222話~私には居るのよ~
河崎先輩の声に、勇飛さんがこちらを見上げて、頬を吊り上げる。
「やぁ、美遊君。一体、何がやり過ぎだと言うんだい?僕はただ、彼に愛を囁いていただけだよ?」
「相変わらず自分本位なのね、貴女は。もっと周りを見るべきよ。この子の表情を見て、どうして迷惑だという事に気付かないの?」
おっと、俺はそんなに迷惑そうな顔をしていたのか?
蔵人は急いで、自分の頬を揉みほぐし、表情を消そうとする。
そこに、勇飛さんの笑い声が届く。
「はっは。何を言っているんだい?僕が彼を望んでいるんだ。それ以上に、一体何が必要だと言うんだい?」
「…全く、貴女を見ていると、以前の私を見ている気がしてしまって、虫唾が走るわ」
そう言うと、河崎先輩は片手を勇飛さんの方へと向ける。
それを受けて、勇飛さんも片手をこちらに向け、河崎先輩を嘲笑する。
「この僕とやり合おうと言うのかい?同じAランクでも、差は歴然だと思うけど?」
「確かに、皇帝を相手に、私1人では勝負にすらならないでしょうね。でも」
河崎先輩が言葉を切ると、
足音が聞こえた。
複数。後ろから。
「私には居るのよ。私について来てくれる、仲間達がね」
「「「美遊先輩!」」」
見ると、競技場の入り口から、複数の女子生徒が駆け出してきていた。
都大会で対峙した、天隆ファランクス部の選手達だ。
選手団が一定間隔を開けて止まり、勇飛さんを睨みつける。
河崎先輩が、勇飛さんを見下ろす。
「幾ら貴女でも、この人数を相手にすることは出来ないんじゃない?」
「なるほどね。確かにこれは…」
勇飛さんは思案するように周囲を見回して、やれやれと首を振りながら腕を下ろした。
流石にこの人数差、諦めたのだろうと思っていると、彼女がこちらを見上げた。
「今日の所はお暇させてもらうよ、蔵人君。また日を改めて、君を迎えに行くから、それまで待っていて欲しい」
勝負は諦めたが、蔵人については諦めていないようだった。
蔵人は、痛くなる頭を押さえて、彼女に厳しい視線を送る。
「勇飛さん。婚約のお話でしたら、謹んで辞退させて頂き…」
「ではっ!さらばだ!」
蔵人の言葉をぶった切り、勇飛さんは颯爽と第一競技場へ駆け抜けていった。
…本当に、人の話を聞かない人だ。
蔵人が呆れている間にも、蔵人の体はゆっくりと地面へ降りる。
「とんだ災難だったわね、蔵人」
河崎先輩が、蔵人の肩に乗った灰を払いながら、労いの言葉を掛けてくれる。
彼女も、あの暴君に苦労を掛けられているのだろう。
蔵人は、彼女にしっかりと頭を下げる。
「危ない所を助けて頂き、ありがとうございました。河崎先輩」
「良いのよ。元々、招いておいて出迎えることが出来なかった私の責任だから」
うん?招く?
