212話~無理を通して道理を蹴っ飛ばす!~
炎上事件を聞いた蔵人は、どこ吹く風で教室を退室した。
時刻は昼休み。
何かと心配するクラスのみんなに対し「それよりも、体育祭で優勝できたね!」と無理やり話題を切り替えて、何とか少しは明るい昼食会を終えた所だった。
そうして教室を出て来た蔵人だったが、その顔は先ほどまでの朗らかなものではなかった。
幾分か、緊張した面持ちである。
別に、クラスメイトに心情を隠していた訳ではない。
知らぬ間に、有らぬ疑いを掛けられて、世間様から壮大なバッシングを受けているという事だったが、蔵人自身は「その程度か」という認識だった。
ただの言葉、それも面と向かって吐きかけられるものではなく、影でコソコソ突かれる程度ならば、それ程痛くもない攻撃だと思っていた。
何せ、昔はもっと酷い突かれ方をしていた時があったからだ。
あれはそう、オークの勇者として、世界各地を回っていた時の事。
ダンジョンから溢れた魔物が、街へと大挙したと聞いたので、周囲の冒険者と共に阻止したのだ。
したのに、終わって街に入った途端、石だの糞だのをめい一杯に投げつけられたのだ。
豚野郎。魔王のスパイ。人間様の街に入ってくるんじゃねえ…と言う有難いお言葉と共に。
頑張って守り抜いた街の住人から、そんな仕打ちをされたので、流石に腹が立って街から出てしまった。
冒険者諸君が慰めてくれなかったら、ダンジョンに取って返して、魔物達を追い立てて人工スタンピードを起こしていたかも知れない。
とまぁ、当時の苦い思い出はこのくらいにして。
蔵人は炎上に対して、それ程ダメージを負っていなかった。
緊張しているのは、これから職員棟へ行って、先生方に謝罪をしなければと思っているからだ。
何故、謝罪をするかと言うと、炎上事件で世間を騒がせてしまっているからだ。
蔵人自身はそれ程気にしていないが、学校側はどう思っているか分からない。
特に、ここは特区の名高い学校。名高いお家の方々が通われている由緒正しき学び舎であり、世間の評価や評判を気にしない訳がない。
風紀委員の委員長さんも言われていたからね。お貴族様達は体面を気にするのだ。
その為、蔵人は一言謝りに行こうと、1人教室を出たのだった。
1人で出た筈だったのだ。
しかし、ふと気付いたら、蔵人の後ろには長蛇の行列が出来ていた。
何を言っているか分からない?蔵人自身も分かっていなかった。
兎に角、人の気配がして後ろを見たら、後ろに20人くらいの大名行列が連なっているのだ。
その面々は、見たことある人もいるが、全く面識がない人も多くいた。
君たちは一体、どこの誰だい?
蔵人が振り返って彼ら彼女らを見ると、全員が一斉に止まり、敬礼までしてきた。
「ご安心ください!黒騎士様!我々がしっかりと、貴方様を護衛致します!」
蔵人の直ぐ後ろ、軍団の先頭に立つ女子生徒が、ハキハキとそう宣言した。
その彼女の手首には、黒のブレスレットが付けられているのが見えた。
何となく、体育祭で学ランを着ていた人に似ている気がするけど、見間違いだよね?
「もしかして、俺のファンクラブの人達です?」
自分から自分のファンクラブ会員ですか?なんて聞くのは、蔵人にとっても恥ずかしい事であったが、意を決して聞いてみた。
すると、先頭にいた彼女の頬にも赤い色が差した。
「いえ!」
だが、彼女ははっきりと否定した。
あれ?違ったのか。てっきり、ファンクラブの人かと思ったが、どうもタダの通りすがり…。
「我々は、黒騎士様の親衛隊です!」
なんじゃそりゃ!
余計に恥ずかしいわ!
ファンクラブよりもヤバそうな組織の名前に、蔵人は大きく表情を歪めた。
聞いてみると、彼女達は元々ファンクラブを名乗っていた人達だった。
だが、今回の騒ぎを聞きつけ、蔵人の身が危ないと考えて、その身を守らんとして親衛隊と名乗り出したとの事。
勿論、名前を変えただけではなく、行動理念も変わったみたいだ。
ファンとして蔵人をただ愛でるのではなく、親衛隊として、蔵人を有象無象から守るという方向に。
今までも、蔵人の行く先を妨害する生徒達を掻き分けてくれていたが、それをもっと積極的にするのだとか。
嬉しさもあるが、気恥ずかしさが勝って仕方がない。
蔵人は表情を幾分か取り繕い、苦笑いを彼女達に向ける。
「ええっと…皆さん、ありがとうございます。でも、やり過ぎには気を付けて下さいね?」
「「「はいっ!」」」
蔵人の一言に、感無量と言った感じで返答する親衛隊達。
本当に大丈夫だろうか?
