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164話~ポーツマス条約を知っているかな?~

机の上に肘をつき、落とした首をその両手の上に乗せるディさん。

そして、


「…そうか。努力、か。くっ、ふふふっ」


突然、笑い出した。


どうしたのだろうか?あまりに馬鹿げていて、失笑したのか。

はたまた嘘を吐かれたと思って、怒りで笑いが込み上げて来たのか?

蔵人のそんな心配を他所に、ディさんは顔を上げる。

すると、


「ありがとう。君を直接ここへ呼んだのは、やはり正解だったようだ」


そう、感謝の言葉を述べて来た。

嫌味とかでは無い。

純粋に、蔵人に感謝している風の微笑みだ。


その後のディさんの質問は、蔵人がどんな努力をしたのかについて、詳しく聞いていた。

だから蔵人は、幼い頃からやっていた魔力循環の方法や、ちょっと前に伏見さんに行ったアドバイス等を掻い摘んで説明した。

自分の強みを探して、アイディアを広い視野で探しなさいと言う考え方だ。


ある程度の質問を返すと、ディさんは、ふぅと息を吐いた。


「いやはや。まさかここまで具体的に、それも理論的に、覚醒への道筋が明らかになるとは思わなかった」

「そんな、大袈裟な」


蔵人はつい、突っ込んでしまった。相手がお偉いさんだと言うのを完全に失念していた。

だが、仕方がない。

たかが自主練の方法を、それも在り来たりな根性訓練を指し示して、覚醒なんて大層な名前を持ち出されたら、こっちが恥ずかしい。

Sランクの軍上層部が欲する有益な情報とは、未だに思えなかった。


だが、ディさんは低い声で、蔵人の突っ込みに返してきた。


「決して、大袈裟などでは無いのだ、蔵人くん。今まで覚醒という事象がどの様に起こるのか、我々は把握することが出来なかった。極々稀に現れる覚醒者の誰もが、己の辿った道筋を具体的に指し示す事が出来なかったのだからな」


そう言って、ディさんが説明してくれた。

日本にも、自分の様に異能力を桁違いに操れる者が稀に発見された。

その殆どはDランク以下の子供達であり、稀にCランクでも覚醒する者が現れた。

しかし、彼女達に覚醒するに至った経緯を質問しても、「何となく」だったり「気付いたら出来るようになっていた」などの感覚的な回答しか返ってこなかったのだ。


家の秘術?何処かの国が一枚噛んでいる?