聞いてみると、ローズ先生を招待したのは河崎先輩だったそうだ。
河崎先輩が天隆の先生達に掛け合って、ローズ先生と生徒達を招く許可を貰ってくれたらしい。
だから、安綱先輩だけでなく、蔵人も参加することが出来たのだった。
炎上事件の事を知り、蔵人の事が心配になってアプローチしてくれたのだとか。
「そうだったのですね。ありがとうございます、先輩。僕は何も返せていないのに」
「何を言っているのよ。貴方が教えてくれたから、今の私があるのよ?私がこうして、みんなと共に歩めているのも、貴方がくれた言葉のお陰なのよ」
そう言って、河崎先輩は両手を広げる。
彼女の後ろでこちらを見守る、仲間達を誇る様に。
両手を下ろした彼女は、「それとも」と言って、少し眉を寄せて蔵人を見た。
「貴方が言っているのは、お見合いの件かしら?あれは気にすることないわ。私が話した都大会の出来事を拡大解釈したお父様が、先走って動いてしまっただけなのだから」
「そうだったのですか?」
どうも、先輩はご両親に「巻島蔵人が自分を救ってくれた」というニュアンスでお話されたらしい。それを聞いた先輩の御父上が「そこまで思っているなら、婚姻を結ぶか」と巻島家に働きかけたのだとか。
「それでも、私が貴方に恩義を感じていることは事実よ。だから、ああして意思表示をする事自体は、私も反対しなかったわ」
「それは、光栄です。先輩に気に掛けて頂いているなんて」
意思表示。
先輩が自分に感謝の念を抱いているのだという事を、伝えたかったらしい。
少しツンが入っている先輩らしいアプローチと言えば、らしいのか。
蔵人の言葉を受けて、先輩は少し頬を赤らめ、プイッと背中を向けてしまった。
先輩を見る仲間達が、微笑ましいといった表情を浮かべて、競技場入口までの道を開ける。
「さぁ、こんな所で立ち止まっていないで、早く行きましょう。ローズ先生達も、貴方の事を探していたから」
そう言うが早いか、河崎先輩はズイズイと、仲間達が開けた道を進む。
そうか。先生達も自分を探していたのか。かなり心配を掛けてしまったらしい。
蔵人は河崎先輩の背中を追って、第一競技場へと急いだ。
「済まない、巻島君。私がしっかり見ていなかったばかりに」
競技場の観客席に着くと、ローズ先生達とも再会することが出来た。
再会して早々に謝って来た先生に、蔵人は生徒達による妨害があった事を伝え、先生のせいではない事を説明した。
それを聞いた先生は、少々御冠のご様子となった。
「なんて奴らだ!か弱い男子を嵌めるなど、淑女の風上にも置けない」
彼女はそう憤ると、「この学校の先生方に抗議して来る!」と憤って、会場を出て行ってしまった。
その場を安綱先輩と、何故か一緒に居た飛鳥井さん達に任せて。
蔵人を捜索するのを手伝ってくれていたらしいのだが、どう言う経緯で?
蔵人が不思議そうに2人に視線を送ると、ソフィアさんが一歩前に出て、自分の胸に手を置いた。
「ローズは私の姉です。年は少し離れていますけど…」
少し言いにくそうに教えてくれた、ソフィアさん。
そう言えば、お2人ともフォールリーフの姓を持っていた。そう言う事だったのか。
「それじゃあ、蔵人。私達も自分のクラスに戻るわ」
河崎先輩も、体育祭に戻るらしい。
蔵人は再度、天隆ファランクス部の皆さんに頭を下げる。
「ありがとうございました。体育祭、頑張ってください」
「ありがとう。この子達もやる気が出るわ」
そう言う河崎先輩の言葉通り、彼女の後ろに控えていたファランクス部員の皆さんが笑顔になる。
誰もが幸せそうな顔だ。
それは、蔵人が手を振っているからというのもあるだろうが、河崎先輩が変わった事が大きいだろう。
体育祭は勿論、ファランクスも頑張って下さいね。
自分のクラスに戻る河崎先輩達の背を見送りながら、蔵人はそう声を掛けた。
すると、河崎先輩が振り返って、少し強い視線を投げかけて来た。
「蔵人。貴方の事だから大丈夫とは思うけど、くれぐれも園部勇飛には気を付けなさい」
「はい。ありがとうございます」
再度忠告をした後に、河崎先輩は今度こそ、自分のクラスへと戻っていった。
彼女達を見送る蔵人の背に、安綱先輩がボソリと語り掛ける。
「皇帝に会ったのか…」
「えっと、皇帝とは、園部さんの事ですか?」
そう言えば、河崎先輩も言っていた。
蔵人が振り向き、安綱先輩に問いかけると、彼女は少し苦い顔をして頷いた。
「園部勇飛。天隆シングル部主将にして、前回の全日本Aランク戦の優勝者だ」
なっ。
