208話~うん!行こう、蔵人君!~
今回から暫く、他者視点です。
幾つかの競技が終わり、二人三脚の時間となった。
競技場に降りると、僕達よりも強そうな人達ばかりが目に入って来る。
殆どが女子だ。
男子は、向こうの方にいる山城君と、僕の隣にいる蔵人君だけに見える。
僕はそれを見て、胸の前で手を握る。
ちゃんと走れるのか、妨害は厳しくないか、そもそも、僕達と同じ組の中に強いチームが居たりしないか、心配事が目白押しだ。
でも、頑張らないと。今日までに、いっぱい、いっぱい練習してきたんだから。
蔵人君と一緒に、一生懸命に練習してきたのだから。
僕は、高鳴る鼓動を胸の内に秘めて、蔵人君の横に並ぶ。
「表情が硬いね。緊張してるのかな?」
蔵人君が、僕を見ながら声を掛けてくれた。
その声に、直ぐにでも首を縦に振りたい衝動が込み上げてきたけど、思い留まって首を止める。
弱気はダメだ。こういう時、女の子がリードしないとダメなんだ。
僕が胸の内で葛藤していると、蔵人君が肩に手を置いて、小さく呟いた。
「緊張することは悪い事ではない。それは、練習してきた証拠だからね」
証拠。
そう言われて、僕が必要以上に肩を張っていた事に気付くことが出来た。
そうか、練習したから緊張しているんだ。じゃあ、緊張しているのは僕だけじゃないんだね。
そう思うと、自然と肩の力が抜けた気がした。同時に、緊張も少し解けた気がする。
やっぱり凄いな、蔵人君は。
僕は、蔵人君の胸と顎辺りに視線を向けながら、心の中でそう思った。
優しくて何時も落ち着いていて、それでも、いざと言う時は頼もしくなってくれる。とても、僕と同じ中学生とは思えない人。
今まで出会った男の人とは、全く違う男の子。なんていうか、理想のお父さん?漫画の中にしか居なかった、憧れのキャラクター?
僕なんかじゃ手の届かない存在の筈なのに、近くに居てくれる。そんな、大切な男の子。
そんなことを僕は考えていて、ちょっとぽ~っとしていた。
その間に、競技はどんどん進んでいって、いつの間にか僕達の出番になっていた。
僕は全然気づいていなかったけど、もう二人三脚は終わりに差し掛かっている。
目の前には、2年生と3年生が混合されたチームが何組かしかいない。僕達の隣にいる人達も、似たような上級生のチームばかりだ。
僕達の後ろには、誰もいない。僕達の組が最終組みたいだった。
それはつまり、大トリという事であり、最強の組に入れられてしまったって事を意味している。
隣に並んでいる2年生や3年生はみんな、凄いやる気だ。なんか、鹿みたいに立派な足の人ばかりだから、僕達の足が細枝に見えちゃう。
いや、蔵人君の方が凄いか。いつも筋トレばかりしているから、足が大木みたいになってる。
どうしよう。なんで1年生の僕たちがこんな組に入れられているんだろう?蔵人君なら勝てるかも知れないけど、僕と一緒だと足を引っ張っちゃうよ。
悔しさすら滲んできた僕の心に、再び蔵人君の声が入って来た。
「上々だな」
見上げると、蔵人君は笑っていた。薄っすらとした笑みだけど、凄く楽しそうに笑っていた。
ああ、そうだ。この人は、こういう人だった。
ビッグゲームでも、大会でも、どんなに強い人が相手になっても、決して諦めないで挑む人だ。不利な状況でも、それを楽しめる人なんだ。
楽しまないと。
僕も、蔵人君と一緒に楽しまないと、蔵人君の隣には居られない。
『位置について』
競技場に、アナウンスの声が響いて来た。
周りの声援と合わさって、うわんうわん耳の中で反響しているみたいになってる。
隣の蔵人君が、前へと歩き出す。
僕も、慌ててそれについて行く。
もう、目の前には誰も居なかった。
とうとう、僕達の番になったんだ。
「ボスー!ももかー!ぶちかませー!」
「カシラー!目にもの見せたってくださーい!」
観客席から、鈴華ちゃん達の声が聞こえた気がする。
他のチームの筈だから、応援してくれるとは思えないけど、幻聴かな?もう、訳が分かんないよ。
スタート地点に立つと、いつもよりレーンが広く見える。100m走と同じ距離の筈なのに、ゴールが随分と遠くに感じるよ。
係の人が、蔵人君と僕の足を赤い紐で結んでくれていたけど、それすら気付かなかった。凄く緊張しているんだ、今の僕。
スタートまで、もう直ぐだ。
空砲が鳴ったら、いよいよ運命の時なんだ。
そう思うと、心臓が思い出した様にドクドクって言い出した。
