162話~Excellent!~
二条様の攻撃から抜け出した後、穂波さんは蔵人に熱い視線を送っていた。
弱弱しく、儚い彼女の様子は、とても放っておける物ではない。
可哀想に。余程怖かったのだろう彼女は今、蔵人という止まり木を欲する小さな小鳥。
蔵を守る人。そう言う願いが籠った、己の名前。
弱い人を守る。それが盾の本懐。
それこそが、自分の役割であると悟る。
蔵人はゆっくりと、穂波さんの顔に己の唇を近づける。
ゆっくりと、穂波さんの唇の横を通って、穂波さんの耳元で囁く。
「俺に誘惑は効かねぇぞ」
瞬間、固まる穂波嬢の体。
蔵人が顔を離し、彼女を見ると、彼女の目はこれでもかというくらい大きく開かれていた。
「なっ、えっ?」
驚きから、徐々に焦りへと表情が変貌していく。
やはりそうだ。彼女はドミネイター。西園寺先輩と同じ異能力者だ。
彩雲戦の序盤、蔵人は西園寺先輩のドミネーションによって、赤い波動の衝撃を和らげてもらった。
その時の感覚と、今の感覚はとても似ていた。
言い知れない幸福感。そして、彼女の命になら、従っても良いという思いが湧き上がった。
それに気が付いた蔵人は、急いでドミネーション対策をした。
それは、目に水晶の薄い盾を張ること。
ドミネーションは、相手が術者の目を見詰めることにより、相手の行動までもを支配することが出来る。その支配率と時間は、どれだけ目を合わせたか。そして、どれだけ真近で見つめ合ったかで決まって来る。
逆に言うと、術者の目を直接見なければ、その支配率は大きく落ちる。
その為、いくら穂波嬢がBランクのドミネイターと言っても、蔵人の意識支配まではできなかった。
しかし、全く効いていない訳ではなかった。
一時だが、彼女の印象が好転していたからね。
蔵人が完全に支配されなかったのは、相手が油断して、目を閉じてくれた事が大きかった。
キスをしようと目を閉じたのが、最大の敗因である。
大方、既に蔵人が術中にハマっていると安心したのだろう。
なので、蔵人が言った「効かねぇぞ」というのは嘘である。
でも、まぁ、ブラフも大事な戦略ということで、蔵人は悠然と穂波嬢に微笑んだ。
蔵人が強制的に、穂波嬢を床に降ろす。
彼女はされるがまま降ろされた後も、蔵人へと視線を投げかけ続けていた。
「く、蔵人様!待って!違うの、今のは!」
言い訳じみた言葉で、蔵人を引き止めようとする彼女。
でも蔵人は取り合わず、穂波嬢の必死なセリフを背中だけで受け流して、後ろを向く。
そこには、ずっと蔵人達の後ろで心配そうにこちらを、穂波嬢を見詰めていた男性が居た。
五条君だ。
蔵人は、五条君に向き直り、話しかける。
「五条様。是非お教え頂きたい事がございます。質問をお許し願えませんでしょうか?」
「えっ、ぼ、僕?」
五条君は一瞬、蔵人を見て小さく飛び上がった。
二条様のファイアジャベリンすら尽く受けきった蔵人に、ビビってしまった様だ。
でも、蔵人の横で困惑している穂波嬢を見て、下がりそうになっていた足を元に戻し、その場に留まってくれた。
うむ。そこらの男子達よりは、骨があるではないか。
蔵人は小さく頭を下げる。
「ありがとうございます、五条様。五条様は、本日のダンスのお相手に、穂波様をお選びになられましたが、それはどの様な心積もりでの事でしょうか?」
「えっ?あっ、心積もり?」
突然の質問で、口をパクパクとするだけの五条君。
これは、あれだな。ある程度質問を段階的にしてやらないと、思考が追いついていない。
