142話~いや。医務室だ~
真っ白な部屋で、蔵人はジッと前を向きながら思考していた。
異能力とはもしや、人類が積み重ねて来た英智を台無しにする、最悪の贈り物では無いだろうか。
人類はこれまで火を起こし、道具で狩りを行い、そこで得た血と肉で頭脳を肥大化させ、知恵と言う名の武器を得た。
やがて、農耕により人口を急激に増やし、地上の支配者としての地位を確立していく。
それら全ては、人々が考えて、試して、少しづつ得てきた知恵の積み重ねであり、歴史と言う1本の道で描ける確かな道であった。
それを異能力は台無しにした。
一つの例として、医療を見てみよう。
人類は様々な病原菌に侵され、殺され、それでも克服してきた。
少しでも長く生きたい、少しでも楽に生きたい。そういう思いの元で、医療技術は進んでいた。
このヒールとか言う、とんでもチート異能力が登場するまでは…。
「はい。治療完了しましたよ。どうですか?痛みは有りますか?」
優しく微笑む白衣の男性に、蔵人は思考を止めて、硬い笑顔を返す。
「痛みはありません。少し手先が痺れる程度です。ありがとうございました」
医務室にテレポートされた蔵人は、直ぐに治療を施され、一瞬と言ってもいい程の短時間で完治を宣言された。
その余りにも早く、そしてなんの苦労もない施術に、蔵人は先程の思考の海に溺れたのだった。
医療の世界だけではなく、同じようなことが各業界でも起きている。
運輸業、エネルギー業、農業、軍事業。
異能力という並外れた能力の登場によって、多くの技術が昔の物と淘汰され、技術の進歩は大きく停滞してしまっている。
果たして、それがいい事なのか…。
いい事なのかも知れない。
進歩が止まるという事は、悪い方向にも行かなくなったという事。
技術を高めて行った人類の行く末は、あるいは己の首を己で締め上げる自殺の道なのかもしれない。
そんな世界を見てきた黒戸だからこそ、人類の進化は必ずしも幸せな結果でないと思った。
もしや、それが分かっていたから、神様は人類に異能力なんて超能力を授けたのかも知れない。
少しでも人類の歩を止めるため。破滅への道を進ませない為の苦肉の策。
そう考えると、異能力は神様から人類という子供達への、愛の籠った贈り物なのかも知れない。
蔵人が1人満足そうに頷いていると、医務室のドアが開く。
薄青色の看護服を着た男の看護士が入って来て、その後ろには数人の女子がキョロキョロ辺りを見回しながら付いてきていた。
部長達だった。
蔵人が彼女達に視線を送ると、向こうもこちらに気がついて、部長が今にも泣きそうな顔で近付いてきた。
が、その部長の脇をすり抜けて、蔵人に突進してきた娘がいる。
誰かって?
