95話~やっと、会えたね~
「はぁっ!」
「ふっ!」
交わり合う、拳と拳。
ぶつかり合う、気合と気合。
再び交わりだした、2人の拳舞。
海麗と蔵人の攻防が、フィールドの中央で火花を散らす。
「やぁあっ!」
「っ!くっ」
だが、先ほどまでの一方的な試合ではない。
海麗の攻撃が、あと少しで蔵人を捉えるところまで来ていた。
蔵人の頬に貼った盾がひしゃげ、蔵人の頬に一筋の傷が入る。
蔵人の動きに鈍りは無い。
魔力も気力も十分だ。
変わったのは、海麗。
彼女の、内面。
蔵人との会話で思い出したのは、おばあちゃんとの練習の日々。
ギラギラと太陽が降り注ぐ真夏の日も、
足冷えして、お腹が痛くなりそうな冬の日も、
オンボロ道場が飛ばされそうになった台風の日も、
おばあちゃんと一緒に過ごした練習の日々。
大切な時間。
『ららちゃん、ちゃんと相手を見な。相手の目を見れば、動きが分かるんだよ』
『相手を叩こうとするんじゃない。拳を置くんだ。相手がいる場所に、拳を届ける』
『動きをよく見な。相手の攻撃には、動きってもんがあるんだよ。始点と、終点が。始点を見て、一連の動きを予測して、そこに拳を届けな』
『流れっていうのはね、生きている者には必ずあるんだよ。ほら、おばあちゃんの体にも、ららちゃんの体にも、流れているだろう?これと同じ。血と同じものが、体中を流れているんだ。それが、魔力だよ』
『空手も異能力も一緒だよ。生きているなら、必ず流れがある。その流れを掴みな。それが、海波流の空手だよ』
おばあちゃんと一緒に過ごした日々が、今も鮮明に思い出せる。
おばあちゃんに教わった色んなお話も、手取り足取り教わったさざ波の感覚も。
目を閉じれば、より鮮明に思い出す。
おばあちゃんのあの姿が、あの姿のままで、海麗の瞼の奥で、呟いた。
『ららちゃん。出来るね?』
「うん、おばあちゃん」
頷き、海麗は目を開ける。
流れを感じる。体中を流れる血が、気力が、魔力が。
あの時と一緒だ。
沖縄で、祖母と一緒に稽古をしていた頃と。
幼い頃は常に意識していたのに、最近は意識の外にあった感覚。
忘れていた感覚。でも、
思い出した。
その途端、お腹の中にあった重さも、体に纏わりつく感覚も無くなった。
体中に活力が戻って来る。
体が、気持ちが楽になる。
行くよ。おばあちゃん。
海麗が静かに、拳を突き出す。
その正拳が、蔵人の盾を吹き飛ばす。
静かに、しかし、速い拳。
蔵人の水晶盾を、板割のように真っ二つに叩き折った。
だが、盾を貫通した拳は、蔵人を捉えられなかった。
彼の体は、大きく傾いて、海麗の拳を避けていた。
彼の体は今、海麗の目下。
ありえないほど体を捻らせ、彼が繰り出してきたのは、上段廻し蹴り。
まるで、空を飛んでいるのではと思わせるような角度で、蔵人の攻撃が迫ってくる。
でも、それは、海麗には分かっていた。
蔵人の魔力の流れが、そう語っていた。
魔力が見えている訳ではない。でも、感じる。なんとなく、そんな風に流れが出来ていると、分かる。
彼に流れる、魔力の始点と終点が。
「ふっ!」
海麗の顔面横を通り過ぎる足。
海麗には、分かる。
この廻し蹴りの後に続いている、もう一本の流れに。
裏拳。
廻し蹴りの勢いをそのままに、繰り出される高速の一撃。
それを、海麗は右手で受け止め、受け流し、空いた蔵人の体に、一撃を入れる。
「せぃやぁああ!」
前蹴り。
渾身の一撃。
彼の胴体に入ったその一撃は、彼を数メートル吹き飛ばし、地面に這いつくばらせた。
「ありがとう、おばあちゃん」
瞼の中のおばあちゃんは、うんうんと、ただ、頷いていた。
のそりと、海麗の目端に映る人影。
蔵人が、ふらりと立ち上がっていた。
「ぐっ、ふふっ。やりますね。流石は、桜城のエース。良い目をされている」
蔵人の口から、血が出ていた。
内臓を傷つけた?