返事一つをとっても、やる気に満ち溢れてしまっている親衛隊達を前に、蔵人は不安が募るばかりである。
まさか、炎上事件がこんな事を引き起こすなんてと、蔵人は肩を落とした。
親衛隊と共に、廊下を闊歩する。
別に白い巨塔ゴッコをしている訳じゃないのに、一団の様子はまさにそれで、物凄い仰々しくなってしまっている。
そのせいで、教室から出てきた生徒達は、蔵人達を見た途端に表情を硬くし、巻き込まれたら大変だ!と廊下の隅へとへばりついていた。
遠目から見ても怖いからね、この集団。
更に、蔵人を見てヒソヒソ噂話をしている人達に対しては、親衛隊が駆け寄って圧をかけるもんだから、余計に人垣が割れる。ドン引く。
いや、だからさ、やり過ぎ注意って言ったじゃん?
蔵人が苦渋の百面相をしていると、前から新たな集団が現れて、こちらへと向かって来た。
女子生徒が10人くらいで固まり、こちらを目指して小走りに近寄ってくる。
新たな敵勢力か!?
そう思ったのか、いざ黒騎士様を守らんと、親衛隊が蔵人の前に出ようとする。
それを、蔵人は手を挙げて止める。
何故なら、集団の先頭が、
「ボス!ボス!聞いたぞ!なぁ!」
鈴華だったからだ。
彼女は血相を変えて、こちらへと突っ込んで来て、挨拶も省略して蔵人の両腕を掴んだ。
彼女が何を聞いたか、言われずとも分かる。
蔵人は小さく相槌を打ってから、答える。
「やぁ、鈴華。聞いたというのは、ドーピングのことかな?ならば気にしないでくれ。たかが噂。75日もすれば過去の事になろう」
「んな悠長な事言ってられっかよ!こんなふざけた事をぬかしやがって、ぜってぇ許せねぇ!」
顔を真っ赤にして怒る鈴華。
伏見さんとの喧嘩でも、ここまで怒ることは無いのに。
蔵人はまた、心の中が暖かくなる。
「ありがとう、鈴華。君がそこまで怒ってくれて、俺は嬉しいよ」
「ボス…」
少し泣きそうな顔をする鈴華だったが、その顔は直ぐに引き締まる。
「いいや、ダメだ。ボスが許しても、あたしは許せん!あんな馬鹿気た記事を出す奴らも、それに踊らされる奴らもみんなっ!」
そう断言する鈴華の顔色は少し収まっていたものの、彼女の瞳には静かな炎が灯っていた。
そのまま、彼女は集団を連れて、何処かに行こうとする。
「おっ、おい、鈴華!あんまり無理はするなよ!」
冷静でない彼女が、一体どんな行動に出るのか心配であった。
ただでさえ、最近の彼女は男気があるというか、真っすぐな考えをするようになった。
夏休みの前は、あんなにサボり癖があったのに、最近ではその影すら見えない。
そんな彼女が、自分の為に頑張り過ぎないかと蔵人は心配した。
彼女の家が、九条家や二条家に次ぐ実力を持つ、久我家と言うのもあるけどね。
もしも彼女の御家が本気を出してしまったら、1企業を更地にする事なんて朝飯前だ。
そう、蔵人は心配したが、
「無理を通して道理を蹴っ飛ばす!そうだったよな?ボス」
鈴華は言った。
「ボスはビッグゲームで、あたし達の為に体を張った。なら、今度はあたしの番だ。あたしの全力で、あんたを守らせてもらうぞ、ボス」
そう言い残し、格好よく去っていく鈴華。
そんな彼女の背中に付いて行く令嬢達から、黄色い声が乱舞した。
「お姉様、素敵!」
「流石は鈴華様ですわ!」
「その熱の一片でも、私達に向けて頂きたいですわぁ」
と、黄色い声が乱舞している。
よく見ていなかったが、鈴華の後ろに連なる娘達は、鈴華の取り巻きちゃん達だったみたいだ。
鈴華、格好良かったのは良いのだけれど、一体何をする気なんだろうか?
