214話~…なんだとっ~
炎上事件の裏側に、ディさんでも言葉を濁す程の後ろ盾が存在している。
蔵人は、アラートレベルを数段上げて、彼との対話に臨んだ。
「ディ様が厄介と言われるのでしたら、かなり強力な相手なのでしょうね…」
「私個人など、たかが知れているよ」
蔵人が沈痛な表情をすると、ディさんは自虐的に笑った。
ディさんはそう言うが、陸軍大佐の手を煩わせるとなると、一般の企業や組織ではないだろう。
例えば財閥、それもかなり有力な家でないと対抗できない。少なくとも、サマーパーティーに呼ばれるレベルの家なのでは?
もしくは、同じ軍人。
軍隊にも派閥や思想があり、かつての大日本帝国陸軍と海軍が壊滅的に仲が悪かったことを振り返ってみても、軍人同士でいがみ合う構図は想像に難しくない。
だが、ディさんから聞かされたバックは、蔵人の予想を裏切るものだった。
「白百合の会。聞いたことはあるか?」
「しらゆり…ですか?」
はて?何処かで聞いた事ある名前だぞ?何処だっけ?
蔵人は必死に過去を遡り、その名前が出て来た場面を思い出そうとする。
ディさんとの会話?いや、若葉さんが言っていたと思うんだけど。
そんな様子の蔵人に、ディさんが答えを教えてくれる。
「一言で言うなら、女性社会の推進を謳う社会組織だ。かなり昔から存在自体はしていた団体だが、世界大戦以降、つまり異能力が世間的にも広がり、女性の権力が急拡大するに連れて大きくなっていった組織だ。発足当初は、女性の権利拡大を主張するだけであった彼女達だが、ある程度それが実現している今では、男性の社会進出や活躍を危険視し、妨害などの行動が目立つようになっている。フェミニスト集団の本山と言っても過言ではない組織だな」
フェミニスト。
その言葉に、蔵人の中でフラッシュバックが起きる。
夏の関東大会。背中越しに日向さんが放った一言。
『フェミニスト共に気を付けろ』
あの発言は、この事を示していたのか。
そして、若葉さんが教えてくれた場面は、晴明との試合中だ。
蔵人が驚きに眉を上げる前で、ディさんは悩ましげに眉を寄せる。
「彼女達の考えに賛同する者は多くてな。一般人は勿論、一部の政治家や財閥、軍部の上層部も一枚噛んでいる。表立って行動しているのは一般人ばかりで、それも《女性が生活する上での問題点の改善》等の当たり障りのないものばかりだ。だが、裏では一般人では出来ないような事をしている。今回のこのデマ騒動のようにな」
「なるほど。男尊女卑の世界へ逆戻りする事を恐れている…訳ですね?」
蔵人が、女性中心となったこの世界を異常と感じてしまう程、今まで赴いた世界では男性が主権を握る世界ばかりであった。
「女は家に入れ」と言われた昭和時代や、女性を土地やお金と同じように取引していた戦国時代。史実の現代ですら、女性の社会進出は遅れていた。
2020年代になると、今度は男性軽視の風潮が広まったが、それ以前はどの時代を見ても、女性を軽視する風潮ばかりであった。特に、乱世の時代はそれが濃い。
その乱世を作り出しているのも男なのだから、この世界の女性が主権を固持しようとするのも当然の心理と言えよう。
ディさんが、蔵人の推測を肯定する。
「表面上は綺麗事を並べているが、彼女達の心の内はそういう思いが強いだろう。現に、男性が台頭してくると必ず、彼女達の影がチラついた。雷門様が活躍されていた時など顕著で、最近で言うと日向君の時も少なくない抗議があったと聞く」
何と、雷門様も苦労されていたのか。
蔵人は、夏祭りでお会いしたご老人の姿を思い出していた。
お会いした当初、とても威圧的なオーラを纏われていたのは、そういう事があったことも影響しているのかもしれない。
蔵人が思案していると、ディさんが机にグラスを置く。
