138話~はくろぉおお!!~
※グロ注意※
※他者視点※
俺は何処か、暗い所に居た。
光も届かない、真っ暗な闇の中。
ここは何処だ?
何も見えない。
俺は何をしていた?
何も感じない。
いや、感じはする。
熱さを。
左腕に熱を感じる。
誰かが触れている?違う。
火で焙られている?違う。
もっと、灼熱の熱さだ。
ずっと、強烈な痛みだ。
痛い。
『くっ!』
口から空気が漏れる感覚と共に、視界が一気に広がった。
黒く厚い、曇天の空。
暗く深い、湖の水面。
重く濃い、森の木々。
目を開けてもそこは、暗闇に近い世界だった。
熱い。
鮮明になった痛みが、鮮烈に脳へと伝わって来た。
左腕から。
見るとそこには、黒衣を纏った肘があり、肘から先は白銀の毛玉に覆われていた。
毛玉の中に埋もれた二対の金眼が、こちらを睨みつける。
口から垂らす唾液が、俺の血と混ざりあい、赤い泡を沸かせていた。
俺の左腕を咥えこみ、嚙みちぎらんとする白狼が、そこには居た。
『このぉっ!』
俺は、まだ残っている右腕を振りかぶり、その憎い顔に叩きつけてやろうとした。
だが、それよりも先に、俺の腕を噛みちぎる為に、白狼が首を振り抜いた。
ぶつっと、嫌な感覚と共に、俺の視界が反転した。
地面に体を叩きつけられ、体中が泥水に漬かり、重く冷たい水が全身を包む。
白狼に腕を引きちぎられて、そのまま地面に引きずり倒されたのだ。
大雨でぬかるんだ森の土に、顔を強かに打ち付けた。
泥の中から視線を上げると、既に白狼の姿はそこに無かった。
俺の片腕を喰らい、満足して森の中に帰ったのか、それとも…。
俺は起き上がろうとするも、左腕が無いため、バランスを崩してすっ転ぶ。
左腕の熱さと、体中の寒さが入り混じり、気持ち悪くて吐き出しそうだ。
でも、こんなところで弱音を吐いている場合じゃない。
伝えなければならない。みんなに。隊のみんなに。
俺達が退治しようとしている真の敵の、正体を。
俺は歯を食いしばり、両膝と右手を泥沼に突き刺して、立ち上がる。
顔を上げ、水汲み場から駐屯地へと戻る為の細道を探す。
だが、顔を上げた直ぐ目の前には、駐屯地の風景が広がっていた。
戻ってきた?一瞬で?
俺の疑念は、だが、直ぐに吹き飛ぶ。
駐屯地には、戦闘の痕跡が色濃く刻まれており、地面には、そこが赤黒くなるほどの大量の血が流れていた。
切り裂かれたテント。粉々になるまで破壊された馬車。
そして、人だった者達の肉片が転がっていた。
『あっ…ああ、あぁあああ!』
俺の喉から、甲高い嗚咽がせり上がってきた。
転びそうになりながらも、足が勝手に歩みを進める。
その大きな残骸の元へと。
『おい!しっかりしろ!しっかりしてください!隊長!』
金メッキに覆われた立派な体躯は、恐らくこのパーティの隊長の物。
でも、本当に彼なのか分からない。
何故なら、その体に頭部は乗っていなかった。
物言わぬ冷たい腕が、だらりとクロードの体に掛かる。
また失うのか、俺は。
友を、同僚を、先輩を、恩人を、親を、
大切な人達を、また…。
『ミーナ!何処だ!回復を、ディアス隊長に回復魔法を!早く!』
これ程に損傷が激しければ、どれほど高位の回復魔法でも蘇生は出来ない。
そんな事、分かっている。
分かってはいても、俺は諦めきれなかった。
この隊唯一の治療師の名前を叫びながら、周囲の血だまりを探す。
しかし、誰も答えない。
いや、答えられない。
だって、向こうで朽ちている馬の死骸、その傍で横たわるローブは、彼女の物だ。
彼女の周りにも、見知った装備に身を包んだ死体が、いくつも転がっている。
誰も答えない。
誰も居ない。
俺の絶叫に答えるのは、再び降り出した無慈悲な氷雨と、時折遠くで聞こえる雷鳴の唸り声だけだった。
俺の中に、現実が浸み込んでくる。
仲間を全て失ったという、非常な現実が。
同時、力が抜けて、ベチャリと尻を泥の中に埋没させる。
結局、また失う。何も出来ずに、また。
俺の胸の中で、黒い感情が渦を巻く。
何が亜空間だ。なんの為の能力だ。
最強の盾も、無限の空間も、結局はこうして何も生まず、また大切なものを失う。
何度繰り返す。何度踏み外す。
上司から託されたこの奇跡とも呼べる力を、出し惜しみ、使い切れず、またこうして俺は…。
寒い。
体の芯に、冷水を流し込まれている様だ。
それなにの、左腕だけが熱い。
熱い。
痛い。
熱い。
「…ちゃま…」
うん?
今、何か聞こえなかったか?
