8話〜お前に追いつこう。いつか〜
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寒い日に、寒い話ですみません…。
亮介がひだまり幼稚園を去ってから、暫く経ったある日の昼下がり。
蔵人は、クラスメイトの激励に勤しんでいた。
残念ながら、異能力の訓練ではない。だが、クラスメイトにとってはもっと過酷で苦しい試練なのだ。
蔵人はひたすら「諦めんなよ!諦めんなよ!君なら出来る!」と、箸を取り落としそうになる彼を鼓舞し続けた。
そんなところに、
「くーちゃん、たいへんだよ!」
慶太が慌ててクラスに入ってきた。
目を半開きで唾を飛ばす彼に、蔵人は片手をビシッと上げる。
「やぁ、慶太。お前さんもピーマンに苦戦しているのか?ちょっと待っててくれ。最後の一欠片を今、秀平君が口に入れたところ…」
「おいらはピーマンじゃなくてニンジン。でもそれは、おとなりのナオヤ君が食べてくれたよ!それより、たいへんなんだ!頼人が」
「頼人が…どうした?」
ニンジンの対処に苦言を呈したかった蔵人だったが、頼人の事と聞いて顔色を変える。
だが、慶太は説明する時間も惜しいのか、「とにかく付いてきて!」と走り出してしまった。
すぐに蔵人も、慶太の背中を追ってクラスを出る。
ちなみに、蔵人も慶太も頼人も、年中さんになった時にバラバラのクラスとなっていた。最初の頃こそ、蔵人と別れる事に難色を示しまくっていた頼人だったが、最近ではだいぶ大人しくなっていた。
その筈だったのだが…。
「らーちゃん、クラスの女子にイジメられて、それで、氷がドバッて出てきて…」
慶太からそう聞いた所で、ちょうど頼人のクラスに到着する。
到着した、はずだった。
2人は、目の前の惨状に唖然とする。急ぎ動かしていた足も、自然と止まってしまった。
ここは確かに、確かに頼人のクラスだったはず。だが、今蔵人達の目前に広がる光景は、全く別の場所に見えた。氷塊が幾つも床から突き出し、窓は全て凍りつき透明度を失い、ただの氷の壁となったガラスが行く手を阻んでいた。
氷の世界。
膨大なクリオキネシスの残滓。
頼人の異能力が暴走でもしたのか。
入口付近の氷塊の前には、泣きじゃくる子供達が座り込み、周りを大人達が走り回っていた。
子供達の頭上を、大人達の切羽詰まった怒号が飛び交う。
「被害は!?」
「中に数人、子供達と佐々木先生が取り残されて」
「中に入れないのか!?」
「無理です!中に頼人君も居て、今も氷結が進んでいます。入れば一瞬で凍りつきます!」
「警察は!?」
「頼人君の魔力量レベルでは、特区のSPI部隊じゃないと対応出来なくて…それだと、まだまだ時間が掛かるって…」
「そんな、それじゃあ…」
中の人は、凍え死ぬな。
絶望で止まってしまった職員の言葉を、蔵人が心の内で引き継ぐ。
そして、蔵人は深く息を吸う。
冷たい空気が肺に入り込んだことで、体も頭も少しだけ、冷静さを取り戻す。
この幼稚園に在席する人間で、1番強い異能力者は園長先生のCランクだ。その園長も、今現在は教育委員会に出張している。勿論、この事件とは別件だ。
氷結が進むクラスに突入するなら、Aランクのパイロキネシスの炎で溶かしながら進むか、同系統のクリオキネシスであれば凍らずに侵入することが出来る。だが、もしも生身で侵入しようものなら、先生方が言う様に足が凍りつき動けなくなり、二次被害が出てしまう。
ではどうするか。
どう対応したら、この中に入れるだろうか。
蔵人はイメージする。熱に強い服を。
消防服?宇宙服?ダメだ。服は凍りついたら生身と一緒。凍りついても外れる物…何度でも”再生”が出来る物が良い。
〈再生〉の一言で、頭の中にとある場面の記憶が弾ける。
フラッシュバック。
漆黒の鱗に渦巻く邪気。鋭い牙には仲間であった者達の血肉がこびり付く。
懐かしくも忌々しい、異世界の記憶。
あの黒龍は、本当に手強かった。どんなに攻撃したところで、直ぐに再生されてしまうから。ミノタウロスですらワンパンにするオークの勇者であっても、攻めあぐねたものだ。
蔵人は軽く頭を振って、気持ちを切り替える。
そう、龍の鱗なら再生可能だ。
蔵人は頭の中にイメージする。かつて戦った、異世界の邪龍をイメージしようとした。
だがその時、頭の中を過ぎったのは別の龍だった。
それは3年前、本家の演舞で見た光景。水と氷が織りなす、白銀の舞い。異能力で一から作られた水龍の姿は、今でも鮮明に蔵人の頭の中に存在し、これなら己の異能力でも出来そうな気がした。