蔵人の心中は、新たな不安で圧死しそうであった。
鈴華達の背中を見送ってから少し進むと、また新たな集団に出くわした。
しかも、今回の集団はかなり煌びやかだ。
彼女達が身に着けている装飾品もそうだが、一番目を引くのはその髪色。AランクBランクばかりと思われる鮮やかなその髪色が、先頭の金髪に率いられている。
これは不味い。
蔵人は後ろを向く。
「総員!壁際まで駆け足!」
今度は蔵人達20人近くが、1列になって壁にへばりつく。
何故なら、
「ごきげんよう、義兄様」
相手が九条様達御一行だったからだ。
相手が九条家、つまり、とっても目上の家柄だった場合は、こうして廊下の端に移動し、進路を確保するのが桜城の常識だ。これは貴族社会だけでなく、武士社会でも同じだった筈。
「九条様。先日は華奈子様のお誕生日会にお招きくださり、誠にありがとうございました」
そう言って蔵人が頭を下げると、親衛隊の人達もそれに倣う気配を感じる。
こう言う所は、流石はお金持ち校の生徒だ。財閥系の生徒じゃなくても、ちゃんと教育されている。
蔵人の下げた頭の先で、九条様の少し苛立った声が囁かれる。
「義兄様。何やら随分と面倒な事になっていると、風の噂で聞き及びましたが?」
九条様が言っているのは、間違いなく炎上事件の事だろう。
九条家の人間が、まさか噂程度の真偽を誤るとは思えないが、万一誤った情報に流されていたら危険だ。
九条家の影響力は絶対である。それは経済界などの社会的影響は勿論の事、学校という閉鎖空間でも及ぼされてくるだろう。
蔵人は頭を下げたまま、頭上の彼女を意識して発言する。
「九条様のお耳汚しをしてしまい、申し訳ございません。このような流言は、確固たる意志と誠実な姿勢を持って払拭したいと考える次第です」
噂はデマであり、ちゃんと対応しますよとアピールをする事で、九条様に誤解をさせない様にする蔵人。
そう思ったのだが、
「義兄様、顔を上げてください。私は、義兄様の力になれたらと思って、こうして参りました」
蔵人が顔を上げると、九条様は少し誇らしげにそう宣った。
更に、少し声のボリュームを上げる九条様。
「私は、このような噂を流す者も、それを信じる愚か者も等しく軽蔑致します!義兄様の力が、まさか薬物程度でどうにかなる等と、そんな風に考えること自体が浅はかであると存じます!」
彼女の言葉は、蔵人に向けたものでは無い。
こちらを伺っていた生徒達と、その生徒達が今後話すであろう友達や教師、親に向けたメッセージだ。
九条薫子は蔵人側に味方していると、流布されているのだ。
「ありがとうございます、九条様」
蔵人は再び、深々と頭を下げる。
この後ろ盾は大きい。
仮令これが、九条様個人の意見だとしても、周りは九条家の言葉と捉える。財閥トップの九条家の言葉は、雑誌の記事など霞んで白紙に見える程に強力だ。
少なくとも、この学校で変な噂が広まる危惧はしなくてもいいと思われる。
とは言え、
「九条様のその一言で、私は十分に救われました」
この言葉以上の事をされると、かなり不味い事になる。
特に、九条様が乗り出すなどあれば、久我家の場合よりも酷くなるのは必須だろう。
企業が潰れるどころか、その土地にぺんぺん草すら生えなくなりそうだ。
九条様のお立場を表明してくれただけで十分ですよと、蔵人は言葉の裏に念を込めて謝辞を述べた。
「義兄様のお役に立てて、嬉しく思いますわ。では、私はこれで。失礼致しますわ」
そう言って、九条様達御一行は来た道を帰って行った。
本当に、蔵人に逢いに来ただけだった様だ。
これはもしかして、妹さんの誕生日の時の恩返しでもしてくれたのかな?
蔵人は優雅に去っていく九条様の後ろ姿を見ながら、そんな風に思った。
結局、その後も大きな揉め事も無く、肩透かしを喰らった蔵人だった。
職員棟の教員室では、早々に校長先生が出てきて、「こんな記事、貴方達生徒が気にしなくて良いから、これからも勉学と、特に部活動に注力してね」というニュアンスで念を押されてしまい、謝るどころか励まされてしまった。
来年のパンフレットの件も気になったのだが、それも問題ないとの事。
批判的な電話をしてくる人も、いないことは無いらしいが、それよりもパンフレットが買えないと言った苦情の方が圧倒的に多いのだとか。
最初は無料で配布していたが、重版が追い付かないので料金を取るようにしているのだとか。
それでも、未だに予約が殺到しているらしい。
そのパンフレットって、入学を検討する小学生の為の物ですよね?その子達の手に届くように、一般人とは分けて作った方が良いですよ?
