全部、僕だった
「待ちなさい! それ、虐待じゃないか!」
田中さんが、顔を真っ赤にして叫んだ。
唖然とするメグと鈴木さん。
だよな。
でも……
「全然。毎日の『練習』に比べたら、なんて事ありませんでした」
鈴木さんが、険しい顔で、僕の肩を掴んだ。
「林堂くん、それ、見過ごせないわ。それが普通って言うなら、洗脳……」
鈴木さんが、言葉を飲み込んだ。
僕が、笑ったからだ。
心から。
「ありがとうございます……メグ、いいなあ」
僕はメグを見つめた。
何故か、みるみる赤くなる、涙目の黒髪。
鈴木さんも、ちょっと赤くなってる。
田中さんは、口を開けたまま。
僕は、メグを心から、羨ましいと思った。
「田中さん達みたいに、怒ってくれる人達ばかりだったら、もっと世の中良くなるのに……父さんを庇うつもりはないですけど、最初に頼んだのは、僕なん……ですよね」
思い出すと、体が重くなる。
小さい頃の断片的な記憶。
朝起きるのが、とても嫌だったあの頃。
僕は、小さく笑って俯いた。
「そうだよ、僕から頼んだんだよな、リーファを、相棒を、守れるようになりたいって……あ、そっか」
僕は、百万円の事を思いだして、言った。
多分、田中さん、誤解してる。
田中さんと、メグの後ろの窓から見える狭い空。とうとう、雨が降ってきた。
「リーファの家族、反社じゃないですよ。台湾の名家の生まれで、凄い金持ちなんです。ナディアも、パキスタンの名家、似たようなカンジで……リーファ、低学年の頃、誘拐されかけたんです」
ピリピリとした、部屋の空気が、僕を包む。
エアコンの音がうるさくて、少し寒いくらいだ。
「田中さん、見たでしょ? ハスマイラさんリーファの護衛なんです。そして、僕も彼女を守れるようになりたかった……幼稚園の頃からの相棒だから。父さんいわく、僕には才能があったそうです……事故が起こるまで、『練習』は続きました」
僕は、それ以上は言いたくなかった。
「事故ってなんだい?」
見ると、今までで一番険しい顔をした、田中さんが、僕を見ていた。
「林堂君から、言い出したとしても、関係ない。虐待なら、黙っている訳には行かない……子供を守るのは、大人の役目だ」
鈴木さんも頷く。
メグは、瞬きもせずに、僕を見つめるばかりだ。
フツーの感覚を持った、フツーの考え方の持ち主。
ホント、いい人達。
雨粒が、屋根を叩く音。
外の世界から、守られてる安心感。
この先は、言いたくないけど、中途半端で終わらせたら、僕の両親が、悪者になる。
心臓の鼓動が高鳴る。
発作が起きるのが怖くて、僕は立上り、軽くステップした。
何事? と見つめる三人に、出来るだけ軽い調子で言う。
「……CQC……って言ってもアレか。近接戦闘の最中に、頭から落ちて……首から下が麻痺したんです」
雨が強くなったような気がする。
口もとを覆って、喉の奥で泣くメグ、田中さんを振り返る、鈴木さん。
「電話だ。保護してもらう」
立ち上がった田中さんが、断固とした口調で続けた。
「林堂くん、ここにいなさい。帰らなくていい」
僕は、震えそうになる体を誤魔化すため、その場で跳ね続ける。
「もう、そう言うの終わってます。父が自分で、警察に連絡して、児相の調査が入りました……ごめんなさい、この話、自分の意志でするの初めてで、怖いんで……動いてないと」
田中さんが、なんとも言えない……悲しそうな目で僕を見た。
「替え玉をお願いした理由、パキスタンの話は聞いてますよね? 結局……」
次の言葉に、田中さんと、鈴木さんが俯いた。
「仕込まれた事は役に立ちました。誰かを助けるため……じゃないな、生き残るために……そうか」
僕は、跳ねるのをやめた。
それだけじゃなかった。
そうか。
黙って聞いてくれてる三人。
メグは、黒目がちな瞳に、涙を溜めたままだけど。
僕は、三人に、というより、自分に対して呟いた。
「ナディアの事も、偶然じゃなかったんだ。迷惑をかけたくないから、消えようとするナディアを引き止めたのも、僕だった」
僕は顔が熱くなった。
何だよ。
全部僕が、望んだ事だったんだ。
よく、今までヒトのせいにしてたよな?
ウエメセで、メグに言えんのかよ?
僕は、大嫌いだった記憶を、初めて前向きに見れた気がした。
少しだけ、晴れやかになった気持ちで、告げる。
「ナディアにも、リーファにも、こう言うことが出来たんです。『大丈夫、僕がついてる』って……今気づきました。それ、あの地獄のトレーニングのお陰だったんだって」
唖然とするメグと鈴木さん。
段々、思い出してきた。
そうだ、元々、リーファだけに辛い思いさせたく無かったから、始めた事だったんだ。
それは、相棒を助けたいとかより……
苦労で、リーファに引け目を感じたくないっていう、つまんない対抗心が、理由だった。
でも……
今は僕の事はいいんだ。
僕は、出来るだけ軽く聞こえるように、肩をすくめて、三人に言った。
「まあ、二度とイヤですけどね、あんなバカげたトレーニング」
数秒、僕を見つめ、田中さんは呆れたように笑った。
鈴木さんは、目に涙を浮かべたまま、険しい顔で僕を抱き寄せた。
あ、ママ、ズルい!
そんなメグの喚き声。
僕は、薄手の上着に包まれた胸の感触に、慌ててもがく。
大阪会場では、格闘家みたいな振る舞いだったのに、鈴木さんは、涙声で言った。
「ホントに、この子は……予想の上を行き過ぎよ」





