Born this way
「ど、ドーシヨ!」
さすがの彼女も本気でベソをかきはじめる。
私は深呼吸を繰り返した。
心臓の鼓動がやかましく、吐く息がストレスで熱い。
落ち着け。
案の定、スピードが落ちた我々の車を、ハシム達が派手な砂煙をあげて追い越した。
少女は、絶望の悲鳴を上げた。自分を何が待っているのか分かっているのだ。
周りに人目はない。
シンに連絡をしていれば、私が仲間でない事はバレている。私を生かしておく理由はないだろう。
重火器を持った6人が相手。
私独りであれば、ハシム家の跡取りを人質にして、脱出出来るが、オリガ君を守るのが難しくなる。
「ジェーン!車が壊れた!峡谷の入り口100m。全員斃すしかない。行けるか?」
発信器が震えた。
一度だけ。
「可能なら事故に見せかけたいが、こちらがやばくなったら狙撃で…くそ!またか!」
突風が砂塵を運ぶ。
屋敷に来た時のような砂嵐だ。
これでは、遠距離射撃は不可能だ。
私は涙と染料で、ひどいことになってしまったオリガ君の顔を見た。
「心配するな。ジェーンにミスは考えられない…だが、毒がビールで薄まって、効果が落ちてる可能性もある。もし、私が死んだら、抵抗するな。今日の夜には、クエッタからヘリで私の部隊が到着する。マフディ家には悪いが、ハシム家を皆殺しにして、君を助け出す手筈だ」
砂嵐の中、ゾロゾロと車から降りてくるハシム家の連中を視界に入れたまま、私は続けた。
…彼女は美しい。
私が死んだら、悲惨な運命が待っているだろう。
娘の顔が脳裏をよぎる。
彼女を連れて来なければ、ハシム達を峡谷におびき寄せる事は出来なかった。
一方、車はどうだ?
計画が突然のものだったから…
言い訳も、後悔も後だ。
これは、梁家だの、任務だの関係ない。
大人が子供を護るのは、人間としての責務だ。
その為にも、負けるわけには行かない。
絶対に死なないと言いたいところだが、相手の実力と、ジェーンに懸っている。この砂嵐の中、ジェーンが待機している場所 ー私も知らないー から、私が撃たれるまでに、間に合うか?
6人を相手に独りで闘うのは勝ち目が薄過ぎる。
…だから、こう言うしかない。
「何があっても死ぬな。君は強い娘だ」
「リーファパパ!」
その時、発振器から、歪んだ声が聞こえた。
変声機で多重になった性別不明の声。
不気味な一言。
『スタァンブァイ』
「エ?ナニ?」
オリガ君が不安そうに早口で言った。
私の全身を安堵と興奮…そして抑圧されていた、怒りが駆け巡る。
「…ジェーンが、配置に着いた。心配ない。奴らは、歩く死体だよ」
私は躍動し始めた闘志を抑え、ドアを開けた。
「私がいいと言うまで、目を開けては駄目だ…いいね?」
車から降り立ち、手を上げる。
「中国人、お前何者だ?」
弾帯男が言った。
警戒して、扇形に広がった奴らは全員こちらに銃を向けている。毒が回った気配がない。
私は手を上げ、砂嵐に負けぬ様、大声で言った。
「アンタ達の仲間だよ。追ってこれない様、マフディの車はパンクさせておいた」
もちろん嘘だ。マフディ家の者が追ってこないのを不審に思っているだろう。
こいつらが死んだとき、マフディ家の者が現場にいたら、犯人にされるから、私が追ってこないよう指示をしたのだ。
「シンに電話したら、お前らなんか知らないとよ。もう一人の男のガキも一緒か?…おい」
被り物の男がオリガ君のいる助手席に向う。先程、林堂君を殴った奴だ。
まだか、ジェーン?
私は媚びるように言った。
「金が欲しいんだ。オリガは持っていっていい。俺をシンさんに紹介してくれよ」
助手席側のドアをガチャガチャやっている、
オリガ君の悲鳴。
ドアロックがいつまで保つか。
何人かは、安心しきって銃口を下げた。
余裕を見せて、弾帯男が近づいてきた。汗の染みた懐のホルスターから、趣味の悪いリボルバーを抜く。
元相棒はまだ現れない。
ジェーン、何でだ?
