10/11話 大暴走
二階に入ると、皇二の死体に近寄った。目当ての物は、すぐに見つかった。
大量に重ねられたA4用紙の右端をステープラーで綴じることにより作成された、冊子だ。表紙には、「ゲーム機メンテナンスマニュアル 簡易版」と印字されている。
雀雄は、それの表紙を捲ると、目次を確認した。トランセンドバストについて、情報が載っていないか、と思ったのだ。
さいわいにも、それらしき項を見つけることができた。彼は、そこまでページを飛ばすと、本文に目を通し始めた。「ガラスケースは、外側からの衝撃には、とても強いが、内側からの衝撃には、ひどく弱い」だの、「さらなるメンテナンスを行う場合は、本格版を参照」だの、いろいろなことが記されていた。
一時間強かけて、雀雄は、その項を熟読した。彼も、機械工作のスキルを有している。そのおかげで、書かれている内容については、ほぼ完全に理解することができた。
「よし、これで……!」
雀雄は、マニュアルの近くに落ちていたノートパソコンを手に取った。皇二が、殺される前、インテグレーターをメンテナンスしていた時、操作していた物だ。
彼は、それを床に置くと、ディスプレイを、ぱかっ、と開いた。スクリーンセーバーを解除して、カーソルを動かしたり、キーボードを叩いたりしてみる。
どうやら、故障してはいないようだ。そうとわかると、雀雄は、ディスプレイを、ぱたん、と閉じた。ノートパソコンや、USBケーブル、その他、周囲に散らばっていた、メンテナンスに必要な道具を、左脇に抱える。
その後、彼は、工具箱が落ちている所へ向かった。ひっくり返っているそれを、元に戻して、床に置く。
それから、辺りに散らばっている工具を、収納した。蓋を、ばたん、と閉めると、取っ手を持つ。
最終的に、雀雄は、トランセンドバストの前に戻った。その後は、マニュアルに書かれている手順に従い、メンテナンスを行った。十数分が経過したところで、なんとか、ノートパソコンと、トランセンドバストに組み込まれているコンピューターを、ケーブルで繋ぐことに成功した。
彼は、椅子に腰を下ろすと、テーブルの上に載せたノートパソコンを操作し始めた。ゲーム機をコントロールするためのアプリケーションを、開く。
その後、いろいろな処理を行うと、アプリケーションをクローズした。顔を上げ、トランセンドバストの様子を確認する。
各種ギミックが、とても速くなっていた。上段・下段プッシャーは、引っ込んだり飛び出したりする動きを、それぞれ、半秒もしないうちに終えている。今は止まっているが、スロットのリールも、高速で回転するはずだ。
グレイルも、メンテナンスの影響を受けていた。開口部の中を、びゅんびゅんびゅん、と、目にも留まらぬスピードで移動している。
しかし、メダルをゲットするのに、問題はない。今や、フィールドから落ちたそれは、各開口部に入るだけで、獲得できるようになっているからだ。
雀雄は、ノートパソコンを、ばたん、と閉じた。見つけたマニュアルは簡易版であるため、このくらいの調整しかできなかった。冊子によると、本格版もあるそうだが、どこにあるのかもわからない。
「上出来だ……!」
雀雄は、リール停止ボタンの左横に置いてあるカップの中に手を入れた。そこから、メダルを一枚、摘まみ上げると、レールに載せ、転がす。
投入メダルは、上層フィールドの奥に落ちた。その後、上段プッシャーが引っ込むことにより、上層フィールドの手前の端に位置していた既存メダルが一枚、落下した。チャッカーを、通過する。
どぅどぅどぅどぅどぅどぅ、という電子音を鳴らしながら、リールが回りだした。予想どおり、四つとも、ギミック高速化の影響を受けていた。今や、表面に手で触れると、指がごりごりと削られるんじゃないか、と思えるくらいのスピードで、動いていた。
「これじゃ、目押し、できないな……まあ、おれは、目押しのテクニックなんて持ってない……どのみち、運頼みだから、どうでもいいか……」雀雄は、そんなことをぼやきながら、ボタンを押そうとした。
ぼぎっ、という大きな音が鳴り響いた。直後、奥壁の、一番リールが設置されているあたりが、ばきゃっ、と派手に砕けた。さらには、その中から、リールが手前へ飛び出してきた。
「わ……?!」
雀雄は、あんぐり、と口を開けた。飛び出してきたリールは、ケースにぶつかって、があん、という音を立てた。びしいっ、という音とともに、ガラスに、大きな、放射状の罅が入った。