俺は、周囲を見渡す。
『誰だ!誰かいるのか!?』
聴こえた。声が。
微かだが、確かに聞こえた。この鬱蒼と茂った大樹の森の中で、人の声が。
俺は立ち上がる。何処から聞こえたのか、必死に耳を澄まして、あっちこっちに視線をさ迷わせる。
冒険者?いや違う。これは…きっと、グラディエル領軍の第三衛兵団だ。後続部隊が救援に来たんだ!
『ここだ!助けてくれ!16番小隊のゴルディアス隊が瀕死なんだ!早く治療をし』
熱に浮かされるように叫び続ける俺に、その声が降りかかる。
「坊っちゃま!」
はっきりと聞こえる、声。
女性の声。
酷く懐かしく、優しい声だ。
その声が聞こえた途端、雨が止んだ。
いや、違う。
元々、雨なんて降っていなかった。
あの時の惨劇はもう、過ぎ去ったことだ。
脳の中が冷える。
体が熱くなる。
左腕が、燃えるように熱い。
戻ってくる感覚。記憶。
目を刺す太陽の光。
若い緑の匂い。
人々の声援。
炎天下の、芝生の上。
そうだ。ここは、俺の今居る場所は…。
〈◆〉
目の前に、青々とした芝生が迫っていた。
クロードは、いや、蔵人は、右足を大きく踏み出して、倒れゆく己が体を支える。
左腕から伝わる熱さと、痛みと、ドクッドクッと伝わる気味の悪い感覚が、蔵人の意識を覚醒させていく。
ドサリッ
隣で重い物が落ちる音が聞こえた。
見ると、そこには泣き別れたはずの左腕が横たわっていた。
「坊っちゃま!」
声。
優しい声。
蔵人を過去から引き戻したそれは、後ろから聞こえた。
歓声と悲鳴が入り混じるスタジアムの中で言えば、酷く小さく、儚い声。
だが、その声はずっと、生まれた頃から聞いてた声だ。
大切な人の声。聞き逃す筈がない。
ありがとう。
蔵人が声の元を探すように、後ろを振り向く。
だが、そこで目に入ったのは、白い背中。
白袴の背中が、片手に水の長剣を握りしめ、走り去ろうとしている所だった。
その姿が、あの時見失った白狼の物と重なる。
仲間を食い殺した、あの憎い背中に。
おい。待てよ。
蔵人も、動く。
そっちに行くな。そっちは!
白袴が駆け抜ける先には、白銀の騎士達が、鶴海さんがいた。
蔵人の仲間。
あの時救えなかった、あの子の姿。
クロードが失った者達が、そこには居た。
「仲間に手を出すなぁあ!!」
冷たかった頭に、一気に血が上る。
同時に、欠けた左肘にも血が行き届き、ブシュッと切り口から鮮血が吹き出した。
本能で悟る、危険な出血量。
蔵人は、口の中に盾を仕込んでから、左腕の傷口を盾で覆う。
途端、電流にも似た衝撃が脳内を走りまわり、自然と顎が跳ねあがり、口の中の盾を思いっきり噛み絞める。
歯茎に痛みが走り、口の中に鉄の味が広がる。
でも、止まらない。
足を前に出し続ける。
止まれない。
止まる訳が無い。
俺の仲間だ。
もう誰も、失うものか!
「ろぉぁあああああ!!!」
叫ぶ。
痛みを吐き出すかのように。
激情を、叩きつけるかのように。
白袴が一瞬、こちらを振り返った。
驚くように丸まる目。硬く閉じていた口が、小さく開く。
だが、すぐに彼女の姿は消える。
蔵人の目の前に、邪魔が入った。
そいつは、両手を広げ、蔵人を捕まえようと構えていた。
そいつが着ている服には〈スタッフ〉の文字が。
テレポーター。俺をベイルアウトさせに来たか。
蔵人はスタッフに捕まる直前、身体中の盾を動かし、スタッフの脇をすり抜けて回避する。
すると、回避した先でまた、目に前に違うテレポーターが現れた。
何度来ても一緒だ!
