237話~…黙れ~
固く閉ざされた門の向こう側にいる母親は、衣服が乱れて所々焦げた痕も見えた。
戦闘してきた跡だ。
恐らく、巻島家を抜け出して来たのだろう。
黒戸がそう予想していると、顔色が悪い母親が、それを肯定した。
「た、ただいま蔵人。家に帰れなくて、その、ごめんなさい。すぐに戻ってくるつもりだったの。でも、本家の人達に捕まっちゃって…。本当よ!?私、貴方の元に帰りたくて、む、無理して抜け出して帰って来たんだから!」
少し目の力を取り戻した母親。
真実を言っている…つもりなのだろう。
それは、まぁ、半分は真実だ。本家に軟禁された事と、抜け出した事は。
だが、すぐに戻るつもりであったというのは、大嘘である。
若葉さんに詳しく聞いたところ、母親が巻島家に囚われたのは、つい最近であった。
半年前。
黒戸が特区へ入学した少し後に。黒戸がCランクであると巻島家が認識した時の話であった。
それまでの5年半という長い期間、母親はずっと特区に潜伏していた。少しでも頼人の傍にいるために、頼人のことをずっとストーカーしていたのだ。
しかし、半年前。黒戸がCランクだと巻島家が知ると、それまで泳がせていた母親を、巻島家は急に捕らえたのだった。
それは、巻島本家が母親の価値を見直したから。Aランクの男を偶然産んだ女という認識から、EランクからCランクになる麒麟児までも生み出した母親という認識に昇格したからだった。
そして、黒戸がファランクス部で全国3位まで勝ち上がると同時に、母親の縁談話が始まる。
Aランクの秘宝と、Cランクの至宝を産んだ母親に、更に宝石を産ませるために。
それだけを思えば、この女も幾分か不憫とも思える。
だが、
「く、蔵人、Cランクになったんだって?凄いわ。お母さん、鼻が高いわ。いいえ違うわね。貴方はずっとCランクだったのよ。それをEランクだとかって抜かした、あの看護師が全部悪いの…。外の技術が低すぎたから、貴方にも要らない心配を掛けてしまったのよ」
ブツブツと呟く元母親は、こちらを見てはいない。
黒戸のランクだけを見ている。Cランクになった、魔力量だけを。
何処までも、愚かな人間だ。
その人間に、真実を突き付ける黒戸。
「誰も間違ってはいませんよ。赤子の私は、正真正銘のEランクだった」
「違うわ!貴方はCランクよ!初めから、Cランクだったのよ!」
黒戸が真実を突きつけると、元母親は叫び出した。
怒りにも似た視線で、黒戸を鋭く睨む。
そんな彼女に、黒戸は嘲笑を向ける。
「おやおや?随分と必死ですなぁ。私がEランクでしたら、何か、不都合なことがお有りなのでしょうか?」
「そ、そんなことないわよ。そりゃ、EよりもCの方が良いでしょ?将来とか…。そう、貴方の将来を思って…」
またブツブツと嘘を並べ始める元母親。
そんな彼女に、黒戸は手に持った物を見せつける様に持ち上げる。
それは、先ほどの本。
その本を見せて、破れたページを開いて、黒戸は問う。
「マデリーンの法則。ご存じでしょうか?」
一般的な法則の名前を、黒戸は問う。
この異能力社会を形成したとまで言われる、有名な法則。そんな誰でも知っている法則の名前を挙げただけで、
元母親は、顔色を真っ青にする。
それを見て、口をひん曲げて嗤う、黒戸。
「それはそれは、よくご存じでしょうね。そのページを破るくらい、あなたがずっと憎んでいた法則ですから。私を憎むのと、同じくらいにはねぇ」
黒戸の冷たい笑顔に、元母親は泣きそうな表情を作り、必死に首を振る。
