109話~ち、違うわ!そうじゃないの!~
記者魂に火がついてしまった若葉さんは、如月中の追加取材に行ってくるよ!と言って、その後すぐに走り去ってしまった。
という事で、蔵人はまた手持ち無沙汰になってしまった。
ホテルに帰るのは…まだロビーに人が大勢いるようなので、とても危険だ。
蔵人は次の行動を考える。
う〜ん…そうしたら…浜辺でも行こうかね?思えば海の近くのホテルなのに、1度も海に行っていなかった。
蔵人は考えを纏めると、早速移動する。
と言っても、砂浜までは歩いて10分も掛からない。
浜辺の堤防に着くと、防波堤に設置されている階段を上がり、上がった先の風景に目を細めた。
蒼い海の上に真っ赤な夕日が乗っかっていた。
黒戸の記憶よりも随分と綺麗な千葉の海が、蔵人の眼下に広がる。
綺麗な海だ。
とても関東の海とは思えない。
海自体も透明度が高いが、砂浜も白く、今は落ちかけの夕日を浴びてピンク色に輝いている。
ゴミやヘドロ等も見かけないし、秩序を乱す観光客の姿も見えない。
特区はランクによる入場制限が掛かっており、住人も上流階級の人間ばかりだから、環境が良いのかもしれない。
また、財政も潤っているらしいから、環境整備も十分な資金が当てられているのだろう。
思い返せば、俺が初めて特区に入った時も、周りの空気の美味さに驚いたものだったな。
蔵人は少し懐かしい気持ちになりながら、キレイな海を見渡していた。
すると、
「あっ」
蔵人の後ろで、声がした。
後ろを向くと、そこには鶴海さんが立っていた。
「ああ、鶴海さん」
どうやら、鶴海さんもあの群衆から抜け出せたみたいだった。
衣服に乱れはないし、ご無事であったようだ。
それでも、
「鶴海さん、さっきは済みませんでした。あのような事に巻き込んでしまって」
蔵人は言いながら、鶴海さんに向かって頭を下げた。
きっと少なからず怖い思いをしただろう。本当に申し訳ないことをした。
そう思っての謝罪だった。
だが、
鶴海さんは慌てた様に、蔵人に背を向けて言った。
「い、良いのよ。あれは、その、私も悪かったわ。蔵人ちゃんを困らせちゃったから」
そう言う鶴海さんだが、一向にこちらを向いてくれない。
声からしても怒ってないと思うのだが、繊細で配慮深い鶴海さんの事だ、蔵人の気分を害さない様にしてくれている可能性もある。
1人取り残されて、とても大変な思いをして、本当は怒っているのではないだろうか。
蔵人は心配になる。
「鶴海さん。貴女は悪くありませんよ。僕も困ってなんかいません。寧ろ、嬉しかったです。相談してくれて、不安を打ち明けてくれて」
他人に自分の弱みをさらけ出すのは、物凄く勇気のいることだ。
それに、打ち明ける相手に蔵人達を選んでくれたという事は、我々に対してそれなりの信頼を置いてくれているのではないだろうか。
他人の感情に敏感で、己を殺しやすい彼女であれば、それは尚更の事。
だから、蔵人は本当に嬉しかった。何とか力になろうと、あの時も自然と体が動いた。
「貴女をあの場に残してしまった事は、本当に申し訳なく思っています。今思えば、無理に若葉さんを追わなくても良かったのではないかと…」
「大丈夫よ、蔵人ちゃん。本当に、私は気にしてないし、あれが最善の行動だと思うわ。だって、蔵人ちゃん達がホテルから出ていってから、集まっていた人達もそれを追うように出ていってしまったのよ?あのまま貴方が残っていたら、それこそ大変な事になっていたわ」
鶴海さんの言葉に、蔵人は、ああやっぱり若葉さんが言っていた通りだったのか、と思った。
同時に、鶴海さんの声色もその後ろ姿も、やはり怒ってはいないようだ。
では何故、今になっても振り向いてくれないのだろうか?