「ボスぅううう!」
鈴華だった。
病室は走るなとか、大声出すなとか、そんな事言う暇もなく蔵人に突っ込む鈴華。
「おい、鈴華。ちょっと落ち着け」
「落ち着いていられるか!腕、ボスの腕はどうなったんだよ!」
強引に左腕を掴まれて、ぐいぐいと勝手に動かされる。
まるでフィギュアにするかのように好き勝手に動かして確かめた彼女は、満足したのか、「よしよし。ちゃんとくっ付いたんだな」とバシバシと蔵人の肩を叩き、滅茶苦茶いい笑顔を向けて来た。
でも、その目端には薄っすらと涙の跡が見える。
強がっているみたいだが、やはり心配させてしまったみたいだ。
蔵人が、鈴華を申し訳なさそうに見上げている内に、いつの間にか蔵人に取りつく娘が1人増えていた。
西風さんだ。
「ううっ、ひっく」
蔵人のお腹辺りに埋めていた顔を上げた西風さんは、涙とか鼻水とかぐちゃぐちゃで、どれだけ心配してくれていたか痛いほど伝わった。
蔵人は、枕元にあったタオルを西風さんに渡す。
「心配かけてしまって、ごめんね。俺はもう大丈夫だから、ね?そんなに泣かないでくれ」
「だって、だってさ、蔵人君のう、腕が!」
尚も泣き縋ってくる西風さんに、蔵人は左腕を見せつけるように持ち上げて、言う。
「安いもんだ、腕の一本くらい」
「安く無いわよ」
蔵人のセリフに、呆れ顔の部長がツッコミを入れる。
「全く。そんなこと言えるくらい余裕があるんなら良かったわ」
「すみません、つい」
蔵人は頭を左手で掻きながら謝る。
そんな蔵人に、眉を下げた鶴海さんが屈む。
「蔵人ちゃん、本当に大丈夫なの?」
「ええ。この通り、完治しましたよ」
蔵人が左腕で力こぶを作りニカッと笑うと、鶴海さんの顔も少しだけ柔らかくなる。
でも、直ぐに頭を下げてしまう。
「ごめんなさい。私がちゃんと逃げていたら良かったのに」
鶴海さんが謝り出すと、後ろからそれを止める様に声が降ってきた。
海麗先輩だ。
「いいえ、翠ちゃんは悪くないよ。悪いのは私。私が岩戸エースのマークを外したばっかりに…ごめん、蔵人」
海麗先輩が謝ると、その横にいた木元先輩も頭を下げだしてしまう。
集まったみんなの顔が、一様に暗くなってしまったので、蔵人は少し声を上げる。
「誰が悪い訳じゃありませんよ。僕はただ、仲間を守りたかっただけです。皆さんが無事で良かったって、本当に安心しているんです」
「蔵人、くん…」
また泣きそうな西風さんの頭を撫でて、蔵人は顔を上げる。
「いよいよ準決勝です。次の試合も勝てる様に、岩戸戦の反省会をしましょう!多分若葉さんなら、次の相手校の情報も得ている頃です」
蔵人の提案に、先輩方は顔を引き締めて頷いた。
それを見計らって、部長が声を上げる。
「さっ、蔵人の元気そうな顔も見られた事だし、みんな病室から出るわよ。他の患者さんの迷惑になっているから」
部員のみんなは、部長に追われる様に病室から出ていく。
西風さんは蔵人にベッタリ張り付いていたが、海麗先輩の剛力で掛け布団ごと持っていかれた。
寒いな。後で代わりを貰わないと。
「蔵人」
蔵人が、余っている布団は無いかと、周りを見回していると、部長が戻って来ていた。
掛け布団と一緒に。
「あ、部長。わざわざありがとうございます」
部長も体調が悪い筈なのに、態々返しに戻ってくれたのだ。有難い。
蔵人は部長に感謝しながら、布団に手を伸ばす。
すると、部長は、
「次の準決勝、貴方は出場禁止よ」
厳しい顔で、そう言った。
そう、断言した。
冗談の続きでは無い。
部長のその顔に、一切の迷いはない。
言葉は提案とか、相談の類でもない。
命令。
部長命令だった。
そんな部長の言葉に、蔵人は、
「バレましたか」
力なく微笑んだ。
反論する気は、毛頭なかった。
そんな蔵人を、部長は鋭い目で睨む。