「彼女達は男性を恐れているのだ。それは、君が言う通り、過去の黒歴史を繰り返したくないという思いもある。それとは別に、特区の外で蠢くアグリアも原因の一つだ。奴らの構成員の殆どは、この異能力社会を受け入れられず、今でも男性中心の世の中が正しいと言う主張を持つ男性が殆どだ。確かに彼らは、アグレスの隠れ蓑に利用されている。だが、アグリアのテロ活動自体は許されない蛮行であり、そういった凶行を鑑みて、白百合会の思いに賛同する者達が出てきているのだ」
アグリアを脅威と思っている人達が、白百合を支持しているって事ね。
幾ら男性よりも強い女性達でも、アグリアは目の上のタンコブなのだろう。
そして、何かの間違いで、アグリアのテロ活動が今の世界を壊してしまったら。
100年前まで当たり前だった世界、男尊女卑の世界に戻ってしまったら。
そういう恐怖が、彼女達の原動力になっていると。
確かに、それは黒騎士を排除しようとするのに十分な動機だ。
だが、それはつまり…。
「ディ様。今のお話からすると、特区の外の方が、白百合会の影響も少ないと思えるのですが?」
特区の外で男尊女卑思想を望む者がいるのであれば、それはその分、女尊男卑の思想が弱まり、ひいては白百合会の影響が少ないと言えるのではないか。
つまり、特区の中に移住する方が危険では?と蔵人は少し偏った見方で意見を述べてみた。
勿論、ディさんは首を横に振る。
「確かに白百合会の力だけで見れば、特区の外の方が幾分影響は少ないだろう。だが、それとは比べられない程に、特区の中は治安が良い。特区は財閥の力も、我々軍の影響力もあるからな。特区の外で白百合の攻撃を受けたとしたら、直ぐには助けに入れんのだ」
外ではアグリアや、それに連なる青龍会なる怪しい組織が闊歩しているからね。
アニキがあれだけの勧誘を受けたのだ。自分の存在が公になってしまったら、そいつらを仕向けるだけで大変な事になる。どんな手段に出てくるか想像するだけで恐ろしい。
それでも敢えて聞いたのは、蔵人が移住に前向きでない為だ。
その主な理由というのが、
「君が特区への移住に踏み切れないのは、同居人の執事の事か?」
ディさんの質問に、しかし蔵人は直ぐには答えを返せなかった。
彼の問いに肯定しようにも、この話をどのように終着させるか、ビジョンが全く浮かんでいなかった。
柳さんの今後が、見えていなかった。
それが、蔵人の頭をがっしり固定させてしまい、首が回らない状態となっていた。
そんな蔵人に、ディさんは薄く微笑む。
「別に責めている訳では無い。君の境遇を思えば、至極当然の事だからな。親の代わりに君を育て、支えてくれた彼女は、君からすれば母親同然だろう。通学に片道1時間の距離を惜しげも無く通い続けるのは、根本に彼女がいるからだろう?」
ディさんの慧眼に、蔵人は自然と頭が下がった。
その通りだったからだ。
特区の外から通う事を、異能力の修行になるだとか、ストーカー被害に会いにくいだとか理由を付けていたが、本当はこれだ。
柳さんはDランクで、特区には入れない。蔵人がもしも特区の中に入ってしまえば、彼女とは別れる事になる。
そうなれば、小さな時から執事として過ごしていた彼女はどうすればいいのか。
特区の外で執事の需要は少ない。他の職も有るだろうが、次の職場に就くまでにとても苦労するのが目に見えている。
何より、柳さんは今の生活を凄く気に入っていた。蔵人に接する事を。母親が与えなかった愛を与えるが如く、蔵人に尽くしている。
そんな彼女を切ってしまえば、彼女は一体どうなるか。蔵人は、自然とその考えから距離を取っていた。
「ディ様。仮に私が移住するとした場合、柳さんの処遇はいかがお考えでしょうか?」
だから、ディさんの返答次第では、この提案という名の命令を拒否しようと考えていた。
仮令それが、陸軍上層部のディ大佐の命だとしても。
意志を固めた蔵人に、ディさんは小さく頷く。
