113話~俺が食っちまうぞ~
紫電と米田選手が如月陣地に逃げ帰って直ぐに、ハーフタイムの鐘が鳴る。
両軍の選手が、互いのベンチへと戻っていく。
桜城の先輩方はかなり疲労の色が濃い。防具にも、激戦の跡が刻まれている。
その中でも、一番酷いのは海麗先輩だ。
防具の至る所は黒く焼け焦げ、髪は静電気で逆立ってしまっている。
だが、その防具から見える肌はきれいな小麦色をしており、怪我は負っていないように見える。
海麗先輩が一番酷い損傷と言ったが、それは桜城の中で言えばだ。
向こうへと引き下がる如月選手の後姿を見れば、もっと酷い有様だった。
防具はひしゃげ、人によっては片足を引きずっている娘もいる。
それでも、彼女達の背中に哀愁は無い。
お嬢様学校を捻りつぶす。その執念が、湯気となって見えるかのようだ。
選手達がベンチに引き下がっている間も、観客は席を立たずに後半戦を待ち続ける。
そんな彼女達の暇を紛らわせようとしているのか、実況と解説っぽい人達の語りが続いていた。
『前半戦が終了した現在、桜坂領域58%、如月領域42%と、数字上は桜坂が僅かに有利な戦況の様に見えます。しかし、選手達の勢いという意味では、数値以上に、流れが桜坂側に傾きつつあるのを感じています。いかがでしょうか?』
『そうですね。各エリアでの戦闘で、桜坂が優勢であると思います。先ず右翼の戦闘では、如月のBランク3人が巧みな連携で桜坂前線に攻撃を仕掛けていました。しかし、桜坂側はこれに遠距離からの攻撃で対応し、如月の3人を近づけない様にしていました』
『凄い激戦でしたね!無数の弾丸が戦場を飛び交い、これぞファランクスといった戦いでした!』
『中央では、Aランク同士の戦いが過熱していました。桜坂の美原選手と、如月の音張選手が一歩も引かない攻防をしており、一手間違えれば、途端に戦況がガラリと変わる危険な戦場です。ここの情勢は、どちらが優勢か判断できません』
『凄い爆発が連発していましたね!音張選手の雷撃に、美原選手は素手で立ち向かっていました!どうやったら、雷撃を拳で撃ち落とせるのでしょうか?後半戦も目が離せません!』
『そして、一番予想外だったのが左翼です』
『紫電選手、VS、黒騎士選手のCランク同士の戦場ですね?我々が事前に予測していた試合展開では、紫電選手に対して桜坂は3人のCランクを防衛に回し、それでも紫電選手が突破して、そのままタッチを2度奪われるとされていました』
『しかし、予想は大きく外れました。紫電選手は黒騎士選手1人に抑え込まれ、逆に危ない場面すらありました。特に前半7分の攻防は、あと少しで紫電選手がベイルアウトとなる場面でした。あそこで米田選手の救援が無ければ、そうなっていてもおかしくはなかったでしょう』
『紫電選手が不調なのでしょうか?』
『そうは見えませんね。寧ろ、去年の全日本と同じくらいに整えてきていると思われます。それでも勝てないのは、相手がそれだけの手練れという事です』
『それはっ!…それ程の実力を持つ黒騎士選手とは、一体どんな選手なのでしょうか?』
『詳しいことは分かりません。公式戦の記録も、今大会以外は手元にありません。なんたって中学1年生ですからね。公式戦自体が初という可能性もあります』
『我々が持つ情報によると、Cランクで中学1年の男子となっていますが、本当に男の子なのでしょうか?紫電選手以外で男性が異能力戦に出てくること自体が稀だと思います。いかがですか?』
『男性が出場すること自体は、ままあることです。サポートや穴埋めとして登録されたり、円柱役で出ることもあります。ですが、ここまで活躍する男性、特にCランクでとなると、過去の記録を見てみても無いのではと思います』
『そうですか?前例と言えば、まさに紫電選手がそれに該当すると思います。男性で初めてCランク王者に輝いた記録を持っていますし、2年生の時点でも、全国大会に出場しています。これは立派な功績になるかと』
『確かに立派ですが、彼は、いや、紫電選手が男性かどうかは公式には分かっていません。一部のファンの間で男性であると言われているだけであり、異能力種で見ても女性である確率の方が断然高いのです』
「紫電様は男性よ!」
「紫電様が女性なはずないじゃない!」
「俺って言っているんだもの!」
「顔も隠しているのよ!?」
「でも、それだけじゃない?女性の可能性もあるでしょう?」
「別にいいじゃない。私は紫電様が好きなの!男性でも女性でも関係ないわ!」
「「「そうよ!」」」
『すみません。話が逸れました。観客の皆様は、どうぞ落ち着いて、席に座りなおして下さい。飲み物や食べ物を投げないでください!皆さんが紫電選手の性別を気にしていないのは分かりましたので、落ち着いてください!』
蔵人は、実況と観客席の彼女達のやり取りを聴きながら、大変なことになっているなぁ、と観客席を俯瞰していた。
あ、紫の旗を持った三つ編みの女性が、後ろの人が投げつけたポップコーンを頭から被ってしまった。
塩味かな?キャラメル味だったら悲惨だな。
「蔵人ちゃん?」
明後日の方向を見ていた蔵人脳に、鈴が鳴る様な声が響く。
鶴海さんだ。
心配そうにこちらを見ている。
見ると、各々休憩していた先輩方も、こちらを見ていた。
「紫電選手はどう?まだやれる?」
「ええ、紫電選手はまだどうにかなります。寧ろ、米田選手の方が厳しいです」
フィジカルは圧倒的に向こうが上。加えて、戦闘センスもなかなかに鋭い。咄嗟に受け身を取るなど、場馴れしていると思われる。
下手をすると、紫電よりも厄介な相手かもしれない。
あの人が邪魔してくるとなると、タイミングによっては紫電と挟撃される恐れもある。そうなれば、こちらの敗北も見えてくるだろう。
そう心配する蔵人だったが、
「それなら大丈夫よ」
鶴海さんは笑った。
何が大丈夫なのだろうか?