あの人が、Aランクチャンプだと…。
蔵人が驚いていると、安綱先輩は苦々し気に続ける。
「私も、去年あいつとは準々決勝で当たり、敗れている。それまで上級生にすら負けていなかったからな。同級生に負けたとあって、私もかなり気を落としたものだ…」
何と、安綱先輩でも勝てない相手だったのか。
確かに、あの爆発は厄介だ。近距離型の先輩が勝てないのも、無理はない。
それは惜しい事をしたと、蔵人が苦い顔をしていると、先輩は顔を上げて笑う。
「ふふ。そんな顔をしなくても大丈夫だ。今年は必ず皇帝を倒して、私がAランクの覇者になる」
おっと、そう言う意図は無かったのだが…。
皇帝とは違う、純粋な安綱先輩の笑顔に、蔵人は苦笑いを返すのが精一杯であった。
その後、蔵人達は天隆の体育祭を観戦した。
桜城と同じく、天隆も4つのグループに分かれて競い合っていた。
赤、青、緑、黄色。
桜城の様に、四聖獣の様なモチーフはおらず、色でチーム分けされているみたいだ。
「うーんと、色で分けているんじゃなくて、それぞれの組に色が付いているんだよ?」
飛鳥井さんの説明に、蔵人は「どういう事?」と首を捻る。
すると、ソフィアさんが詳しく教えてくれる。
「天隆は入学した時から、4つの組に分けられて、卒業するまで変わらないのよ」
どうも、体育祭だけの組み分けではないとの事。
そもそも、これはイギリスの学校で行われている、ハウスシステムを真似ているのだとか。
なるほど。確かに、有名な魔法学校の小説でも、組み分けの儀式が描かれていた。
〈君は……グ、いや、薩摩藩!〉とか言っていたものね、あのオンボロ帽子。
他にも、競技ではイギリス特有の物もいくつか見られた。
スプーンの上に卵を乗せて、バランスを取りながら走るエッグスプーンレース。麻袋で体を固定し、ジャンプだけでレースをするサックレース。
なるほど。天隆はイギリスの建築様式を取り入れるだけでなく、文化も強く影響を受けているらしい。それだけ、日本とイギリスが親密という事か。
蔵人は天隆の校風に、また興味が搔き立てられた。
競技の途中で、広幡様も挨拶に来て下さっていた。
彼女は風紀委員のお手伝いをしているらしく、体育祭中はとても忙しいのだそうだ。
そんな中でも、態々時間を作ってくれたことが嬉しい。
蔵人がお礼を言っていると、彼女は近づいて来て、小声で話しかけて来た。
「蔵人様。お加減は如何ですか?」
「ええ。お陰様で良好です。皆さんが心配してくださるので、なんら影響はありません」
彼女が聞いているのは、炎上事件についてだろう。
そう思って、蔵人が笑みを作ると、広幡様も安心したように笑ってくださった。
やはり、彼女も随分と心配してくれていたみたいだ。
ファンクラブを設立してくれるほどアクティブなのだ。きっと、自分の知らない所で動いてくれていたのだろう。
そう蔵人が思っていると、意外な人物の名前が、彼女の口から出て来た。
「蔵人様の御元気そうな顔を見られて、安心しましたわ。二条様も随分と気を揉んでらしたので、近々お会いになられるかもしれません」
「二条様が?」
なんと、広幡様だけでなく、二条様まで動いてくださったのか?
やはり、多方面に心配を掛けてしまっているのだろう。
これは、彼女が居らっしゃるのを待つのではなく、こちらから出向くべきではないだろうか?
蔵人がそう相談すると、広幡様は少し困った顔をされた。
「桜城の風紀委員は、随分と大変な状況だとお聞きしておりますので、一度アポイントメントを取られた方がよろしいかと」
ぐっ…。
そう言えば、生徒会とバチバチやっているとかって話があったな。
どうするか。九条様にでもご相談するかな?
蔵人が思案すると、広幡様も「それがよろしいかと」とアドバイスしてくれた。
「では、私はこれで」
そう言って、広幡様も戻られていった。
本当に、みんなが気に掛けてくれる。
申し訳なさでいっぱいだが、同時に、有難くて胸が暖かくなる。
今日は天隆に来られて良かったと、蔵人は漸く思う事が出来た。
結局、ローズ先生は競技が終わるまで帰って来なかった。
帰ってきたのは、蔵人達が撤収作業を終えて、会場を後にした時だった。
どうも、向こうの先生達を説得するのに、随分と骨を折ったとの事。
ぐったりした様子で、蔵人に頭を下げて来る。
「済まない。君を嵌めた生徒達を注意するように説得したのだが…証拠がなく、誰が加担したか分からないから、強くは出られないの一点張りでな」
