169話~もう、お許し下さい!~
昼休み。
蔵人は教室棟とは別棟の教員棟に立ち寄った。
ここの1階に張り出されている、校内新聞を読みに来ていた。
鶴海さんに「校内新聞を読めば分かる」と言われたからね。気になって直行したのだ。
ちなみに、この教員棟は隣の第二部室棟と併設されており、最上階には空き教室が幾つかあるらしい。
それらは、ちょっと前まで美術部等が使っていたのだが、新しく第二部室棟を立てて移動したらしい。
それでも、その空き教室は重宝しているとか。
文化祭で使ったり、吹奏楽の練習室になるのだ。
他にも、夕焼けの景色が凄く綺麗に見える教室があるそうで、そこでは恋愛成就のスポットになっているとかどうとか。
これ全部、林さんが言っていた。
彼女、一人っ子なのに、桜城の事をよく知っている。
下手すると、若葉さんも知らない情報を知っているからね。意外と凄い娘だ。
吹奏楽部の情報網…なのだろうか?
校内新聞が貼りだされている”はず”の1階に到着した蔵人だったが、再度めまいを覚えた。
目の前には、人、人、人の壁。
本日何度目かという人の多さに、蔵人はその中に入るのを躊躇する。
『見たら分かるわ。記事は見られないかも知れないけど』
鶴海さんの言った意味が、少し分かった。
これじゃあ、記事は見られない。記事まで到達出来るビジョンが浮かばない。
蔵人は隣を見る。
そこには、解説役に連れてきた助っ人が、満足そうに読者達を見ていた。
「あれ全部、ビックゲームの記事を見に来た人なんだよね?」
「多分そうだよ。ここの廊下の壁一面に、地区大会から3位決定戦までを順に貼り出したから」
そう言って、若葉さんは向こうの壁を指さす。
「手前が全国大会。で、隣が関東大会、都大会、地区大会って順」
「関東大会から向こう側は俺も見たよ」
それでも、関東大会から向こう側も結構人がいる。
全国大会の記事は、もう貼り出して3日経っているらしいけれど、まだまだ人気は衰えないらしい。
特に人口密度が高いところは、生徒たちがギュウギュウ詰めになって、ある一点に視線が釘付けになっている。
蔵人から見て、手前が3位決定戦で、向こうに行くにつれて全国大会初期の試合が貼られているそうで、そのちょうど真ん中辺りが特に混雑していた。
普通、一番盛り上がった彩雲戦を見たがるものじゃないのかな?
蔵人は不思議に思い、その密集地帯を指さした。
「若葉さん、あそこは何処との試合が貼ってあるの?」
「ふっふっふ。あそこはね…岩戸戦のエリアだよ!」
貯めに貯めて言い放った若葉さんだったが、予想外の返答に、蔵人は驚いた様な困った様な変顔をする。
岩戸戦の見どころって何処だろう?俺が腕を斬られた所か?
蔵人は、場面を思い返したが、あまり絵になる…いや、全く絵にならない試合だと思った。
テレビだと、グロすぎてモザイクが掛かったレベルであり、みんながこぞって見たいはずもないと。
もしかして、特区のお嬢様お坊ちゃまは、スプラッター系が好きなのだろうか?
何かと異能力で勝負を決めようとしたりするので、脳筋が多いなとは思っていたが。
蔵人が微妙な顔をしているので、若葉さんはデジカメを取り出して、呼び出した画像を蔵人に見せる。
「もう、蔵人君、覚えてないの?ここだよココ!このシーンにみんな首ったけなんだよ!」
そう言って、見せてもらったシーンは…。
蔵人が地面に膝を着き、鶴海さんの腕を引っ張っている場面だった。
この場面は…何処だ?
ああ、試合が終わってテレポートされる直前か。
蔵人は、そこに映る写真が、確かに覚えのある物である事に気付く。
しかし、これが何なのか分からなかった。
蔵人が予想したスプラッターでも無ければ、試合中の写真でもない。ただ蔵人が弱っているだけの、絵のない写真だ。
「これに、首ったけ?」
つい零した蔵人の一言に、若葉さんは一瞬ムッとした。
そして、
「わーい!こんなに人気なら、岩戸中との試合、写真集でも出そうかな?」
わざとらしく、大きい声で、独り言を言い放った。
いきなり何を。
蔵人が若葉さんに抗議しようと開けた口は、言葉を発する前に閉ざすこととなる。
今まで壁と睨めっこしていた女子生徒達が、グルンッと一斉に首を捻り、踵を返して迫って来た。
「ほ、本当ですの!?」
「写真って、この騎士とお姫様の写真も頂けますの!?」
「貴女は、確かファランクス部専属カメラマンの!?」
「という事は、本当に!?」
「わ、わたくし、この写真に10万円まで出せますわ!」
「憧れの、黒騎士様の跪きですのよ?わたくしは50万円出しますわ!」
「これで、わたくしも黒騎士様のお姫様に成れますのね!」
「枕の下に入れますわ!」
「わたくしは額に入れて寝室に飾りますわ!」
一気に押し寄せる女子生徒の波。
蔵人は辛うじて、盾を出現させて押し止めているが、アクリル板は既に限界に近い。
ここは、戦略的撤退を!
