あなたの知らない世界()
「……早く出て上げて下さい? ガマンしてたんですもんね…… あ、私はここで、聞いてますから、お構い無く」
構うわ!
駄菓子屋の、ガリガリ君より良く冷えた声に、僕はツッコむ。
もちろん、心の中だよ?
ホラ、最近、僕、危機管理能力上がってるから、これ以上怒らすようなヘマはしないぜ!
今、やらかしたばっかだけどな、僕のバカバカ!
耳かきが、耳の中で1回転して、僕は、すくみ上がった。肩と首が、バッキバキに緊張する。
こえーよ、どんな脅し方さ!?
……なんか、麻の浴衣越しに伝わる、太ももの温度まで、冷えて来てね?
おかしいだろ? 1分前まで、眠くなるような、穏やかな空間だったのに……
何で、line一本で、旧ソ連の尋問室みたいに、なるんだよ!
耳かき一本で、動きを完全に、封じられるなんて、カケラも思わんかった。みんなも、気をつけろよ、じゃあな!
現実逃避していると、メグの手が伸びて来て、僕のスマホを、そっと取り上げた。
声を上げる間もなく、画面をタップ、僕の顔に近づける。
その間、耳かきは微動だにしない。
メグ、恐ろしい子!
いや、それどころじゃない!
頼む、ジャス子!
いつも通りの、能面毒舌であってくれ!
僕の命が、掛かってるんだ!
……そもそも、メグ何で怒ってんだよ?
今日はずっと変だったぞ、コイツ。
あれか、ナディアも、昔、言ってたけど、ほめた後に、別の女の子の話をするのは、ジュネーブ条約かなんかで、禁止されてるのか?
なら、ほめねー!
もう絶対ほめねーかんな!
それどこじゃない。
そそそうだ、こっちから、仕掛けてやる!
まだ、17時過ぎ、メグの膝から見上げる窓の外は、お日様が傾いたばかり。
ジャス子、観光の途中かも知れん!
はっちゃけてるのかも知れん!
発作を慰めてくれた時みたいな、変な雰囲気にはしないぞ!
僕は、元気よく、挨拶した。
「おうっ、おつかれ!」
『……だーれだ?』
スマホから、眠そうな、甘えた声が漏れてきた途端、僕の目論見は、ガラガラと崩れ落ちた。
同時に、耳かきが、ガリガリと穴の側面を擦り、僕は悲鳴を呑み込む。
そのまま、耳かきが抜かれ、ふっと冷たい息が吹き抜ける。
パラパラと、粉状の耳あかが、バカにするように、僕の横顔に散らばり、ついでに画面にも飛び散る。
キレていいとこなのに……
全身に冷や汗がにじみ、僕は震えた。
逃げるなら今なのに、恐怖で体が痺れる。
こえぇ、コエーよ!
何ていうの、このタイプの、恐怖は初めて味わう!
リーファ達は、暴力に訴える分、サバサバしたとこあるけど……
あ、そうだ、怪談の怖さに近い。
番長皿屋敷の、『いちまーい、にまーい』みたいなカンジだ!
ヤダ!
ヤダヤダ、女子ヤダ!
とり殺される、って言葉の意味を、リアルに感じるよ!
アノニマス・ワン、至急、救援を乞う!
『ん、どうかしたか、凛?』
再び、乱暴に突っ込まれた、凶器に、悲鳴を上げそうになる。
「な、なんでもねーぞ! それより何か、眠そーだな?」
『……こっち、夜中の3時だもん……時差で眠れなくってさ』
「そ、そうか……」
『んで……どうしても、声が聞きたくなって』
ヒィィィ!
耳かきが、中でグルグル回転してるぅ!
は、早く終わらすんだ!
自然に、自然なカンジで!
「ハハ、ナーニ言ってんだ、らしくないぞぉ? お、そうだ、今から帰るところだからさ、又、朝にでもlineしてくれ!」
耳かきが、刃物で頬を、ピタピタするみたいに、鼓膜を小突く。
イタイ、イタイよ、ママン!
案の定、機嫌良くジャス子が、クスクス笑う。
『そうなんだ……なあんだあ? 凛も、ワタシが恋しいのか、んー?』
ヤメテヤメテ!
僕の命に関わるの!
さっきと反対側の壁を、竹の耳かきで、擦りあげられる恐怖に、僕は泣きそうになる。
耳かきに、脳みそまで貫通された僕を、膝枕したまま、テロップが流れていくエンディングが頭をよぎる!
警護対象に殺られるとか、どこの海外スリラーさ!?
ぼくは、滝のように汗を流しながら、わざとらしいまでに、明るい笑い声を上げた。
「ハハッ! そうかもな? んじゃ、また明日! オヤスミ!」
『……声聞けたから、眠れそう。オヤスミ……ん』
スマホから、小さな、チュって音が流れた瞬間、メグは通話を切り、二秒後、耳かきから、さっきよりも長く、耳あかの粉が、吹き散らかされた。
どちらも喋らない。
僕は、恐怖で動けない。
クーラーの音と、セミの声だけが、ズッシリと重い、部屋の空気に刺さっていく。
「……おかしいなあ。スタジオで別れたときは、全然そんな、カンジじゃ、なかったのになあ」
間のびした声に、超絶おこ、な気配を感じ取り、イヤな汗が止まらない。頭を乗せてる、浴衣がじっとりしてきたくらいだ。
耳かきが、トントンと、耳の外を歩いてきて、目尻のとこで止まった。
いつもの鈴のなるような声に、戻ったメグは、楽しそうにフフッと笑う。
今までの皮をかぶった、別人。
年下の雪女は、圧倒的な迫力で言った。
「メグに説明してもらえるかな? じゃないと、手もとが狂いそうで、こわいんですぅ」