祖母として
「……これって」
部屋に入った林堂君が絶句した。
私にはなんとなく想像がついていた。
古い調度品に混じって、部屋一面……天井、四方の壁にもびっしり写真が飾ってあるのだ。
まかり間違えれば、ストーカーの部屋だが、飾られているのが、色褪せた古い写真から、新しいそれ、そして被写体は、一人ではなかった。
一人は、浅黒い肌の少年が、成長するまでの姿。
全部笑顔で、若い頃の頭領らしき姿も、満面の笑みを浮かべたオスマンも写っている。
会ったことはないが、すぐ分かった。
頭領の息子に違いない。
そして……
その息子が抱いた赤子。
その母親。
どこかの写真スタジオで撮ったらしい、4人の家族写真。人形のような少女と、首が座ったばかりの赤子を抱いた母親、誇らしげな父。
この部屋は、マフディ家ではなく、香咲家の生い立ちの記録だった。
呆然とスマホをそれらに向け続ける林堂君。
「……これ、僕の学校の運動会じゃん。去年の」
楽しげに友達と話す、体操服の少女の写真。
彼女の姉らしい少女が、チャチな衣装で芝居を演じているらしい、写真もあった。
頭領は、写真を眺めている。
私の無言の問いかけに、オスマンは、静かに語り始めた。
「まず、はっきりさせておこう。
この一言だけで済むかも知れん。
私も姉も、あの一家を愛している……ボタンの掛け違いしかなかったが」
私は首肯して、続きを待った。
「あなた達をガッカリさせるだろうが、こうなったのは、よくある諍いだ。
姉は、ノンムスリム、ましてやどこにあるかも分からない国の女との結婚など認めなかった。アリーは、昔から人の言う事を聞かない奴だったが、これはとびっきりだったよ。私達は、奴に家督を継がすのは諦めていたが、体面上、それは口にしなかった。ハシム家につけいられるだけだったからな。
アリとの連絡は途絶えがちになり、そのうち、全く無くなった。
孫の写真を見せられた頭領が、結婚は仕方がないとして、孫はムスリムにしろとうるさかったのが原因だ……その後も、我々は人を使って香咲家を見守った。
そこの少年は、会ったことがあるだろう、私の通訳として同行してた男だ。日本で、探偵と、行政書士をやってる」
オスマンは、写真の一つに目を向けた。
中庭で撮ったらしい、集合写真だ。香咲家、オリガも写っている。
「通訳から、送られてくる報告は、胸の痛むものばかりだった。あなた方の祖国は、外国人、特に有色人種に優しいとは言えない」
私は台湾人だが、そこはスルーした。
通訳すると、心当たりがあるのか、林堂君は気不味げに俯いた。
「ある日、アリから連絡があった。香咲家全員でここへ来ると。姉は何がなんでも、この地に住まわせるつもりだった……理由は、香咲家に関する悪い報告で、眠れない夜を過ごすのが耐えられなかったからだ」
私は無言で頷いた。大きく二度。
「……それって、お婆さんの都合ですよね?何か違いませんか?」
林堂君が口を挟んだ。
私は言った。
「私にはよくわかる。私は台湾人だ。娘が日本に馴染めず、幼稚園から泣いて帰って来るのを見るのが地獄だった……それまでの人生の中で、一番の試練だったよ。ナディア君の両親もそうだったろう。君も子供を持てばわかる」
私が共感を込めて頷くと、オスマンは眼で謝意を返した。
「私達は、香咲姉妹の結婚相手を必死で探した。マフディ家の財産の大半を持参金にして、彼女達に紹介して恥ずかしくなく、寛容な男を……正直……大バーゲンだった」
「……いや、それ、明らかにおかしいでしょ!?」
頭領が振り返り、私達を見て、初めて口を開いた。目に燃える怒り。
「今度は、私からオマエたちに聞きたい。礼拝をしたら、バカにされる野蛮な国になぜ住めるんだい?学校で孫は、ずっと、その事でいじめられてたんだよ!家にゴミまで投げ込まれたんだ!」
林堂君は絶句した。確か、香咲君が間違えて学校で礼拝をしてしまって以来、ずっとおちょくられていたらしい。
頭領は、叫んだ。無限の怒りを込めて。
「私は日本の事を学んだ。それまでは、SONY、TOYOTAくらいしか知らなかったし、中国の一部だと思ってた。アンタ達が、イランとイラクの区別もつかないのと同じさ。かつて、第二次大戦で、アメリカと戦ったアジアの星。孫にその血が流れている……私は誇らしかった。なのに、なぜ、肌の色の濃い奴らを見下すんだい?さんざか、自分たちも白い奴らにやられてきたはずなのに!」
林堂君の青い顔から……涙が溢れた。
彼は震える声で言った。
「……ごめんなさい。すごくよくわかります」
肩で息をしていた頭領は、少し視線を和らげた。
「けどね、流石はマフディの血族さ。ライラ達はきっちり報復した。次の日、そいつらを一人づつ、妹と二人がかりで、泣いて謝るまで蹴り回したのさ!片方が羽交い締めにしてね」
私は共感を示して何度も頷いた。
流石は、娘の友達。
林堂君が呻く。
「羽交い締めって……ダブルドラゴンかよ……」
「学校に呼び出されたカオリはこう言ったらしい。『この度は娘達が申し訳ありません。でも、もし、次があるようでしたら、私も参加しますよ?』ってね!
流石は私の義理の娘!流石は孫達!
ナディアなんか、6歳の頃にはハンドスタンド(逆立ち)が8秒も出来たそうだよ……なんだい、オスマン……そうか、9秒だったね。歳をとったら忘れっぽくて」
「……爆発すればいいのに。涙の水分返せ」
日本語をスルーした頭領は一転、声を落とす。
「他方、私は心配になった。珠のように、いや、千夜一夜物語のシェヘラザードのように美しく、機知に富んだ姉妹とはいえ、そんな粗暴で嫁になれるのかと。それとも、日本ではそういうのがいいのか?私は通訳の若造に聞いてみた。日本での生活が長いからね。
ヤツは言った。『ねえよ』って」
林堂君が何故か、視線を泳がせ、ダラダラと汗をかいている。
あまり、いい汗には見えなかった。
「私達は、必死で伴侶を探した。雇ったばかりのオリガにも手伝ってもらった。苦労したよ。それだけの甲斐はあったけど……ダメだったね」