160話~君の力を私に見せて欲しい~
パーティー会場にワルツの楽し気な音楽が満ち、ご令嬢たちがダンスへと心浮かせていた最中、
「いい加減、ご自分の立場を省みては如何です!?穂波さん!」
女性の甲高い叫び声が、その雰囲気を切り裂いた。
その声は何処から?と探すまでもなかった。
会場のダンスフロアとなる予定地。そこの中央辺りにいた3人組が、揉めている様子であった。
女性の1人が凄い剣幕で、1組のカップルに襲いかかっている。
襲われたカップルは、男子が震えて女子の後ろに隠れてしまっている。
その子達を見た蔵人は、軽く目を開く。
何せ、肩を怒らせた女性の長い赤髪が、あの日の光景を思い出させたから。
睨まれた黒髪の少女が、弱弱しく声を上げる。
「二条様。わ、私は、五条様と踊る約束をしていたんです。この日を楽しみに。だから、ダンスの1番は、約束をしていない二条様ではなく私が…」
「婚約者である私を目の前にして、よくもまぁそんな事が言えますわね!」
そう。そこに居たのは、以前中等部の果樹園前で出くわした3人組であった。
偶々出くわした蔵人達が、黒髪の少女に上手い事使われて、慶太と一緒にバジリスクで逃げ出したあの事件だ。
あの時も、この3人は揉めに揉めていたけれど、まさか夏休みを挟んだ今でも同じ状態だったとは…。
蔵人は肩を落とし、パラボラ耳を周囲に向ける。
外野の噂話も一緒に纏めると、こんな感じだ。
五条君のダンス相手をどちらが先にするのかで争う、二条様と穂波さん。
穂波さんは五条君と直接約束を取り付けていたが、婚約者の二条様はこの事を知らなかった。
二条様が直前になって踊ろうと五条君を探すと、穂波さんと仲良く並ぶ五条君を発見。怒り心頭となる。
これは、二条様が怒っても仕方がない。何せ、貴族の社交界におけるダンスの1番目のというのは、特別な相手と踊ると決まっているから。
蔵人や頼人みたいに婚約者が居ないなら、さ程問題にならないが、婚約者がいるのに他の女性を一番にするなんて、非常識だ。婚約者に相談もしていないみたいだし。
2番じゃダメなんだろうか?2番目以降に踊るなら、それは浮気でもなんでもない。
多分、この世界でも当てはまる常識だろうと思い、周りの声を拾っていると、やはりそうらしい。
前回の逢引の時もそうだけど、今回も五条君と穂波さんが悪い。
しかも、家柄で言っても穂波家は巻島家と左程変わらないレベル。九条家に次ぐ実力者である二条家や、財閥の中でも由緒正しい五条家の間に入れる筈もない。
そんな弱小の家柄が上流貴族の間に入ったら、目の前で今起きているみたいにすり潰されるのが落ちだ。
そんな誰もが悪い方を分かっていながらも、一方的に穂波さんを非難することはなかった。
それは、彼女達の様子が原因だ。
明らかに穂波さんに思いを寄せている五条君。震えながらも穂波さんのドレスをしっかり掴んでいて、「僕が、心ちゃんと約束したんだ」とか弱い声で訴えていた。
心ちゃんとは、穂波さんの事だろう。
つまり、五条君の体だけでなく、心も穂波さん側に寄っていると言うこと。
こうなると、どっちを応援するのが正解なのか分からなくなる人が出てきた。
そんな中、二条様の限界が来たみたいだった。
「ノブルスよ!穂波さん!」
手袋を投げつけて、叫ぶ二条様。
ノブルス…が何なのか分からないが、手袋を投げた事から、決闘に近い意味の言葉だろう。
蔵人の推測は、凡そ間違っていなかった。こっそり教えて貰った広幡様の説明でそう確信する。
「ノブルスと言うのは、端的に言うと、貴族における異能力シングル戦ですわ」
言わばシングル戦の亜種ルール。貴族同士の揉め事が発生した際によく使われる決闘方法らしく、魔力ランクが異なる者同士でも成立するようにルールが出来ているのだとか。
先日、火蘭さんとの模擬戦闘の時に、流子さんが提案したのはこの戦い方だったみたいだ。
1体1で異能力勝負をするのは同じだが、細かいルールが違うとの事だった。
違いは以下の通り。
一つ、領域は2m×10mの縦長。そこから出たら反則負け。
一つ、負けは宣言するか、異能力が被弾した場合も適用される。被弾は審判が判断する。
一つ、互いにランク差がある場合は、高いランクの者に不利なハンデを与える。ハンデは審判が決める。
一つ、競技者は試合前であれば賭け事をしても良い。内容は、互いに同意した物でなければならず、必ず審判の同意もなければ成立しない。