リールは、落下すると、下層フィールドに、どさっ、と着地した。その後、間髪入れずに、どしん、と横倒しになった。ちゃらじゃらんじゃらあん、という、メダルが擦れ合う音が、辺りに鳴り響いた。
「まさか、芯棒が、高速回転に耐え切れず、折──」
雀雄は、そこで、言葉を打ち切った。ぼぎっ、という、芯棒が折れる音や、ばきゃっ、という、奥壁が砕かれる音とともに、二番リールが、手前へ飛び出してきたからだ。
それも、ケースに衝突した。ガラスは、がちゃあん、という音を立てて、割れた。
「ぬわ……!」
雀雄は、全身を思いきり仰け反らせた。突然だったので、バランスを崩してしまう。体が、どんどん、後傾していった。
数秒後、どしん、と背中が床にぶつかった。同時に彼は、両脚を、ばっ、と伸ばした。マシンの正面、テーブルの下部あたりを、げしっ、と蹴りつける。
こけた時の勢いを利用して、後転した。その間に、リールは、雀雄の上を通過していった。
一回転した後、床に手をついて、立ち上がった。トランセンドバストに、視線を遣る。
直後、ぼぎっ、ばきゃっ、という音を立てて、三番リールが、飛び出してきた。それは、フィールドやテーブルを飛び越えると、床に、どしん、と着地した。そして、間髪入れずに、ごろごろごろ、と雀雄めがけて転がり始めた。
彼は、「はっ!」という声を上げた。だっ、と床を蹴りつけ、ジャンプする。
直後、ぼぎっ、ばきゃっ、という音を立てて、四番リールが、飛び出してきた。それは、フィールドやテーブルを飛び越えると、そのまま、宙を突き進んできた。
「ぐ……!」
雀雄は、ばっ、と左右の腕を目の前で交差させた。奥に左腕、手前に右腕を配置した。
まず、床を転がってきたリールが、そのまま、足の下を、ごろごろごろ、と通過していった。それから、半秒も経たないうちに、宙を吹っ飛んできたリールが、彼の腕に、どかあん、と衝突した。ぼきっ、という音が聞こえ、ずきっ、という痛みを感じた。
「ぐあ……!」
衝撃により、体が、後ろへ、傾きつつ、動いていった。そのまま、成す術なく、落ちていく。
数瞬後、床に、どちゃっ、と尻餅をついた。臀部に、鈍い痛みを感じた。リールは、雀雄の目の前に、横倒しになった状態で、どしん、と着地した。
「うぐぐ……」
雀雄は、未だ胸の前で交差させている腕のうち、左腕を動かそうとした。
次の瞬間、ずっきん、という、強烈な痛みが、その部位に走った。
「うぐうっ?!」
無意識的に、そんな声を上げた。両目を、かっ、と瞠る。
しばらくして、痛みは、ややマシになった。雀雄は、おそるおそる、といった体で、左に視線を遣った。
前腕の真ん中あたり、関節が存在しないはずの部分が、曲がっていた。真ん丸に腫れ上がってもいる。リールがぶつかった時の衝撃で、骨が折れてしまったに違いなかった。
「うう……」
雀雄は、右手を床につくと、よろよろ、と立ち上がった。左腕は、交差させていた時とほとんど同じポーズで、胸部にくっつけていた。少しでも動かそうとすると、激痛が走るため、ろくに操れないのだ。
彼は、トランセンドバストに視線を遣った。奥壁、四つのリールが埋め込まれていたあたりには、大きな穴が開いていた。そこから、内部機構の様子を見ることができた。芯棒は、未だに、高速で回転していた。
「どうやら、壊れたのは、リールだけで、その他のギミックは、すべて、正常に稼働しているようだ……メダルの獲得には、影響ないかな……」雀雄は、ふ、と短く安堵の息を吐いた。
しかし、その後すぐに、もうゲームをプレイする必要はない、と気がついた。ガラスケースには、リールが衝突したことにより、大きな穴が開いている。上半身を、あそこにくぐらせ、上層フィールドに手を伸ばせば、それで、メダルを取り戻せるではないか。
「やった……!」
さっそく雀雄は、トランセンドバストに近づいた。ガラスケースに開いている大穴の中に、上半身をくぐらせる。右手を、上層フィールドの奥あたりにある、目当ての物めがけて伸ばした。
もしや、また、何らかの災難に見舞われて、メダルを手に入れられなくなってしまうのではないだろうか。ふと、そんな、妄想じみた不安に襲われた。
しかし、それは杞憂に終わった。彼は、右手で、難なく、上層フィールドにある目当ての物を摘まむことに、成功した。
右手を動かし、メダルを、掌の中央部分に送り込む。ぐっ、と拳を握り、しっかりと保持した。