カレー食べます?
天国と地獄。
空調の効いた、オーシャンフロントの部屋から、闇に沈む水平線を眺めていると、その言葉が実感できる。
ドバイ。
ジュメイラ・ビーチを見下す窓から離れ、手に持っていたペリエの瓶を、大理石のテーブルに置いた。
あれから、アフガニスタンに入国、首都カブールまでツテを使って到着。
タリバンの支配する混乱の街を早々と後にし、この楽園まで辿り着いた。
林堂君たちは、そろそろ日本についた頃だろうか。中々連絡がつかなかったが、林堂君のlineから、一度だけ返信が。
「厳しいかも」
の1行だけ。
娘には悪いが、こちらは難しいどころではなかったし、今からも難しい問題が控えている。
後は彼らの問題だ。
乱暴なノックが、部屋に立ち込める、上品な香りを震わす。
電子ロックを解除すると、アジズ達が入って来た。
ドレスコードは煩くないホテルなのに、アジズも王もスーツ姿だ。
充分休息を取った割には、二人とも疲れた顔をしている。
乱暴にソファに腰掛けると、こちらが口を開く前に、アジズが言った。
「ゾロゾロいると、弾劾裁判みたいになるから、俺達に任すそうです」
他の隊員達が来なかった理由に頷いた。
王がぼやいた。
「……ホントは、マイラが暴れだすのに巻き込まれたく無いんでしょうな」
だよな。
私は更に頷いた。
ソファの肘置きを跨ぐと、私は頭を掻いた。
今から、ハスマイラを前線から外す通達をする。つまり、このチームから去って貰うわけだ。
チーム全員、彼女の事を、身内の様に思っている。
彼女をチームに組み込む際、他の隊員を娘、又は妹がいる者に挿げ替えた。彼女の経歴を慮っての事だ。
結果、彼女に下心を持つものはいないが、情が移りすぎ、任務に支障をきたす結果となった。
今回が、その典型的な例だ。
ハスマイラは、非常に優秀なオペレーターだ。
そして、口が立つ。
「何とか説得しないとな」
アジズが顔をしかめて言った。
「ボス、そんな段階じゃない……理由は言わせんで下さい」
「分かってる」
「俺の方で、コンシェルジュに手配を頼みました。お客が来ます。その指示に従ってください」
腕組みしていた王が初めて口を開いた。
「ボス、みんなハスマイラの事が好きです。お願いしましたよ?……彼女を呼びます」
深い臙脂色のパンツスーツ姿で、ハスマイラが入ってきた。
ポニーテールで軽く吊り上がった眼、真一文字に結んだ口許。
完全に戦闘態勢で腰掛けもせず立っている。
私たちは、チラリと目配せし合った。骨が折れそうだ。
アジズが重々しく言った。
「ハスマイラ、俺達みんな、オマエを愛している。だから、チームから外れて貰う。全員一致の意見だ」
「理由は今回の件ッスか?」
アジズは首を振った。
「今回で、浮き彫りになったってだけだ。オマエがチームの弱点だってな……勘違いするな。オマエは優秀な戦士だ。問題は俺達の方にもある。オマエに何かあったら、全員頭に血が上るんだ」
「それ、おかしいっしょ?アタシだって、みんなになんかあったら、激おこッスよ?」
アジズが身を乗り出した。
「そういう、GIジェーンのデミ・ムーアみたいなセリフはいいんだよ。王が攫われて、服を引っペがされると思うか?」
やめろよ。
王が顔をしかめた。
「アタシしか出来ない任務だから、しゃーないっしょ。効率重視なだけで、好きでやってるわけじゃ無いッスよ」
「分かってるし、お前の言い分も認める。だが、今からは違うんだよ。これから、お前のあんな姿、ボスが他人に見られたいと思うか?」
そこで巻き込むか!?
私がアジズに向かって険しい顔を向けると、もっと険しい顔を、王に向けられた。
合図があるまで口を挟まないという約束を思い出し、私は渋々発言を控えた。
「そそそれは、アタシもお嫁に行く身として、慎むのもやぶさかではないッス、そういう事なら、もうやらないッス、フツーに銃撃って、カレー作ってます、すみませんでした」
全員が、思わず、ハスマイラに目を向ける。
直立不動で、キョドる、ポニーテールの戦士。
顔が赤い。
謝罪するハスマイラ。
インド人が謝るよりレアだ。
アジズが、ここを先途と畳み掛ける。
「な?お前、今、自分がなんかいつもと違うって思わねえか?それ、今から分からせてやるよ……ハロー、入ってくれ」
私は、目配せされ、電子錠を解除した。
入って来たのは。
パンツスーツに、ポニーテールの、ハスマイラに似た美女だった。
違うのは、落ち着いた気品と大人の色香、そして優しさに満ちた笑顔。
つまり、見かけ以外は正反対と言う事だ。
手配したはずのアジズが、茫然と呟く。
「……ワオ。寄せて来やがった。そこまで頼んでねえのに」
我に帰ったアジズが、咳払いして、あんぐり口を開けている、ハスマイラに向かって言った。
「今から起こることを見とけ。キレたらお前の負け、いいか、キレるなよ?」
何が始まるんだ?