「五条様は穂波様とダンスをなさりたい。そうですね?」
「う、うん。踊りたい、な」
「では、二条様とは如何でしょうか?二条様と踊るのは気が進みませんか?」
「えっ、煉?」
れん、と言って、五条君は座ったままこちらを見上げる二条様に目線を這わせる。
二条様って、煉って名前だったのか。そう言えば、慶太と修羅場を目撃した時も、そう呼ばれていた気が…。
蔵人が二条様の名前を思い出していると、五条君が首を大きく振った。
「な、なにを言っているんだ。煉と踊りたくないはずないよ。そんなの、ありえないだろ!」
そう言った五条君の目を見て、蔵人は微笑んだ。
先ほどまでの、弱弱しい瞳ではない。しっかりと光を携え、己の意思を取り戻していた。
蔵人は笑みを引っ込め、首を傾げる。
「では、穂波様をダンスの1番目にお選びになられたのは、どのようなお考えがあっての事でしょう?」
「どうしてって、そんなの決まっている!だって、心は、守らなきゃイケない存在で。彼女を守るのが僕の使命なんだ。それに、煉は強くて、婚約者ってだけで…あれ?どうして?婚約者なのに、なんで、1番じゃないんだ?」
頭を抱えて悩み出した五条君を見て、周囲の人達がどよめきだした。
「えっ?五条様はどうされたの?」
「覚えていないのか?自分の言動を」
「これって、まさかドミネーション?」
「穂波様って、超聴力じゃなかったの!?」
段々と声が大きくなる観客達の中で、蔵人は五条君の近くに寄り、彼の肩を叩いた。
「意識がはっきりされたのでしたら、先ずは行動してあげて下さい。大切な"彼女"が、貴方を待っていますよ?」
「あ、ああ!」
五条君は力強く頷くと、真っ直ぐに穂波嬢まで走り寄り、彼女をそのまま素通りして、二条様の肩を抱いた。
「大丈夫?煉。医務室に行く?」
「いえ、いえ…だ、だいじょ…うっ、うぅ…」
「えっ、ど、どうしたの!煉!何処かの痛いの!?」
急に泣き出した二条様に、五条君がアタフタしている。
「ごべんなさい。みっともな、ごめん、なさい」
「そんな!みっともなくなんかない!僕こそ、ごめんね。君を放っておくなんて、僕、どうかしてたんだ」
2人はそのまま、互いに肩を抱き合って、会場を後にした。
多分、医務室にでも行ったのだろう。完全にではないが、ドミネーションが解けた今の五条君なら、もう大丈夫だと思いたい。
蔵人が2人の様子を満足そうに見送り、隣に立つ穂波嬢に向き直った。
のだが、
「…あれ?」
居なくなっていた。
まさか、彼女もテレポートを?
そう思って周囲を見回すと、複数人の女性スタッフに連れられて、人垣に入っていく彼女の背中が見えた。
連行されている、という風ではない。背中を押されて、渋々従っている様に見える彼女。
周囲のご令嬢達も、穂波嬢に疎ましい視線を送るだけで、なじったり非難するような様子は見受けれらなかった。
う~ん。人の恋愛感情を操作していた者に対する反応としては、ちょっと淡白だな。
周囲の反応を見て、蔵人が首を捻っていると、後ろから手を叩く音が響く。
振り返ると、満面の笑みで拍手する殿下が目に入った。
【Excellent!Mr.蔵人!】
そんな殿下につられたのか、周りのギャラリーにも拍手をする人が現れ出し、直ぐにその会場にいた人全員で、割れんばかりの拍手喝采となってしまった。
「感動しましたわ!」
「シールドであんな事が出来るなんて!」
「まるで物語の中にいるみたいでしたわ!」
「流石は黒騎士様ですわ!」
「最高だったぜ!黒騎士!」
