230話~壁なんて、壊しちゃう~
私達が物陰から伺っている先で、雪乃ちゃんは白い歩道を俯き気味に歩いている。
元々身体の小さい彼女の歩幅は小さく、更に気落ちしているからか、歩むペース自体が落ちていた。
「ちょっと、早く来なさいよ」
苛立たし気な声は、彼女の前から聞こえた。
そちらを見ると、3人の女子生徒が並んで、雪乃ちゃんを睨み付けていた。
「私達、この後部活なんだからね」
「早く行かないと先輩に怒られるんだから、早く歩いてよ」
呼び出したのはそっちなのに、まるで雪乃ちゃんが彼女達の時間を割かせているかのような物言い。
それでも、
「……っ」
雪乃ちゃんはぎゅっと小さな手を握って、彼女達のすぐ後ろまで駆け足で近づく。
雪乃ちゃんが逃げないのを確認すると、3人はまた早いペースで歩き出す。
今度は遅れない様に、怒られない様に、雪乃ちゃんは必死に小さな体を一生懸命に使って、3人の背中に着いて行った。
彼女達が歩みを止めたのは、人気の少ない建物の裏手。
そこまで来ると、3人はクルッと身体を翻し、息を切らせた雪乃ちゃんの前で仁王立ちで向き合った。
「…あんた、どういうつもりよ」
3人の内、左の黒髪の娘が、いきなり雪乃ちゃんにトゲトゲしい言葉を投げつける。
ただでさえ小さくなっている雪乃ちゃんは、自分の腕をぎゅっと掴んで、更に自分を小さくさせた。
「……」
言葉なんて、とてもじゃないが話せる状態じゃないから、せめて小さくなって敵意が無いと示すように。
しかしその子は、そんな雪乃ちゃんの思いを分からないみたい。
無視されたのだと、顔を若干赤らめている。
「黙ってんじゃないわよ!体育祭の時、あんなに頼人様とベタベタしちゃって!」
肩をいからせる黒髪の子に、右の焦げ茶色の髪をした子が同意する。
「そうよ!それに部活の時も頼人様の手を握ったり、移動教室で頼人様に手を振ったり…」
「あんた、頼人様に馴れ馴れし過ぎよ!」
「そうよ!何様のつもり!」
矢継ぎ早に浴びせられる罵声に、雪乃ちゃんはじっと耐えている。
嵐が過ぎ去るのを待つ小動物の様に、ただ小さくなって俯く。
私は、直ぐにでも飛び出したい衝動を何とか抑える。
ここで助けに入っても、はぐらかされて終わるだけだ。
この場は助けられても、イジメる奴らはまた同じようなことをする。
決定的な証拠が必要なんだ。
雪乃ちゃん、もう少しだけ我慢して…。
私が祈る様に手を合わせている先で、動きがあった。
今まで黙って成行を見ていた真ん中の子が、静かに手を上げた。
その途端、両端の子は口を噤む。
彼女が、ボスみたい。
「ねぇ、白井さん」
両端の罵声に比べたら、とても静かな声。
「貴女、Cランクよね?」
しかし、よく通る声。心の中まで寒くなる様な、冷徹な声。
それは、その子の髪色が真っ白な事と関係あるのかもと思えてしまう程。
クリオキネシスのAランク。心まで氷の様だと評価される女の子。
確か名前は…片倉さん…だったかな?
