233話~でも、ホントびっくりしたわ~
体育祭が終わってから、炎上事件や生徒会への直談判、そして白井さんへのイジメ問題など、なかなかに忙しい日々を過ごした蔵人。
そのせいで、気付いてみたら随分と時間が過ぎていた。
中等部の文化祭が、すぐそこまで来ていたのだ。
蔵人のクラスでも、6限目と放課後はほぼ毎日、演劇の練習が始まっていた。
「なんて事なのー。こんなに税金を取られたらー。とても冬を越せないわー」
「鬼共めー。戦争が始まるからって、こんなに俺達から食い物を奪いやがってー」
「お願い~。誰か食べ物を分けてちょうだい~。この子にあげるミルクも出ないの~」
クラスメイト達が台本を片手に、かなり棒読みな演技を披露している。
演目が桃太郎の筈なのだが、吉留君の案と混ざった結果、とてもシリアスな物語となってしまった。
だが、それはそれで良かったのかもしれない。
まだまだ練習が必要ではあるが、演じているクラスメイト達は勿論、彼ら彼女らを支える裏方も、脚本を考えてくれている吉留君率いる脚本チームも、とても楽しそうだ。
「ちょっと~。みんな静かに!鬼の軍隊が来たわよ~」
おっと、俺達の出番だ。行かないと。
蔵人は鎧兜を被り直し、舞台に見立てた教壇に向かう。蔵人の後ろには、数人の赤い甲冑を着た人達が連なる。
蔵人は舞台に見立てた教壇の真ん中まで行進し、そこで立ち止まって赤甲冑達の方を振り向く。
「良いか諸君!連合は卑怯にも、我らが帝国に向けて軍を展開した!これは我々への挑発行動であり、もはや不可侵条約など破られたに等しい!我々はこれより、帝国の平和を守る為、彼奴等の国に侵攻し、これを殲滅する!」
「「「おおっ!!」」」
「女侍共との死闘により、我々は更なる力を手に入れた!もはや王国も連合国も相手ではないのだ!」
「「「おおおぉお!!」」
「続け!」
「「「おうっ!」」」
蔵人はそのまま赤甲冑達を連れて、教壇を降りる。
蔵人達が去った後には、再びクラスメイト達が舞台に上がる。
「そんな~。連合とも戦争するなんて…」
「王国との戦争も、まだ決着が着いていないだろ?」
「黒騎士将軍まで出撃するみたいよ。本当にこの国は大丈夫なの?」
「そんな事より税金だよー!王国との戦争だけでもいっぱいいっぱいだったのに、あたし達、干からびちゃうよー!」
「宰相閣下がいらっしゃった時は、あんなに平和だったのに」
「本当よ~。罷免されて、今の皇帝陛下になった途端に…」
「しっ!それ以上言うなー!首を刎ねられるぞ~!」
本当に、中学生の文化祭でこんな血なまぐさい演目を演じてしまって良いのだろうか?
蔵人は、嬉々として演じられる舞台上を傍で見ながら、また1つ心配に頭を悩ませた。
もう、既に心配事で押し潰されそうな胃が、キリキリと痛み出す。
蔵人は、自然と胸ポケットを抑える。
そこにある、あの危険物がちゃんとある事を確認すると、今度は心臓が痛くなった様な気がした。
…考えるのを止めよう。今は、舞台に集中だ。
演劇の練習は、それ程遅くまでは行われない。
他の部活の関係もあるが、脚本が完結していないというのもあった。
今は最終章の構成を考えていると、脚本チームの林さんが張り切っていたのを蔵人は思い出す。
思い出す事で、現実逃避をしていた。
戻りたくない、現実に。お伽の世界で軍隊ゴッコを続けたい。
そう思いながら、蔵人の足は着実に進んでいた。
目的地まで、着実に。
蔵人の胸ポケットに収まっている、そこに書かれた場所まで。
蔵人は一旦立ち止まり、周りに誰も居ないことを確認してから、それを取り出した。
一通の、手紙だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
拝啓
巻島蔵人 様
突然のお手紙、失礼致します。
私は、一目貴方を見た時から、ずっと貴方に思いを秘めておりました。
この思いは、時間が経つに連れて、また貴方のご活躍を拝見するに連れて、大きく、抑えられなくなってきてしまいました。
どうか、私の思いを聞いていただけないでしょうか?
