ハスマイラさんが転んだ
「参加させて頂いて良かったです」
チャドルを脱いだゼルは、頬を上気させ、私に笑顔を見せた。
私は頷き、ゴムで丸めた100ドル札の束を渡した。
「いい仕事だった。報酬だ、確かめてくれ」
少女達は、撤収に備え、2階へと向かった。万一の裏切りに備え、ハスマイラが監視についている。
ゼルの号令一下、少女達にリンチされたシン。
洗脳を克服する為の儀式だ。
既に満身創痍のシンは、ハスマイラの拷問が、マッサージに見えるほどの凄惨なそれに、私財の在り処を自分から吐いた。私は、金庫を開けると、株や証券は無視、現金と貴金属を、戸惑う少女達に押し付けた。
「家まで、隠しとおせる量だけ持ち帰れ。警察に見つかると没収されるぞ。ハシム達が持ち去ったと言うんだ。クレア、これだけあれば、二度と売られずに済む」
少女の一人が恐る恐る言った。
「兵隊さん、自分の分はいらないの?」
私は冗談めかして言った。
「いつか、どこかで会ったら、コーヒーをごちそうしてくれ」
驚いた事に、ゼルは金庫に、近づきもしなかった。
見張りについている、ガネーシャから異常なしの報告。そうじゃなくなる前に、ここを離脱する。
ゼルは、嬉しそうに100ドル札を数えると、可愛らしくガッツポーズをとる。
「やった!自分の演技で人助けが出来て、お金が稼げるなんて……」
「もうすぐ、お客がくるが……どうする?」
「やります」
「いいのか?連れては帰れないぞ」
「『お客さん』と一緒に帰るから大丈夫、でしょ?それより、その人、外国人?警護がついてるんじゃ」
本来、バロチスタンは観光客が自由に動き回れる場所ではない。警護として、州警察の人間が24時間張り付く決まりだ。我々がそれを逃れる事が出来たのは、マフディ家の力だ。というか、マフディ家に向かうと言った時点で、警護が逃げ出したのだが。
ゼルが心配しているのは、警護がこの惨状を、通報する事だ。
私は思わず微笑んでしまった。
「ボス、準備おっけーッス」
ダイニングから漏れた光が、廊下で向かい合っている私とゼルを照らした。
逆光の中、廊下の弱い光の下で、ハスマイラが目を細めて笑っていた。
「今行く……ゼル、大丈夫だ。警護に付くのは、彼女が雇った西側の民間軍事企業のオペレーターだからな」
「女性ですか。ふーん……」
「女性ッスか、ふーん……」
いつの間にか、少し近づいていた、ハスマイラが、ゼルの台詞を笑顔のまま繰り返す。
なんだ、コイツら。
「まあ、いいです。やります、お金も大事だけど、あの子達、他人事じゃないから……私も、レイプじゃ無いけど、役を取られたって言って、リンチされかけたことがあるんです、同性のヤツらに」
そうだったのか。
「わかった」
私は、財布から金を抜き、さっきと同じ額を手渡した。
「前払いだ」
目を丸くするゼルに、金を押し付け、私は尋ねた。
「シンの金庫に近寄らなかったのは何故だ?」
彼女は即答した。
「私がそれをすると、ただの嘘つきになります。彼女達に嘘をついてるの、平気なわけじゃないの。オジサンこそ、なぜ、全部あげちゃったの?」
私は彼女の肩に手を置いて言った。
「君と同じプロだからだ……後は頼んだ、いい仕事を期待しているぞ」
ゼルは、誇らしげに目を輝かせ、私の手の上に、掌を重ねた。
「また会えますか?」
「……君が、有名な女優になったら……近いぞ、ハスマイラ」
だるまさんが転んだのように、いつの間にか傍まで迫っていたハスマイラ。笑顔のまま、凄い圧をかけてくる。
ゼルが、珍獣を見るような目で、ハスマイラを見ていたが、私に向かい、真面目くさって耳を貸せのジェスチャー。
私は、ゼルの口元へ、耳を寄せた。
油断した。
顔を固定され、唇を押し付けられる。
びっくりして、顔を向けると、狙いすましたように、今度は唇に。
バカみたいな顔をした、ハスマイラをよそに、頬を染めた女優見込みは、微笑んだ。
テンションが上がっているのはわかるが、この閉鎖的な土地でそれは、命がけだぞ?
「なら、頑張る。それまで、まっててね、カッコイイオジサン……あの子達を救ってくれてありがとう」
「ここここの、エロガキ、死刑ッスー!」
ゼルは、襲いかかるハスマイラから身を躱し、私の背中にしがみつく。
「オネーサン、ゴメン。でも、これって早いもの勝ちだし……予約しちゃった」
「コロス!いや、バラす!宗教警察に、家族諸共、鞭で打たれるがいいッスよ!」
「私、絶対、海外に出て女優やるんだ!オジサン、応援宜しくね!」
キャッキャ笑うゼルをかばい、私は泣きたくなった。
なんで、ガキにばっかりモテるんだ?
同じガキなら、娘に懐かれたいぞ。
ハスマイラが、半泣きで喚いた。
「スマホよこせ!『妖魔なんかに負けない!』とか、しらんがな、なエロゲ、インストールしちゃる!」