蔵人は、そいつらを左右に大きく旋回して、くぐり抜ける。
その姿はまるで、木々を避けて獲物を追う獣の様。
人の壁を、左右に切り込みながら走る度に、紫眼の瞳が怪しく揺れる。
左に、右に、振り子時計の様に、蔵人の瞳が大きく振れて、迫る。
その姿はまるで、時を刻む振り子時計の軌道に似ていた。
命の終わりを、告げるかの様に。
「白狼ぉおお!!」
蔵人が吼える。
目の前で自分を待ち構えてる一人の少女に、襲い掛かった。
〈◆〉
お母様の命令通り、車掛の陣で桜城の前衛を削り、足並みを乱した所で、桜城の中心人物だった96番を無力化した。
まさか、私の剣戟が、この天叢雲が防がれるとは思わなかったが、結局は上手くいった。それも、お母様が言った通り、96番の近くにいる選手を攻撃したら簡単に。
どんなに強い名将だろうと、馬を射てしまえば容易いものだ。特に、桜城の96番は仲間意識が強そうなので、それが有効だ。
そう、お母様に言われて実践した作戦だったが、本当に上手くいった。
やはり、お母様は凄い。
お母様が言うことは、全て正しい。
私は、お母様が言うことをちゃんと聞くんだ。
修行を途中で投げ出した姉たちとは違い、私は口答えなんかせず、質問もせず、しっかりと言われた事だけをちゃんとする。それが正しい。
だから、次に斬るのは、あの39番の子。
前半戦、お母様の作戦を尽く跳ね返した指揮官。
あの子さえ斬ってしまえば、お母様の作戦に、桜城は手も足も出せなくなる。
そしたら、私達が勝てる。お母様が喜ぶ。
誰かを斬るのは、とても気持ち悪くて、嫌になってしまう事だけど、お母様が喜ぶならそっちの方が大事。
私は、血が混じった水を一振りで払い、混乱する白銀騎士達の中を突き進む。
目標とする、39番の子まではもう少しだ。
私は柄だけの叢雲をしっかりと握り、39番に向けて高く掲げ、柄に水の刃を生み出す。
刀身が、高濃度のアクアキネシスを込めた為に、白銀に輝きだす。
Bランク並みの威力が込められた刀。
これでも、Cランクが受けたとしたら、威力が高すぎてバラバラになってしまうかもしれない。
私は気持ち悪過ぎて、今晩はゆっくりと眠れないかもしれない。
でも、いいんだ。
これは、お母様から言われたことだ。
お母様がやれと言っていた作戦だ。
お母様が言う事は、全て正しい。
私はただ、言われるがままに行動するだけだ。
39番は、一瞬こちらに目を配り、逃げる様に走り出しながらも、他の選手達に何か指示を飛ばしていた。
私と同じアクアキネシスの力で、周囲に何かを伝えている。
最初見た時は、ただ縮こまっていたと思ったけど、何か変わったのかな?
殺される前なのに、自分よりも周りへの指揮を優先している。
強くなった?
まぁ、いいか。もうスグ終わるんだし。
叢雲の刃が安定する。
逃げる相手の背中を狙うのは、武士道に反するけど、それよりもお母様の命令の方が大事。私が良いとか、嫌とか、そんなのは考えない様にして…。
「……っ!!!」
相手を斬ることに集中しようとした私の後ろで、
何かが、吠えた。
次いで、何か得体の知れない圧迫感を背中に受ける。
私は、半分本能のままに、つい、後ろを見てしまう。
すると、そこには、
獣がいた。
片腕から真っ赤な鮮血を撒き散らし、立ち並ぶ人の柱を左右に掻き分け、私に迫る。
その鎧兜からこぼれ落ちる紫色の光が、まるでテールライトの残光の様に、左右に揺れる。
なに?何が迫っているの!?
私は、お腹の底が震える気がして、39番を斬るはずだった刃を下ろし、その獣に向けて構えた。
それは多分、単純な防御反応だった。
私の命を守るために、体が勝手に行った動作。長年培ってきた、護身術の動き。
それが、私を助けた。
私が構えるとほぼ同時に、刃に衝撃が走る。
ガリギリッ!と、まるで金属同士が削り合うかのような音をつんざきながら、水の刃と獣の爪が交わる。
「はくろぉおお!!」
獣が吠えた。
「なっ!?」
違う。獣じゃない。
それは、そいつは、傷だらけの騎士。さっき私が斬り捨てたはずの96番だった。
「なんで、まだ動けるのっ!?」
倒したはずだった。
斬り落としたはずだった。
なのになんで、私の目の前に存在している!?
私は、まさかしくじったのかと彼の左側を見る。でもそこには、夥しい量の血を流す腕が見えた。
肘から先が無い。
確実に、仕留めていた。
じゃあ、なんで?なんで96番は動いているの?なんで、私の刃に押し負けないの!?
理解出来なかった。
今までの相手はみんな、防具を斬られてちょっと血を流すだけで動けなくなった。
やり過ぎて、指や手を飛ばしちゃったりした子なんて、二度と異能力戦に出て来なくなった。
なのに、なんで?なんでこの人は動ける?私に、拳を振り上げられるの!?
水の刃が、揺らぐ。
96番の乱反射する拳が、押し込まれる。
「お前はここで狩る。もう二度と、俺の仲間に手は出させねぇ」
唸るように吐き出される言葉には、痛みに対する恐怖とか、不安とかは一切感じられない。
あるのはただ、覚悟。
仲間を守るという、鋼の意思。
隙だと言われていた黒騎士の仲間意識は、彼を動かす灼熱の熱源となってしまった。
物語はまだ、終わっていませんでした。
ですが、主人公の受けたダメージは甚大です。
果たして…。
「…死ぬことだけは、許さんぞ」
イノセスメモ:
・ベイルアウト…侵入カウントが溜まった者、タッチ成功者への妨害などによるルール違反の強制退場と、未来予知による緊急搬送の2つの意味を持つ。
前者は、必ず従わないといけないが、後者は任意で戦闘継続可能(柏レアル、白羽戦参照)
どちらの場合も、2分後には新たな選手を投入可能。