色々思う所はあったが、絶賛迷惑を掛けている側の蔵人は、思いを胸に押し留めて、校長先生と別れる。
教室への帰り道でも、廊下ですれ違う生徒達が「頑張って!」「信じてるよ!」「Cランクシングルで一位取っちまえ!」なんて、わざわざ近寄って声かけしてくれたりした。
勿論、会う生徒全員が全員、味方であるはずもなく、相変わらずコソコソする人も散見した。
中には、露骨にこちらを嘲笑う木村先輩達ご一行や、態々蔵人を呼びつけた後で「お前がサーに勝ったのもドーピングなんだな!だったらあの試合はサーの勝ちだ!」と突っかかってくる先輩もいた。
でも、そう言う人達に対しては、しっかりと親衛隊のみんなが間に入ってくれて、蔵人を守ってくれた。
いやはや、いつかお礼をしないとな、この集団の方々にも。
ちなみに、突っかかって来た先輩には、
「ドーピングしたら、CランクがAランクに勝てるものですか?」
と質問したら、先輩は顔を真っ赤にして、
「そんな訳ないだろ!サーがドーピング程度で負ける訳ない!」
と憤っていた。
「それでは、ドーピングは無かったということですね?」
って聞き返したら、
「当たり前だ!」
と言って去って行ってしまった。
実にちょろ…素直な先輩だった。
放課後にファランクス部に顔を出しても、みんなは心配してくれるばかりで、批判的な事を言う人はいなかった。
実際に、ビッグゲームで死闘を共にした人達だからね。入ったばかりの人達も、入部試験で散々やり合っているから、噂程度では惑わされないみたいだ。
これがシングル部であったら、こうはいかないだろうけど、今は顔を出すつもりはない。
いつも通り、練習に精を出して、その日は帰宅した。
そうして、怒涛の様な1日を過ごして、漸く家に帰りついた蔵人。
ドアを開けた途端、柳さんが青い顔で玄関まで出迎えていた。
なので、今日学校で起きたドタバタ劇を端的に説明する蔵人。
そうすると、柳さんの顔色が幾分良くなった。
うむ。やはり柳さんの挙動不審も、この炎上事件が原因だったみたいだ。
お風呂に入って、夕食時に詳しくそのことを聞いてみた。
柳さんは昨晩、流子さんからこの話を聞いて、蔵人が学校でイジメられるかもと思い、強制的に休ませようとしたのだとか。
自慢話をするみたいで恥ずかしかったが、蔵人は安心させる為、学校でみんなが理解を示してくれた事を詳しく話した。
クラスでの事、親衛隊の事、九条様や校長先生の事など。
半信半疑の柳さんだったが、親衛隊が体育祭の時に蔵人を応援していた集団だと分かると、何故か納得していた。
何故それで納得するんです?うん?ちょっと詳しく話し合いませんか?
安心した柳さんは、流子さんに電話する為に席を立った。
桜城での生徒と先生の動きを伝えて、流子さんを安心させる為だと思う。
蔵人はその背中を見て、反省した。
確かに、流子さん達にも多大なご迷惑をおかけしている。校長先生だけでなくそちらにも配慮するべきだった。
とにかく、今日は疲れた。
蔵人は夕食後に座禅を組み、寝る前の訓練として瞑想を始めた。
だが、それは唐突に遮られる。
電話だ。
ピリッ…。
しかも、ワンコールも鳴らず、半コールで切れてしまった。
見ると、知らない番号。
間違い電話か?
そう思った時、
ピリッ…。
再び、半コールだけ鳴った。
怪しい。
でっち上げだらけの記事が出回っている今、蔵人を影で妬む誰かが動いている可能性もある。
この電話も、もしかしたらそう言う輩の魔の手かもしれない。
普通なら、そう思う。
だが、
蔵人はその見知らぬ電話番号を、リダイヤルする。
プルルルッ…。
そして、腹いせの様に、ワンコールも掛けずに切る。
傍から見たら、何をしているのか分からないだろう。
でも、蔵人は既に立ち上がり、"準備していた"。
そして直ぐに、視界が切り替わる。
見慣れた部屋が一瞬で無くなり、目の前を占めるのは、星空を天に仰ぐ壮大な霊峰のパノラマ。
富士山。
そう、ここは。
「このような時間に呼び出してしまって済まない、蔵人君」
渋く、女性であれば脳をショートさせられるような美声。
その声がする方向に振り向き、蔵人は軽く頭を下げた。
そこは、
「こんばんは、ディ様。そのような事、お気になさらないで下さい」
陸軍大佐、ディさんの待つホテルだった。
久我さんは熱いですね。
九条さんも、心強いです。
桜城の皆さんは、殆どが主人公の味方になってくれたみたいですね。
「表立って敵対する輩は出て来んな。校内からのリークではないのか?」
はてさて、火種は何処からなのか。
それは多分、最後に出てきた方が教えてくれるのではないでしょうか?