蔵人は全神経を集中する。先ずは、身体を覆う脂肪。その代わりに、アクリル板の前段階である薄い膜を幾重にも重ねて、分厚い空気の層を形成する。
鱗は、鉄盾で代用する。勿論、何時もの大きさでは隙間が大きすぎて、冷気が侵入し膜が凍りついてしまう。もっと小さく、そう、演武で見た水龍のような大きさで…。
「くーちゃん…」
慶太は驚きに目を開き、信じられないと言うように言葉を吐いた。
ずっと蔵人の横にいて、鱗を纏う所もずっと見ていた慶太。それでも、慶太は目の前に居る者が本当に蔵人なのかと思ってしまっている様だった。
彼がそう思うのも無理はない。今の蔵人は、鱗を纏った事で一回りも大きくなっており、体に纏わせた鉄鱗は太陽光を鈍く跳ね返した。
そこに居たのは、龍の鱗を纏った1人の戦士であった。
透明な鱗を通して、蔵人の瞳が慶太に向く。
「…行ってくる」
そう、一言だけ言い残し、蔵人はゆっくりと氷漬けのクラスへと歩み出す。
今、頼人の元へ。
そう思った、蔵人の目の前に、
「ちょっと、君!止まりなさい!」
1人の先生が立ちはだかった。
鱗で蔵人の姿は見えない筈だが、体の大きさから園児だと察したのだろう。むざむざ危険な場所に近づける訳に行かないと、先生は手を出して蔵人を捕まえようとした。
が、先生の手は蔵人に届かなかった。
伸ばされたその手には、土塊がみっしりとくっ付いていた。
「くーちゃん、行って!」
慶太の土塊が先生の腕に纏わり付き、手が上がらない様にしていた。手だけじゃない、足も土塊が付いて動けなくしている。
助かった。
蔵人は、ほっと安堵する。
まだ龍鱗は制御が甘く、ゆっくり歩くことしか出来なかったのだ。先生の手を払いのけることは可能だが、怪我をさせてしまう恐れがあった。
「助かった」
蔵人は首だけ慶太に向けて、静かに頷く。そして、すぐに氷の世界へゆっくりと入っていった。
「君!ダメだ!入っちゃダメだ!慶太君、すぐにこの異能力を解きなさい!」
先生の叱責だけが、蔵人の背中を追いかける。
済まない、慶太。後を頼む。
蔵人が1歩、クラスの内へ入ると、途端に周囲からの雑音が無くなる。
無音の世界。
氷が音を吸っていた。
その世界を見渡すと、教室の一番奥の方に頼人が蹲っているのが見えた。すぐに行ってやりたい気持ちに駆られたが、優先するべきはその手前である。
そこには、先生1人と子供が2人、教室の真ん中で倒れていた。先生は子供を庇うように、2つの小さな体に覆いかぶさっている。
全てが凍りつき、時間が止まったかと錯覚を覚える空間。
蔵人の足元の鱗が、徐々に白く凍り始めていた。
寒さは大丈夫だが、長居は禁物だ。
足は凍る前に1歩前へ。意外とすぐに剥がれたが、冷たくなったら鱗を捨てて、膜を合成して新しい鱗を生み出す。サメの歯のような再生方法である。
ゆっくりと歩く。そうでないと、鱗が剥がれてしまう。鱗は、膜にくっつけている訳では無い。一つ一つ、体と連動して動かしている。なので、無理をするとすぐにバラバラになってしまう。
今までも、腕や足だけを鱗で覆った練習を行った事はある。だが、全身は今回が初めてだ。慎重に動かないと、バラけて一瞬で氷漬けだ。
先生達の所に辿り着く。先生は肌が赤くなっており、所々白っぽい斑点が出来ていた。
凍傷だ。
下手をすると、末端は壊死するかもしれない。
先生が覆いかぶさっている子供達は、先生が守ったお陰で、少し肌が赤い程度で済んでいた。これは、先ず先生から救出するべきだな。
トリアージを終えた蔵人が先生を運ぼうとすると、先生の口が動く。
驚いた。まだ、意識があるなんて。
「こ、…さき…」
「うん?なんて?」
聞き返すと、先生は更に驚くことを口にした。
「こ、ども、さき、に…」
…子供達を先に逃がしてくれ、と言いたいみたいだ。
なんという思いやりだ。貴女は教員の鑑だよ。
「分かりました」
蔵人は、掴んでいた先生の腕をゆっくりと降ろして、代わりに子供達を両肩に抱える。勿論、冷えきった鱗は一旦捨てて、新たな鱗が接する様に子供達を抱える。
少し時間がかかったが、無事に子供達を外の先生に渡し、その直ぐ後に、冷えきった先生も引き渡す事に成功する。
「ありがとう!さぁ、君も早く、こっちに!」
外の先生が、両手で空を掻いて蔵人を誘うが、蔵人は首を振る。
「まだ、残っています」
蔵人は、先生達が止めるよりも速く、氷獄の世界へ逆戻りする。
ようやく本題の元に向かえる。
