223話~恩返しのチャンスよ?~
濃厚な週末を終えた翌日、月曜日。
蔵人は若干の疲労感を伴って、空を飛んでいた。
土曜日の鈴華デートと、日曜日の天隆体育祭というイベントがあったからね。特に、勇飛さんとの追いかけっこは、体力的にも精神的にもかなりの疲労が蓄積した。
それでも、蔵人はいつも通りに早朝から通学している。
朝練をしたいというのもあるが、今日はもう一つ、大事な任務があるのだ。
「さて、どうなるかな?」
蔵人は母校へ向けて、航路を取る。
それから2時間後。
蔵人は1組に赴いていた。
何故か、朝から行動してくれる親衛隊を伴って。
彼女達とは、朝練が終わって、訓練棟を出る時に遭遇した。
偶々ではない。ビシッと整列して、蔵人の朝練が終わるのを待っていてくれたのだ。
どうせなら、一緒に訓練したら良かったのに…。
そう言っても、彼女達は「恐れ多いです!」と言って直立していた。
…うん。今度は必ず、彼女達も朝練に巻き込むぞ。
そんな思いを抱きながら、蔵人は親衛隊に向き直り、軽く頭を下げる。
「ありがとうございます。ここまでで結構ですので、皆さんは教室に戻って下さい」
ホームルームが始まってしまうからね。3年生の10組の人が居たら、ここからかなり離れているから間に合わない。
でも、蔵人がそう言うと、「大丈夫です!ダッシュしたら間に合います!」と言う親衛隊達。
いや、ダメダメ。学校生活に影響が出るなら、親衛隊も解散してもらいますよ?
そう言うと、皆さんは慌てて敬礼して、キビキビと各々の教室へと戻っていった。
う~ん…。素直でやる気に溢れているのは良いんだけどねぇ…。
蔵人は彼女達の行く末を心配しながら、1組のドアを開ける。
「ホームルーム前に失礼します。九条様にお目通り頂きたいので…」
「「「きゃぁあああ!」」」
「黒騎士様よ!」
「生黒騎士様よ!」
「生黒騎士だぁ!」
蔵人が声を掛けた途端、1組の生徒達が黄色い声を上げる。
好意的に迎えてくれるのは嬉しいが、人を生チョコみたいに言うのはやめて欲しい。
蔵人は、集まって来た多くの女子生徒と、数人の男子生徒に訴えかけるように視線を浴びせる。
「兄さん!」
その生徒達の中から、アッシュグレイの髪を揺らして、1人の男の子が飛び出してくる。
「やぁ、頼人。九条様はまだいらしていないのかね?ちょっとご相談したい事があったんだが?」
「九条さんはいつも、ホームルーム直前に来るよ。何か用事?」
おっと、そうなのか。
今でも結構ギリギリの時間だが、これ以上遅いとなると、先生と同着レベルじゃないか?
上級貴族の子供は、それだけで忙しいのだなと、蔵人は彼女を労いながら頷く。
「ああ。実は炎上の件で、二条様が俺を気に掛けてくれていると聞いてね。コンタクトを取れないかと相談したかったんだ」
「それなら僕が聞いておいてあげるよ」
「そいつは助かる。よろしく頼むよ」
頼人は九条様を苦手としているのに、有難い事だ。
その頼人は、少し顔をしかめた。
「それより、兄さんは大丈夫なの?今言ってた炎上?の事で、色々と言われているって聞いたけど」
「ああ、それは大丈夫だ。ありがとうな。色んな人から心配してもらって、良くしてもらっているからさ」
頼人も心配だったようだ。
彼の周りに張り付いている護衛の水無瀬さん達も、心配そうにこちらを見ていたから、きっと流子さんや瑞葉様も気にされているだろう。
蔵人が力強く頷くと、漸く頼人も安心したように顔の力を抜いた。
その日の放課後。
蔵人がファランクス部に行こうと教室の扉を開けると、すぐ目の前にお嬢様の集団がいらっしゃった。
その中から、九条様がスイッと前に出てきて、蔵人に向けてカーテシーを繰り広げられた。
「お義兄さま。お迎えに上がりました」
「ええっと、九条様。二条様にお会いできるという事でしょうか?」
アポを取って欲しいだけだったのだが、迎えに来たという事は、そういう事だろう。
蔵人の問いに、九条様は優雅に微笑まれて、
「はい。風紀委員会館まで、ご案内致しますわ」
そう言われて連れてこられたのは、桜城高等部の一角。
そこには、二階建ての大きな建物が聳え立っており、その白く美しい外観は、小さなホワイトハウスと言っていい代物であった。
これが、風紀委員の巣窟。
一体、この建物だけで幾らになるのだろうか?