違う。
ただ、唇を切っただけだ。
そんなにダメージを負っているはずはない。
「そっちもね」
海麗の言葉に、蔵人は少し目を張る。
海麗には見えていた。
海麗の前蹴りが到達する、その直前。
蔵人のお腹に盾が集まり、衝撃を吸収していたことを。
まるでエアバッグの様に、盾がたわんだ事を。
蔵人が、嗤う。
「ほぉ、見えていたのですか。あの瞬間を。そのような細部まで」
「うん。だって、これが、私の流派だから」
海麗の言葉に、蔵人は一歩前に出る。
「実に良い目、良い力です」
蔵人が構える。
先ほどよりも、少し前よりの構え。
攻めの、構え。
魔力の流れが、変わった気がした。
…来る。
蔵人が踏み込む。
瞬間、目の前に現れる黒の塊。
流れる魔力。
蔵人の構えから中段突きが繰り出されようとしているのが分かる。
そして、その次は右足による蹴りに繋げる気か。
海麗は流れるように、蔵人の中段突きを受け流し、蔵人のガードが空いた部分にコンパクトな突きを、
蔵人の魔力の流れが、変わる。
右足での蹴りではなくなった。
まだ、海麗は突きを放っていない。蔵人の中段突きを受け流したところだ。
魔力を、左拳に流しただけ。
それなのに、既に彼は動き出していた。
魔力を左拳に流がし始めている。アッパーでのカウンターか。
体の動きもそれに合わせ、カウンターを狙う動きに移りつつあった。
不味い。
海麗は、何とか攻撃を中止して、一歩、後退する。
すると、蔵人もそれに合わせるように、海麗から一歩退いていた。
後退している自分を迫ってくるかと考えていたが、そうは簡単に引っかかってくれなかった。
飛び込んできてくれたら、いくらでも対処出来たのに。
いいえ。それよりも、先ほどの動きだ。
蔵人は海麗が攻撃する間に、既に動き出していた。
まるで、自分の動きが見えているかのように。
流れが、分かるかのように。
「…っ!」
ありえない。
海麗は、一歩前に出て、蔵人に攻撃を仕掛ける。
そんなこと、ありえない。
日々の練習で勝ち得たこの技を、お金の力だけで得られるはずがない。
おばあちゃんとの日々は、そんな軽くない!
海麗は再び、蔵人と拳を交える。
打ち出して、受け流され、攻撃され、受け流す。
その流れが、途切れることなく続いていく。
ありえない。
そう思っても、今目の前で繰り広げられる攻防は、相手の流れを見ることが出来ないと成り立つはずがなかった。
見えている?彼も。
海麗の正拳を、正面で受けた蔵人は、また数歩後退した。
海麗は構え直す。
いいえ。仮令薬の力で見えていたとしても、出来るはずがない。
見るだけじゃダメなんだ。この流派の技は。
見て、理解して、
相手の流れを、自分の流れに乗せて、
捌いて、裁く。
一連の流れをしっかりと作れるような、そんな技量が必要で、
それには、とてつもない量の練習が必要だ。
例え、お金の力で筋力や魔力が増やせても、仮に目がめちゃくちゃ良くても、技量だけはお金じゃ手に入らない。
この技は、頭で理解するのは勿論、体も覚えないといけないから。
だから、つまり、それは…、
そういう事。
構え直した蔵人に、海麗は声をかける。
「ねぇ、君も見えているんでしょ?私の流れが。私の魔力が。それも、その技術も、巻島家の力で得た物なの?」
「…ええ。そうですよ」
笑顔で答える蔵人。
でも、その笑顔は作り物だ。
紡いだその言葉には、心が籠っていなかった。
いいえ。この言葉だけじゃない。
最初から、彼の言葉には心が通っていないことがいっぱいあった。
「嘘ね。嘘ばっかり」
特に酷かったのが、自分を語ったところ。
「私が頑張って鍛えた技術は、お金じゃ買えないものだよ?」
「…どうでしょうね。買えるかもしれませんよ?」
「どうやって?」
海麗の問いに、蔵人は少し考えるように目線を泳がせて、
ふふっと、自虐的に笑った。
そもそも、今考えているようじゃ、嘘だと言っているのと同じである。
そう、分かったらしい。
それを見て、海麗も笑う。
「ねぇ、どうやって手に入れたの?」
蔵人が、海麗の目を見る。
暗く深い蔵人の瞳に、海麗が映る。
「努力」
蔵人の言葉。
一言でも、重さが違う。
並べた嘘より、この一言は重い。
中身のある、言葉だ。
海麗は、安堵して笑う。
「安心したよ。私と一緒だ」
海麗の言葉に、蔵人も笑う。
一瞬、笑い合う二人。
でも、すぐにそれは消え、鋭い視線をぶつけ合う。
そして、両者は同時に踏み込む。
接敵、開戦。
先ほどよりも数段激しい攻防。
海麗はもう、魔力の制限を解除していた。
正真正銘の、全力。
拳に込められる魔力は、既にBランクのそれを凌駕し、Aランクの拳と化していた。
一発一発が切り裂く風の音が、海麗の耳元まで聞こえる。
足を振り払い、切り裂かれた空間が風を生み、芝生が身をよじる。
今まで海麗の攻撃を、その発射前に潰していた蔵人の盾も、なすすべなく砕けて消えていく。
既に、蔵人は海麗の攻撃に対して、妨害することをやめていた。
ただ、先だって軌道を読み、そこから体をずらして、攻撃を避けていた。
それでも、やはりダメージは負っている。
あまりに速い拳の周りには、その拳に引きずられて生じる衝撃波が爆ぜ、彼の小さな盾達を引きはがす。
次第に、蔵人は防戦一方になって、
しかし、
「ぐっ」
海麗は、苦痛の吐息を吐く。
衝撃。
背中?