突然の申し出、ごめんなさい。
でも、どうしてもお話させていただきたいのです。
放課後、第二部室棟の美術準備室でお待ちしております。
来ていただけると、嬉しいです。
敬具
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手紙は、以上だ。
差出人の名前は無し。綺麗で可愛らしい字体で書かれているが、筆跡で誰かを当てるなんて、蔵人には出来なかった。
蔵人は今朝、自分の靴箱でこれを見つけた。
手紙の内容的にも、そして便箋を止めていたシールがピンクのハートだった事も考えると、その類いの危険物だと思える。
せめて差出人の名前が書かれていたら、どう対応するかの策が立てられて、心身への負荷が幾分減っただろう。
だが、今はただ不安と申し訳なさでいっぱいになっているだけだ。
どんな相手だろうと、仮令、鶴海さんからの告白だったとしても、蔵人は断るつもりでいた。
蔵人はいずれ、この世界から居なくなるのだから。
だが、そんな事は相手には言えない。言っても良いけれど、信じて貰えないだろう。
自分を振る為の適当な言い訳と思い、心を痛めてしまうかも知れない。
ここは、優しい嘘をつくのが良いのだろうが、どんな嘘なら相手を傷付けずに諦めさせられるだろうか?
案1、部活に集中したい。
良くある言い訳だが、これでは「部活が終わるまで待つ」と言われてしまうかも知れない。実らぬ愛を、何時まで待たせるつもりだ?
案2、俺にはもう、婚約者がいる。
居たって問題はない。何せこの世界は重婚OKだ。何番目でも構わないと言われたらどうする?言われそう…。
それに、もしも若葉さんのような娘が差出人だったらどうする?彼女並みの情報収集能力なら、自分に婚約者が居ないことを知っているだろう。
このように、相手によっては嘘が効果的か、そうでないのかが変わってくる。弱音を吐く様で嫌だが、現段階では打つ手なしだ。それが余計に、胃にダメージを与えている。
蔵人は俯きながら考え、考えながら第二部室棟の階段を上がる。そして、
「…着いてしまった」
第二部室棟、最上階。美術準備室。
確か、この教室から見る夕焼けがキレイで、昔は告白スポットになっていたとか聞いた教室だ。
…誰から聞いたのだったか。若葉さんだったかな?
今は使われなくなったその空き教室を前にして、蔵人は立ち止まった。
差出人は、もう来ているのだろうか?
もしかしたら、誰かのドッキリだったりして?
ここに来ても、まだそんな甘い考えが頭の中に浮かんで来る。
蔵人は頭を振り、その考えを吹っ飛ばす。
扉の取手に手を掛けて、開ける。
鍵が掛かっていて入れない。
そんな甘い考えがまた、頭をもたげたが、カチャリと小気味いい音を出して、扉はゆっくりと開いていく。
準備室の中は、思いの外キレイだった。暫く使われていないと聞いていたのに、掃除された形跡がある。キャンパスや彫刻は置きっぱなしだが、床には埃一つ落ちて居らず、窓ガラスもまるでガラスが存在しないかと思ってしまう程、透き通っていた。
その窓から、夕日が差している。
水平線へと落ちようとしている夕日が、桜城が誇る白亜の校舎を赤く照らしていた。
とても幻想的な風景。
それを一望できるこの教室は、初めからその為に設計しているのではと思ってしまう程である。
何故なら、その絶景の前に、高そうな4人掛けのソファーが置いてあるからだ。
きっと、元美術部員が置いたのだろう。
その高級ソファーに、1人の女性が座っていた。
しっとりと艶のある黒髪には、緩くウェーブがかかっており、こちらを振り向いた時に可愛らしく跳ねる。
少し驚いたように開かれた大きな目が、パチパチと瞬きをすると、その少し長いまつ毛がふわふわと踊る。
色白の頬が少し赤いのは、夕日の色を反射しているのもあるのだろうが、蔵人を認めた瞬間に華やいだその笑顔は、彼女が差出人であることを主張している様に感じてしまった。
「うそ…本当に、来てくれた…」
彼女の少し開いた口から、うれしそうな声が漏れ聞こえた。
蔵人は、罪悪感に押しつぶされそうな胸を押さえつけるように、胸に手を当てて少し深めにお辞儀をした。
ああ、知らない人ならどれほど気が楽だったか。
差出人が彼女であることは、十二分に考えられた筈だった。
あの、ビッグゲームの夜を思えば。
蔵人は、心の声が漏れないように口を結び、それを少し曲げて笑顔を作ってから、顔を上げた。
「お待たせしてすみません。部長」
そこにいたのは、ファランクス部部長。いや、元部長。
櫻井麗子だった。
「もうっ!部長じゃないでしょ?」
部長は、いや、櫻井先輩はそう言って、頬を膨らませる。
可愛らしい仕草に、蔵人は幾分か心が軽くなるのを感じながら、小首を軽く下げる。
「すみません、櫻井先輩」
「良いから、こっち座って」
先輩はそう言って、自分の隣をポンポンと軽く叩く。
すぐ隣に座れという事か。
蔵人は言われた通り…よりも少し距離を置いて、先輩と拳2つ分くらい離れた位置に座った。
これなら離れ過ぎてないから、文句も言われまいと思ったが、先輩は少し不満そうな顔をした。
そんな、至近距離がご所望だったの?