鶴海さんの長く美しい藍色の髪が、少し楽しそうに揺れる。
「そうだったわ。結局、蔵人ちゃんは若ちゃんに追いつけたのかしら?」
「ええ、まぁ、追いつけはしましたが…」
どう説明したら良いか、蔵人は一瞬迷ったが、素直に話そうと顔を上げる。
そうすればきっと、鶴海さんなら分かってくれると思って、正直に事の顛末を伝える。
「写真のデータは、彼女の手元に残しました。若葉さんなら、悪い様にはしないと思いまして」
「そうね。私もそう思うわ」
蔵人の告白に、鶴海さんは簡単に同意してくれた。
加えて、
「じゃあ、まだ写真は残っているのね。良かったわ。後で若ちゃんから焼き回して貰わないと」
データが消えていない事を喜んでくれている様だった。
良かった。流石は鶴海さんだ。
蔵人は肩の荷が下りた気がして、うんうんと頷きながら、鶴海さんに同調する。
「本当に良かったです。あの時消さなくて。僕も直接データを見せて貰ったんですけれど、とても良く撮れていました。実はもう、後でデータ送ってくれる様に、若葉さんにお願いしているんですよ」
鶴海さんと同じ考えをしていた事が嬉しくて、蔵人は嬉々と報告した。
だが、その言葉を聞いた途端、愉し気に揺れていた鶴海さんの髪が、ピタッと止まる。
「く、蔵人ちゃん?」
鶴海さんの声が、固くなる。
「はい。何か?」
自然と、蔵人の声も固くなる。
しかし、鶴海さんは直ぐには答えず、小さく深呼吸を繰り返してから、ゆっくり、諭す様に、口を開く。
「良い?蔵人ちゃん。今の発言もそうだし、さっきのホテルでの、その、ホテルでの発言と…行動もそうだけど。あまり女の子に対してああいう事をするのは危険よ。特に、大勢が見ている中でするのは、とても危ない事だと思うわ」
ホテルでの発言とは、蔵人が鶴海さんを安心させる為に約束した、言葉を指しているのだろう。
それは、流石に蔵人でも分かる。
だが、何故それが"危ない"のか。
護ると言った発言に、何かあるのかと蔵人は考えた。
この世界特有の事情。
あべこべ世界特有の…。
…何となく分かった気がする。
貴女を護ります。これを男から女性に言うことは、そんなに可笑しくない。そう判断する基準が、この世界では異なるという事に。
いや、異なると言うより、真反対だ。なにせこの世界では、男性は非力で、女性が男性を護るあべこべ世界なのだから。
こういう事に関しては、観念が逆転していると見てもいいだろう。
では、さっきの場面。周囲の人達からはどの様に見えていたのか。
例えば、異能力を柔道に置き換えて想像してみよう。
柔道が滅法強い女子生徒がいて、強い相手を前にすると萎縮してしまう気弱な男子生徒がいる。
男子が女子に、「大丈夫。安心して。私が君を護るわ」なんて言われてしまい、頭でも撫でられるとする。
どうだろうか。
男子はきっと「うわ、俺、女子に護ってあげるとか言われて、しかも頭まで撫でられて、めちゃくちゃ情けないし恥ずかしい!!」と顔を真っ赤にするだろう。
更に他校のギャラリーがずらりと並んでいて、その光景をジッと見られていた日には、悶絶を通り越して、穴があったらそのまま埋葬されたいと思うことだろう。
いい大人だったら、多少は流せるかも知れないが、彼女達は思春期真っ只中の初心な時期なのだ。
その心情は図りしれない。
それ程の心理的負荷を、鶴海さんに課してしまったのだ。
「つ、鶴海さん。俺は、俺は貴女になんて恥ずかしい思いをさせて…」
「ストップよ、蔵人ちゃん。多分、今貴方が考えた事は、大きく外れているわ」
誠心誠意謝り倒そうとした蔵人だったが、鶴海さんの言葉で止まった。
どうやら違うらしい。
何処が、であろうか。
……分からない。
黙って鶴海さんの言葉に、耳を傾ける蔵人。
「良い?蔵人ちゃん。蔵人ちゃんはちょっと、いいえ、かなり特別だから置いておくとして、普通の男子は異能力も弱くて、力も無い、か弱い存在よ。特にCランク以上の男子は、周りから狙われる事もある危うい存在なの。だから、彼らを私たち女子が護るのは当然の事で、特区に住む女の子達はみんな、初等部の時に何時もそう言われて教育されているわ。だから、女子が男子を護ると言うのは、当然の事とみんな思っている」
うん。やはりそういう事だよな?
蔵人は内心で、先程の仮定に誤りは無いと判断する。
鶴海さんは続ける。
「でもね。昔は違ったのよ。この異能力が広まる前までは、女性が男性を護るんじゃないの。男性が、女性を護っていたのよ」
ああ、そうか。
蔵人は改めて、異能力の成り立ちを思い起こす。
異能力は、世界大戦(史実の第一次世界大戦)が勃発して、その時に異能力者が続々と現れた。
そこから、人類は異能力という神様からの贈り物を活用して、争いの無い世界を創ってきた。
鶴海さんの言う”昔”とは、この第一次世界大戦が起こる前の歴史を指している。
即ち、異能力の無い、黒戸の良く知る世界だ。
「人の歴史を紐解いて見ても、異能力が現れたのはつい最近の出来事で、それまではずっと、男性が強い世界だったの。今は見る影もないけれど、歴史が記された書物には、そんな強かった男性達の事が、いっぱい書かれているわ。そうして伝えられる昔の男性の姿に、今の女の子達は、憧れや恋心を抱いている子も少なくないわ」