「若葉さん、こっちだ!」
蔵人はアクリル板で女子生徒を押し退けながら、何とか退路を進む。
「まぁ!この盾、黒騎士様ですわ!」
「黒騎士様!お待ちになって!」
待てるか!
蔵人は必死になって、その場を脱出する。
「どう?分かった?」
追跡も撒いて、一息つくと、若葉さんがニヤニヤ笑いながら聞いてきた。
分かったかどうか聞かれたら、恐ろしいほどに理解出来た。
以前若葉さんが言っていた、強い男性への憧れが、あの写真には詰まっている。
それ故に、あんな高額な値段を付けてまで欲しがる娘もいるのだ。
奇跡の姉妹ユニゾンと戦った彩雲戦よりも人気なのは、そう言う事か。
蔵人は両手を上げて、若葉さんに降参を伝える。
「嫌という程、理解出来ましたよ。暴動が起こらない内に、何とかしてくれ」
最悪、写真集とやらも認めざるを得ない。
とは言え、あの様な法外の値段を付けるのだけは、阻止しなければならない。
蔵人は、試合よりも疲れる試合後のアフターフォローに、深いため息を着いた。
その日の放課後。
結局、勉強会は明後日の土曜日に行われる事となった。
場所は、みんなの中間地点である西風さんの家。
また西風さんに負担をかける采配となってしまったから、別の人の家にしないか?と聞いたのだが、西風家はウェルカムなのだそうだ。
また西風さんのお母さんが、蔵人に会いたいのだとか。
ちなみに、中間地点とは彼女達の中間地点であって、蔵人から見れば、誰の家もみな等しく遠い。
遠いが、蔵人は翼があるので問題なしだ。
桜城中等部の正門まで隠れながら歩いていると、目の前に見覚えのある車が止まっていた。
その車の付近で、見覚えのある集団が車へ乗り込む姿を目にする。
そうか、この時間に帰っているのか。
蔵人は、発進した車をスケボースタイルで追いかけながら、そんな事を考えた。
そうして車と並走していると、赤信号で止まった時に車の窓が開いた。
「兄さん!どうしたの?」
車の窓から現れた顔は、嬉しそうな頼人の笑みだった。
蔵人は済まなさそうに笑って、片手を振った。
「済まん、何でもないよ。ただ車が見えたからさ、挨拶だけしておこうかと思って」
心配掛けて済まないなっと、蔵人は謝る。
だが、その言葉を聞いたはずの頼人は、車のドアを開けた。
「乗ってよ、兄さん」
いや、挨拶だけって言ったじゃん。
折角の誘いだが、断ろうと思った蔵人。
だが、頼人の瞳は強い光を携えており、断れば押し問答が始まるだろう。
信号はそう待ってはくれない。
そんな中、ドアを開け放った車は発進する訳にも行かず、運転手に多大な迷惑を掛けてしまう。
結論、言われた通りに乗り込む蔵人。
目の前には、頼人を護衛してくれている女子生徒達が座っていた。
おお、椅子が向かい合う形で着いている。リムジンか?リムジンなのか?