しかし、櫻井先輩は何も言わなかった。
ただ、美しい景色に視線を向けている。
蔵人もそれに倣い、窓の外を傍観する。
綺麗な景色。無言の空間。
ドクッドクッという鼓動は、自分のものか、先輩のものなのか。
どれくらい時間が経ったろうか。
穏やかに流れた空気は、先輩が上げた小さな呼吸の音で、終わりを告げられた。
「私ね。小さな頃に、好きな子がいたのよ」
先輩の口から、紡がれる言葉。
恐らく過去話なのだろうが、どう話が広がっていくのかが分からなかった蔵人は、ただ一つ頷くだけに留めた。
先輩はそれを肌で感じ取ったのか、続きを紡ぐ。
「幼稚園生の年長さんの頃だったと思う。同じクラスの男の子で、とてもカッコいい子で、でも、笑顔がかわいい子でね。その子を見ているとすごく幸せで、熱い気持ちが溢れそうになって、溢れてしまって告白したの。でもね、こっ酷く振られちゃった。私は泣いて、泣いて、ずっと涙が止まらなくて、自分自身に自信を無くしてた。その時からかな、男の人との接し方が分かんなくなっちゃって、男の人を見ても、あの時みたいに高まった感情は、欠片も感じる事が出来なくなってしまったの」
それで男性に対して、キツい当たりをする様になってしまったらしい。
それは一種の、心の防御反応とも思える。
恋愛と言う物に、心が傷つき過ぎて、これ以上傷つかないように自然と遠ざけていたのだろう。
「そんな時にね、海麗に出会ったの。強くてカッコいい彼女と接する内にね、久しぶりに心が躍ったんだ。あっ、私って女の子が好きなんだって、その時に思ったの。思いたかったの」
男性への恐怖心が拭えず、海麗先輩に魅入られた事で、そちらに靡こうとしたらしい。
私の心が男性にときめかないのは、きっと最初から、女性を好きな人間だったからだと、思いたかったと。
でも、
「でもね、心の何処かでは分かっていたんだ。海麗に対して抱く感情は、あの時とは違う思いだって。あんな風に、熱い思いではなくて、もっと友情に近い物だって。でも、考えない様にしてた。考えちゃだめって思い続けていた」
ずっと窓の外を見ていた先輩は、ふっと蔵人に顔を向けた。
その顔には、穏やかな笑顔が浮かんでいた。
「でも、貴方に出会って、私は変わったわ。貴方がファランクス部に来て、みんなを引っ張ってくれて、全国3位まで連れて行ってくれた。それを見て、私はまた、あの時の心を取り戻すことが出来たの。誰かを本気で好きになれる心を。恋する事の素晴らしさを、思い出せたの」
櫻井先輩の瞳は真っ直ぐで、透き通っていて、その心が純真である事を映し出していた。
その鏡の様な綺麗な瞳に、今、自分が映っている事に、蔵人の心の中は罪悪感だけでなく、ほのかな暖かみも生まれていた。
太ももに置いていた蔵人の手に、先輩の手が重なる。
暖かくて、柔らかくて、心地の良い手。
先輩の薄桃色の唇が、小さく弧を描く。
「ありがとう、蔵人。貴方に出会えて私、大切な感情を思い出すことが出来た。私が見ようとしていなかった物と、向き合う勇気を持てた。貴方に会えたから、私は変われた。ありがとう、蔵人。これを、ずっと、貴方に直接、言いたかったの」
「そう、でしたか。先輩の一助となれたのなら、嬉しい限りです」
櫻井先輩の伝えたかった事とは、お礼だったらしい。
遠回しに愛の告白もされてもいるが、この場で付き合ってくれと懇願はされ無さそうだ。
蔵人は幾分か気持ちが解放され、自然な笑みが出せる様になっていた。
そんな蔵人に、櫻井先輩は上目遣いで視線を送ってくる。
「ねぇ、蔵人。私も、その、名前で呼んで欲しいな。海麗にもしているでしょ?」
「えっ、ええ。では…麗子先輩、と?」
蔵人が名前を呼ぶと、櫻井…麗子先輩はジッと蔵人にジト目を送ってきたが、ふぅと一つため息をついて、席を立ち上がった。
「まぁ。今日のところは、それで我慢するわ」
「今日の、ところ、ですか…」
それって、第2弾、第3弾があるって事ですよね?