大丈夫。緊張していいんだ。いっぱいドクドク言って良いよ。
『パンッ!!』
大きな音が、会場中に響き渡った。
それと同時に、うるさかった心臓の音が小さくなり、緊張の波が少し引いた気がした。
足が、僕の意識の外で動き出し、自然と前に出ていた。
練習で何度も繰り返した動きは、僕の中で確かに根付いていた。
でも、何時もと違う。
何時もよりも、とても軽い。
まるで、何も付けていない様だった。
これが、練習の成果…。
「えっ?」
声が、漏れた。
あまりの事に、間抜けな声しか出なかった。
こんな事、練習では一度もなかったから。
僕の目には、ちぎれた赤い紐が、力無くレーンの上に落ちていくその場面が映っていた。
僕達が一歩を踏みしめた瞬間に、互いの足を結ぶ紐が切れてしまったのだ。
うそ…なんで、こんな所で。なんで、本番でこんなことが…?
頭が真っ白になる。
競技終了?棄権?退場?
これで、こんな所で、
終わり?
心臓の音が、全く聞こえなくなる。走り出す前までに感じた押しつぶされちゃいそうな緊張が、一気に冷めていく。
どうしよう。係の人に言って、やり直してもらう?他の組に入れて貰って…あっ、僕達が最後なんだった…。
僕が、そんな風に打ちひしがれていると、
真っ白になりかけていた目の前に、黒が飛び込んできた。
蔵人君だ。蔵人君の頭が、僕の目の前に飛び込んで来た。
僕の前で、蔵人君はしゃがみ込んでいた。
何をしているのだろうか。そんなのは分かり切っている。
蔵人君は諦めない。仮令、腕が無くなったとしても。敵がAランクだろうと、何人来ようとも、最後まで戦う。
蔵人君が結んだ紐が、ぎゅっと僕の足を繋ぎとめる。離れそうだった、僕の心と共に。
力強く、痛いくらい結ばれたそれは、今は心強い。
まだまだ、戦えるんだ。
「行くぞ、西風さん」
蔵人君の低い声に、僕の足が力強く1歩、前へと出る。
「うん!行こう、蔵人君!」
足が、次々と前に出る。
練習を始めたばかりの頃は、掛け声を出してもなかなか揃わなかった足並みが、今は自然と走れる様になっていた。
体育館で練習していた頃は、下ばかり見ていた視線は、今は前を見据えていた。
他のチームの人達は、既にコースの1/3を走り終えている。差は、30m以上もあった。
『東軍の1年生組は今スタート!トラブルで大きく出遅れてしまいましたが、最後まで頑張って下さい!』
「黒騎士さまぁあ!」
「頑張って!黒騎士様!」
「もうだめだよこれ。おしまいだぁ」
「いくら黒騎士様でも、さすがにこれは…」
みんなの声が聞こえてくる。半分以上は、悲鳴や諦めの声の様に聞こえる。
それでも、僕達は前を向く。
ひたすらに、足を前へと出して、地面を蹴る。
回す。
回す。
練習通り、回し始める。
「さぁ、始めるぞ」
蔵人君の声が、耳元で響き、固くなった頭と心を解かしてくれる。
彼の熱い思いが、僕の方まで伝わって来るみたいだ。
「うん。やろう!」
僕の思いも、溢れ出す。
2人の足が、更に前へと出る。
「「僕(俺)達の、レースを!」」
体が、グンと前に出る。
風が背中を押すように、体が軽く飛び跳ねる。
グングンと、2人の三脚が地面を滑る。
グルングルンと、2人の魔力が、互いの体を巡りだす。
1組の背中が近づいてきて、直ぐに追い抜いた。
びっくりした先輩の顔が、僕達をただ見送っていた。
そのすぐ傍にいた1組も、今抜き去る。そのすぐ横のもう1組も。
『凄い、凄い!東軍の1年生チームが、怒涛の追撃を見せているぞ!』
アナウンスの声に、先を走る先輩達がこちらを振り返った。
着実に近づいてくる僕達に、焦ったり、顔をしかめる人ばかりだ。
「こんのっ!1年坊のクセに!」
先輩の1人が、僕達の方に手を突き出してきた。そこから、大量の水が吹き出し、僕達を呑み込もうと迫ってきた。
でも、その水は、途中で方向を変えてしまった。
僕達を包み込むようにして渦巻く風によって、吹き飛ばされてしまったのだった。
「なっ!?」
水の弾幕を貫いて出てきた僕達の姿を、先輩達は信じられない物を見る様な目で追っていた。
「なっ、何?しか?」
先輩の声だけが、僕達を追いかけて来た。
でも、鹿って言ってたのかな?なんの事だろう。良く分からない。
鹿の様な足は、先輩達の方だと思うんだけど。
あと少しでゴール。
目の前には、残り3組の先輩達。
間に合わない?4位でも十分かな?