そう考えた政府は、彼女達に特別な地位と待遇を保証し、特区の中の、更に最深部で囲い込みを行った。

彼女達の行動パターンや食生活などから、覚醒へと至る道を探りだそうとしていたのだ。


勿論、そんなことでは覚醒の道は見えなかった。

彼女達は恐らく、所謂天才という奴で、無意識に異能力の神髄を理解していたのだろう。

だから、彼女達の当たり前は、一般の人間の非常識であり、到底理解できるものではなかった。


「だが、今この研究にも光が差した。君の提示した方法なら、あるいは人工的に覚醒者を生み出せる可能性がある」


ディさんの熱の入った言葉に、蔵人は考えを改めた。

誰でも思い付きそうな方法なのに、何故こうも感謝されるのか。

それは、まだこの異能力に関して、人類は多くを理解出来ていないからだ。

世界中で認知されてから、既に100年近くの年月が経っている異能力だが、100年と言う数字はそれ程長い歴史では無い。


例えば、人間の体のメカニズムについても、解明され始めたのはつい最近の事であり、50年も前だったら、まだまだ解明されていない病気や体の働きばかりだった。

一つ例を挙げるなら、脚気。この病気はビタミン不足から来る病気だが、第二次世界大戦頃にはそのメカニズムが解明されていなかった。

結果、米ばかりを食べていた日本兵は次々に倒れ、帰らぬ人となった。

記録によると、大戦で死んでいった日本兵の大半は銃弾ではなく、これらの病や飢餓によって亡くなったという。


身近な事象でも、同じようなことがあった。

兎飛びをやった方が強くなるとか、水を飲むと弱くなるなどと言った迷信が、平成初期くらいまで普通に広がっていたのだ。

そのせいで、当時の運動部員は殆ど水も取れず、熱中症で死亡した事故も起きていた。

熱中症を知っている今の我々では恐ろしく感じるが、当時は運動中に水を飲むことの方が非常識であった。


人類が生まれて何万年と使っているこの体の事も、ようやっと最近分かって来たばかりだ。

100年ちょっとの歴史しかない異能力の研究が、まだまだ途上というのは仕方がない事だろう。


それに、異能力は軍事秘密に触れやすい分野であり、最新の情報は各国が秘匿されている事も多い。公にされていない分野とは、研究がなかなか進まないものである。

多くの人間が議論と研究を積み重ね、英智を蓄積していかないと、物事の解明とは恐ろしく時間の掛かるものだから。


「何か気になる事があるのかね?」


いつの間にか考え込んでいた蔵人に、ディさんが心配して声を掛けてくれた。

蔵人は急いで顔を上げて、首を横に振る。


「いえ。私などが異能力発展の助力になれるとは思わず、少し驚いてしまいました」

「ああ、異能力の研究とはある意味、人体実験の様なものだからな。なかなか進まない分野ではある。特に、この日本ではなかなか難しいものがある」

「日本では難しい?」


ディさんの言い回しが気になった蔵人は、つい質問をしてしまった。

それを、ディさんは1つ頷いて、答えてくれる。


「他国、特に列強諸国に比べ、日本は覚醒者の研究に消極的な傾向にある。外科技術然り、異能力研究然りな」

「なるほど、解体新書ですね」


杉田玄白が中心となって翻訳した、西洋医学の日本訳書だ。それまでの日本では知られていなかった医学がてんこ盛りのその本は、日本の医学の針を大きく進ませた。

しかし、裏を返せば、当時の日本の医学とはそれだけ遅れていて、その要因の一つに、日本人が人体の解剖を行わなかった事が上げられる。

死人の体を切り刻むとは、なんと罰当たりな!という理由で、外科技術は恐ろしく遅れていたのだ。

それが今、異能力でも起きているという事か。


「よく知っているな。君は頭も良いらしい」

「えっ?あ、いえ、とんでもございません」


突然の褒め言葉に、蔵人はドギマギした。

こんなことで褒められるとは、思ってもいなかった。

そんな蔵人の様子に、ディさんは苦笑した。


「謙遜することは無い。君は先程から、私の話をすぐに理解し、自分の意見を言葉として表現している。とても優秀な研究者になる条件を有しているぞ。なんなら、今から私の元で…あ、いや。君はまだ中学生だったな」


ディさんは軽く頭を振り、考えを切り替える素振りを見せる。

そして、すぐに顔を上げて、話の続きを語り出す。


「日本は元々、覚醒者の研究には消極的。これは、仏教などの教えも確かに影響している。だが、一番の大きな理由は、日本政府の政策に寄るところが大きい」

「えっ?政策?」


てっきり蔵人は、仏教と神道の普及が大きな理由と思っていた為、政策という意外な方向の話に、つい前のめりに心と体を向けてしまう。

蔵人の疑問に、ディさんは大きく頷く。


「これを話すには、いささか歴史のページを紐解く必要がある。そうだな。蔵人くんは、ポーツマス条約を知っているかな?」

「はい。日露戦争の終戦に締結した、講和条約ですね」


ロシアのバルチック艦隊を打ち破った日露戦争での条約。これは、アメリカが仲介役として結びつけた条約で、まだまだ戦うつもりのロシアを抑え、何とか錦を飾りたい日本の思惑を実現させることに成功した講和であった。