「貴女もクリオキネシスでしょうけど、それで勘違いしたのかしら?頼人様と同じ部活に入れた奇跡を、運命とでも履き違えてしまったのかしら?」
その声は、静かでありながら、固く閉ざしていた雪乃ちゃんの心を苛立たせ、自然と顔を上げさせる。
雪乃ちゃんの小さな口が、開く。
「…ちが、う」
若葉さんの補聴器が無かったら、聞こえない程の小さな声。
それでも、その声は3人にも届いていた。
「何が違うって言うのよ!」
黒髪の子が吠えた。
そうすると、また雪乃ちゃんは己の殻に閉じ籠る。
それを見て、ふぅっと、疲れた様にため息を吐く片倉さん。
「貴女の家は武家でも公家でも無いわよね?頼人様はAランクで、クリオキネシスで、しかも巻島家の王子様よ?貴女、お近付きになるどころか、声すら掛ける資格も無い身分なのよ?」
資格という言葉に、ピクリッと反応する雪乃ちゃん。
そんな彼女の様子も関係ないと言うように、片倉さんが言葉を続ける。
「分かった?貴女は今後、頼人様に近づいたらいけないの。目を合わせるのもダメ。どうしても頼人様の為に何かしたいと言うなら、ファンクラブに入りなさい。そしたら、お声掛けする事くらい…」
「い…や…」
片倉さんの発言を、雪乃ちゃんの言葉が遮った。
片倉さんの目が、細くなる。
「今、なんて言ったの?」
雪乃ちゃんが、顔を上げる。
揺らぐ瞳で、片倉さんを真っ直ぐに見上げる。
「い、や」
雪乃ちゃんが再度拒否の言葉を紡いだ。
それを見て、片倉さん立っている辺りが薄っすらと氷の膜を張る。
彼女の怒りが、目に見える様だ。
いや、実際に彼女の周囲を冷気が包みだしている。
そんな彼女を見て、雪乃も足を震えさせる。
「なに?分からないの?言葉で言っても分からないの?」
片倉さんが数歩下がる。両サイドの娘達は更に後ずさりして、2人から距離を取った。
その途端、片倉さんの周りを渦巻いていた冷気が、上空へと舞い上がっていく。
そしてそれは、凝結して大きな氷の塊となった。4tダンプ並の大きさとなった氷塊を宙に浮かべ、片倉さんは笑う。
「分かる?これがAランクよ。貴女とは住む世界が違うの。分かったなら言いなさい。頼人様には二度と近付かないと。さもなくば」
「いや!」
雪乃ちゃんの声が響いた。
「らいとの傍にいたい。私は、らいとが…」
「いい加減にしなさい!」
片倉さんが声を上げる。
つり上がった目を、雪乃ちゃんに向ける。
「これを見ても分からないの?貴女と私達では、住む世界が違うのよ。私と同じAランクの、頼人様もね。貴女、私がこれを投げたら、どうなるかくらい分かるでしょ?これがAランクとCランクの差よ。超えられない絶対の壁なのよ。いい加減、現実を見なさいよ。諦めなさいよ!」
「諦めない!」
雪乃ちゃんが、一歩前に出る。
圧倒的な力を前に、進み出る。
目にいっぱいの涙を浮かべたままに、片倉さんをしかと睨みつけた。
「壁なんて、壊しちゃう。くらとだったら、そう言ってる。だから、私も!」
不味い。
私は、校舎の陰から無意識に飛び出していた。
だって、雪乃ちゃんを見る片倉さんの目が、危険な色を含んでいたから。
このままだと、本当に雪乃ちゃんが危ない。
そう思ったのは、反対側で隠れていた若葉さんも一緒だった。
必死な形相で、彼女達に駆け寄る若葉さんが見えた。
でも、遠すぎる。
今、片倉さんが氷塊を投げたら、私達じゃ間に合わない。
雪乃ちゃんは…動かない。ジッと、その場で片倉さんを睨みつけている。
だめだよ。逃げて!
私がそう叫ぼうとした瞬間。
空から、高音が響いた。
空を切り裂くかのような、甲高い轟音。
見ると、何かがこちらに、高速で飛来して来た。
その飛来物は、そのまま雪乃ちゃんの元に、彼女の頭上に浮かんでいる氷解に突き刺さった。
ギィィイイイイインッ!