それでも、何とか注意はしてもらえる事になり、来年度までには、相手を惑わせる異能力を使った者にも罰が下せるように、校則を追加する約束を取り付けたらしい。
白百合会を相手に、凄い進歩だ。
きっと、天隆の先生達も、かの組織とはなるべく関わり合いたくないのだろう。それ故に、当該生徒の処罰を渋ったと。
仕方がない事だ。ディさんですら手をこまねく相手。学校の先生達が対峙出来る筈もない。
それを、少しでも阻止してくれたローズ先生には大感謝だ。
「あの、ちょっと蔵人君にお話したいことがあるんだけど…?」
ローズ先生とも合流できたので、帰ろうとした蔵人達。そこに、飛鳥井さんが申し訳なさそうに蔵人を呼んだ。
どんな用事かは分からないが、彼女に限って自分に不利益なことをするとは思えない。
蔵人はローズ先生達に断って、ちょっと離れたところで2人の話を聞く。すると、
「今度イギリスで開かれる、コンビネーションカップに出場して欲しいんです」
「コンビネーションカップ…ですか?」
キラキラ瞳を向けてくる飛鳥井さんに、蔵人は首を傾げる。
聞いてみると、コンビネーションカップとは、イギリスで行われるツーマンセル戦の公式大会らしい。
日本ではマイナー過ぎて、殆ど開かれることのないツーマンセル戦だが、向こうではそれなりに伝統的な戦闘スタイルであり、こうして大きな大会もいくつか行われるのだとか。
その大会で、蔵人にもCランク帯で参加して欲しいとの事。
時期で言うと、11月の中旬。丁度シングル戦の都大会が行われている時期だ。
とは言え、今の蔵人は炎上事件の影響で、シングル戦にも出場できない。なので、時期的には問題はない。
だが、参加できないのは異能力戦全般であり、ツーマンセル戦もそこに含まれる。
なので、
「ええ。分かりました」
それなのに、蔵人はあっさりとOKした。
というのも、蔵人が出られないのは国内の公式戦。海外であれば別だからだ。
寧ろ、渡りに船である。
海外の大会であれば出場できるのなら、海外で実績を作って、再び推薦枠を獲得するのもありなのでは?と、蔵人の頭の中で作戦が構築されていく。
だが、少し冷静になったら、疑問が湧いてきた。
「ですが何故、僕を誘って頂いたのですか?僕はファランクス部員ですから、ツーマンセル戦の経験はありませんよ?」
「ええ。ツーマンセル戦はね」
飛鳥井さんの隣に居たソフィアさんが頷く。
そして、瞳の色を強くして、蔵人を睨みつけた。
「でも、チーム戦は出たことがあるでしょ?」
彼女の強い態度は、問うのではなく問いただす物。
彼女は、蔵人がチーム戦に出場した事を知っているのだ。
それは何時の物か。
決まっている。
蔵人は、ソフィアさんを興味深く見詰める。
「ほぉ?それはどういう意味ですか?」
「…貴方ともう一度戦いたいと言っているの、龍鱗」
蔵人が今までに、チーム戦に参加した事は2度しかない。
柏レアル大会。そして、川崎フロスト大会。
どちらも、龍鱗の名前が出た大会である。
なるほどな。
蔵人は笑いが込み上げてくるのを抑えられなかった。
「くっくっく。良いでしょう。私としても、あの時の雪辱は果たしておきたかった」
彼女達にも、龍鱗の正体がバレているという事か。
流石はチームスターライト。一度戦ったが故に、この答えに行きついたということか。
素晴らしい!
蔵人は2人に向けて、獰猛な笑みを浮かべる。
「(高音)今度こそ貴女達の防御を貫いてあげる。覚悟していて」
「望むところよ」
ソフィアさんの鋭い視線に、蔵人は暫し彼女を見つめる。
コンビネーションカップがどのような大会なのかは分からないが、彼女の言動から、ランクを越えた試合が出来るのだろう。
本当に楽しみでならない。
そう思っているのは、恐らく蔵人だけではないだろう。
目の前の彼女。ソフィアさんの瞳も、蔵人と同じくらいに鋭く、そして眩しく輝いていた。
蔵人は、彼女の強い意志を確認できたので、満足な笑みを残し、ローズ先生達の元へと戻った。
「えっ?あれ?なんか?いつの間にか再戦する流れになってるぅ~!」
ただ1人、飛鳥井さんだけは、急展開した事態にオロオロするばかりであった。
園部さんがAランクのチャンプだったとは…。
世界は狭いですね。
「そうでもないだろう。元々シングルは東が強いと聞く。ならば、一流と言われる3大学校に上位者が集まるのは必然」
ビッグゲームで、関西圏に強豪が集まっていたみたいにですね。
そして、新たな戦い、コンビネーションカップですか。
海外の大会という事ですが…大丈夫なのでしょうか?
「先ずはパスポートを取らんとな」