163話~是非とも教えて欲しいのだよ~
サマーパーティーが終わり、さて帰りますかと荷を下ろした蔵人の背に、橙子さんが待ったを掛けた。
蔵人が「御用は何でしょうか?」と聞くと、彼女はビシッという音がするくらい機敏に頭を上げ、真っ直ぐに蔵人を見つめて敬礼した。
「はっ!要件は、我々のマスターが蔵人様との会談を切に希望されており、今から所定の場所へとお連れしたく、こうしてお声掛けをさせて頂いた次第であります!」
ハキハキと話す橙子さんに、蔵人は威圧されそうになるも、真っ直ぐに見つめてくる彼女の様子に敵意は全くないのを見て、蔵人も姿勢を正す。
もしかすると、先ほど手を叩かれた時に言っていた「強引過ぎる」という言葉と、何か関係があるのかもしれない。
取りあえず、詳しい話を聞くことにする。
「会談、ですか。マスターとは、どのような御方なのでしょうか?私のような子供が、どんなお役に立てるのかも教えて頂きたいのですが」
話したい、来てくれないかと言われても、呼び出す内容も分からなければ、相手の素性も分からない。
せめて、それくらいの情報が無いと、善し悪しの判断も出来ない。
もしかしたら、何処かの企業の囲い込みや、裏組織に人身売買される可能性もあるからね。
そう思って橙子さんに問うたのだが、彼女は大きく頭を下げてしまう。
「申し訳ありません。マスターに関する情報を開示する権限は、自分にはありません。お話したい内容においても、公の場では決して口にするなと緘口令を敷かれている状況であります。よって、この場で詳しい内容を口にすることが出来ません」
本当に申し訳なさそうに顔を伏せて、橙子さんは謝る。
なんだか怪しい話だな。
蔵人がそう思ったのが顔に出たのか、橙子さんは顔を上げて早口になる。
「決して、貴方に不利となるお話ではなく、危害を加えるようなことは一切ありません!マスターは、貴方に大変興味をお持ちであり、貴方と話すことで、よりよい世界を作りたいと所望している次第であります!」
彼女の表情は一切変わらず、ジッとこちらを見つめ続けている。
だが、その口調や息遣いからは、そのマスターがあらぬ疑いを受けないようにという必死さが伝わる。
それだけで、そのマスターとやらが、自分に強い関心を持っているのは本当なのだろうと推測できる。
また、橙子さん自身も、マスターに対して高い忠誠心を持っているのだろうと、その様子から分かった。
だから、ここで断るのは忍びない。
そのマスターの目指す世界と言うのも、少し興味がある。
それに、橙子さんは軍学校の生徒だ。そのマスターと言うのも、軍の関係者である可能性が非常に高い。
多少のリスクはあるが、ここで軍関係者と接触して、世界の秘密に少しでも近づいておきたい。
蔵人は橙子さんを見返して、人差し指を立てる。
「橙子さん。それでは、幾つか条件を出します。それらを全て呑んで頂けるのでしたら、会談に臨ませて頂きたく思います。
一つ、私が話したくないと判断した内容については、黙秘権を行使する権利を認めていただくこと。
一つ、私に対して身体的な危害を加えない事。またドミネーションやそれに類する異能力による精神汚染を行ったり、特定の宗教、団体への勧誘を一切行わない事。
一つ、私が帰宅の意思を見せた場合、それを妨害せず、速やかにこれを実行すること。
一つ、私が外部へ連絡を望む場合、それを阻まず、最大限私に協力すること。
以上を厳守することを、マスターさんにお聞きしていただきたいのですが」
なるべく会談を実現させたいと思い、条件を考えながら上げたのだが、随分と注文が多くなってしまった。
これでは、面倒な奴だと思われて、向こうから接触を拒むんじゃないかと蔵人は思った。
だが、橙子さんがどこかに電話を掛けて、その条件を向こうに伝えると、あっさりと了承の返事を貰えたみたいだった。
携帯電話を耳から離した橙子さんが、若干目元を緩めてこちらを見る。
「蔵人様。蔵人様の条件を必ず全うすると、マスターが明言されております」
そうですか。
全うしてくれるのなら、行ってみるかな。
「分かりました。では、案内をよろしくお願いいたします」
「少々お待ちください」
蔵人が承諾すると、橙子さんは再び耳に携帯を当てて、向こうに2,3言葉を伝える。
そして携帯を降ろすと、こちらを向いて、右手でビシッと敬礼をした。
「それでは、行ってらっしゃいませ、蔵人様!」
えっ?行ってらっしゃい?
蔵人の疑問は、しかし、口に出す前に吞み込んでしまった。
目の前にいた橙子さんが消えて、真っ白な壁になってしまったからだ。
壁?何で、いきなり現れた?
蔵人は驚いて、一歩下がる。すると、そこがどこかの部屋の、かなり高級なホテルの一室であると分かった。
テレポートさせられたのか?橙子さんはテレポーターだったのか?