蔵人が鶴海さんを見つめると、答えはその斜め後ろから発せられた。
部長だ。
「そうね。もう、米田さんがそっちに行くことはないわ。中央の如月戦線が崩壊一歩手前だからね」
得意げに話す部長は、手短に教えてくれた。
米田選手が抜けたことによって、シワ寄せは彼女が抜けた中央に来ていた。
他のCランクに穴埋めを試みた如月だったが、一瞬で海麗先輩に陥落させられていた。
迫りくる海麗先輩と部長をなんとか止めていたのは、音張選手の猛攻。
だが、無茶な攻撃は長続きするはずもなく、このまま後半戦も米田選手を左翼に送ることは先ずないということ。
もしも米田選手が左翼に行ったら、寧ろ中央がチャンスである。そのまま押し切るつもりらしい。
「若ちゃんも言っていたけど、音張選手は頭の良い人よ。そんな無謀なことはしないと思うわ」
「翠ちゃんの言うとおりね。だから、蔵人は心配せずに、予定通り紫電を倒しちゃって」
部長は軽く言ってくれるが、さて、そう簡単に倒されてくれる人だろうか。
あと、いつの間に鶴海さんを名前呼びにしたんですか?部長。
蔵人が部長を訝しんでいると、ハーフタイム終了の合図が鳴る。
『ビィイーッ!ハーフタイム終了!選手は配置に戻って下さい!』
笛が鳴ると同時に、部長が立ち上がる。
「さぁ、みんな!もう一押しよ!確実に勝ちましょう!」
「「「はい!!」」」
部長のひと言で、先輩達の闘志が再び燃え上がる。
後半戦が、今、始まる。
後半戦。
部長が言った通り、左翼に米田選手の姿はなかった。
いや、言った以上の状況だ。
何せ、左翼に居るのは、たった1人。
「……」
こちらを睨んでいるであろう、紫電選手のみであった。
彼の強い視線が、フルフェイスマスク越しにも伝わる。
しかし、これはどういう状況だ?
蔵人は警戒する。それ以上に、左翼の先輩達は動揺する。
蔵人1人でも抑えられてしまった紫電が、たった1人で左翼を担う状況。
それが、今蔵人達は3人だ。3人に勝てる訳ないだろう。
そう、蔵人達が躊躇している中、中央の激しい戦闘音が響き渡る。
左翼に人を回さない分、如月は中央の選手を増やしていた。その分、桜城の中央前線は不利となっている。
…もしかして、そう言う作戦か?
蔵人が、何となく相手の作戦を理解したと思った時、
『左翼は黒騎士ちゃん以外、中央へ回って!』
鶴海さんからの指示だ。
やはり、そう言う事なのか?
紫電を相手に、蔵人達3人で挑めば、高確率で勝てるだろう。
だが、犠牲を出さずに仕留められるかと言えば、微妙だ。
下手をすると、先輩達2人が先に紫電にやられるかもしれない。
手間取っている内に、中央が突破される可能性もある。
そう、考えられなくもないが、随分と危ない作戦だな。
蔵人はそう考えながら、紫電の元へと慎重に歩みを進める。
まだ、相手が何か仕掛けてくる可能性を排除できない。
下手に急襲して、返り討ちに遭うのが一番不味いからね。
蔵人が紫電と対峙する。
場所は、丁度中立地帯の中心線を挟んで、3m程距離を開けている。
紫電は、構えようとしない。
こちらを見据えて、両腕を組んでいる。
…なんだ?何を、待っている?