「違うの蔵人…。違うのよ…私はあなたを憎んでなんか」
「おやおやおや?嘘はいけませんよ。貴女は私を恨んでいた。心の底からねぇ。私が産まれた時に、捨てようとするくらいにはねぇ!」
黒戸の鋭い言葉に、元母親は口を閉じ、目玉が飛び出さんばかりに目を開く。
黒戸が知っているとは、露ほども思っていなかった顔だ。
あの時、
蔵人が産まれた時、病室でこいつが言った言葉。
看護師に双子の赤子を差し出され、片方がAランクで片方がEランクだと言われた元母親は、こう言った。
『Eランクの方は捨てて下さい。私の子供はこっちだけです』
そう、言い捨てた。
黒戸の独白に、元母親は顔面蒼白で呟く。
「な、何で、貴方が、それを…」
「生憎、私は記憶力が良いのです。貴女が私を捨てようとしたことも、それを頼人が止めてくれたことも、昨日の事の様に覚えておりますよ」
あの時、黒戸は施設に移されかけた。
だがその瞬間。頼人の手が黒戸を掴んだ。
元母親の元に、自分だけ渡されそうになった頼人は、その小さな手をめいいっぱい伸ばして、黒戸の腕を、縁を繋ぎとめてくれた。
それを見た看護師が、非難の目で元母親を睨みつけ、元母親も渋々黒戸を引き取った。
その時から、黒戸は頼人を守ると誓った。自分を助けてくれたこの手を、俺も離さないと。
あの時、頼人が能力熱で苦しんでいる時も、そう誓った。
黒戸はかぶりを振り、しんみりとした感情を吹き飛ばす。
唇を震わせて、頭を抱え込んで悔しそうにする元母親に、鋭い視線を向ける。
「何か申し開きはございますかな?元母親さん?」
「あ、貴方の為だったのよ!Aランクの兄がいたら、あ、ああ、貴方が壊れてしまうわ!施設に預けて、貴方は貴方の人生をのびのびと過ご」
「まだ白を切るかっ!!」
黒戸の一喝に、母親は飛び上がる。
黒戸の後ろで、こっそりと控えていた柳さんも飛び上がった気配を感じる。
御免なさいね、柳さん。でも、声を上げねばならぬのです。
この女、全く反省していない。
母親として、人としてやってはいけないことをして、それを嘘で誤魔化そうとする。
そんな人間に、黒戸は突きつける。
母親の醜い、真実を。
「お前が俺を憎む理由。それは、マデリーンの法則と、ランク詐欺の父親だ」
マデリーンの法則。それは、母親と父親のランクによって産まれる子供のランクを推測したものだ。
そこには、こう書かれている。
父(母)B×母(父)C=(A:5%、B:20%、C:55%、D:20%)
父(母)B×母(父)D=(B:10%、C:70%、D:15%、E:5%)
つまり、母親がBランクで、父親がDランクであればAランクは産まれない。
逆に言えば、Aランクの頼人が生まれたことで、父親がCランクであることを証明していた。
だが、父親がCランクであったなら、Eランクは産まれないはずだった。
つまり、
「父親の無実を証明するためには、蔵人が邪魔だった。違うか?」
父親の過去話を聞いて、黒戸はこの考えに思い至った。それと同時に、言いようのない衝撃を受けた。
こんなことの為に、我が子を捨てようとした女に。我が子を蔑ろにし続けた母親に。
なんて、なんて身勝手な母親なのだろうと。
マデリーンの法則は絶対ではない。極稀に、法則を超えた出生例も報告されている。あくまでも一般的な事例であり、また数値には表されていない、コンマ数%の事例が存在するのだ。
そんなことを、科学者の端くれである筈のこの女は忘れて、身の保身に走った。