のだが、


「その通りだ。だがその条約は、戦争で失った者達に対して、あまりにもリターンが少ない物であったのだ」


勝った日本が得たのは、満州鉄道の権利と、樺太の一部くらいであった。本当に欲しかった賠償金は一切手に入らなかったのだ。

領土と賠償金をたんまり貰った日清戦争と比べると、得た物に対して余りにも犠牲が多すぎた。


こうなると、日本では経済が大混乱となる。

期待していた賠償金が手に入らなかったことで、弾薬や戦艦に費やした戦費が殆ど返って来ず、それらを作っていた工場が次々と潰れ、職を失う人が大量に生まれてしまった。

日本の大不況。ハイパーデフレだ。


史実の日本でも、この時に民衆運動、いわゆる大正デモクラシーが盛んとなった。

日本の大不況、そして世界恐慌の煽りを受けて、民衆は貧困に喘いだ。

そんな中で、日本政府は弱腰外交(と当時は批判された、欧米との融和策)を行っており、政府に対する民衆の不信感が募っていった。

逆に、強硬路線を説いていた軍部が民衆の支持を集め始めて、徐々に軍部が政治を乗っ取り出す。


軍部は植民地だった満州を更に拡大し、そこで利益を生み出し、日本の経済復興に当てるつもりであった。

だが、国連の各国からは批判が相次いでしまった。日本は危険だ。覇権を狙っていると。

「じゃあ国連から脱退してやるよ!」と日本は国連から脱退する。

すると今度は、欧米からの経済制裁を受け「植民地化は、お前達だってやってきた事だろっ!」と反発した日本の軍部が連合国との全面戦争、つまりは太平洋戦争に突入した訳で…。


その経緯が、この世界では大きく異なる。

ポーツマス条約、更には世界恐慌のあおりを受け、満州国を広げようと画策していた事までは史実とそれ程大きな違いは無い。


変わるのはここから。

陸軍が捏造した満州鉄道の爆発、所謂(いわゆる)満州事変だが、この世界では陸軍の仕業ではなく、本当に中国現地民が行った。

そう、中国現地民の中から強力な異能力者が現れたのだ。


その後の流れは、他の第一次世界大戦末期の各国と一緒で、「私達の国から出ていけ!」と牙を向いた中国人女性達に、大日本帝国陸軍はしっぽを巻いて撤退。

腹いせに進軍した日本海軍誇る連合艦隊も、待ち受けていた中国人異能力者にほぼ全ての艦隊を沈められ、軍部は急速に力と国民の支持を失った。

そこへ、民衆運動が盛んだった国民達が、軍本部を襲撃。軍部に実効支配されていた政治を取り戻し、一気に民主化が進み、今の日本の原型が形成され始めていった。

だが、


「政権が代わっても、日本がデフレなことは変わらない。どうにかして経済を立て直す必要があった」


だが、日本は資源が乏しく、中国やアメリカの様に自国の資源で稼ぐことが出来なかった。

そこで活躍したのは、これまた異能力だ。


異能力の有効利用を考えた際に、まず一番に有力視されたのが発電事業だった。

近代化するためにも、工場や船を稼働させる為のエネルギーが不足していたからね。

1900年代初期の日本では、送配電網が徐々に整備されており、電力の需要が高まっていた。

史実では、石炭による火力発電や水力発電により、今までガスや蒸気で動いていた産業が、徐々に電力へとシフトしていく。


しかし、この世界では異能力という新エネルギーが生まれ、当時高騰していた石炭に比べて驚くほど安価に、そして安定的に電力の供給が望めた。

日本政府は、同盟国で当時植民地を一挙に失って貧困していたイギリスと協力し、幾つも異能力用の発電所を造り、異能力者による発電事業を推し進めていった。

日本の電力事業が一気に促進されると、工場は電化し、一気に生産力が向上。日本人本来の技術力も合わせることで、他国から鉄鋼材や電子部品の素材を購入し、高品質な加工品を比較的安価で輸出した。

所謂、加工貿易という奴だが、これが低迷していた経済を見事に盛り上げ、高度経済成長とまでは行かないまでも、技術大国日本として世界に認知される程に成長を遂げた。


「強大な異能力による経済政策は、今の日本の、いや、世界各国の屋台骨だ。これを維持する為には、少しでも魔力の多い人間を揃えることが何よりも重要であった。そこで、政府が主体となって推し進めたのが”魔力絶対主義”という思想だ」