蔵人が警戒して、腰を落とした次の瞬間、
雷が、走った。
蔵人達を囲うように、太い電流が周囲を囲み、逃げられない様にしている。
やられた。
蔵人は、微動だにしない紫電に視線を向ける。
……いや、彼ではないな。
彼からは一切、魔力の放出を感じなかった。
それに、この雷撃は強すぎる。
Bランク並みの攻撃力を持つそれを、ただ蔵人を逃がさない為だけに放出するとは考え辛い。
これは、
蔵人は、視線を少し横へ移動させる。
そこには、右手だけをこちらに向ける、音張さんの姿が。
彼女の口が、ひん曲がる。
「金網デスマッチだ」
やはり、そうか。
彼女が、蔵人と紫電の直接対決の場を作ってくれたようだ。
まさかこれが、3分作ってやるという奴か?
何故、わざわざ?
蔵人が困惑していると、
「黒騎士」
紫電選手が徐に、蔵人に話しかけてきた。
蔵人は、慎重に返す。
「はい。どうされましたか?」
「俺は今から、本気を出す。マジ物の本気だ。さっきまでの俺じゃない」
そう言うと、固く閉ざしていた両腕を解き、構えた。
両手の拳を開いて、右手の甲を上に。左手の甲を下に。足を、大きく開いて、腰を落とし込む。
本気と聞いて、先ほどの無茶苦茶な乱打を思い浮かべていた蔵人は、直ぐにそれを掻き消す。
これは、本当に、
「だからてめぇも本気を出せ、じゃねぇと」
瞬間。
紫電が、消えた。
紫電がさっきまでいた場所には、蹴り上げられた芝生が宙を舞っていて、
紫電は、
「俺が食っちまうぞ」
いつの間にか、蔵人の目の前にいた。
振り上げられる紫電の右手。
いや、既に振り抜かれている!
目の前にあるのは、彼の平の手。
その手から伸びるのは、魔力で作り上げられた鋭利な、爪。
「くっ!」
蔵人は瞬時に、水晶盾を爪と自身の間にインターセプトさせる。
しかし、
防げたのは一瞬だけ。
直ぐに、盾が切り裂かれてしまう。
もう一枚の盾を生成、もう一枚。もう一枚の盾を!
しかし、
全て切り裂かれ、消えていった。
尚も迫る、右手の爪。
もう、こちらまであと僅か。
蔵人は、ギリギリで水晶盾を生成、それを体に纏い、
体を反らした。
衝撃。
胸に。
押し上げられる力を感じながら、蔵人の体は後方へ飛ぶ。
それは、紫電の攻撃による余波。
爪が直接当たった訳ではない。
それでも、胸を圧迫されるほどの衝撃であった。
蔵人は地面を転がり、転がったその勢いで、立ち上がる。
前を向くと、紫電はいない。
いや、いる。
殺気が、土を踏み込む音が聞こえて、
右から。
「うるぅああ!」
「ぐっ!」
右側からの衝撃。
殺気を感じ、咄嗟に水晶盾を展開するも、衝撃は喰らってしまう。
盾が間に合わない。
殺しきれなかった衝撃が、庇った右腕から伝わり、盾で防ぎきれなかった爪が鎧を掻いて、甲高い鳴き声が耳に届く。
蔵人はその衝撃と盾の引力で吹き飛ばされながら、地面を転がる。
転がる勢いを殺しながら、立ち上がり、そして構える。
今度は、紫電も構えていた。
前線で、低すぎるその構えで、獲物を値踏みしていた。
その姿はまるで、
『し、紫電選手の猛攻撃ぃ!』
「「「キャァアアアアア!!!紫電様ぁあああ!!!」」」
『目にも留まらぬ攻撃で、黒騎士選手を追い込む!その姿は、まるで肉食獣!獲物を狩るトラの様だ!全国大会決勝戦で見せたあの雄姿が、あの技が、再びここで披露された!』
紫電の体には、凝縮された魔力が纏われ、あまりに濃度の濃いそれは、薄っすらと白く、目に見える程であった。
白い、トラ。
白虎。
『紫電選手の怒涛のラッシュに、黒騎士選手が距離を取ります!しかし、その姿はもう、敗残兵のそれです!腕、胸、ヘルム、至る所に刻まれた爪痕は、紫電選手の強烈な攻撃を表す印。もう一撃でも加えられたら、一溜りもない!』
「紫電様!今です!」
「いけます!紫電様行けます!」
「「「イケイケ紫電!頑張れ頑張れ紫電!」」」
『ここに来て一番の紫電コールだ!紫電選手大チャンス!黒騎士選手大ピンチだ!』
会場のうねりが、まるで一匹の生き物のように、観客席を躍動する。
その様子に、中央と右翼の攻防音が一段と激しくなった気がする。
だが、左翼は、蔵人達は、
動かない。
蔵人と紫電の両者に、動きはない。
互いに互いをけん制し合い、緊迫した空間が生まれていた。
そこに、
今、
紫電が踏み込んで来た!
前半の優勢から一変、後半戦では紫電さんの圧倒的スピードに翻弄される主人公。
どうなるのでしょう?
全力の龍鱗を使わないと、追いつけないと思うのですが?
「流石はチャンピョンだな。圧倒的な経験値を持つあ奴にも届くとは」
世間は広いですね。
「いや」