他にも細かいルールはいっぱいあるらしい。試合前に口上を宣うとか、その時の禁止ワードだとか何とか。でも、主には上記の通りらしい。
蔵人が広幡様からルールを聞いている内に、決闘の準備が出来たみたいだった。
そう、驚く事に、決闘はこの会場で行われる。さっきまでダンスフロアに成るべく会場が、サポーターに囲まれた戦場になっているのだから、この世界にとって異能力はかなり浸透していると言える。
会場にいる他のご令嬢達も、興味深く戦場に視線を注いでいる。
恐らく、異能力に染まったこの世界の人達にとって、異能力戦は日常の延長戦であり、この決闘も一つの娯楽や貴族の嗜みなのだろう。
相変わらず、男の子達は恐々と言った表情でそちらを見守っているが。
決闘場の中央には2人の少女。1人はワインレッドの長髪を掻き上げ、キツめのつり目を更に釣り上げて、対戦者に構える。
二条様はパイロ系みたいだ。ランクはAランク。
対する穂波さんは黒髪のセミロング。猫背で自信のなさが伝わるその様子から、周りの声を拾わなくても戦闘向きでない異能力という事が分かる。
Bランクで、サポート型の異能力らしい。
主審は、会場のスタッフの中から選ばれた。
Bランクの20代くらいの女性だ。先ほど、机を移動させるときにサイコキネシスを使っているのを目にしている。
何処かのご令嬢に主審をやらせてしまうと、忖度する恐れがあるからね。
フェンシングの様な構えで対峙する2人を見ていると、周りのサポーターがあたふたしているのが分かった。話を拾うと、どうもサポーターが足りないらしい。それもバリア系やシールド系が。
【私の護衛を貸し出そうか?】
殿下が話を聞きつけ、そうおっしゃって下さった。
ある意味、貴方の為のパーティーだったのに、快く決闘を受け入れてくれただけでなく、気さくに護衛まで貸し出すとは。
だが、それは不味いだろう。
ただでさえ、今から異能力戦を行うという危険な状況。殿下が是非見たいと言い出さなければ、一旦退場して頂かなければならない状況。
そんな中、殿下専用の護衛を引き抜くなど、出来よう筈もなかった。
「でしたら、お義兄様にお力添えを頂いたら如何でしょうか?」
九条様が顔をこちらに向ける。それに釣られるように、殿下の顔もこちらを向く。
【おお!それは名案だ。是非とも、君の力を私に見せて欲しい!】
殿下のキラキラした顔が、蔵人を照らす。
こうも期待されては仕方が無い。
蔵人は大人しく、貸し出される事にする。
「殿下のご要望とあれば、喜んで」
蔵人が一礼して、決闘場に向かうと、後ろから心配そうな声が聞こえる。
【…本当に行ってしまったよ。全く怖がりもせずに。彼は大丈夫なんだろうね?Ms.薫子】
「是非、殿下のお目でご覧ください」
そうして、始まったノブルス。
だが、時間が経つにつれて、戦況は一方的に成りつつあった。
開始早々から火の玉を投げつける二条様に、穂波さんはただ逃げ惑うだけだった。
「ひゃあっ!いやっ!」
穂波さんは、頭を抱えて縮こまったり、腹這いになって駆けずり回ったりしている。
令嬢らしからぬその行動に、周りからも次第に忍び笑いが聞こえ出す。
「まぁ、情けないお姿」
「まるでワンちゃんみたいですわ」
「二条様に喧嘩を売ったんですもの。こうなる事は当然ですわ」
そんな声が聞こえるが、対戦している本人達には聞こえないだろう。特に、必死に逃げている穂波さんには。
本来なら、二条様が一瞬で勝つ力量差だろう。Aランクの炎なら、当たらずとも近くを舐めただけで大火傷だ。
でも、そうならないのは、ハンデのお陰。
二条様に課されたハンデの内容は、Aランク以上の異能力を使わないというもの。そして、穂波さんが二条様の体の何処かに触れることが出来れば、穂波さんが勝利となる。
今、二条様はCランク並の火球しか投げていない。彼女なりの更なるハンデか、相手の無様な姿を晒して、五条君の心を取り戻す算段なのか。
「何時まで逃げ惑っていらっしゃるの?そんな事で五条様をお守り出来ると、本当に思っていらっしゃるの!?」
二条様は、そう苛立たし気に声を上げながら、複数の火球を放つ。
穂波嬢は転がりまわって、それらを回避する。
回避された火球は、会場スタッフが作り出したAランク級のバリアにぶつかって、消えてしまった。