少し速足になってしまったが、鱗達はしっかりと付いてきてくれた。
目の前で蹲る頼人は、先生達のように肌の色を変えたりはしていない。ただ、疲れたように床で這いつくばっていた。
その頼人の前で、蔵人は屈む。
「よう、頼人。遅くなって済まなかったな」
「にぃ…ちゃん…?」
蔵人のハツラツとした声に、頼人は弱々しく首を上げる。龍鱗で覆われたこの体が、誰だか一瞬分からなかったらしい。
蔵人は、少し大袈裟に頷く。
「そうだ、俺だ。兄弟の蔵人だよ。どうやら、辛い思いをさせてしまったみたいだな」
「違うよ、にぃちゃん。僕が…わるいんだ」
そう切り出して、頼人が事の顛末を教えてくれた。
要は口喧嘩だ。
クラスの女の子が頼人と遊びたいのに、頼人が全然遊んでくれないので喧嘩になったのだとか。
その女の子はBランクの魔力量を持っているらしく、「本来なら自分や頼人はDランク以下の子と遊ぶのはおかしい」と言った。
それは違うと頼人が反論すれば、彼女は「いずれCランク以上の子は特区に行かなければいけない。お兄さんとも別れる必要がある」と言った。女の子は蔵人とばかり遊ぶ頼人に嫉妬した様だった。
蔵人と別れると聞いた途端、頼人はとても悲しい気持ちになり、身体中が痛く、冷たくなった。そして、泣き叫ぶと同時に異能力が発動し、この惨状となってしまったのだそうだ。
今、頼人は、異能力を使いすぎて疲れたとのこと。魔力が枯渇した上に、精神的にも疲労が溜まった様だ。
「そうか。それは仕方ないな、頼人。もっと修行して、異能力をコントロールする術を身につけよう。今回みたいな事が起きないようにな」
「うん、僕、もっと上手くなりたい」
「良い心がけだ」
蔵人は床に手を付いて、頼人の目線と合わせる。
「だがな、頼人。その女の子の言う事も確かだ」
Cランク以上はいずれ、特区へと招かれる。それを決めるのは、今はあの母親だ。だから、すぐには特区へは行かないだろう。
だが、あいつが危惧している様に、巻島本家が招集したら話は変わる。現に、毎年蔵人が顔を出している新年会では、毎回頼人を出せと氷雨様からの圧がかかる。それも、年々増している。やはりAランクが特区の外に居ることが、許せない様子だった。
「だがな、頼人。必ず俺もお前の元に行く。今はEランクの底辺にいるが、いずれはCランクになってお前の傍に駆け付けよう」
万が一、Cランクになれなくても、亮介のような特例扱いとなり、特区へ入ろうと考えている蔵人。
そういう特例が他にもあると、流子さんから聞いていた。
「ほんとう?」
虚ろな目で頼人が蔵人を見上げる。かなり疲労が溜まって来た様で、とても眠そうだ。顔色も、若干青い。
「ああ、本当だ。俺も修行して、お前に追いつこう。いつか」
「うん。にぃちゃんなら、出来るよ。僕、待って…」
そこで、頼人の目は重い瞼の裏に隠されてしまう。疲労がピークとなった頼人は、崩れる様に寝てしまった。
蔵人は頼人を抱き抱えて、教室を出る。
頼人が寝た瞬間から氷結は解除され始め、教室の至る所で氷のひび割れ音が高く響く。
蔵人が教室を出ると、周りに子供達はおらず、代わりに防護服を着た大人達が忙しそうに動き回っていた。
だが、蔵人が出てくると一斉に動くのを止めて、こちらに注目した。
ちなみに、ここまで来れば寒くないので、龍鱗は解除していた。
「その子が…頼人君?で、君が、蔵人君かな?」
良く日に焼けた女性の消防隊員が、少し硬い声で聞いてきた。
蔵人が肯定すると、安堵の息を吐いて笑う隊員。
だが、目は笑っていない。
「ちょっとお話、聞かせて貰えるかな?」
「はいぃ…」
長い一日は、まだ終わらなかった。
後日談である。
頼人の異能力暴走は、お咎めなしであった。
元々、故意による異能力犯罪は厳罰となるものの、不意の、それも子供の不祥事は事件にすらならなかった。まるで、自然現象や流行りの病と同じ様に、次は気をつけましょうね、という一言で終わってしまった。
これは、世界的にも同様らしく、異能力を国家防衛の要とする為に、小さな異能力の不祥事には目を瞑りましょうということなのかもしれない。
だが、蔵人については別であった。後で園長室に呼び出され、こってりと絞られてしまった。大人の言う事は、しっかり聞きましょうね!とのお言葉を承った。
どの世界でも、上官からの命令違反は厳しいらしい。
凍傷は恐ろしいですね。防寒対策は、手先足先までしっかりと。
イノセスメモ:
・自身の異能力では、凍傷等にならない?
・異能力の不祥事は、故意でなければかなり軽い。