そう思った蔵人だが、しかし、周囲に橙子さんの姿は見当たらない。
それどころか、
「なっ!?」
蔵人は後ろを振り向いて、愕然とした。
そこには、ホテルのバルコニーに繋がる大きなガラス戸があり、そこからは絶景が広がっていた。
夕日を背中に背負う、見上げるほどの大きさを誇る山が、ガラス戸一面に聳え立っていた。
8月だというのに、その山の山頂には薄っすらと雪が積もっている。
富士山という絶景が、目前一杯に広がっていた。
バカな!こんな大きさ、静岡や山梨じゃないと見られないぞ!
蔵人はガラス扉に張り付く。
広がるパノラマは映像でも張りぼてでもなく、見まがうことなく本物の霊峰富士だ。
つまりそれは、蔵人が一瞬で、東京から静岡までをテレポートしたことを意味する。
人間一人を一瞬で、何百キロも離れた場所に移動させられるだけの魔力。それは、Aランクに出来ることではない。
まさかこれは、Sランク並みの力が…。
「マウンテン富士がお気に召したかな?」
突然、何処からか男性の声が聞こえた。
蔵人が富士山から視線を切り、そちらに振り向くと、隣の部屋で大きなソファに座った人物と目が合った。
いや、目が合った気がしただけだ。何故なら、その人はサングラスを掛けていて、直接目が見えない状態であったから。
それでも、その人物が恐ろしく美形で、そして外国人、若しくは外国の血を引いているのは一目瞭然であった。
少しくすんだ金髪を肩まで伸ばし、すっと通った鼻筋が、サングラスをしっかりと支えている。
恐らく橙子さんのマスターであろうその人物は、蔵人が視線を送ると同時に立ち上がり、スッとこちらに手を差し出して握手を求めてきた。
「ようこそ、巻島蔵人君。突然の招待にもかかわらず、受けてくれて光栄だ。私の事は、ディとでも呼んでくれたまえ」
スマートな立ち居振る舞い。そして、甘いマスクと渋い声。
間違いなく年上。そして上位の存在。
そんな人が、中学1年生に対してとても丁寧な歓迎をしてくれている。
蔵人は急いで、そのディと名乗る美男に近づき、ソファとソファの間に設置されたテーブル越しに、ディさんの手を取った。
「巻島蔵人です。お会い出来て光栄です。ここまでお招きいただいたのは、ディ様のお力でしょうか?」
彼から漂うオーラは、以前お会いした雷門さんに似た、ビリビリと張り付くそれである。
恐らくは正解だろうと考えながら繰り出した蔵人の質問に、しかし、ディさんは少し微笑んでから首を横に振る。
「済まないが、私の事に関してはあまり多くを語れないことになっていてね。君の想像に任せる、という事にしておいてくれないか」
歯切れ悪く言う彼の言葉に、蔵人はある程度の理解を示す。
もしも彼が、蔵人の想像する通りにSランクのテレポーターだったとしたら、その存在は国家レベルの超重要機密事項となるはず。
その存在の詳細は極秘事項であり、情報が洩れれば、国家の存続すら危ぶまれるレベルの秘密なのだろう。
史実で例えるならば、最新鋭の兵器開発情報だったり、他国に潜入させているスパイの詳細情報と同レベルであろう。
国家機密とはそういうものだ。
仮に、ディさんがそのレベルの人物だとしたら、その異能力の事は勿論の事、彼の名前すら教えられないはず。
ディと名乗ったのは、彼なりの誠意なのだろう。
そんな大物と接触できたのは、この上もない幸運。
彼ならば、この世界の裏側も全て知っている筈だ。
蔵人が色々と考えながら握手を終えると、ディさんはこちらの方に手を向けて、蔵人の後ろにあるソファを示す。
「まぁ、立ち話もなんだ、掛けてくれ」
流調に話す日本語とその名前から察するに、かれは欧米の血が入っている日本人ではないかと思う。
だが、座る際に一瞬見えたその目には、コバルトブルーの瞳が輝いていた。
ハーフにしては、随分と向こうの血が濃い人だ。
蔵人がソファに腰かけると、早速ディさんが口を開く。
「君のことは少し調べさせてもらっている。ああ、心配しなくていい。君をどうこうする為ではなく、純粋な私の興味で探らせてもらっただけだ」
身辺を調査される事に関しては、蔵人は特段顔色を変えなかった。
調べられて不味い過去は無いからね。少なくとも、この世界に来てからは何も。
それに、ディさんは恐らく軍のエリートだ。予備隊の橙子さん達のマスターであるから、軍関係者であることは間違いなく、加えてSランクとなると、軍の上層部である可能性が非常に高い。
雷門様がそうであったからね。
地位もあり、貴重な存在である彼と対面する者が、何処の馬の骨とも分からん奴では不味かろう。
徹底的に調べ上げられ、危険がないかと吟味されるのは当然だ。
寧ろ、調べた事を公表してくれる分、こちらを嵌めたり、手玉に取るつもりがないと取る事が出来る。
本当に蔵人をどうにかしたいなら、面と向かって会わないし、全くの初対面という体を取り繕い、こちらを油断させる事も出来た筈だ。
そうしないのは、ディさんが純粋に、自分との対話を望んでいるからでは無いかと、蔵人は推測した。
蔵人は苦笑いを貼り付け、頭の後ろに右手を回す。
「お恥ずかしい限りです、ディ様。それで、私のどのような部分にご興味を持って頂けたのでしょうか?」
「うむ。それは色々と有る。調べれば調べる程、君の過去には驚かされる部分ばかりだったからな。Eランクという生まれでありながら、今ではC+まで魔力ランクが急上昇した事。ご両親が居ない状況で、ほぼ独学でAランクをも圧倒する強さを手にした事。上げればキリがないが」
ディさんが体勢を変える。ソファの背から背中を離し、曲げた両膝に両肘を乗せて口元で手を組む。
少しだけ、蔵人の方に近づくディさんの顔。
「私が一番君に興味を持った事柄は、君のその、異能力の使い方についてだ。クリエイトシールドと言う、決して恵まれぬ力を持ちながら、どうやって覚醒という狭き門をくぐる事が出来たのかを、是非とも教えて欲しいのだよ」
うん?覚醒?狭き門?