「なっ、なん…!」
「ダウンバースト!」
片倉さんの言葉は、その飛来物、巻島君の言葉に掻き消されてしまった。
同時に、氷塊にも無数の亀裂が幾つも走り、崩壊、そして消滅してしまった。
消えていく氷の粒が、夕日を受けて小さく輝いている。
その光の幕を突き抜け、巻島君のドリルが地面に突き刺さり、大穴を開ける。
小さな衝撃が、地面から私の所にまで伝わってきた。
そのドリルが止まると、合わさった盾に乗っていた巻島君が、ゆっくりと地面に降り立つ。
「く、らと…」
雪乃ちゃんが、目を見開いて巻島君を見ている。
彼は、そんな雪乃ちゃんに向けて、笑った。
「遅くなってごめんね。白井さん。でも、君の言った通りだよ」
そう言って、巻島君は持っていた携帯を掲げる。
その携帯は、私が今手元に持っている若葉さんの携帯と繋がっていた。
雪乃ちゃんの頑張りを、ずっと伝えていた。
「壁なんて壊しちゃおう。好き合っている者達を隔てる壁なんて、どんな世界にも無用なものだからね」
そう言って、巻島君は振り返った。
彼を睨みつける片倉さんに、怖いくらいの笑みを浮かべながら。
〈◆〉
「壁なんて壊しちゃおう」
蔵人はそう言いながら、後ろでこちらを睨み続ける女子に振り返る。
白髪のミディアムヘアを逆立てる少女は、シティー大会でも残念な申し出をしてくれた片倉さんだ。
相変わらずの彼女に、蔵人は自然と笑みが硬くなる。
「随分と短絡的な手段に出られましたな。片倉さん」
「何を言われているのですか?お兄さん。私はただ、乱れたこの桜城の秩序を正しているだけに過ぎませんよ。以前にも言いましたよね?頼人様に悪影響を及ぼす者達が居ると。それが彼女なのです」
そう言って、片倉さんは白井さんを指さす。
それに、蔵人は割って入る。
白井さんを背中で隠すように、片倉さんの前に立つ。
片倉さんが、グッと白い眉を寄せる。
「何ですか?お兄さん。どういうつもりですか?」
「どうもこうもありませんよ。彼女は俺の友達であり、その友に刃を向けられたのです。それに立ち向かう事に、何か理由が必要でしょうか?」
蔵人の問いに、片倉さんの隣から、茶髪の女子が顔を突き出す。
「何が友達よ!そいつが色々とルールを破るから、ファンクラブの中もギスギスして、おかしくなっているんじゃない!」
「そうよ!だいたい、お兄さんが私達を頼人様の護衛に推さなかったから、片倉様が要らない手間を掛けて下さっているのよ?睨まれるどころか、感謝して欲しいくらいだわ!」
黒髪の娘も、ピーチクと喚き出した。
全く、こいつらはどんな思考回路をしているのやら。
蔵人は大きくため息を吐いて、3人に呆れた視線を投げかける。
「貴女方、頼人のファンクラブがどのような目的で動いているのかは知りませんがね。こうして校則を破る様な事までする組織であれば、存続は難しいですよ?」
「なっ!」
「そ、それは…」
蔵人の詰問に、2人が黙る。
代わりに、片倉さんが出てきた。
「私は何も、異能力で他人を攻撃していないわよ?ただ、Aランクの実力を見せつけただけ。実力差を見せつけて、諦めさせようとしただけです。それの何処が、校則に触れると言うの?」
ふむ。なるほどな。あくまで白を切るつもりか。
蔵人は唇を歪める。
「ほぉ。あくまで正当な話し合いであったと?でしたら、この議論は本人に決めてもらうべきですな」
「…本人?」
訝しむ片倉さんに、蔵人は大きく頷く。
「巻島頼人ですよ。頼人と仲良くしている白井さんと、その彼女を排除しようとする貴女達のどちらが迷惑なのか。その渦中にいる彼自身に聞いてあげますよ」
蔵人の提案に、両側の2人は青ざめて、片倉さんも悔しそうに唇を噛む。
ほぉ。自覚はあるのか。自分達が、間違った道を進んでいるという自覚が。
蔵人が安心していると、片倉さんが無理に笑みを作った。
「お兄さん。それでは我々が居る意味がありません。そんな事で頼人様の御手を煩わせない為に、私達は居るのです。頼人様が学園生活を心置き無く過ごして頂く為に、私達は影で応援しているの。それなのに、私達の活動を頼人様のお耳に入れては、頼人様が私達を気にしてしまい、学園生活を謳歌して頂けなくなってしまう!」
「ふんっ。であれば、頼人が聞いても楽しくなるような活動をしたら如何かな?」
蔵人の指摘に、片倉さんは笑みを絶やさずに頷く。
「ええ。そこで必要なのが、私達が頼人様の護衛をすることよ。私達が頼人様をお守りしていれば、この様な事は一切起きなかったわ」
この様なと言って、蔵人を、蔵人の後ろに居る白井さんを指さす片倉さん。
それに、蔵人は首を振る。
「何故、力で劣るあなた方に、頼人の護衛が務まるとお思いで?」
「なっ!」
「なんですって!?」
片倉さんの取り巻きが、再び息を吹き返す。
だが、蔵人がそれを鋭い視線で受け止めると、2人は言葉を失う。
それに、蔵人は小さく嘲笑する。
「本当に、よく声を上げられましたな。シティー大会で、あれだけボロ負けしたというのに。それとも、あの試合をもうお忘れですかな?」
蔵人の問いに、茶髪の娘が言葉に詰まって、半歩引く。
そこに、蔵人は追い討ちする。
「もしもお忘れでしたら、思い出すのをお手伝い致しましょうか?今、この場で、あの試合の時の様に、もう一度お相手致しますよ?」
そう言って嗤う蔵人に、茶髪の娘はとうとう震えだし、地面に尻もちを着いてしまった。
うん。よく覚えてはいたようだな。次は忘れるんじゃないぞ?