僕はチラリと、隣を見上げる。
彼はやっぱり、笑っていた。
「不利、逆境…望むところよっ」
圧倒的不利な状況でも楽しそうに嗤う、そんなヒーローに、僕の目も心も吸い寄せられる。
うん。ダメだよね。君と一緒なんだから、もっと、もっと。
「行こう、蔵人君!」
もっとワガママにならなくちゃ!
「良い顔だ!戦友!!」
ドクンと、心臓が跳ねる。
緊張じゃない。これは、もっと良い物だと思う。
体の中が、とても熱い。
蔵人君の熱と、僕の熱が合わさり、混ざり合い、高速で回転している。
まるで、僕達が一つになったみたいな感覚だ。
何だか、僕の目の前が薄っすらとぼやけて見えてきた。
熱でもあるのかな?だから、こんなに目の前が霞んで…。
「えっ?」
違う。ぼやけたんじゃない。
これは、風。
風の幕が、盾の鱗が、僕達を包んでいた。
その風の膜が作り出しているのは、鹿の形をした動物。
その額から真っ直ぐに伸びた角が、ゴールを示す。
ユニコーン?
違う。その体を覆う鱗の様な盾は、ユニコーンの物とは違う生き物のように見えるし、顔は鹿でも馬でもない。これはまるで、中国の神話に出てくる…。
「これが、ユニゾンだ」
「ユニゾン?これが?」
山城君が話してくれたことがある。彼と、蔵人君が出来る奇跡の技。
その奇跡が、目の前で起きているんだ。
僕と蔵人君の間にも、奇跡が起きている。
僕は、初めて見るユニゾンに、心が躍った。
魔力って、こんなに綺麗だったんだね。
僕達が作り上げたユニゾンが、伝説の角が、空気を切り裂いていく。
まるで吸い込まれる様に、僕達の体は、一直線にフィールドを掛ける。
掛け抜ける。
切り裂いていく。
また、1組抜いた。これで3位だ。
「まだ行くぞっ!」
もう1組抜く。これで2位。
「もっと、もっと前に行こう!」
『キィヒヒヒィィイン!!』
僕達の頭の中で、馬のいななきの様な声が聞こえ、バリッという音と共に、体が前へと飛んだ。
目の前の風景が一気に、後ろへと流れた。
風景が戻ってくると、そこにゴールは無かった。あったのは、それよりも先の風景。
気付けば、最後の組も、ゴールすらも追い越して、僕達はレーンを駆け抜けていた。
後に残ったのは、レーンの上に残った黒い焦げた跡と、ゴールして肩で息をする先輩達。そして、
「「「うわぁあああああ!!!」」」
今やっと状況に追いついた、観客達だった。
『ごぉおおおる!大逆転!東軍1年生が、トラブルをものともせずに勝利をもぎ取った!』
「なんて速さなの!?」
「ゴール手前で消えたように見えましたわ!」
「テレポート?いえ、でも、あのコースの跡はまるで…」
「流石は黒騎士様ですわ!」
「いやいや、それについて行けた、パートナーの子も凄いんじゃないの?」
熱い視線。送られる歓声。
そのどれもが、味わったことの無い感情だった。
それを受けて、僕は言い知れない歓喜を味わった。
蔵人君と共に祝福される事で、僕が今確かに、蔵人君の横にいるのだという実感が、僕の胸の中を満たす。
でもそれは、直ぐに引いていってしまう。
足の感覚が、また無くなってしまった。
正しくは、蔵人君との繋がり。
見ると、蔵人君が足の紐を外していた。