今まで、あいつがミスをした事は無かった。
だが、今回はあまりにもイレギュラーが多過ぎる。
私は肚を決めた。
こいつの銃を奪い、腕を撃ち抜き、人質にする。
耳を吹き飛ばせば豚肉でも食うだろう。
今、助手席の窓ガラスを銃床で割っている被り物の男に、背中から撃たれる方が先かも知れないが。
その時、連中の背後、砂嵐の向こうに黒い影がぼんやりと映った。
私以外誰も気づかない。
弾帯男がニヤニヤしながら言った。
「俺達だーれも、お前に用なんかねえよ。女さらって味見すんのは俺達の仕事だ」
シンの私邸で囲われている少女達の件にもかかわっている事を認めたわけだ。
ヤツは気取った仕草で、私の額に銃口を当てた。
私は…笑いを堪えるのに必死だった。
何で、わざわざ近づくかね?
砂嵐の中でも、人が倒れる音はよく聞こえた。
「オマール!……なんだこりゃ!?」
仲間の一人が叫び、弾帯男も振り返ると…
うつ伏せに倒れた男の首…丁度延髄から、木の枝が生えていた。
「オマー…ふぐっ」
叫んでいた男もひっくり返り、打ち上げられた魚のようにバタつき始めた。やっと毒が回り始めたか。
「ラジュー!?」
弾帯男がこっちに後頭部を晒して叫ぶ。
ガラ空きだ。コーヒーを豆から挽いて、飲む前に朝のお祈りをしてからでも、こいつの首をへし折れる。
私は、色んな感情を通り越して、情けなくなった。
こんなど田舎で、こんな素人相手にウダウダやってる自分にだ。
もう我慢できねえ。
私は、怒りで奥歯を噛み締めた。
ツイてないのも、クソ暑いのも、娘が最近よそよそしいのも…
全部テメエらのせいだ。
私は狂う許可を自分に与え、唸るように言った。
「人の事心配してる場合かよ…四流?」
愕然と振り向く、弾帯男。
発振器から響く不気味な声。
待ちかねた、殲滅開始の合図。
歪んだ重低音が一言だけ……
『殺』
私は絶叫で応えた。
「殺」
強化プラを仕込んだワークブーツが、最短距離で、弾帯男のスネを砕く。
銃を払いつつ、掌底で横っ面を打抜き、膝で急所を痛打する。
痛みを感じる前に跡取りは前のめりに顔面から落ちた。
あと三人。間に合うか。
私は奪い取った金ピカのリボルバーを残りの二人に神速で向ける。
一人は既に、ジェーンに石で頭を割られて倒れ、もう一人は、毒が回ってきたのか、這いつくばってえづいていた。
脅威が無いと瞬時に判断。
神速で振り返り、オリガ君を捕獲しようとしている筈の被り物の男に銃口をポイントする。
必要なかった。
私が乗って来た車の屋根に、人が立っていた。
銃を向けるのも忘れて呆然と見上げる被り物の男。
粗末な服装、同じ様に被り物をした男が、見下ろしていた。
ジェーン・ドゥ(匿名の女)
元・公安特戦群の隊員だの、北朝鮮工作部隊のエリートだの、噂のみが独り歩きしている男。
変装とスニーキングの伝説的達人。
その時、突然歌が聞こえた。
弾帯男のスマホの着信だろう。
大昔流行ったレディ・ガガ。
「born this way」
サンダルの蹴りをくらい、血を撒き散らして仰け反る被り物の男の横に、ジェーンが降り立つ。
自身、性暴行を乗り越えてきた、ガガが叫ぶ。
『私達は正しい道を歩んでいる』
「オリガ、目を閉じろ!」
私の叱責に、呆然としていた彼女は、身を丸めて下を向いた。
砂の上から、起き上がろうとする男の顔面に、サンダルの底が叩き込まれる。
袋詰めの陶器が割れるような、鈍い音がここまで聞こえた。
転がし、震脚でとどめを刺す。
鎧で合戦が行われていた頃に使われていた、古流太極拳の基本の殺し技。
『そうよ、ベイビー。私達はこうなる為に生まれてきたの』
奴の正体は、殺手でも、軍人でもない。
武術家だ。弱きものを護るために、手段を選ばない。
闘いはあっという間に終わった。
一方的な虐殺で。
砂嵐の叫び声も止む気配がない。
黙念と立ち尽くす、ジェーンの姿に、ガガが声をかけ続ける。
『ベイビー。私達は生き残る為に生まれて来たの』