まぁ、俺の出番なんてある訳が無い。
その火球の行く末を見て、蔵人は苦笑いをした。
バリアが破られた保険で呼ばれただけみたいなので、とても暇であった。
本当の所、弱いもの虐めが繰り広げられる現状を前にして、動き出したい気持ちが沸々と湧き上がる。
だが、それは2人にとって良くない事だ。これは2人の決闘なのだから、今は介入するべきでは無い。
「きゃぁっ!」
穂波さんが前のめりに倒れた。ドレスはボロボロだ。
その様子に、二条様は一旦攻撃を止めて、彼女を見下ろす。
「これで分かって?貴女に五条様は相応しくありませんわ。殿方も守れない、ひ弱な貴女では!」
二条様が、言葉で穂波さんを追い詰めようとする。
蔵人はその様子を、怯んだ穂波さんが後退りするその惨めな姿を見て、顔を歪める。
これは、不味いと。
アンダードッグ効果という物がある。贔屓にもしていなかった弱いチームを応援したくなる、あれだ。
人はつい、同情心から弱い方の肩を持ちたくなる考えを持っている。それが今、蔵人の胸の内にも、確かに存在した。
蔵人がそうなのだ。周りの中にも、この心理状況に陥る人が出てきても可笑しくない。
蔵人がそう思った矢先、
「もう良いだろ!やめてくれ!」
そう叫んだのは、五条君だった。
「心はこんなにも頑張ってくれたんだ!僕にはそれで十分だ!一番に彼女と踊りたい。そう言ったのは僕なんだ!」
だったら最低限、婚約者と相談してからにしろや。
蔵人は内心、毒突く。
しかし、心理状況が揺さぶられた周りのご令嬢達は、動揺した。
「五条様がそう言っていらっしゃるのなら…」
「もう、よろしいのではなくて?」
「そうよね。ダンスの1番は、穂波さんでも…」
おいおい、マジかよ。
状況を冷静に見れば、非は穂波さんと五条君側に有り、二条様が譲歩する必要はない。
なのに、今や会場の様子は、二条様が悪いのではと言う空気すら漂い始めた。
蔵人は、男の一言でここまで動揺する令嬢達に、内心で驚いた。
それは、二条様も一緒だったみたいで、穂波さんに向けて、火球を一気に放り投げた。
転がって避けようとする穂波さん。だが、数が多かった。
その内の一つが穂波さんの腕にかすり、ドレスの袖部分が一瞬で消し炭になった。顕になった腕も、赤く軽い火傷を負っている様子である。
勝負あり。これで試合終了だ。
事前の取り決め通り、今後、五条君に対する穂波さんからの過剰な接触は禁止となる。
そもそも、婚約者がいる状況で他の女性に現を抜かすって、何処の恋愛シミュレーションゲームだと、蔵人は内心でため息を吐く。
だが、何秒待っても、試合終了の合図がない。
蔵人が訝しんで審判を見ると、審判は、
目を瞑っていた。
…はぁ?
「ま、待って下さい!私、今、腕に!」
穂波さんも、涙ながらに審判に訴える。
その様子を、覚めた目で見下ろす二条様。
「…審判が宣言しない以上、継続よ」
まさか、買収したのか!審判を!?
蔵人が驚愕している間にも、二条様の周りには大きな火の玉が浮き上がる。
今までの火球では無い。ファイアボールの大きさを軽く超え、ファイアランスすら超える大きさ。
明らかに、Aランクの攻撃である。
ハンデまで、無視する気か!
「さようなら、穂波さん」
二条様のその目は、完全に座っていた。
炎が押し固められ、まるで大きな鉤爪の様なAランクの炎が、無慈悲にも穂波さんへと襲いかかる。
着弾。
爆発。
膨大な熱量で、空気が振動する。
Aランクのバリアが全面を覆いつくしているので、周囲には熱どころか、爆風による粉塵一つ漏れない状況。
だが、今も黒煙が上がる決闘場の中心地は、無事では済まされない。
その莫大な熱量に晒された、決闘者は言うまでもなく。
本来なら、だが。
「お、おい!あれを見ろ!」
「えっ?嘘でしょ?どうして…」
黒煙が晴れてくると、周りからは驚きの声が上がる。
Aランクの業火の跡にあったのは、焦げた絨毯の一部と、驚愕の表情で固まる穂波さん。そして、
「シールド・ランパート」
穂波さんの前で盾を構えた、蔵人だった。
ああ、介入しちゃいましたよ…。
「既に、公平な試合ではないからな」
五条君を奪おうとする穂波さん。審判を買収した二条さん。
果たして、どちらが悪いのでしょうか?
「イノセスよ。情報が出そろっていない内から、判断を下そうとするな」
なるほど。
今見えている景色が、トラブルの全容ではないのですね?