蔵人が無粋な概算をしていると、九条様達はその会館へと吸い込まれるように入って行かれる。
…うん。いつも来ている人の所作だ。
西園寺先輩が、扉を開けながらこちらをジッと見ているので、蔵人も急いで彼女に付き従う。
…そうか。西園寺先輩も風紀委員の一員だったのだな。でも、中等部に風紀委員は無いと聞いた気がするけど…?
中に入ると、そこはパーティー会場かと思ってしまう程、大きな広間が広がっていた。
赤い絨毯が敷き詰められ、白い壁と合わさって高級感が極まっている。
天井には大きなシャンデリアが吊るされているが、あれは見世物だろう。その周囲のLEDで室内は照らされているみたいだ。
幾人かの女子生徒が、壁際のソファーでくつろがれている姿が目に入る。その中には、サマーパーティーでお会いした高等部の先輩方らしき姿もあった。
彼女達はティーカップを手に談笑しており、その目の前に置かれたテーブルには、フルーツやケーキの山盛りが築かれている。
風紀委員会館というから、国会議事堂みたいなところで議論しているかと思ったが、どうも違うみたいだ。
毎日パーティー三昧とは、うむ。住む世界が違うな。
蔵人が半分感心し、半分呆れて会館を見回していると、後ろから何人かの生徒が入って来られた。
黒髪を見事なドリルに仕立て上げ、片手に持った扇子で口元を隠す女性。
桜城高等部3年、風紀委員長の近衛瑞姫様だ。
ヒエッ!
「あら?こちらの男の子は…何方かのご招待でしょうか?」
訝し気にこちらへ視線を向ける近衛様。
恐らく、蔵人が一般の家庭であることを見抜き、そんな身分の者が何故ここに居るのかと問うているのだろう。
風紀委員は、上級貴族しかなる事が出来ないと聞いているから、会員の招待が無ければ摘まみ出されたりするのかもしれない。
彼女の問いに、蔵人の後ろから九条様が声を上げた。
「近衛様。私がお呼びしましたの。二条様がお会いになりたがっておりましたので、この場をお借りさせていただきましたわ」
「…そう。という事は、こちらがかの有名な黒騎士様という事ですわね?」
九条様に視線を向けていた近衛様が、再び蔵人に視線を戻す。
随分と冷たく、蔑む様な目だ。
黒騎士を様付けで呼んでいるが、これは嘲笑を含んだ言い方なのだろう。
流石はお貴族様。
蔵人は、嫌な音で鳴る心臓を抑えるように、近衛様に向けて深くお辞儀をする。
「この度は、お騒がせして申し訳ございません。皆様に多大なるご迷惑をおかけした事、ここに陳謝致します」
蔵人の謝罪に、近衛様は扇子を閉じるような音を立てて、小さく笑った。
「何か思い違いをされていますわね、黒騎士様」
ひょっ?
蔵人が頭を上げると、そこには変わらず厳しい顔をされた近衛様がいらっしゃった。
でも、
「地方大会で少し活躍しただけの貴方では、どれ程世間から叩かれようと、私達にとっては些細なことですわ」
うん。詰まりは、この人達にとっては、今回の炎上はそれ程ダメージを負っていないという事か。
悪く捉えると、黒騎士の知名度など、たかが知れているという事。
でも、都合良く捉えれば、それ程気にするなと言って下さっているのかも知れない。
その証拠に、近衛様は幾分か目元を緩められて、小さく首を横に振った。
「それに、頭を下げる相手を間違えています。貴方に対して、私は指一本動かしておりませんのよ?」
それは詰まり、蔵人の為に動いてくれていた人が居るという事。
やはり、自分の知らない所で、皆様に尽力頂いていたのだなと、蔵人は苦い顔をする。
すると、近衛様が詳しい事を教えてくれた。
何でも、炎上事件で真っ先に動いてくれたのが、一条家と広幡家であったらしい。
一条家が大会運営に働きかけ、大会運営がオオヤマ製薬に抗議を行うように仕向けた。
広幡家は、財閥の家々に連絡を取り、黒騎士の無実と文化書店への抗議を願い出てくれたらしい。
その広幡家を筆頭に、九条家や二条家、西園寺家などが文化書店に抗議を行い、裏で糸を引いていたであろう白百合会にも釘を刺してくれたらしい。
きっと今、白百合会が追撃して来ないのは、財閥の皆さまが圧を掛けてくれたからだろう。