我が子を捨てることで、父親が帰ってくるという妄想に憑りつかれて。
黒戸の冷たい視線の先で、母親は震えた。
自身の両肩を抱くように腕で自身を守り、違う違うと繰り返し呟く。
自分は悪くないと、暗示するように。
そして、顔を上げてこちらを見る。
狂気に満ちた顔で、笑う。
「大丈夫よ!貴方はCランクなのだから!もう何の心配もいらないわ!貴方は私達と暮らしていけるのよ!貴方と私と、頼人と、そしてあの人と。また昔みたいに一緒に、暮らしていけるのよ!」
「…黙れ」
元母親の狂言に、黒戸はドスの効いた黒い声を腹の底から出す。
確かに黒戸はCランクだ。Cランクにまで上り詰めた。赤ん坊の頃から、脇目も振らずに努力し続けた結果が功を奏した。
だが、蔵人はどうだ?本来の”蔵人”という人間は。
林さんから伝えられた真実。
ゲームの中の史実。
彼は憎しみ続けた。ずっと、ずっと。
何でお母さんは自分を褒めてくれないのだろう。
何でお母さんは自分を見てくれないのだろう。
何でお母さんは出て行ってしまったのだろう。
ずっと、ずっと、柳さんを殺された彼は、誰にも相談できず、甘えることが出来ずに、たった独りで考え込んで、苦しんで、藻掻いた。
18年間苦しみ続けた彼は、やがてその憎しみを外に向け始める。
俺を不要と言った母親も、それを許すこんな世界も、みんな全部壊れてしまえ、と。
その真っ黒な憎悪は、醜く歪み、彼は名前を捨てて、ディザスターと成った。
やがて憎悪は渦となり、彼だけでなく、その周辺の人間達をも呑み込んだ。
満ちることのない憎悪の渦の中で、それでも彼は手を伸ばし続けた。
まるで、失った幸福を取り戻そうとするかのように、彼は、人を殺し続けた。
「お前があの時、一遍でも愛情を蔵人に注いでいれば、一目でも蔵人を見ていれば、蔵人はディザスターなどにはならなかった。お前が蔵人を壊した。お前がディザスターを作り出した。お前が」
黒戸は手を翳す。怯える小さな女に向かって、無数の小さな盾を出現させる。
「お前が、蔵人と黒戸にとってのバグだ」
無数の盾が寄り集まり、先のとがった礫となる。
その礫は、やがて回り出し、廻り出す。
その女王蜂達が奏でる音が、闇夜を切り裂き、怪しい羽音を奏でる。
キィイイイイイイイイン。
「選べ女。今ここで俺に殺されるか、それとも、巻島家で飼殺されるかを。さぁ」
「ま、待って蔵人。話し合いましょ?貴方、何か勘違いを」
女が嘘をでっち上げる前に、一匹の女王蜂が空を駆け抜ける。
それは、女の耳をかすめ飛び、その耳に小さくない穴を開けた。
「ぎゃっ!」
女は痛みに悲鳴を上げて、後ろに尻餅を着く。
直ぐに上半身を起こすが、痛む耳に手をやって、その手が真っ赤に染まると、顔は逆に白くなった。
そんな様子の女に、黒戸は手を右手を突き出す。
「お前が選ぶは2つに1つの道。それ以外の言葉は不要だ。また不要な言葉を吐けば、お前の体に不要な穴が増えるぞ?」
「待って蔵人!私は母親よ?貴方のお母さんよ!貴方の為に、必死になって帰って来たんだか…」
女が言い終わる前に、黒戸の女王蜂が再度急襲する。
だが、今度は女も手を翳かざして、水の防御を形成しようとする。
彼女の目の前に、魔力が集積しだす。
だが、遅い。
今までまともな訓練もせずに、Bランクの魔力量に頼っていたのが一目瞭然だ。
女の防御が形成しきる前に、黒戸の女王蜂はその脆弱な守りを貫通し、女の腕を掠って飛んで行った。
「ぎゃぁあっ!」
女が再び、地面に倒れこむ。
