真夜中のチキンレース
「次は、足の指だ……やれ」
北京語で喚き散らすチャンを無視。
王が、運転席から振り返って、こちらを注視している。
先程とは、比べものにならない悲鳴が、IPhoneから車内に響きわたった。
周囲に人の気配は無い。
部下の乗った、もう一台の四駆は、10メートル程離れた場所で、息を潜めている。
この辺りは、治安が悪い為、逆にパトカーの巡回が多いからだ。
『テメエ、殺してやる、必ず殺してやるからな!』
チャンの喚き声。
SGのくぐもった悲鳴。
視界が赤くなった。
そうかよ?
そっちも引かねえ訳だな?
「その前に、妹は歩けなくなる……次の指」
狂ったような、妹の叫び声に、チャンが怒鳴った。
『テメエ、何がしてえんだよ!?』
私は、ストレスから来る、汗の匂いを嗅ぎなから、寄ってくる、蚊を握りつぶした。
シャワーが猛烈に恋しい。
「SGを返すか、SGを殺して、皆殺しになるか……選べ」
チャンは、ゼエゼエと、荒い息をつき、唸るように言った。
『……レミと、大口を引き渡せ』
大口。大阪大会でナディア君・母娘を襲った暗殺者の名前だ。
私はカマを掛けてみた。
「依頼主は誰だ」
『言うと思ってんのか?』
これで確信した。
コイツラは、大口の殺しを依頼されただけだ。
闇サイトの連中ではない。
だが、コイツラを吊るし上げれば、情報は手に入るはずだ。
だが……仲間の命が最優先だ。
その為にも、絶対に弱みを見せられない。
強気で押し切る。
「別の事を聞こう。さっき、港区の倉庫を襲ったのはオマエラだな? 狙いは大口か?」
『こっちの仕事は、それだけだったんだがな……ここまでナメた真似されちゃ、後には引けねえ』
俺は、口許を吊り上げた。
ワクワクしてきやがる。
「いいとも、いいとも。存分に殺り合おうぜ? こっちも、トサカに来てんだよ。オマエラのせいで、港区の倉庫、貯め込んでた、ヤクごと燃えちまったんでな」
勿論ウソだ。
案の定、チャンは嬉しそうに言った。
『ソイツはご愁傷さまだな。テメエんとこの、キャンプファイヤーの方が、金、かかってそうじゃねえか』
「ああ、釣り合いは取らせて貰わねえとな?」
『やってみろよ……ところで、オマエラ、大口の護衛か? 俺達がカチ込む前に、ダンプが突っ込んでたが』
誤解しているようだ。
突っ込んで来たダンプが、大口に雇われていた救出部隊⸺護衛だろう。
俺は真実と、微妙に異なる事を言った。
「違う。大口に恥をかかされたから、拐ってきたんだよ。刻んでやろうとしたとこで、オマエラが来たんじゃねえか」
相手が絶句した。
ここだ。
一気に畳み込む。
「それと、ヘタ打ったな? オマエラが突っ込ませたガススタの店員、黒山組の娘で、湯坂組のお気に入りだ。若頭補佐の神谷が出張って来てるぜ?」
『湯坂? あの湯坂か? ハッタリだ』
私は愉しそうに嗤った。
「確かめてみろよ? コンサルの男から、茜組、城崎、黒山って仕事が流れてんだ。湯坂から、城崎に直電が入って、大騒ぎだぜ?」
『……何でオマエがそんな事、知ってんだよ?』
「軽トラから、娘を引っ張り出して、助けたからだよ」
チャンが、送話口を押さえ、傍にいる誰かに、話し掛けている気配がする。
相手の焦りが伝わってくる。
まさかの、湯坂組だったんだろう。
我々と違って、チャンは、日本で根城を公開している。
日本有数のヤクザ組織と、我々、得体の知れない戦闘集団の、両方を相手にする事は、想定しなかった筈だ。
しばらく待たされ、チャンが猜疑心丸出しで言った。
『確認する。待ってろ』
保留中の音楽が流れた。
王と目が合う。
仄暗いマンションから、左舷と米沢が、出てくるのが見えた。
王から、ペットボトルの水を受け取り、少量口にする。
「折れますかね、ボス?」
「ああ。こっちの方が、ダメージが大きいフリをしておいたからな。面子は立つはずだ。今、コンサルの男にでも、確認してるんだろう」
音楽が切れた。
『確認した……デマじゃ無さそうだな』
「神谷とも話すか?」
私の煽りを無視し、チャンは平静を装って、言った。
『提案がある……こっちの人質は返す。レミと、大口を渡せ。こっちで処理してやる』
来た。
私はわざと強く出た。
「おい、こっちはヤクを焼かれてんだぞ? まさかそれで、手打ちにしようってんじゃねえだろうな?」
チャンも強く出てきた。
『調子に乗ってんじゃねぇぞ? こっちは、今里の学校、天王寺のクラブ、二ヶ所襲われてんだ。オマケに妹まで拐いやがって……お互い最初に、行き違いがあったのは、認める。だから、これでチャラにしてやろうって言ってんだよ!』
嘘つけ、湯坂にビビっただけだろうが。
「ほう。で、湯坂はどうするんだ?」
『テメエが心配する事かよ?』
「……依頼主の名前を言え。そうしたら、湯坂に話をつけてやる」
もう、ついてるんだけどな。
私はニヤつきを堪えて続けた。
「助けた娘に頼めば、湯坂に掛け合ってくれる。俺に恩があるからな……俺もオマエラも、その依頼主が、杜撰なお蔭でこうなったんだ。ソイツらに義理なんかあんのかよ?」
一瞬詰まる、チャン。
スマホを持ったまま、立ち上がり、歩き出す気配。
『それは……』
チャンの言葉は、耳を聾する銃声がかき消した。