蔵人は内心驚きながら、目の前の同乗者に頭を下げる。
「何時も頼人がお世話になっております。ええっと…」
頭を下げたはいいが、相手の名前をど忘れしてしまった蔵人。
冷や汗が頬を伝う。
「水無瀬さんだよ、兄さん。護衛のリーダー」
「失礼しました、水無瀬さん」
蔵人は改めて頭を下げる。
相手も、慌てて頭を下げ返す。
「とんでもありません!お兄様!私なぞに頭を下げないで下さい!」
「いえいえ。大変な失礼を。それに、何時も頼人がお世話に…」
「そんなっ、名前なんて。私は護衛で、依頼主である頼人様のお兄様がそんなっ」
「いえいえ、そういう訳には」
「いえいえ!」
「ストーップ!!」
ペコペコ合戦を止めたのは、頼人だった。
何やってるのと、少し呆れた様な顔で頼人が見てくる。
「まったく兄さんは、あんなに女子に追いかけ回されたのに、全然平気そうに見えるよ」
あんなに、とは。頼人にも見られていたらしい。
確かにこの2日間、蔵人は至る所で生徒達に迫られていた。
まるで山手線の満員電車状態に、サラリーマン時代と同じくヘロヘロであった。
そうではあったが、
「まぁ、あと数日もしたら治まると思うのだけどね?」
みんなの熱が冷めれば、治まる現象だと思っている。
言わばお祭りの様なものだと、蔵人は捉えていた。
次のイベント、例えば期末テストだとか、その先に待つ体育祭。はたまた、晩秋頃に予定されている文化祭などの催しが始まれば、自ずとファランクス部の夏は過去の物となるだろう。
そう言ったのだが、しかし、頼人の顔は晴れない。
「仮にそうだとしても、その間は兄さんが大変になるんだよ?本当に大丈夫?氷雨様に言って、護衛を付けてもらわない?」
頼人の提案に、蔵人は目の前の彼女達に視線を移す。
今の蔵人程ではないが、頼人の周りにも迫り来る女子生徒は大勢いる。
そんな女子生徒達から頼人を守り通してきた水無瀬さん達は、間違いなく立派な護衛だ。
こんな小さな少女達が、よく今まで頼人の壁になってくれたものだ。
「そうだな。水無瀬さんが護衛になってくれるのなら、しっかりと守ってくれるだろう」
多少、粗が目立つ時もあったが、一生懸命に仕事をしてくれる彼女達なら、護衛の任も安心して任せられるだろう。
蔵人は、正当に水無瀬さんを評価する。
したはずだった。
だが、評価を受けた水無瀬さんは、見る見る全身を真っ赤にさせて、両手で顔を隠して伏せてしまった。
何故だ?
「兄さんッ!」
な、なんだい?
「兄さんは、またそうやって、息をするみたいに女の子を口説こうとするね!」
「ふぁ!?し、していないぞ!」
何処が口説き文句だ!
蔵人は珍しく、言葉を荒らげる。
「いいや、バッチリしてるよ。実際、水無瀬さんがこんなに真っ赤になっているんだよ?護衛じゃない女子だったら、飛びつかれても仕方が無いよ!」
「いやいや、今のは正当な評価だ。実際、水無瀬さん達は頼人を良く守ってくれているんだろう?素晴らしい護衛じゃないか」
蔵人の評価に、今度は水無瀬さんから声が上がる。
「もう、お許し下さい!心臓が、持ちません!」
ええっ…。
口説くって、仕事頑張ってますねって言葉すら口説き文句になるの?それはおかしいんじゃない?
蔵人は視線を迷わせるが、しかし、味方になってくれそうな顔は見当たらなかった。
堪らず呟く。
「この世界、ハード過ぎないか?」
異世界で冒険者やっていたり、ゾンビ相手に機関銃ぶっ放している世界の方が、ある意味楽だったと思えてしまう。
そんな様子の蔵人に、頼人が溜息を着く。
「まったく、兄さんに必要なのは、その身を守る護衛じゃなくて、兄さんのズレた意識を正す秘書だよ」
頼人の提案に、周りの護衛諸君も頷く。
「そうですね。蔵人様は、十分お強いですし」
「Aランクの攻撃を、たった独りで受けきってしまうんですから」
「寧ろ、私達がいたらお邪魔でしょう」
なるほど、秘書か。
蔵人の頭の中に、1人の人物が思い描かれる。
何時もサポートしてくれた、白いボディの優秀な相棒の事を。
そう言えば、お前さんもこの世界に来ているのかい?
「兄さん、聞いてる?」
蔵人の顔が緩んでいるのを、頼人は目ざとく見抜いて、釘を刺してきた。
「…ああ、聞いてるよ」
蔵人は、思考と共に視線も戻す。
そう言えば、頼人の髪色は徐々に銀色に近づいている。まるで、あの相棒の様に。
案外、頼人が相棒だったりして。サマーパーティーでも、ちゃんとサポートしてくれたし。
「頼人の言う通り、秘書がいたら助かるよ。なんなら、頼人が秘書になってくれないか?サマーパーティーでも、頼人のサポートは凄く助かったよ」
蔵人は、笑顔で手ぐすねを引く。
しかし、頼人まで顔を少し赤くし始めてしまった。
あれ?もしかして怒った?秘書なんてやりたくなかったのか?