それは、ゴールしたのだから当たり前の事。競技が終わったのだから、外して、整列しないといけない。
でも、そう分かっていても、胸の内に湧き上がるこの感情は、何なのだろうか。
僕は、苦しくなって俯いてしまった。
すると、自分の瞳から、熱い物が落ちて、蔵人君の手に当たる。
蔵人君が見上げてくると、その表情は一瞬で険しくなる。
「どうした?西風さん。何処か痛いのか?気持ち悪いか?」
僕は慌てて、首を横に振った。
分からない。分からないけど、多分これは、悲しいんだと思う。
「ううん。なんかね。もう、終わっちゃったんだねって、そう思ってさ。蔵人君との二人三脚」
僕は急いで顔をゴシゴシした。それでも、目は腫れていると思うので、急いで空を仰ぎ見た。
青い空を、ただ見たくなったんだ。そうだ、きっと。
「楽しかったなって、あっという間だったなって、そう思っただけだよ」
顔を下ろした僕の目からは、また涙が零れてしまった。
でもそれは、待ち構えていた蔵人君のハンカチがキャッチしてくれて、涙の痕を優しく拭ってくれた。
蔵人君が囁く。
「終わってないさ」
「えっ?」
「まだ終わっていない。始まったばかりだろう?俺達の学園生活はさ」
涙を拭かれた後に見えたのは、何処かいたずらっ子な、でも、やっぱり優しい笑顔の蔵人君だった。
「また、出来るのかな?」
僕の問いに、蔵人君は首を横に振った。
「二人三脚は分からない。だけど、それと同じくらい楽しい事は、これからもいっぱい待っている。これからの人生、君が一生懸命にやったことは、必ず楽しくなるだろう」
そっか。いっぱい待ってるのか。
僕の胸の内に、またふわふわの何かが帰ってくる。
一生懸命に打ち込めば、楽しくなるんだね。
「ねぇ、蔵人君」
「うん?なんだい?」
「これからも、蔵人君も一緒に居てくれるよね?僕達が楽しい事をする時はさ」
僕は、蔵人君に笑顔を向ける。でも、内心はドキドキだった。
それは、蔵人君の表情が一瞬強ばったのを見て、余計に感じることだった。
前から、蔵人君が黒騎士と呼ばれる度に思っていた事だ。蔵人君が何処か遠くに行ってしまうのではないかと、言いしれない不安を感じていた。テレビで黒騎士が紹介されたと聞いた時は、冷たくなる感覚と、何処か諦めに似た感情が、胸の中をグルグルした。
その冷めた感覚は、今は無い。
蔵人君が口を開く。
「なぁ、西風さん。俺は…」
「桃花」
僕は、自ら蔵人君の手を取った。
冷たくなっていた彼の手を、僕の手が少しでも温めてあげられたらと思った。
「僕の事は、桃花って呼んでよ。蔵人君」
僕のお願いに、蔵人君は一瞬、目を見開いた。
でも直ぐに、苦笑いを浮かべて、頷いてくれた。
「ああ、分かったよ。桃花さん」
「うん!」
僕は嬉しくなって、ちょっと大げさに頷いてから、蔵人君の手を引っ張る。
既に整列を終えた先輩達の後ろに並び、競技場を後にする。
隣の蔵人君の唇が、ありがとうって動いた気がしたけれど、きっとそれは僕の勘違いだと思った。
二人三脚。西風さんのお話でした。
「まさか、これ程までとはな」
素晴らしい走りでしたね。
「西風嬢もそうだが、我が賞賛するのは藤浪の娘についてだ」
藤浪さん?えっと、岩戸中の?
あっ。命さんの水占い…。