冷めやらない熱を発散するかのような賞賛の嵐が、その後暫く会場を満たしていた。
パーティはその後、順調に進んだ。
決闘のせいで、プログラムが随分と遅れてしまったようで、ダンスは予定よりも短い時間しか開催されなかった。
そのお陰もあり、蔵人は誰とも踊らずに済んでいた。
こんな事を思っては何だけど、二条様達のお陰だな。
だが、何故か蔵人の隣にはピッタリとアイザック殿下が並ばれていた。彼と一緒に雑談をしながら、頼人が九条様に振り回されるのを傍観させてもらう。
その雑談も、最初は先ほどのノブルスについてをお聞きになっていたが、徐々に蔵人の私生活の事にシフトしてきて、ファランクスでの活躍や、普段の学校生活についても聞かれた。
終いには、蔵人の両親や親族についても興味を持たれていた。
蔵人は、分かる範囲は教えたが、巻島家の事は聞かれてもあまり答えられなかった。
家の事を話して、流子さんに迷惑がかかると言う思いもあるが、単純に、蔵人自身が知らないのが一番だ。
特に本家なんて、ここ数年関係を持っていなかったので、方針や家業についてを詳しく聞かれても分からない事だらけだ。
なので、巻島家の事は頼人に聞いて頂きたいと進言すると、九条様に捕まっていた頼人を招集する殿下。その時の頼人は、殿下に凄く感謝していた。
頼人が殿下と楽しくおしゃべりしている間に、蔵人は九条様と広幡様と会話していた。
やはり、お2人は随分と仲が良く、幼少期からのお付き合いだとか。
破天荒な九条様と、しっかり者の広幡様は相性が良いのだろう。
2人と会話している内に、今日の決闘の話となったので、蔵人は気になっていたことを聞いてみた。
穂波嬢の事だ。
異能力の無い世界であれば、婚約者のいる男性を誑かしたとなれば、詐欺罪や恐喝罪に触れる立派な罪だ。異能力を不当に使用したという事でも、何らかの処置があるのではと考えた蔵人。
だが、実際は罪に問われることは無いとの事。
流石に、二条家から穂波家には何らかの賠償を言い渡される事は間違いないし、穂波家における彼女の立場も大きく下がる。社交界においても、彼女の異能力は知れ渡ったので、今後パーティーに呼ばれることは先ず無いだろうとの事。
だが、前科者にはならないし、貴族社会から追放などにもならないらしい。
寧ろ、婚約者にドミネーションを掛けられる二条様もどうなの?と言われる可能性があると言うから、びっくりだ。
この世界は、異能力に関しては寛容なのだ。流石に、異能力で殺人を犯したり、テロ行為等を行えば犯罪になるが、ある程度の理由があっての事だと、罪には問われない傾向にある。
特に、今回は貴族同士のいざこざだ。二条家も大事にはしたくないだろう。
婚約者を取られそうになる脆弱な家だ、なんて噂が広まって、他家に要らぬ弱みを掴ませる事になってしまうから。
「恐らく、今回の事は二条家と穂波家の間だけで処理されるでしょうね」
九条様がそう言うのなら、そうなのだろう。
異能力が蔓延るこの世界では、この程度のトラブルは大ごとではないとの事。
史実世界で言うと、殴り合いの喧嘩をした程度だろうか。
だから、何処の家も護衛を雇っているし、その役割は大きいのだろう。
戦国時代も真っ青だなと、蔵人が首を振ると、広幡様が励ますように声を上げる。
「勿論、決闘を行った事自体は記録されますし、蔵人様の勇姿も、皆の記憶に刻まれましたわ」
広幡様がそう言ってくれるが、本当にそうなのだろうか?
下手な尾ひれが付いたり、要らぬ恨みを買ったりしないか不安なのだが?
