博奕の才覚
「いいだろう。約束は守る。陸についたら消えろ。所持品は返す」
ペンキの剥がれたポールに手を繋がれたまま、私を見上げる、米沢。
その目には、静かな諦念があった。
目的地の漁港はすぐそこだ。
迎えの車が2台、ほぼ、闇の中ハザードランプを灯しているのが見える。
私は、ポールに縋るようにして泣く、左舷に言った。
「ガキ……オマエの店に、私がガソリンを積んだ軽トラで突っ込みました、軽トラを壊されました、弁償しろ……するか?」
左舷は、顔を上げずに泣き続ける。
私は、イライラして来た。スクールガールの安否が気になって仕方ない。
こんな事してる場合じゃねえんだ。
「時間切れだ。言ったとおりにしろ。仲間が拉致されてる可能性が高い……もう待たんぞ」
「……分かりました」
私は、左舷に、ピンクのスマホを返した。
操舵席から出て、こちらを伺っていた、王に合図を送ると、漁船のエンジンが、息を吹き返す。
元気の無い、我々を乗せて、漁船が夜の海を進み始めた。
灯りのロクに無い、漁港。
廃棄されるのを待つ漁船が、何艘か停泊している。
切れかけの街灯に、群がる甲虫や羽虫が、蒸し暑さに拍車をかけていた。
ニ台の四駆から、降りてきた部下達に囲まれても、米沢は、平然としていた。
左舷は、なぜか、その米沢の陰に隠れてオドオドしている。
スクールガールがMIAになってる事は、全員に伝わっている。
表情が険しい隊員に囲まれて、左舷は震え上がっていたが、米沢は、海の向こうを眺めているだけだった。
……倉庫に、この半分でも配置していれば、スクールガールも、むざむざと撃たれることは……
やめだ。
起こった事は起こった事だ。
空想の世界に逃げられるほど、ここは、優しい世界じゃない。
「けじめは済んだ。コイツの名前は米沢だ」
私が言うと、経緯を知ってる何人かが、驚いた様に私を見た。
「この顔で、公共機関を使われると厄介だ。家まで届けろ」
「私、最後までいて、いいですかね?」
無表情で問う米沢に、私と王は驚いた。
「……何のつもりだ?」
「多分、役に立てるかも」
「だから、何のつもりだ?」
「……意地……ですかね。ゴミなりの」
地面を、見つめたまま、呟く米沢。
私は、王と顔を見合わせた。
左舷が父親に送ったLineは、秒で既読が着いた。
返信は短かった。
『そこにいる人と話がしたい。蝶、頑張りなさい』
それだけだ。
あれから、10分以上経つ。
大した自制心だ。
こちらから、左舷がLineするまでには、父親から、大量の着信があったのに。
左舷が、脅されていると、考えたんだろう。
頑として、続きのLineが送られてこないのだ。
どう返信するべきか、考えあぐねている所だったので、正直、有り難い。
それが、顔に出ないように言った。
「なるほど……死んでも知らんぞ?」
米沢は、俯いたまま、肩を竦めた。
「破れかぶれです。心底、自分に嫌気がさしましたから」
別にそれ、お前だけじゃねぇよ。
部下が、死ぬ度に、自分のバカさ加減に愛想が尽きるんだ。
その言葉を飲み込み、私は部下に言った。
「コイツの拘束を解け……王」
王が、無言で差し出すスマホと財布を、驚いた顔で受取る、米沢。
それを無視し、死にかけの街灯にぼんやり照らされる、左舷を見た。
「左舷。父親につなげ……私が話す」
「店長? うち……うん、無事。変なこともされてへん。別に敵やない。ただ、仲間攫われたみたいで、怒ってはる……え?……もしホンマなら、『頑張るな』って……ナニソレ……ええわ、代わるで」
スマホの液晶を、ツナギで拭ってから、私に差し出した。
この場の全員が聴けるように、スピーカーにした。
私は、努めて穏やかに言った。
敵ではない、味方にしないといけないと、自分に言い聞かせて。
「田中です……」
流れてきた声は、40代くらい、私より、上か。
警戒心に満ちていた。
『蝶々の父親です。短刀直入に行きましょう。何がありました?』
私は言葉を選んで、正直に経緯を語った。
軽トラを破壊した事もだ。
左舷の父は、素っ頓狂な声を上げた。
『命の恩人ですやん、ソレ! ホンマ、スンマセン!……いやあ、娘、大量殺人犯になるとこやったやん……あんの、クサレが……』
私は、ホッとしながら言った。
「幸い、お互い、ケガはない。悪いのはその新規の客です。私達は、行方不明の仲間を見つけないと行けない。ご協力願えませんか?」
『勿論です……と言いたいとこですが…』
私は嫌な予感を押さえて、対岸の工場の煙を見つめた。
『……上からの依頼なんですよ。かなり、上からの。依頼主、分からんのです』
私は、ピンと来た。
彼らの組の上部組織か。
さっき、米沢の言ってた組……
彼らの上が、城崎組、そのかなり上が……湯坂組。
「……湯坂組ですか?」
『……! いやいや、そこまで上やないです、流石に! この話、うちの上の、城崎、通して受けましたんや。
娘、殺されかけた、言うて嚙みつくつもりではおりますが、『悪かった、俺から言うとく』言われたら、それ以上は……』
私は、顔を顰めた。
……そうだろうな。
自分の上である城崎を飛び越して、その上の組に、話を出来る訳が無い。
極道の世界は、上下関係が、絶対だ。
『娘、殺されかけたんです。勿論、破門される覚悟はありますが……城崎も、上から言われただけなんは間違いありません。迷惑かけとないんです』
「ちょ、ナニよそれ!? うち、殺されかけてんで!」
気色ばむ、左舷を遮るように、米沢が言った。
「城崎のなんて人ですか? 若頭の坂田? 組長の井上?」
皆が振り返る中、米沢は、当たり前のように、極道を呼び捨てた。
度肝を抜かれたように、左舷の父が尋ねる。
『……どちらさんですか?』
米沢は、誰でも分かるように言った。
「湯坂の神谷に、バカラで二千万ほど、貸しのある男です。アイツ、バク才ゼロなのに、すぐアツくなるから」
『……それ……若頭補佐の?……雲の上の上の人……』
誰も口をきかない。
虫の声とさざ波の音、風情のない、潮臭さだけが私達を包む。
流石に、少し愉快そうに、米沢が言った。
「電話がつながり次第、神谷に、城崎組へ電話させます。スジはこっちにあるから、アイツも動き易いと思いますよ」
米沢は、ポカンとしている左舷を、腫れた顔で見下ろし、諭すように言った。
「ね、肩書きって便利でしょ? 使い方によっちゃ、すごく捗る……だからこそ、マネしちゃ駄目だよ?」