乗せしますよ」
「えっ?」
なんで?
私がビックリした顔を向けていると、彼はとても朗らかな笑みでこちらを見つめる。
「盾は見た目よりも硬くて、冷たいですから。貴女を寝かせた状態で運ぶのは、とても忍びなくてですね」
なんて、過保護な。
私はしばし、口をパクパクさせていた。
だって、気持ち悪くなった鈴華ちゃん達も、その盾に乗せて運んでいたわよね?
それなのに…。
「どうして、私だけ特別扱いなの?」
つい、感情が高まり、漏れ出てしまい、私は心の中で呟いていた考えを言葉にしていた。
それに、蔵人ちゃんは嬉しそうに頷いた。
「それはですね、貴女が俺にとって、特別な存在だからですよ」
その言葉を聞いてから先の事を、私は覚えていない。
気が付いたら、保健室の白い天井を見つめている。
カーテンで仕切られた一人用のベッドに、私は仰向けで寝ていた。
どうやら、気絶してしまったらしい。
余りの衝撃に。
余りに、その…嬉しすぎて。
「蔵人ちゃん…」
私は、少し寂しくなって囁いた。
さっきまで感じていた、彼のぬくもりを探すかのように。
何で、気を失ってしまったのだろう。
もっと、あの言葉を味わいたかった。
そう思った。
思っていたのに、
「呼びましたか?鶴海さん」
彼が、カーテン越しに返事をしてきた。
同時に、彼のシルエットが、カーテン越しに動いている。
私が起きるまで、そんな近くで待っていてくれたみたい。
「なっ!なんでも、ないわ」
私は急いで布団をかぶり、恥ずかしさで震えた。
しっかりと布団の端を掴んで、声が漏れないようにして、心の中で叫ぶ。
貴方は、何処まで私を狂わせるの!?と。
………。
青春ですね。
「まぁ、偶には良いのではないか?」
これにて、心裏篇は終了となります。
暗い話が多くなってしまいましたが、次からはまた、元に戻ると思います。
「戻れるのか?少なくとも、鶴海嬢は難しそうだぞ?」
え~…。蔵人さんは、元に戻るかと。