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愚者


海の底、奥深く。

入り組んだ洞窟にある魔女の住処。

本来ならこんな場所に居るはずのない、不釣り合いな存在がひとり。


「ふぇ、ふぇ、ふぇ。初めてお前のような娘が来たときは驚いたが、年頃の娘にありがちな下らん理由じゃな」


しわがれて、耳障りな醜い声。


「……そんな事より、約束の薬はまだですか?」


鈴の音のような、澄んだ美しい声。


「ふん、あの薬は作るのに時間がかかるんじゃ。それより約束は覚えとるな」


苛立ちを隠しもせずに、老婆は美しき人魚姫に詰め寄った。

人魚姫は青い瞳を歪ませ、頷いた。


「わかっています、魔女様。薬と引き換えに私の声を差し上げます」


「ふ〜ん、薬ひとつ満足に作れないくせに見返りだけはしっかり要求?」


会話に突然割り込んできた声に、ふたりは弾かれたように振りかえった。

そこには腕を組み、壁にもたれ掛かっているカメリアがいた。


「……?」

「誰じゃお前は!」


キョトンとした顔で首を傾げる人魚姫とは対照的に、老婆はカメリアを睨み怒鳴りつける。

だが、カメリアは老婆には目もくれず人魚姫に歩み寄る。


「はじめまして、人魚姫ちゃん。私が人間にしてあげようか?もちろんタダで」

「え?」


突然の申し出に人魚姫は目を見開いた。


「冗談はおよしっ小娘!」


老婆はさらに大きな声で怒鳴り、シワの刻み込まれた手をカメリアに伸ばした。

が、その手はカメリアに触れることなく弾き飛ばされた。

いつの間にかふたりの間に存在していたシュテラリアによって。


「な!貴様いつの間にっ!?」


今まで影すら見えなかった男がいきなり目の前に現れたのだ。

老婆の驚きは当然と言えよう。


手を弾かれた痛みにようやく老婆も頭に上った血が下がったのか、口元に笑みを浮かべた。


「そうか、お前ワシと同類だね?」


カメリアは僅かに眉間にしわを寄せ、チラリと老婆に視線を寄越した。


「同類?冗談でしょ?」

「同類じゃよ。お前も魔女じゃろう?どこで話を耳にしたかは知らぬが、この娘はワシの客じゃ」

「客ねぇ、アンタごときが?ババァはとっとと引退して墓に埋まってろ」

「ふぇ、ふぇ、ふぇ、口の減らん小娘じゃ。キャリアの差を思い知らせてやる」


老婆が何事かを口のなかで呟くと、老婆を守るように一匹の蛙が現れた。

その体はカメリアとシュテラリアの目から老婆の姿を隠す程大きく、背には無数のおうとつがあり、毒々しい紫色をしていた。

余りの気持ち悪さに、最も遠い位置に居る人魚姫が短い悲鳴をあげ気を失った。


「フロウグ。まずは男から始末するんじゃ」


その言葉と共に蛙の口から体と同色の粘液が吐き出された。

シュテラリアはピクリとも動かずに粘液を被った。


「ひゃっひゃっひゃっひゃっ!溶けろ溶けろ!」


バァァアン!という音をたて蛙が内側から弾け飛んだ。

老婆は蛙の肉片を浴びて固まっている。


「で?まさかこの程度で俺を殺せると思ったのか?」


シュテラリアは四方に飛び散ったはずの肉片をひとつも浴びずに、そこに立っていた。


目を見開き、肉片にまみれた老婆は一歩一歩後ずさり、シュテラリアから離れていく。

洞窟の壁まで下がり、それ以上下がれないことがわかると、その場に座り込んでしまった。

その目には、恐怖と畏怖が簡単に見て取れた。


そんな老婆を一瞥して、カメリアはシュテラリアに声をかけた。


「さっきの使い魔?契約?」

「俺と同じ、契約」

「あんなクズが?」

「まあ、俺達もピンキリだし。相手がこんな干物じゃな」

「ぷっ、確かに」


老婆の存在など忘れたかのように、ふたりはクスクスと声をたてて笑い合っていた。


「それで、この干物どうするんだ?」

「ん〜?いらない、かな。殺っちゃって」


カメリアは誰もが見惚れる美しい笑みで言った。

その言葉にシュテラリアが右腕を振り上げた。


『我はソロモン72柱が1柱 大公爵    』


人とは違う、明らかに異質な声で朗々と言葉を紡ぐ。

たが、名前を紡いだはずの言葉だけが理解できない。


『交わりの契約 与えられた名に従い 我が力を解放せん』


全ての言葉を紡ぎ終えた彼の姿は、すでに人間ではなかった。


漆黒の闇が辺りを覆った。



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