アイシテルヨ
地平線の彼方に太陽が沈み、深い藍色と、夜空とのグラデーション、そこに散らばる星々。
笑われるかもしれないが、私にとって、この稼業の魅力の一つは、荒々しい、剥き出しの自然を鑑賞できる事だ。
苦い思い出を伴う事が多いが。
私のいるベンツの後部座席、その隣で進行中の寸劇が正にそれだ。
「チョット寒い……ウウン、クーラーはそのまま。私が服のチョイス失敗シタダケ」
「だから言ったのに……何?くっついてたらあったかいの?ならそうしてなよ」
「リン、ヤサシイね」
「……なんでもいいから、ゆっくり休め」
「ウン」
至福の表情で、林堂君の肩に頭を預けるオリガ君。
さり気なく、下の名前で呼んでる所も私は聞き逃さない。
クエッタまで、このイチャイチャを見せつけられるのかと思うと、二人を今走っている隘路から、谷底に蹴落としたくなってくる。
だが、そうしたらそうしたで、暑苦しい悲劇ごっこを見せられそうなので、ひたすら無視を決め込んだ。
マフディ家のどういうコネか、クエッタから、カラチまで、9時間パキスタン軍の軍用ヘリに乗せてもらえることになった。
彼らには言ってないが、軍用ヘリの乗り心地は、今乗ってるベンツと比べたら、ウチの娘とフルメイクした、ジャイ子くらいの開きがある。
私は、つないだ手を離さない二人を横目に見ながら呪った。
騒音とシートの硬さで寝不足になるがいい。
カラチからは、日本、東京への直行便が出ている。
うまく行けば、到着は、大阪大会の朝。
そこからは、新幹線の方が、国内線より早く着く。それでも間に合うかどうかギリギリの所だ。
私はやる事が残っているため、日本に渡るのは別の車のオスマン、そしてこの二人だ。
クエッタの空港まで、護衛に加わりたいのは山々だが、そうも行かない。先程、オスマンが言っていた町から、空港方面への幹線道路に乗ったところでお別れだ。
あと1時間で、私の部隊がヘリで町のハズレに到着する。
シン。
あの黒デブを地獄に落す事を考えると、ワクワクする。
ガキの頃、買ったゲームを早くやりたくて、走って帰った時と同じ気持ちだ。
罪のない子供達に一生消えない傷を残し続ける変態。
娘の親友を地位と欲望に任せて拐かそうとし、娘のもう一人の親友の実家を滅ぼそうとした、ゴミだ。
何の遠慮も要らない。
ウィンドウに私の歪んだ笑いが映る。
たまんねえ。時間よ、早く過ぎろ。
俺は、貧乏ゆすりを堪えるのに必死だった。
分かってる。
俺は、殺しても胸の痛まない連中を、八つ裂きにして喜んでるクズだ。
デクスターっていう、正義の殺人鬼のドラマがあるが、あれと変わらねえ。
だが、俺は人殺しが好きな訳じゃない。ただ、自分の命を賭けて、クズをヒネるのが楽しくて仕方ないだけだ。
そのおかげで。
俺は溜息をつき、少しだけ我に帰った。
娘にガードを張り付ける事になってしまった。
もう、覚えてないくらい、いろんな奴らから恨みを買い続けているが、とりわけしつこい奴らが、何年越しに、私と、娘を付け狙っている。
本当なら最優先でそいつ等を叩くべきだが、居所が分からない。
奴らさえ排除すれば、娘にもう少し自由を与えてやれるだろう。
他に、日本まで来て、わざわざ娘をつけ狙おうとする奴らはまず居ない。
日本で誰かを殺すのは、それ位リスキーなのだ。
逆に言えば、そいつ等の執念深さと恨みがそれだけ深いと言う事だろう。
かつて、英国のサッチャー首相を爆殺しそこねた、IRAテロリストの放った台詞。
「俺達は1回ラッキーなだけでいい。アンタ達は常にラッキーでなければいけない」
狙われる側の不利さよ。
まあいい、先ずはシンだ。
チュッチュッ
……なんだと?
私は限界いっぱいに横目を使った。
「……ネチャッタ。カワイイ、クマみたい」
オリガ君が、眠り込んだ林堂君を抱え、額や頬にキスの雨を降らせていた。
林堂君は口を開けて平和な顔で熟睡している。
「コイツ、こんなにカワイカッタンダ…Я тебя люблю〈愛してるよ〉」
やり過ぎだ。
まだ小学生だぞ?
聞いていられず、私は叱りつけようとした。
「あ、ソウダ」
口を開こうとした私に、オリガ君が顔を寄せてきた。
熱っぽく、真剣な眼差し。
切なそうに瞼を閉じた彼女は、私の頬にそっと口づけた。
思考が止まる。
永遠に思える数秒の後、彼女は身体を離し、呆然としている私に微笑んだ。
なんと言うか…
いやらしさも、打算もない、天使のような笑顔だった。
「リーファパパ、私を、マフディ家を助けてくれてアリガト。ワタシナンカニ命をかけてくれるヒトが、フタリもイルナンテ、シンジラレナカッタヨ」
彼女は、白い太腿の上に乗せた、林堂君の腫れた顔を愛おしげに撫でた。
星と、フロントパネルの光のみが彼女の細めた眼を照らす。
「リーファがウラヤマシイヨ。強くてカッコよくてヤサシイパパがいて。ワタシのパパは、イイカゲンデ、ノンダクレのロクデナシだったモン……ダカラ」
オリガ君は、私に最高の笑顔を向けて言った。
「ワタシは、リンと幸せな家庭をツクルヨ!」
……そうだ、この子は、ランドセル背負った娘と同じ歳だった。
正しく、夢見る少女。
色々言いたい事はあったが、バカバカしくなり、私は窓の外に顔を向けた。
運転席で赤シャツが肩をゆすり、声を殺して笑っていた。