そんな不安を抱いている間にも、サマーパーティーは進んでいき、最後は再び殿下が壇上に上がられて、閉会の挨拶をされていた。
とても楽しいパーティーだったと、また来たいとおっしゃって頂いた。
社交辞令でも、嬉しいものだ。
色々とあったが、取りあえずは無事に終わってよかった。
蔵人がしみじみと、今日を振り返っていると、降壇された殿下がその足で、こちらの方までいらっしゃった。
【蔵人。君のお陰で、とても有意義な時間を過ごすことが出来たよ。ありがとう。今度は是非、我が国にも遊びに来て欲しい】
同性でも美しいと思ってしまう笑顔で、殿下は微笑んでくださった。
あれだけの爆発を起こしてしまったが、怖くはなかったのだろうか?頼人なんて、今でも顔が少し青いのに。
やはり、王家とは優秀な血が流れているのだなと思いながら、蔵人は殿下に深く礼をする。
「お心遣い感謝いたします、殿下。機会がありましたなら是非、訪問させて頂きたく存じます」
そう言って、殿下の社交辞令を丁寧に受け取る蔵人。
すると、殿下は目を伏せて考え出した。
【機会か。そうだな。陛下の生誕記念は…もう出席者が決まっているし、私の誕生日は先月だったな。う〜ん…終戦の記念式典にねじ込めるか?】
殿下が、何か恐ろしい算段をされているんですけど。
え?これ、まさかさっき俺が言った、機会って奴を本気で検討されている?冗談にしてはちょっとキツイですよ?
蔵人が内心、冷や汗を滝のように流していたが、殿下は【また会おう】と言って、使節団と共にお帰りになられてしまった。
…うん。違う。さっきのは社交辞令だ。連絡先も一切聞かれて無いし、連絡の取り様がない。
一期一会である。
パーティが終わると、蔵人達は九条様達よりも先に帰らされた。
てっきり、偉い家の方から帰宅されるものと思っていたのだが、殿下の次に退場となってしまった。
どうも、男性を先に帰すのがマナーなのだとか。正門前までエスコートしてくれた九条様と広幡様が教えてくれた。
所謂、ジェントルマンファースト。
そんな言葉、聞いた事が無かったが。
「それでは頼人様、お義兄様。お気を付けてお帰り下さいませ」
そう言って、九条様はパーティ会場へと戻って行く。財閥のトップはまだ何かの会合があるらしい。どの世界でもトップは大変だ。
「蔵人様、今度は是非、天隆にもお越しください。貴方様にお会いしたいという者達が大勢居りますので」
広幡様もそう言って、九条様の後を追われた。
やはり、広幡様は天隆の在学生だったのか。そして、向こうで俺に会いたい人って、誰?
蔵人が不安になり、彼女の後姿に視線を送っていると、頼人に袖をツンツンされた。
「じゃあ、兄さん。僕も行くけど、本当に飛んで帰るの?」
頼人が、迎えに来た火蘭さんの車を見ながら、再度訪ねてきた。
行きは車でここまで来た蔵人だったが、帰りは飛んで帰ると、乗車を断っていた。
護衛の任務は終わったし、飛んだ方が断然早いからね。
まだ夜の6時過ぎだけど、車で送られたらかなり掛かってしまう。特区と外を繋ぐ検問は、とても渋滞するのだ。
「ああ、ありがとう頼人。また学校でな」
「うん。またね、兄さん」
頼人を乗せた車が発進し、すぐに見えなくなった。
長いようであっという間のパーティだったなと、急に静かになった周囲の様子に、蔵人は空虚な感覚を味わう。
そんな空白であった空間に、
微かな足音が、生まれた。
蔵人は素早く反応し、足音の方に振り向く。
すると、蔵人の後ろに1人の影が立っていた。
その、蔵人よりも大きい影は、ゆっくりと腰を折る。
「蔵人様。この後、お時間を頂けないでしょうか」
そう聞いてきた影に、蔵人は若干身構えながら返す。
「要件をお聞きしてもよろしいですか?ええっと、確か、橙子さん?」
そこには、殿下の護衛であった橙子さんが、キレイなお辞儀でこちらに黒髪を晒していた。
なるほど。穂波嬢はドミネーションを使って、五条君を誑かしていたのですね。
終始悪かったのは、穂波嬢の方であったと。
「初見では、二条の娘が悪役令嬢っぽかったがな」
手袋投げるところとか、本当にそれでしたね。
そして、軍の関係者が話しかけて来ました。
どう、なるのでしょう?