蔵人が苦笑いしていると、麗子先輩はイタズラっぽく笑った。
「当たり前でしょ?私、結構執念深いんだからね。私と海麗で貴方を奪いに行くから、その時まで覚悟しておいてよ?」
奪うって。穏やかじゃないですねぇ。
蔵人が何か言う前に、先輩はクルッと背を向けてしまった。
今日はこれでお終いという事だろうか。
取り敢えず、現状維持で。問題は先送りで。
「あ〜。でも、ホントびっくりしたわ」
麗子先輩はそのまま退出するのかと思ったが、扉の前で振り返り、そう言って笑った。
蔵人はその様子に、首を傾げる。
「びっくり、ですか?」
何か、驚かせる様な事をしただろうか?
蔵人が疑問を投げかけると、麗子先輩は「だって」と微笑み続ける。
続けて出たのは、驚愕の事実。
「ここに、貴方が居てくれたらなぁって思ってたら、本当に来てくれたんだもん。びっくりしちゃった」
照れ笑いする麗子先輩に、蔵人は、
固まった。
表情が、
体が、
心臓が。
だって、それって、つまり…。
「あっ、私行かなきゃ。今日塾だから。受験生って本当に大変。蔵人も部活、頑張ってね。また今度、ファランクス部に遊び行くから」
蔵人が固まっている間に、麗子先輩は小走りで準備室を出て行ってしまった。
蔵人を残して。
蔵人は、片手で額を抑える。
正常に動き出した頭で考え、漸く矛盾点に気付く。
冒頭。手紙の最初の方。そこには、こう書かれていなかったか?
〈一目見た時から、ずっと思っていた〉と。
そう、麗子先輩は最初、蔵人をそこらの男と同じ様に見ていた。多少は使える新人と思ってくれたかも知れないが、海麗先輩を巡っては、追い回される程の敵対関係であった。
彼女の態度が変わったのは、全国大会のあのホテルでの出来事以降だ。
書かれていた文章と、彼女との出会い方には大きな食い違いがある。
麗子先輩の事を書いた文章であれば、であるが。
つまり、彼女は手紙の差出人では無い。
偶然、差出人が示した待ち合わせ場所に居合わせていただけ。
それを、自分が勘違いしただけ。
蔵人の胃が、再び痛みを訴え始める。
では、つまりは、まだ終わっていないという事。
差出人との面会が、
告白が。
窮地が。
蔵人がソファーの背をギュッと掴んだ時、
扉の取手が、カッチャリと音を立てた。
蔵人が反射的に顔を上げると、ちょうど、1人の女子生徒が準備室の扉を開けたところだった。
「あっ、やっぱり待たせちゃってた。ごめんね」
その娘は、蔵人を見ると申し訳なさそうに頭を下げてから入室してきた。
待たせた。
つまりそれは、約束したという事。
蔵人を呼び出していたという事。
蔵人が受けた約束は、たった一つ。
あの手紙だけだ。
だから、手紙の差出人は…。
「…君だったのか」
蔵人は、当惑する。
全くの予想外と言っても良い人物であったから。
可能性で言えば、一番低い。
名前も知らない娘の方が、まだ可能性があっただろう。
蔵人の問いとも取れる語りかけに、彼女は律儀に頷いて、こう答えた。
「うん。手紙を送ったのは私。突然呼び出してごめんね、"巻島くん"」
友達となっても、ずっと蔵人を苗字呼びしていた娘。
林映美さんが、扉の前で立っていた。
まさかの、林さんだったとは…!
何処でそんな思いを抱かれたのでしょう?デパートでの珍事?それとも白井さんへのイジメ対応で?
「……」
登場初期は、あれほど男性を苦手にされていたのに、随分と変わられましたね。
「……」
…なんで、何も言ってくれないんですか?
「……」