全国小学生団体戦 スマッシュボール杯 大阪大会編 〜プロローグ〜
「リンドウ! タタタ大変!」
関西空港、国内線ターミナル。
僕は、リノリウム張りの床に手をついて、ノロノロ体を起こす。
……僕、今転んだんだよな?
「ゴメン、すぐ起きる……あ、大丈夫です、スミマセン」
派手に転んだ音に振り向いた、観光客らしい親子連れに、謝った。
オリガに引き起こされる。
ブロンドがサラサラと頬に触れ、顔を掴まれた。
父さんに殴られたとこが痛い。
けど、その痛さのおかげで、何とか立ってる。
オリガの、泣きそうな顔と向き合う。
もうこの旅で慣れてしまった香りが、ぼんやりした意識に滑り込んできた。
「……モウ、ヤメヨ? 十分ダヨ、無理ダヨ、ボロボロジャン」
……だよね。
僕は、床に視線を落した。
視界の周りに白くボンヤリとした輪が見える。
慣れない食事と緊張、時差ボケ、軍用ヘリと飛行機の騒音で、僕の体調は最悪だった。
正直、マトモにスマブラ出来るか、自信ない。
「何しとんねん、凛!」
振り返ると、僕の荷物を引いた父さんが、引き返して来るとこだった。
短パンに、Tシャツ、そこからのぞく手足も顔も擦り傷と、包帯だらけ。無精髭の顔に充血した目。
日本で何してたんだよって、突っ込む元気が僕にはない。
「橘ンとこのバイクが待ってるはずや、走れ!」
「……凛のパパ、待って!もう無理っぽいヨ……病院イコ?」
僕を庇うように前に出たオリガが、必死に言う。
さっき、僕が父さんに殴られるのを見てたからだ。
父さんが、目を細めて僕を見下ろす。
正直、びびった。
「ほー……凛、好き放題、周りに迷惑かけた上に、女に庇ってもろて、ええ身分やんけ?」
……わかってる、そんな事。
言い返そうとした、オリガを押しのけ、前に出る。なめられてたまるか。
「んで、凛よ。オリガちゃんのススメで、病院行きましたー、間に合いませんでしたー」
父さんは、言葉を切ると、僕に視線の高さを合わせて言った。
「一番責任感じてる、オリガちゃんにそんな事言わせてええんかい?」
「……!」
僕は顔をゆがめた。
そうだ、オリガの事だ。
間に合わなかったら、リーファとナディアに詫びを入れるために、何をしでかすか分からない。
大会は、8時半受付開始。出場選手、3人揃ってなくちゃいけない。
9時から予選。3戦中、2回勝ったら上に進む。子供の大会だから、2回勝って、相手の負けが決定してても、3戦目をやる。
今、8時前。
会場のサンシャインビルまで、約1時間。
ギリギリ間に合うかどうか。
いや、行くんだ。
少なくとも、こんなとこでウダウダしてるより、一歩でも会場に向かえ。
「行くよ」
僕は二人に聞こえるように言ってから、歩き出した。
「行って勝つ、全部正解にしてやる……え?」
父さんは、脇を通り過ぎようとする僕の腕を掴み、手に持っている透明の棒を押し付けた。
カチリと音がしただけ。
……これ、無痛注射器じゃん。
母さんが医者だから、何回も見てる。
父さんが注射器を離した部分には、薬液がたれているだけ。
「母ちゃんが作った強壮剤や。よう効くで……ちょっとニンニク臭いけど、我慢せい……よっと」
返事を聞かずに僕を肩に担ぎ上げた。
一瞬で僕は、抵抗をやめた。
これが一番早いのは間違いないから。
周りの視線を集めて、恥ずかしいけど、間に合うんなら、何でもやってやる。
「お前、自分で選んだ事やっとるんやろが?無理せんかい。オリガちゃん、荷物頼んだ」
言い終える頃には走り出し、父さんの肩に垂れさがった、僕の視界はガクガク揺れる。
体調悪化するよねこれ。
「凛!ワタシがナントカスル!」
オリガが並んで走りながら叫んだ。
「プランはある、10時マデに入れタラ!だから、あきらめンナ!」
舌を噛まないように。
確実に伝わるように。
僕は親指を立てた。
逆さに見えるオリガの顔が歪んだ。
バロチから、ずっと、コイツ泣いてばっかりじゃん………
ゴメンな。
ロシア語で何か叫んでる姿がぼやける。
あれ……?
薬打って30秒くらいなのに、僕は頭がふわふわして来るのを感じた。
マズイな。
マズイ……
僕は気を失った。
結論から言うと、僕は受付に間に合わなかった。
✱✱✱✱✱✱✱
オリガは、走るのを諦め、林堂達が走り去るのを見守った。
胸を弾ませながら、周りの視線に気づく。
子供を肩にのせて、全力疾走で、走り去る中年。
人攫いに見えないように、オリガは、手を振りながら、大声で言った。
「パパ、凛の事タノンダ!絶対間に合わセテ!」
誰もが振り返るブロンドの少女は、大声を上げたせいで、殊更目立っていた。
好奇の視線を歯牙にもかけず、スマホを取り出すと、自分に言い聞かせるように呟く。
「ワタシハ、ビジネス失敗シナイ」
髪を払い、険しい顔でlineの応答を待つ。
出た。
彼女は、使い慣れたウルドゥー語で宣言した。
「プランᗷ開始……お館様より通達。『マフディーの全てを賭けよ。これは聖戦である』繰り返す……」
少女は、眼に光を溜め、時間と空間に、そして、まだ見ぬ、大阪会場のスタッフに対し、戦いの狼煙を上げる。
「これは聖戦だ」