海麗は、いきなりのことに、呼吸を乱した。
何が起きた?
何かが背中に当たった?
分からない。
蔵人から目線を切れない海麗は、足に力を集中し、思いっきり後ろにジャンプして、大きく後退する。
飛び退る中、海麗が目にしたのは、
盾。
盾、盾、
盾盾盾盾。
盾の檻。
数えきれない程の盾が、海麗がいた場所周辺に浮いていた。
いつの間に。
海麗が着地すると同時、浮いていた盾の数枚が、高速で海麗を急襲する。
正面、上空、左右同時。
「はぁあ!」
海麗は、正面に拳を突き出す。
高速の突き。
その突きに乗せられた魔力波と衝撃波が、脆弱な盾を雲散霧消させる。
「せいっ!」
3方向から来た盾も、上段廻し蹴りで生じた衝撃波で一気に蹴散らす。
盾の攻撃は、大したことない威力だ。
だが、
「厄介だね」
つい、弱音を漏らす海麗。
死角から突如現れるそれは、呼吸を、ペースを乱されるのには十分すぎる。
蔵人との死闘の中で、それらを乱すというのは、大きな隙を作るのと一緒。
近づくことが出来ない。
かといって、海麗には遠距離の攻撃手段はない。
己の拳と蹴りが届く範囲。それが、自分の領域。
遠距離攻撃もできる相手に対して、後退は失敗だったか。
「いいえ」
海麗は、深く、深く呼吸を吸う。
自分には、まだ有効な手段が残されている。
拳を突き出すだけが、武器ではない。
何度も何度も走りこんだこの足こそ、海麗の本当の武器。
弾丸を撃ち出す、砲台のように。
右拳と両足に、魔力を回す。
この力で、相手に飛び掛かり、一気に決める。
だが、懸念もある。
それは、避けられたら終わりということ。
蔵人の高速移動よりも早く動き出すという、分の悪すぎる賭け。
負けることの分かっている、勝負。
それでもと、覚悟を決めようとした時、
「…すぅぅう…」
深い、呼吸音。
前方から聞こえたそれは、蔵人の息遣い。
海麗と同じ、深い呼吸。
彼の構えが、さらに深く、地面に体を縫い付けるように、落とし込んでいた。
その姿はまるで、今から海麗がすることを分かっているかのように。
海麗の拳を、受け止める覚悟のように見えた。
彼の拳にも、大きな魔力が流れ込んでいる。
いや、流れているというよりも、廻っている。
ぐるぐる、ぐるぐる、川の流れのように、つむじ風のように、とても滑らかに、とても荒々しく、魔力が廻っている。
その流れは、まるで大河のように力強く、そして、
「…綺麗」
呟いた海麗の言葉に、蔵人は頷いた。
「貴女も綺麗だ。その力」
海麗の極限までため込んだ拳を見て、蔵人が言った。
海麗は、首から上が熱くなるのを感じた。
「…ありがとう」
嬉しかった。
褒められたことが、この上なく嬉しかった。だって、
「これは、おばあちゃんの力。おばあちゃんと私が作った、作り上げた、宝物だから」
おばあちゃんの教えが、ここにはあった。
おばあちゃんと一緒に歩んできた証拠が、この拳だ。
この世界に、おばあちゃんがいたという確かな証。
おばあちゃんの心だ。
「やっと、会えたね」
こんなところに、おばあちゃんがいたんだ。
海麗が良く知る、おばあちゃんの拳が、ここに。
熱い感情が、こみ上げてくる。
そんな海麗に、
「おばあ様は死んだ。もういない」
蔵人の、冷たい言葉が降りかかる。
海麗は彼を見る。彼の顔は厳しかった。
でも、
「だけど、貴女の拳に、その胸に!一つになって生き続ける!」
彼の瞳には、暖かい紫色の光が灯っていた。
「うんっ…!」
海麗は、笑う。
蔵人も、笑う。
彼の拳が、真っすぐにこちらを向く。
「さぁ先輩、始めましょう。この勝負の終わりを」
蔵人の魔力が、より速く、より強く、螺旋を描いて回転する。
海麗は、頷く。
「行くよ」
「貴女の思いと俺のドリル、どちらが強いか」
蔵人が、嗤う。
「勝負!」
「あ奴の演技が、祖母の練習風景を思い出させたのだな」
そのようですね。
主人公が努力も無しに力を得たと聞いて、自分が努力してきた日々を思い出してくれたようです。
後は…。
「そうだな。後は、この舞台の幕を下ろすだけだ」
ハッピーエンドなら、良いのですが…。