なんと。
蔵人は、話の先が見えた気がして、目を瞬かせる。
鶴海さんは続ける。
「私は…あまり読まないけど、昔の男性、特に戦国時代や江戸時代ね。新撰組とか、織田信長とか、伊達政宗とか、そう言った偉人達を題材にした小説や漫画、ドラマやアニメなんかはいっぱいあって、女性達の間では、年齢を問わずにとても人気なのよ。その偉人そのものに憧れる子もいるけど、大概は、そういう強い男性に護られるというシチュエーションに、憧れや恋心を抱く子が多いわ」
そうなのか。
蔵人は新たな事実に内心驚くと同時、先程の仮定が根本から崩れる音を聞いた。
では、つまり、ホテルにいた彼女達の熱い視線の正体は…。
鶴海さんが続ける。
「だからね、蔵人ちゃん。さっきの状況はとっても危なかったわ。だって、そこら辺の女子よりも強い蔵人ちゃんが、女子に…その…護る、なんて言うんですもの。昔の強い男性に憧れる女の子達は、目の色を変えていたわよ。だって、今までフィクションの世界でしか見る事の出来なかった憧れの場面を、目の前で魅せられたのだもの。昔の強い男性と同じ存在が、目の前に存在するのだから」
『いいでしょ?別に。女子の間で流行っているだけよ』
何時かの社会科見学で、武田さんが恥ずかしそうに言っていた言葉が思い返された。
そうか。そういう事か。
蔵人は、あの時蔵人を見上げていた熱い視線の数々の意味を、今理解した。
理解と同時に、背筋が凍る。
自身の危険な行動に。
異能力がない世界でも、戦国武将は女性に人気であった。歴女という言葉もあるくらい、一定の女性たちには、そういうカッコイイ武将には大きな需要があった。
勿論、幼い男の子や、か弱く儚い男の子(男の娘?)の需要も在りはした。
だが、この世界では、か弱い男性ばかりであり、供給はそれなりにある。
希少な存在なのは、強い男性の方だ。
強く頼りがいがある男性。
ひと昔前までは、当然のように存在していたそれらの存在は、神の介入によって絶滅危惧種にされてしまった。
この世界では、強い男性はほとんどおらず、しかし、それを求める女性の数は計り知れない。
需要と供給が物凄くアンバランスな状態だ。
言わば、米騒動。オイルショック。
飢饉にも似たその状況に、急に欲する物を供給したらどうなるか。
押し寄せる人の波が濁流の如く、蔵人を呑み込んでしまっただろう。
あの人垣は、その序章であったのか。
「分かってくれたかしら、蔵人ちゃん。貴方の言動は、とっても危険だったのよ。だから、ああいう発言を誰彼構わず、女の子達に向かって気軽に使うには、控えた方がいいと思うわ」
鶴海さんの言葉に、蔵人は同意しかけて、頷きを止めた。
彼女は少し、勘違いをしていると思って。
「鶴海さん、一つ、訂正させてください」
蔵人は一歩、未だ背を向け続ける鶴海さんに近づく。
鶴海さんの肩が、ぴくッと跳ねた気がする。
「僕は、誰彼構わずあのような事は言いません。貴女が鶴海さんだからです。鶴海さんだから、俺は守りたいと願ったのです」
「なっ!」
蔵人の言葉に、鶴海さんはこちらを振り返った。
やっと振り返ってくれた鶴海さんの顔は、お目目を大きく開いて、こちらを驚いた様に見ていて、顔全体、耳や首まで真っ赤だった。
何時も冷静沈着な鶴海さんが、若葉さんと同じ反応を…。
いや、彼女の事だ、これは…。
「つ、鶴海さん!顔が真っ赤ですよ!風邪ですか?風邪をひいていたのに、無理して隠していたのですか!?」
だから頑なに、こちらを振り向いてくれなかったのか。
彼女の事だ。他の人を心配させまいと、無理をしていたのだ。
早くホテルに戻って。いや、病院に直行だ。救急車の電話番号は何番だ!?
蔵人がテンパっていると、鶴海さんは、一歩、一歩と蔵人から離れていく。
「ち、違うわ!そうじゃないの!」
手をブンブン振って、蔵人を止めようとする鶴海さん。
蔵人は、ポケットから携帯電話を取り出した状態で止まる。
「違う?では、そのお顔の赤みは…?」
「こ、これは、あれよ…」
そう言いながら、鶴海さんは、蔵人に背を向けて、
「夕日のせいよぉおおーーーーー!!」
砂飛沫を上げながら、砂浜を爆走して行った。
一瞬、鶴海さんの走り去る姿をボケッと見ていた蔵人だったが、
ああ成程。夕日かと、蔵人は背中に背負っていた夕日を振り返る。
おい、お前のせいで要らん勘違いをしてしまったじゃないかと。
「うん?あれ?」
しかし、蔵人が抗議しようとしたい相手は、既に存在しなかった。
そこに有ったのは、そいつが残した僅かな残り火と、帳を降ろした夜空に散りばめられた、幾数もの星々の明かりだけであった。
う~ん…罪作りですね。
最近、空回りばかりの主人公。何故、恋愛方面は鈍いのでしょうか?
「恐らく、自身を過小評価している事が原因だろう。スペックが低い俺に、誰かが振り向くことは無いだろうと、今までの世界の感覚でいるのだろうな」
なんと…。
現実を見て頂きたいですね…。
イノセスメモ:
・この世界の女性達は、強い男性に物凄い憧れを抱いている←それ故に、強い女性やカッコイイ女性は、他の女性達の彼氏候補と見られると推測される。また、白羽選手の発言や、武田主将の武士言葉も、過去の偉人たちへの憧れがあった為と推測される。