「当たり前でしょ?貴方、そんなに顔を青くして、腕がくっ付いたって血は戻って来ないんだからね」
部長の言う通りである。
ヒールで治せるのは外傷だけで、造血は出来ないらしい。
クロノキネシスであれば違うのだが、貴重な存在はいざと言う時の為に取っておくのだろう。
お陰で、蔵人は酷い倦怠感と頭痛、それに目のかすみも続いている。
今の蔵人は、闘うことは愚か、まともに歩くことも困難である。
みんなに言ったさっきの大丈夫は、真っ赤な嘘だった。
部長が蔵人に掛け布団を掛けながら、聞いてくる。
「お医者様はなんて?」
「…絶対安静。準決勝の話なんて、取り付く島もありませんでしたよ」
一瞬、嘘を言おうか迷った蔵人は、全て正直に答えた。
ここで嘘を言っても、この人には通用しない。そう思ったから。
蔵人の答えを受けて、部長は幾分目を優しくしてくれて、頷く。
「やっぱりそうでしょう?素人目でもヤバそうだもの、今の貴方の顔」
「そんなブサイクですか!?」
大げさに驚く蔵人の顔を、部長は両手で優しく挟み込む。
「イケメンよ。でも、いつもの方が私は好きよ」
部長が真っ直ぐに見つめながらそんな事言うので、蔵人はどう反応すればいいのか迷ってしまった。
しばし、部長と見つめ合う蔵人。
だが、部長はサッと立ち上がると、背を向けてしまった。
その背中越しに、幾分明るくなった部長の声が届く。
「みんなには、私から適当に誤魔化しておくわ。貴方が準決に出ないこと。疲れすぎて爆睡してるとでも言っておこうかしら」
務めて明るく振る舞う彼女の背中に、蔵人は起き上がって声を掛ける。
「部長」
「冗談よ。そんな事言わないから」
「観客席には行きますよ、俺」
蔵人の言葉に、部長が振り向く。
若干顔が赤いのは、言い慣れないセリフを吐いたからだろうか。
思案げな顔をした部長だったが、やがて諦めた様にため息を吐いて、指を1本上げる。
「お医者様が許可してくれたら、そしたら良いわよ」
「ありがとうございます」
座って礼をする蔵人に、部長は少し悲しそうな瞳を向けていた。
桜城のみんながお見舞いに来てくれてから、暫く時間が経った。
現在の時刻は、午後3時05分。
全国大会準決勝、1試合目。
桜城、VS、晴明の試合が開始されて直ぐの頃。
蔵人は、観客席ではなく、医務室に居た。
そこで、医師に向かって頭を下げている。
蔵人は今、大会の出場許可を求めていたのだ。
元々、観客席で観戦することも渋られていた状況であった。
でも、蔵人はあれからしっかりと休み、栄養のあるものをたくさん食べて、体力回復と造血を最大限努力した。
その結果、フラフラで倒れそうだった試合直後と比べたら、体調はかなり良くなった。
本当なら増血剤が効果的なのだろうが、それは大会規約で引っ掛かるらしい。
まだ耳鳴りっぽいものはあるが、定期的に様子を見に来てくれる西風さんからも、顔色が随分と良くなったとお褒め頂き、先生からも観戦の許可を頂けたのだ。
そうして、観客席で試合を観戦していた蔵人だったのだが、加えて、参戦の許可を得なければいけない状況となってしまった。
それは、今から凡そ5分前の事…。
午後2時59分。
桜城の白銀騎士と、晴明の舞妓さん達が配置に着いた。
桜城の配置は、
盾役:4人
近距離役:3人
遠距離役:4人
円柱役:2人
というバランス型の配置を取っている。
相手はあの強豪校、晴明なので、どんな手で来ても臨機応変に対応できるような配置だ。
対する晴明の配置は、
前衛:0人
中衛:9人
円柱役:4人
という、極端に中衛を固めた配置である。
歪で不吉な陣形は、試合開始のブザーが鳴ると同時に、そのベールを脱ぎ捨てた。
「行きなはれ」
晴明の主将、久遠葉子が、手先をしなやかに曲げながら、桜城に向けてその右手を突き出す。