「彼女にも特区に入ってもらう。執事職とはいささか勝手は違うだろうが、私の親族が経営している会社で働いて貰いたいと考えている。勿論、彼女の同意を得ることが前提だが」
ディさんの提案に、蔵人は眉を寄せる。
「ディ様。彼女はDランクですよ?」
「ああ。だが特例がある。特区に入れる特例がな」
特例。それはDランク以下でも特区への永住権を獲得できる例外。蔵人の幼稚園時代の友人、里見亮介がそれだ。
ディさんは、それが柳さんにも当てはまると言う。だが、彼女の異能力は透視だ。治癒じゃない。
「ディ様。彼女の異能力はヒール系統ではありません。過去の大会で入賞した記録もない」
「だが、覚醒者だ」
「…なんだとっ」
つい、口調が素に戻ってしまった蔵人。
直ぐに謝罪して頭を下げるも、そんな蔵人に、ディさんの笑みが深くなる。
「正しくは、覚醒者になりかけている。恐らく、君の影響だろう。何か思い当たることは無いか?」
ディさんの問いかけに、蔵人の頭の中で声が響く。
『坊っちゃま!』
それはあの時、岩戸中戦で蔵人が腕を斬られた直後の事、蔵人の白昼夢に飛び込んできた声であった。
あの時は、絆が強い柳さんの声だから届いた声だと思った。
でも、今こうして、柳さんが覚醒者に成りつつあると聞かされれば、アレが覚醒の影響とも思えてくる。
思えば、柳さんにも魔力の循環は幾度か行っていた。
肩こり解消の意味で行っていた当時は分からなかったが、今なら分かる。アレが切っ掛けだったのだろう。
また柳さんには、家での訓練も良く覗き見されていた。
特段、柳さんからの言及は無かったから放置していたが、柳さん自身も見よう見まねで修行の真似事を行っていたのかもしれない。
それが、彼女を覚醒者の道へと歩ませる切っ掛けになったのではないだろうか。
蔵人の苦い顔に、ディさんが得たりと片頬を上げる。
「その顔は、何か心当たりがあるようだな?何にせよ、彼女が覚醒者ならば、私でも特例にねじ込むことは難しく無い。まぁ、少々時間は掛かるがな」
「時間…。どれくらいでしょうか?」
「君の状況にも寄るだろうが、年内には準備が整うだろう。君の移住に関してもな。なんなら、君の移住先付近に彼女を住まわせる事も出来るが?」
イタズラに笑って提案するディさんに、蔵人は苦笑いを返す。
「お心遣いは感謝致しますが、折角新しい職に就けるのです。私が近くにいたら、柳さんの為にはなりません」
柳さんはそろそろ三十路だ。何時までも大きなコブをぶら下げていては人生が歩めないだろう。
仕事に生きるも、家庭を持つにも、ここで蔵人と道を分かつ方が最善だ。
特にこの世界、女性は育児休暇後でも直ぐに仕事復帰が出来る。それだけの環境が揃っている、らしい。
そこら辺の特区事情を、今度若葉さんに詳しく聞いておこうと、心にメモする蔵人。
「…蔵人。無理をしていないか?」
この先の事を考え始めた蔵人の耳に、ディさんの硬い声が入ってきた。
その方向に顔を上げると、いつの間にか表情を少し険しくしたディさんが見えた。
蔵人は姿勢を正しす。
「むり、ですか?」
「そうだ。訳の分からん連中に付け回され、住み慣れた家も追われ、あまつさえ、母親同然の人と別れろと言われているのだ。仮令、大人であったとしても、冷静で居られる訳がない。それなのに、君は至って平静に見える。それが君の強さから来ていると言うのなら、さほど問題ではない。だが、もしも君が、周りから期待される強さを演じていると言うのなら…」
ディさんはそこで言葉を切り、蔵人のグラスに水を注ぐ。それ程減っていなかった所に継がれたので、今はナミナミとコップの縁まで水が来ており、溢れそうだ。
蔵人が小さく頭を下げ、グラスに口を着けている内に、ディさんが話を進める。