女王蜂に削られた付近の袖周りが、見る見るうちに赤く染まっていく。
腕のど真ん中を貫かなかったとは言え、かなりの肉をえぐった。相当な痛みだろう。
苦しむ女を前に、黒戸は両腕を広げて、微笑む。
「なるほど。苦しみながらの死を選ぶか。己が欲しか頭にない女かと思っていたが、なかなかに殊勝な心掛けではないか」
黒戸が前に出る。靴底で小石を踏み潰した音と、女王蜂の風切り音が女に近づく。
その音で、女は上半身を反射的に起こして、目の当たりにする。自身に降りかかる、絶望的な死の色を。
黒戸の残酷な表情を前にして、女は呟いた。
「ば、バケモノ…」
女の残酷な一言に、
黒戸は黒い笑みを浮かべる。
「漸く理解できたか。そのバケモノを作ったのがお前だ。だからお前を、世界の不要物と称したのだ」
黒戸は笑みを消し、再び右手を突き出す。
「ではさらばだ。元母親」
黒戸の女王蜂が、一斉に元母親へと殺到する。
それを見て、女は声にならない叫び声をあげ、転がるように地面を這いずり回り、何とか立ち上がって黒戸に背を向けた。
そして、酔っぱらったようにふらふら走りだし、コケて、こちらを驚愕の表情で振り返って、また無様に走り出した。
黒戸の女王蜂達は、門のすぐ手前で待機していた。
始めから、あの女を殺すつもりは毛頭なかった。
でも、もう少しあの女の立ち上がりが遅ければ、あと2,3発削ってやったかもしれない。
実に、惜しいことをした。
そう思いながらも、心のどこかで安心している自分が居た。
殺したら、後処理が面倒だから安心しているのか?
それでは、消してしまった蔵人に申し訳ないだろう。
黒戸は頭を振ってその雑念を振り払い、玄関の方を振り返って、母親の過ぎ去った後を厳しい顔で見る柳さんに肩をすくめる。
「柳さん、塩でも撒いておいて下さい」
「……よろしかったのですか?」
黒戸が柳さんの脇を通り過ぎる時、柳さんが黒戸に問いかけてきた。
あの女と一緒に暮らさなくてよかったのか?と聞いているのか、あの女を逃がしてよかったのか?と聞いているのか、正直掴み辛い。
だが、どちらにせよ、
「アレに割く労力の方が、勿体ないです」
蔵人の事を考えれば、瀕死ギリギリまで痛めつけてやりたかった。
だが、その後の事を考えると、それは得策ではない。
ご近所さんからの評判だったりとか、巻島本家の事を考えた時に。
柳さんも、何とか感情を吞み込んだようで、黒戸の横を通り過ぎて台所から塩の袋を持ってきた。
それ、全部撒く気じゃないですよね?
黒戸は、明日は玄関を出る時に足元注意しようと心に留めて、柳さんを振り返る。
柳さんは、既に塩の散布を始めようとしていた。
そんな柳さんに、黒戸は一言。
「ああ、柳さん。火蘭さん達には掛けないように気を付けて」
それを聞いて、柳さんは驚いて黒戸を振り返った。
彼女のその後ろでは、草陰から数人の影が飛び出して、母親が去った方と同じ方角へ逃げて行った。
あの女を”よろしく”な。
黒戸は走り去る影達の背に、念入りにお願いを掛けておいた。
なかなかに、暗い話でしたね…。
「だがこれで、かねてからの疑問が解消されたな」
そうですね。
イノセスメモ:
・父親の失踪←ランク詐欺で捕まると思い、逃亡?母親は、無実の証明となる頼人君を溺愛し、罪の証拠となる蔵人君を排除しようとしていた。
・破られた本←父親の罪を突き付けるマデリーンの法則を、感情のままに破った可能性あり。
・頼人への誓い←能力熱が出た際の”あの時”とは、出生時に捨てられそうになった時であった。