「に、兄さんは、兄さんが!」
目をぎゅっと瞑って、震える指先で蔵人を指し示す頼人。
「僕まで口説こうとしている!」
ええっ…。
蔵人は絶句した。
頼人の顔が元に戻るのに、少し時間が掛かった。
車のフロントガラスから巻島本家の姿が見えた。
巻島家の周囲も、同じように大きな御屋敷が立ち並んでいる。
特区の中でも、ここ周辺は超富豪区域なのだろう。
自然と、車の速度も下がる。
こんな所で交通事故なんて起こせないからね。制限速度遵守。
「ふぅ…」
巻島家の敷地に入って早々、頼人が一息着いた。
隣には頼人を一生懸命に仰ぐ水無瀬さん。
頼人が困ったという顔をして、分かりますと言いたげに水無瀬さんが頷いている。
蔵人という共通の問題児に、2人の仲が深まった様に見える。
解せん。
「兄さん、本当に気を付けてね」
「善処するよ」
そう言う蔵人だが、どう褒めても過剰に喜ぶこの世界の人達に、匙を投げそうになっている。
どうにかなるだろうって。
しかし、素直にそんな事言ったら、頼人に心労を掛けるだけなので、余裕ぶって頷くに留める蔵人。
そんな蔵人を見て、頼人の顔に少し笑が戻る。
「でも、そんな兄さんだから、この前のサマーパーティーは好評だったんだろうね」
「好評?どういうこと?」
その評価が何なのか分からなかった蔵人が、首を傾げると、頼人が得意げに咳をする。
「瑞葉様から聞いたんだけど、パーティーが終わった後に、主催者である桜城高等部の理事長から直接、氷雨様にお礼の電話があったんだって。参加した家の人達から、パーティーの評価がとても良かったって。その理由が、兄さんの対応が良かったって言われたそうだよ」
対応が良かったと言われても、蔵人は思い当たる節が無かった。
ご令嬢達からは、逃げの一手を打ち続けたし、他には…。
「もしかして、あの決闘の事を言っているのかな?」
余興としては、確かに見どころ十分だったかも知れない。何せ、爆発の派手さとCランクが活躍する意外性は十分だろう。
だが、あれは殆どが二条様の手腕に寄るものである。
獄炎の異能力は彼女の物であり、彼女でなければ出来なかったパフォーマンスだ。
そう蔵人は考えたが、頼人が首を横に振ったので、その考えを捨てる。
あれ?決闘じゃないの?
「兄さんと二条様のノブルスも確かに凄かったけど、お姉さん達が言っているのは、兄さんの受け答えの方みたいだよ。言ってたでしょ?綺麗だとか、美しいだとか、口説いていたでしょ?」
「良いか頼人よ。口説いていたのでは無い。あれは社交辞令である。ただ相手を拒絶するだけでは、角が立つのが貴族社会。それ故に言葉を濁し、濁した言葉を気取られない為に、少し香る花を添えたのだ。言わばまやかしの造花さ」
「その造花を送られたお姉さん達が、舞い上がって家の人に言ってるらしいよ。兄さんは素晴らしいって。是非私の主催するパーティーでも、僕と一緒に参加して欲しいって」
な、なんと言う事だ。この世界の住人は、そこまで誉め言葉に飢えているというのか。
驚愕する蔵人に、頼人は含み笑いを向ける。
「もしかしたら、またすぐに声が掛かるかもしれないよ?」
「おお、そうか。護衛なら任せてくれ」
「護衛じゃないかもよ?」
「そいつはご免被る!」
キラキラ衣装も、ダンスもまっぴら御免だからな。
蔵人が完全否定すると、頼人は楽しそうに笑う。
「分かってるよ。兄さんがそう言うの嫌だって。でも、兄さん1人が呼ばれる事もあるかも知れないよ?優秀な男性の護衛だって、氷雨様も喜んでいたもん」
なんと、あの氷雨様までもご評価下さるのか。
確かに、男性の護衛は貴重だ。女性ではトイレまで入れないし、サマーパーティの時みたいに、女性同士だと角が立つ所を治められたりする。
最悪、蔵人が護衛対象の身代わりとなり、ご令嬢を相手にする事も出来る。
それに、蔵人の異能力はシールドだ。防御と言う面においては、オールラウンダーの水無瀬さん達よりも適任だろう。
「なるほどな。分かったよ。いつ依頼が来ても良いように、覚悟して…いや、楽しみにしておく」
蔵人がそう言って挑戦的に笑うと、頼人も嬉しそうに笑う。
「うん。僕も、楽しみだ」
話が一区切りした時、車は巻島本家の駐車場に着いた。
「ああ、そうだ。頼人」
蔵人は車から降りる時、二三頼人と言葉を交わしてから、宙に体を浮かせる。
「じゃあ、またな頼人」
「またね、兄さん」
徐々に小さくなっていく兄の背中を、頼人の目は暫く追い続けていた。
巻島本家から少し離れた路地裏。
そんな暗い場所から、
「………」
鋭い視線が、飛び去る蔵人の背中を射抜いていた。
ええっと…。私はここに居ます。
「何の話だ?」
何でもありません。
それよりも、漸く主人公が自覚し始めましたね。岩戸戦の事や、サマーパーティーでのやらかしなどを。
「要らんところで愛想を振りまくからな、あ奴は。引っ張りダコになっても知らんぞ?」
既になっていそうですけどね。
干されて、干しタコにならなければいいのですが…。
「そいつは、さぞかし酒に合う肴になりそうだ」