何処かのゲームに出てきそうな単語に、蔵人は目を瞬かせる。
覚醒と言うと、ゲームのキャラクターを一段階強くしたり、新たな力を発見するような感じだったよな?
俺はそんな風に、一気に強くなったことがあったかな?あるとしたら、頼人の能力熱を解消した時くらいか?
蔵人が必死になって、過去の自分を思い出していると、ディさんが謝ってきた。
「ああ、済まない。覚醒というのは、我々の間でしか使われん業界用語だったな。君の異能力で例えると、ランパートやダウンバースト、ミラブレイクがそれに当たる。言わば、並外れた異能力の活用方法を示す言葉だと思ってくれ」
そう詳しく説明してくれたディさんだったが、蔵人は逆に困ってしまった。
魔力が格段に上がった方法なら今思いついたのに、覚醒とはその事では無かったからだ。
蔵人は、なんと言っていいか悩みながら、言葉を紡ぐ。
「ええっと、ディ様。私からすると、ランパートもシールドクラウズ系も、何となく、こんな技だったら強いのでは無いかとか、ちょっとやってみようと思って組み上げた技でありますので、先ほど仰られた、覚醒、と言っていいレベルのものではありません」
蔵人の答えに、ディさんは大きく首を横に振る。
「いや、出来る君はそう思うのかも知れないが、あれはかなり高度な技を応用している。例えば、ランパート。あれは何層もの盾を積み重ねているだろう?Cランクのクリスタルシールドに、Eランクの基礎シールドを緩衝材として入れ込んでいる。異なるランクのシールドを瞬時に創り上げるその技術。更に、その全てのシールドを移動させるのにも、高度な技術を使っている。高速の盾作成に複数の盾移動。どちらも最高難易度と言える技巧だ。そんな技巧を、君はどのような方法で出来るようになったのだ?」
ああ、そういう事か。
蔵人はディさんが聞きたいことが分かり、一瞬顔の力を緩めるが、すぐにまた引き締める。
その答えが、あまりにディさんの求めるものとかけ離れていると思ったから。
こんなに前のめりになって、期待した様子で見てくるディさんに、言える事では無いと思ったから。
しかし、言うしかない。
嘘を言うよりは、仮令期待はずれと言われようと、真実を言うべきだと、蔵人は重い口を開ける。
「ディ様、それは…」
「うむ。それは?」
やめてくれ!そんな期待の籠った声で反応しないでくれ!
ええい!ままよと、蔵人は言葉を吐く。
「努力です」
努力。そうとしか言いようがない。
実際、蔵人が高速で盾を作成出来るようになったのは、盾作りから8年くらい経ってからだし、ランパート程の複数の盾を移動させられるようになってきたのは、更に2年くらい後だ。
全ては、0歳からずっと続けてきた鍛錬の賜物。
いや、前世でも培ってきた知識と、努力の結晶と言えよう。
だから、ディさんが期待されていた様な、裏技的なことは一切無いのである。
ゲームのような、キラキラエフェクトで力が湧き出すような事は無かったのだ。
こんな答えでは、彼を相当落胆させるだろうなと思いながら、ディさんの反応を待つと、
「…努力。そう言ったのだな」
彼は、少し肩を落とし、そう聞き返して来た。
蔵人が頷くと、ディさんはあからさまに首を落とし、心が落ちた事を示しめしてきた。
だから、言いたくなかったのだがな。
恐らく、Sランクの軍人と思わしき人と接触…出来ましたが。
彼の期待に応えられなかったみたいですね…。
これでは、世界の秘密云々は難しいのでは?
イノセスメモ:
覚醒…異能力において、並外れた技能を有する者を呼ぶ言葉。主人公で言うと、ランパートやミラブレイクがこれに該当する。