それと同時に、彼女の周囲に空色より薄い色の何かが湧き出した。
一瞬、水か何かと思ったそれらは、飛び立つと同時に形作られる。
それは、一羽の鷲。
精密に作られたそれは、まるで生きているかのように羽ばたき、空を舞った。
その一羽を皮切りに、久遠選手の周囲にあった空色の魔力から、無数の動物たちが躍り出る。
蒼穹を駆ける鷹。
大角を振り回す牡鹿。
美しい尾を揺らめく狐。
本物よりも美しく、儚い幻影の獣達だった。
「出たね。久遠選手の異能力、クリエイト系の最高峰、クリエイトアニマルズだよ」
若葉さんの言葉に、これがそうかと、前を向く蔵人。
空色の幻獣たちは、久遠選手の指す方向、桜城選手へと襲い掛かってきた。
鹿のパワーに押される盾役。
狐の素早さに翻弄される近距離役。
鷹を落とすのに苦労している遠距離役。
桜城前線は大混乱だった。
堪らず、円柱役の2人も前線へと招集するが、それでも幻獣たちに押される桜城。
頼みの綱、海麗先輩が久遠選手に接近するも、周囲の晴明選手達の猛攻に、なかなか前に進めない状態が続く。
今、桜城は、13人の晴明選手に加えて、20匹近い幻獣軍団を相手どらなければいけなかった。
その幻獣たちは、1匹1匹がCランク並みの威力を持っている。
戦線は、桜城が圧倒的不利な状態であった。
「どうしよう、蔵人君…」
西風さんが、青い顔で袖を引っ張ってくる。
その隣では、若葉さんが難しそうな顔でフィールドを見渡していた。
「晴明は、随分と桜城をなめてるね。何時でもファーストタッチを決められる状態なのに、敢えて行かない感じだよ」
若葉さんの言う通り。桜城は今や、久遠選手の幻獣たちに掛かりっきりである。
他の選手を円柱へ向かわせれば、タッチすることは容易であろう。
若しくは、自軍円柱へと戻せば、安全に点数を稼ぐことも出来る。
敢えてどちらもしない。
ただ、桜城選手の苦しむ姿を傍観するだけ。
それに、どんな意味があるのか。
蔵人が若葉さんを見つめると、彼女は蔵人の思いを察して解説をしてくれる。
「多分だけど、久遠選手の意向だと思うよ。彼女は白百合会の会員…えっと、端的に言うと、男性が嫌いな会の会員で、蔵人君や神谷先輩を部員として入れている桜城が嫌いなんだよ。だからこうして、じわじわと痛めつけて楽しんでいるって訳」
なんと、陰湿な娘なのだろうか。
蔵人はフィールドに視線を戻し、薄ら笑いで先輩達を見る久遠選手に眉を顰める。
沸々と湧く感情は、彼女に対する憤りか、はたまた、また迷惑をかけてしまっている己の不甲斐なさか。
蔵人はすくっと立ち上がる。
それを見て、若葉さんが期待した目をこちらに向ける。
「おっ、出陣だね?」
「いや。医務室だ」
そう言うと、若葉さんはガクリと肩を落とし、西風さんは目を丸くする。
「も、もしかして、まだ何処か痛むの?」
「いや、そうではない。出場の許可を取りに行くだけだよ」
このまま、先輩達が苦しむ姿を見てはいられない。
そう思う蔵人に、若葉さんが呆れたように首を振る。
「医者の言う事なんか無視して出ちゃえばいいのに」
「ははっ。そうしたいのは山々だが、恐らく部長が許さないだろう」
部長なら、医者の許可なしに出場を認めてくれるとは思えない。
昔の部長ならワンチャンあったかもしれないが、今の部長は蔵人に対して過保護だ。
なので、蔵人は何とか医者の許可を取ろうと、医務室に赴いたのだったが…。
「だめだ。許可なんて出来ない」
医者の無慈悲な言葉が、ただ返されただけだった。
時を置かずして、準決勝が始まってしまいました。
「傷は癒えても、血は戻らんか」
クロノキネシスは、使ってくれなかったんですね。
「治療で治るなら、それまでなのだろう」
貴重な存在らしいですからね。クロノキネシスは。
「いざ、死亡事故が起きた時の為に、取っておいているのだろう」