「私は軍人で、それなりの権限を持っている。だが、今この瞬間はただの男だ。子を持つ1人の父親だ。不満でも泣き言でも言ってくれ。父親には、それを聞く権利があるのだからな」
ディさんはそう言うと、サングラスを外した。
蒼い瞳が蔵人を映す。
サングラス越しでも思ったが、とんでもない美形だ。それに、何処と無くイギリス王室のアイザック殿下を思い起こさせる。
今まで情報漏洩防止で取らなかったサングラスまで外して、蔵人を思ってくれるディさん。サングラスを外した方が、話易いだろうという配慮。
その心遣いに、蔵人は純粋に感動した。
「ありがとうございます、ディ様。いえ、ディさん。俺の懸念は、本当に柳さんだけだったんです。彼女が幸せになれるなら、俺には何ら問題ありませんよ」
ディさんから様付けを外し、敢えて口調を素に近づける事で、これが俺のホンネだと蔵人は示した。
すると、ディさんは暫しの間、蔵人を見つめ続け、やがてソファの背もたれに体を投げ出した。
「全く。私がこう言っているのだから、少しくらい甘えたらどうだ。私の息子が君の年になった時に、そんな風に親離れされたらと思うと、溜まったものではないぞ」
本当にダメージを受けそうなディさんの嘆きに、蔵人は笑いを堪えた。
人間臭い言動に、少しだけディ大佐の本性が見えたように感じて、嬉しかったのかもしれない。
ディさんは少しの間ソファでダメージ回復をすると、再びサングラスをかけ直した。
「だが、まぁ、君のその姿を見て安心したのも事実だ。もしも君が追い詰められていたらどうするかと、少々頭を悩ませていたからな」
それは、もしかして、先ほどの紙束の事だろうか?セラピーやカウンセリングの方法を用意していたとか?
思っていたよりも人間味のあるディさんの行動に、蔵人は彼を見詰めてしまった。
そのディさんは、体を倒して再び前のめりになる。
「だが、是非とも心に留めておいてくれ。この件は、酷く複雑なものになりつつある。今後どのような流れとなり、君を巻き込むかは正直予測できない。その中でもし、君の心が弱った時は、見せていいのだ、その弱みを。周囲を頼りにしろ。その周囲の中に、私も居ると覚えていてくれ」
「お心遣い、ありがとうございます」
そこまで言われてしまっては、何かあった時は頼らせてもらおうかな?学校関係者には話せないようなこともあるだろうし。
蔵人がしっかりと頷くと、ディさんも安心したように頷き返し、体を起こす。
「では、先ほどの話を少し詰めようか」
その後、蔵人はディさんと話し合い、移住の詳細を詰めた。
とはいえ、全てを蔵人に決める権限は無いので、最終的な許可は流子さんになる。
なので、蔵人は同意している事を表すまでであった。
後は軍と巻島家の間で話し合うのだとか。
柳さんに対しても、流子さんから話が来るようになってはいるが、その前にある程度は蔵人の口からも説明が必要だろう。
ちゃんと蔵人の思いを伝えないと、柳さんが大きなショックを受けてしまうかもしれない。
「私は、坊っちゃまにいらない子と思われた」とか、思っちゃうかも知れないからね。
「蔵人。もしも困った事があれば、今回私がした様に、君から連絡を寄越すようにしてくれ。今日のような時間になってしまうと思うが、必ず時間を作ることを約束する」
蔵人をテレポートで送る間際、ディさんからそんな申し出を受けた。
蔵人は丁寧にお礼を言ったが、内心はびっくりしていた。
本当に、父親の様に接してくれるのだなと。
どうやら、今宵はディさんとの距離がちょっとだけ縮まったようだと、蔵人は思った。
炎上の黒幕は、白百合会でしたか。
「フェミニストが裏で暗躍していたのだな。であるから、ドーピング等と言う魔力絶対主義を覆すような話題でも、平気で投げ込んできたのだろう。奴らが大事なのは、男に実権を握らせない事だからな」
世界各地に構成員が居るとなると、本当に面倒ですね。
「まるで、女版アグリアだな」