なるべく強い異能力を放ちましょう。少しでも多くの魔力を出力できるようにしましょう。

幼い時から教えられる異能力訓練のバイブルは、当時政府が掲げた政策の思想が強く反映されたもので、今でも強く推される訓練方法である。

少しでも出力の大きい異能力は、経済の発展に不可欠なものであるから。

それが発展して、ランクという格付けになり、魔力があればあるだけ優秀であるという魔力絶対主義が浸透している理由だった。


なるほど。この国の成り立ちと魔力絶対主義の関係がよく分かった。だが、


「ディ様。1つ、よろしいでしょうか?」


蔵人が手を上げると、ディさんは微笑みながら頷く。


「ああ、構わない」

「ありがとうございます。ディ様が覚醒者を研究されるのは、何故なのでしょうか?」


蔵人の質問に、一瞬動きを止めたディさんだったが、すぐに肩をすぼめて戯ける。


「私も変わり者でね。人の可能性というものが見たいのだよ。覚醒者とは、言わば魔力絶対主義とは違う強者への道。そうだな、技巧主要論とでも言おうか」


ディさんのワザと軽く言っている様な口ぶりに、蔵人は遠慮しなかった。


「貴方が研究者なら、その話も信じましょう。ですが、貴方は軍人だ。軍人は、必ず上からの指示で動く。そして上は、必ず実利の為に動く。違いますか?」


軍人というのは、1つの組織に組み込まれた歯車だ。仮令、彼が軍部上層の人間とは言っても、動くには必ず何かしらの意図がある。

それも、上層部の人間が動く意図となると、国家級の思惑が絡んでくるだろう。

ただの個人研究で、態々、国賓を迎えるパーティーを利用してまで蔵人を招いたりしない。

必ずこれは、国の意思が入った案件だ。

そして、今まで推し進めていた思想を変えてまで行う大規模な改革には、何らかのバグが関わっているのでは無いかと、蔵人は考えた。

そう、例えば、


「世界各国で起きているテロ事件。それが本当は、高ランク異能力者が居ることで起こる、何らかの災害なのではないですか?だから、低ランクの異能力者でも活躍できるように、覚醒のメカニズムを解明したい。いかがでしょうか?」


若葉さんと共に探っている世界の真実。それと、ディさんから伺った話を加味して考察してみた考えだ。

国防の面で考えても、高ランクの異能力者は多ければ多いほどいいだろう。

そんな中で、ディさんはDCランクしか現れない覚醒者に、スポットを当てようとしている。

魔力絶対主義の最高峰、Sランクであるにも関わらずだ。

ならばそこに、高ランクに頼れない何らかの事情があるのではないか。

そう考えた蔵人の推測に、


「君は、何者だ?」


低い声が、帰ってきた。

瞬間、ディさんの魔力が膨れ上がった。

サングラス越しでも分かる彼の鋭い瞳が、蔵人を射貫く。


「先ほど君を、頭が良いと称したが、あれは間違いだった。君は、良すぎる。あまりにも聡過ぎる。ただの学生?馬鹿な、有り得ない。君は」


ディさんが立ち上がる。


「君は、何処のスパイだ?」


蔵人に向かって、片手をかざすディさん。

返答次第では、お前を消すぞと言わんばかりの行動。

それに、蔵人は…。

不味いですよ!

突っ込み過ぎましたか?

まさか、消される!?


イノセスメモ:

魔力絶対主義の成り立ち…

・日露戦争、世界恐慌の煽りを受けて、日本は超貧乏に。

・軍隊も中国にボロ負けして、民主化へ。でもやっぱり貧乏。

・異能力で発電して、エネルギー問題解決。ついでに高品質な商品作ろうぜ!

・めっちゃ売れた。日本復興したぜ。やっぱ異能力しか勝たん。

・経済を支えるためには膨大な魔力量が必要だ。魔力量が多い奴を優遇して、もっと魔力の多い人間を増やそう!

・魔力量毎に、ランク付けしまーす→魔力絶対主義へ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 覚醒条件とかとんでも情報の手がかりくれる+めちゃくちゃファランクスとかで世間から目立ってしまってる この二つからでももうすでにスパイの可能性ほぼないと思うんだけど あるとしても話題性で近づ…
[一言] 蔵人と頼人は戦う事になるだろうなと思ってたのでこれが伏線ですね
[一言] ディさん、壮絶な勘違いですねー。 スパイも何も、自分たちで調べた結果、問題ないと判断したからこそ、蔵人と会ったんでしょうに。 自分たちの力を過信しないのは良い事ですが、その疑念はそっくりその…
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