何と有難い事か。
「それと、私が聞いた噂では、九州の方で一揆が起きたそうですわ」
「一揆!?」
つい、声を上げてしまった蔵人に、非難がましい目を剥けながらも、教えてくれる近衛様。
何でも、文化書店の福岡特区支店に直談判をした勢力があるのだとか。
その先頭に居たのが、島津家だとか。
「西日本では随分と混乱が起きたと聞いております。週刊文化の不買運動が叫ばれたり、文化書店支社に嫌がらせのメールや荷物が届いたという噂も」
東日本の方では、発行部数も増加したと聞いていた週刊文化。だが、西日本では散々だったようだ。
元々、黒騎士人気は西の方が高いらしいので、その人達がそのまま敵になってしまったのだろう。
ちょっとうれしい気持ちも正直あるが、これが警察沙汰になったりしないかと、不安の方が大きい。
桜城校内では直ぐに収まった炎上事件が、こうして各地に飛び火しているのを聞いて、蔵人は不安で顔を歪めた。
と、その時。
「あら?いらしたみたいよ?」
近衛様に促されて見ると、入り口に二条様の御姿が。
蔵人は跳んで彼女の元に急ぎ、挨拶も早々に感謝の言葉を述べた。
二条様は、「当然のことをしたまでですわ」と言って、逆に蔵人の事を気に掛けてくれた。
本当に優しい方だ。
隣にいらした五条様も気遣って頂いて、蔵人は心の底からお2人に謝辞を述べる。
「さぁ、皆様!少々お時間を頂いてもよろしくて?」
近衛様が声を上げられて、中央の大きなソファー前に立たれる。
そこに、使用人らしい女性達がホワイトボードを持ってきて、彼女の後ろに設置する。
何か会議でも始まるのだろうか?そろそろお暇するべきか。
蔵人が身を引こうとすると、西園寺先輩がそれを止める。
「最後まで見ていきなさい。恩返しのチャンスよ?」
恩返し?
つまり、この話し合いに自分の出る幕があるという事か?
蔵人は先輩に頷き、彼女と九条様の座ったソファーの後ろに立たせてもらった。
「それでは始めますわ。桜城高等部における、文化祭の課題について」
司会進行を進める近衛様が後ろを向き、ホワイトボードにスタッフが文字を書き終えるのを待つ。
そこに書かれたのは、
・文化祭の予算増額について。
・文化祭のパトロール範囲増加について。
と言う議題2つであった。
近衛様がこちらに向き直ると、彼女の表情は、幾分か緊張した面持ちに切り替わっていた。
まぁ、議題からして不穏だからね。
「先日の生徒会との会合で、以上の2点についての申し出がありました。これについて、皆様のご意見を募ります」
硬い近衛様の声に、ご令嬢達は暫し顔を見合わせていたが、意を決して1人のご令嬢が手を上げた。
「近衛様。この要求は、些か過大と存じます」
「近衛様。確か先週も、生徒会は予算の増額を申し出てきており、確か承認したと記憶しておりますが…」
「その前の要望では、イベントプログラムの追加をしていました。これ以上の費用は、流石に当家でも許可が降りないかと…」
1人の令嬢が切り出すと、出るわ出るわの不満の嵐。
聞いていると、それも当然と思えてしまう内容だ。
現在桜城高等部は、来月に迫った文化祭の準備に追われている。その主導は生徒会なのだが、風紀委員も一部の業務を委任されており、来場者の選定や業者とのやり取り等もしているらしい。
加えて、予算も風紀委員の範疇なのだとか。
普通の学校なら、予算も生徒会の仕事と思うが、ここは財閥の資金で成り立っている私立学校。当然、文化祭の資金も財閥から出ている。そこで、その子女が多く在籍する風紀委員が予算取りもしているのだそうだ。
そして、今年は生徒会から再三予算の増額を求められ、その度に増額を実行してきたらしい。
だが、流石に財閥の娘さん達でも、これ以上の予算取りは難しいと、近衛様に苦言を呈しているのだ。
なんだか、少し昔の下請け業者を見ているみたいだ。
安い値段で仕事しろ。納期を早めろ。仕様を急遽変更しろ…と元請けから一方的に言われた零細企業と、今の風紀委員が重なって見えた。
歪な組織構造だなぁ。下請法は無いのかい?