蔵人が満足気に頷くと、
フンッという、思いっきり鼻で笑う音がした。
片倉さんだ。
片倉さんが、引いていた足を元の位置に戻し、更に一歩前に踏み出していた。
「お兄さん。あまりイキがるのは止めた方が良いですよ?頼人様の血縁者だからって有頂天になっているんでしょうけど、貴方自身には何の価値もないのですから。貴方自身はCランクの、シールドの、ただの男なのだから。それなのに、黒騎士でしたっけ?そんな風に周りに呼ばせて、いい気になっているから、今みたいに現実が見えなくなるのよ!」
片倉さんが、勝ち誇ったような笑みを浮かべて、蔵人に向かって指を指す。
「お兄さん。貴方は今、1人なのよ?何時も守ってくれていた部活のお仲間はいないの。大会の時みたいに、強豪選手が助けに来ることもない。それともなに?許して貰えると思っているの?僕は黒騎士ですって言えば、最後にはチヤホヤされて終わるとでも勘違いしているの?」
まくし立てる様に言葉を吐き出す片倉さん。
勝ち誇った笑みは、本当にそう思っているのだろう。
自分に理があると、本気でそう思っているのだろう。
蔵人はゆっくりと首を横に振り、彼女を真っすぐに見る。
「許しを請うべきは、貴女だ」
「…何ですって?」
蔵人の真っすぐな指摘に、片倉さんは開いた口が塞がらない。
本気で、何を言っているのかが分からないと言った様子。
何も分からない、愚か者だ。
蔵人は続ける。
「人の交流に隔たりなど必要ない。ましてやそれが、家柄だのランクだので決められるなど、時代錯誤も甚だしい。頼人が誰と交流を深めようと、貴女がそれを咎めて良い道理など一欠片もないのだ。頼人の意思を無視する行為を、白井さんの思いを握りつぶそうとしたこと、今この場で謝罪願う」
淡々と指摘する蔵人の言葉を、片倉さんは目を点にして聞いていた。
が、
「ふっ…」
失笑。
首を振って、冷たい目を向けてくる。
「話にならないわ。常識知らず。世間知らずの男の子その物よ。貴方も貴族社会の一員なら、知っておくべきよ。この世はランクが全て。魔力量と家柄で人生が決まるの。魔力量も家柄も無い子が、高ランクと肩を並べる事は出来ない。それがこの世のルール。まぁ、幾ら言っても分からないみたいなんで」
片倉さんが、蔵人を指さす。
力強く、真っすぐなその目と共に。
「教えてあげるわ。校内ランキング戦。その舞台の上で」
片倉さんは声高らかに、ランキング戦を仕掛けて来た。
本気で、Aランクだから勝てると思っているみたいだ。
つまり、彼女も高ランクを絶対視するランク派である可能性が高いという事。
だが、悪くない提案だ。
彼女達みたいな人間は、叩き潰すのが1番の薬であり、何よりも、Aランクとの試合が出来るのだから。
九鬼会長との1戦以来、Aランクとは戦っていなかったし、何よりも、ハンデ無しでの公式Aランク戦は初めてではないだろうか。そう考えると、とても楽しみである。
蔵人は、頬が上がるのを何とか抑えながら、大仰しく腰を折った。
「そのお申し出、有難くお受けいたします」
身分の差。そして、ランクの差。
それによって、人との交流すら制限されてしまう…。
「それが、この世界の常識なのだろう。常識と言う名の、壁なのだろう」
その壁に怯まなかった、白井さんも素晴らしいですね。
「明らかに、あ奴の影響を受けている」
これが、螺旋の力なのですね。