蔵人が不満げに見ていると、前席に座る西園寺先輩が振り向いた。
「不思議そうな顔ね」
「そう、ですね。不思議です。生徒会は何時も、こんなに一方的なんですか?」
「いいえ。去年までは大人しかったわ。風紀委員の言った事は何でも聞く、ワンちゃんみたいに。だから、今年が異常なのよ」
聞くと、今年の生徒会長は、随分とやりたい放題なのだとか。
生徒達には良い顔をするので、大変人気なのだが、風紀委員に対してはかなり強く出てくるとの事。
それを可能にしているのが、生徒会長の実力。
彼女は桜城高等部1年生の時に、全日本Aランク戦で3位にまで登り詰めたのだとか。
「勿論、桜城高等部の校内ランキングは1位。今年こそは全日本チャンピオンだって、周りからも期待されているから、腕力だけでなく人気も凄いのよ。校内だけでなく、校外からもね。今の風紀委員で、彼女に敵う人はいないわ」
「西園寺さん。意見が有れば、手を上げてから仰って頂戴」
解説してくれた西園寺先輩が、近衛様の注意を受けてしまった。
申し訳ない。
だが、そうか。権力バランスが崩れたから、このような歪な形となってしまっているのか。
幾ら上級貴族が集まる風紀委員でも、全日本チャンプクラスが相手では手も出せないと。
権力よりも武力の方が、直接的で分かりやすいからね。学生の間ならそれも納得だ。
天隆で、勇飛さんが好き勝手していたのと似ているのかもしれない。
蔵人はホワイトボードに向き直り、予算増額の横に、〈近衛家、二条家で検討〉と書かれているのを見て、心を痛める。
結局はこうやって、上役の人達が身を切るしかないのか。
何とかしたい。
「では次に、警備範囲の増加ですが、生徒会から、新たに第三競技場も使用したいとの話しがあり、そこも警備範囲となります」
なんと、警備も風紀委員の範疇なのだとか。
正しくは、風紀を乱していないかのチェックをするのがお仕事で、警備自体は生徒会が担うとの事。
それでも、人員を割かなければならず、警備範囲の拡大は純粋に、風紀委員の負荷増大に繋がってしまう。
これも、生徒会が無暗に生徒達の意見を聞き過ぎるのが原因だ。
新しい催しを行いたいから、第三競技場を使わせてくれと言う意見に、生徒会が許可を出してしまったのだとか。
それにより、先ほどの予算増額にも繋がったと。
ご令嬢達が、困ったように意見を交わす。
「困りましたわ。一般の生徒に、警備をお願いすることは出来ないのでしょうか?」
「恐らく、生徒会が嫌がるでしょう。一般生徒は文化祭で忙しいのだから、風紀委員の事で悩ませるなと、以前も言われていましたから…」
「では、外から雇うのは…」
「更に予算が嵩みますわ。それに、外部の方々を安易に招いては、更なるトラブルに繋がるかも知れません」
「では、我々の護衛を派遣して…」
「それこそ、予算が嵩みますわ。そもそも私の家では、余分に割ける程の護衛も揃えていませんし…」
「恥ずかしながら、私の家も難しいです」
「二条家なら出来なくはないけどね。随分と出資もお願いしているから、そろそろ母の不興を買いかねないわ」
重々しい空気が流れる室内。
下請法ならぬ、風紀委員法を作らんといかんぞ、これは。
蔵人は、どうやって警備をやり繰りするかの議論をしている一団に向けて、静かに手を挙げた。
それを、近衛様が訝しそうに見詰めてくる。
「…なんですの?巻島君。貴方は風紀委員ではございませんから、関わらなくてもよろしくてよ?」
「差し出がましい事をしてしまい、申し訳ございません。皆様がお困りのご様子でしたので、何か力に成れないかと思い、愚申させて頂きたく」
真っ直ぐに手を挙げる蔵人をジッと見る近衛様。
そして、小さく息を吐き出しながら、小さく頷く。
「どうぞ、貴方の意見を聞かせて」
「ありがとうございます。民間の警備も、高等部の生徒も動員出来ないのでしたら、我々中等部の生徒で代役出来ないでしょうか?」
「中等部の生徒?」
「そうです」
蔵人は大きく頷き、己の胸に手を当てる。
「我々、桜城ファランクス部に、文化祭の警備を任せて頂けないでしょうか?」
天隆の次は桜城高等部、それも風紀委員ですか…。
「随分と可笑しなことになっているな。普通、貴族に平民が苦しめられるのではないのか?」
異能力が絶対のこの世界では、その常識すらも覆るのでしょうか?