これが僕のお仕置き
「わ、ワイルドって、いつの時代なんよ!? この人、何なん、シメられとるやん!?」
腰だけ引きつつ、エンジン音と、波の音に逆らって喚く左舷。
両手を、痴漢と同じポールに繋がれているため、波飛沫の散る甲板を、エビの様なポーズで後退る。
飼い主に引きずられる、犬を思い出した。
痴漢は、漁船の放つ強力なライトのおこぼれに照らされる左舷の顔を、ボコボコの顔で呆然と眺めている。
「う、うちに変な事したら、父ちゃんが黙ってへんで!? 極道の娘舐めんな!」
「……どこの組?」
「……へ?」
痴漢に、素で質問され、左舷は間抜けな声を上げた。
「だから、どこの組? 大阪なら大体分かりますよ?」
あぐらをかいた、痴漢の顔を呆然と見つめる左舷。
……そうか、痴漢は芸能プロの人間だ。
その筋との繋がりは、当たり前だ。
「それと、老婆心からだけど、それ言ったら捕まるから。もう少し言い方変えなきゃ」
「うううるさいわ! 変態になんで説教されなあかんねん!」
全くだ。
痴漢は、顔をしかめて、視線を落とした。
「……それ、すごくキツいな……君、友達にも極道の娘だとか、言ったことある?」
「アンタに何の関係があんねん!?」
痴漢は、波しぶきを浴びながら、ポツリと言った。
「今、お仕置きしたら、開放してくれるって言ったから」
私は眉を顰めた。
何を言っている?
左舷は、その言葉をどう言う風に捉えたのか、キャンキャン吠える。及び腰で。
「な、何やねん、うちの黒山組、老舗やねんぞ、小娘思うて、ナメんな!」
痴漢は驚いた様に、殴られ、腫れてる目を見開いた。
「うわ……枝も枝、城崎組の末端じゃん。確か、組員五、六人だろ? 産廃と……あ、だからツナギ着てるの?」
「なな何で知っとんねん!?」
泡を食って、どもる左舷。
「城崎組はあんまり知らないけど、その上の、湯坂組とは、仲いいよ」
パクパクと口を動かすだけの左舷。
私も驚いた。
日本でも有数の、暴力団組織だ。
流石は、腐っても……痴漢でも、クレア・プロの二代目。
……まあ、台湾人の私には、脅しにもならないが。
漁船のエンジン音が止まった。
操舵席にいる、王の声がインカムから流れる。
『ボス、どうします? もうすぐ着きますけど?』
「しばらく、待て。左舷に、配達を依頼したヤツの連絡先を聞き出す」
インカムを通して、左舷らとの会話は王に伝わっているはずだ。
『そこの痴漢……ヤクザの、ツテが有るなら使えませんかね?』
アリだ。
私にも、裏社会のコネはあるが、いま名前の出た、組織との繋がりは無い。
選択肢に入れておく、と答え、私は、二人を眺めた。
言葉を失った、左舷。
それを、特に気負いなく見つめる痴漢。
エンジンを止め、惰性でゆっくり進む漁船。
遠くの汽笛と、波の音だけが静かに船体を包む。
私には、なんとなく、痴漢の雰囲気が変わったように見えた。
左舷と会話を、始めた辺りからだ。
こう……
淡々としている。
その、飾りのなさに、妙な迫力を感じる。
ヤクザの威を借りたか?
違った。
「だから、どうって訳でもない。そいつ等が、私の命を、救いに来てくれるわけでもないしね……君の両親はどうなの?」
ハッと、したように、左舷が反論する。
先程の勢いはないが。
「店長……父ちゃんなら、死んでも助けに来てくれる、しんちゃん達もや!」
「しんちゃんって、組員? 良かったじゃない。それは、ヤクザだから?」
「ちゃうわ! 組解散しようにも、今の仕事、続けて行こオモタら、そうはいかんのじゃ! どれだけ、ヤクザの看板邪魔か……」
「だろうね。真面目に稼ぐのなら、ヤクザやってる意味ないもん……でもね」
痴漢は、静かに言葉を強めた。
「それなら、組の看板使っちゃダメ。今の場面なら、仕方ないとこあるけどさ……お父さん達は君が好きだから、助けてくれるんだろう?」
諭すような口調に、言葉を失う左舷。
『痴漢のクセに』
とは、言わない。
コイツ、米沢と言ったか。
「ヤクザの看板利用しながら、ヤクザは嫌だってのは通らない。一番友達無くす奴だ。ソースは僕」
腰を引く事も忘れて、立ち尽くす、左舷。
波の音だけが聞こえる。
私も、いつの間にか米沢の話に聞き入っていた。
「家が芸能プロやってるんだけど、まあ、クズの集まりだよ、アレ。小さい頃から見てるけど、ケチで、ゴマすりで、セコい見栄っ張りばっか。マッサージ屋のおばあさんが、芸能人の客だけはイヤって言ってたけど、そうだろうなって思ったよ」
俯いて、投げやりに笑う、米沢。
本気の言葉が持つ、迫力に圧倒された。
悔しいが。
「それでも、余録はあった。二代目っていう肩書きのおかげで、こんな外見でも、女に不自由しなかったもん。そのうち、娘が産まれた。離婚して、どこかで暮らしてるけど、会いたいとは思わない。女もコリゴリだ。前の妻含めて、寄って来る女は、私の肩書き目当てのヤツばかりだったし……でもね」
米沢は、左舷の顔を見上げた。
「ちょうど、君くらいの年だったなって思うんだ、私の娘」
左舷の目から、涙が溢れた。
私も、悔しいがちょっと心を動かされた。
娘に痴漢したクセに。
……だが、言葉はホンモノだった。
「お金に困ってる? 僕の勝ち。僕は、人生終わってる。だから言う。肩書きは、使うな。便利だけど、肩書きに人生狂わされるから……今、君を大事にしてくれる人達に、時間を割くことをオススメするよ……」
左舷は、膝を着いて、顔を覆った。
似合わない、ツナギの肩が震える。
この痴漢……
心の中で舌打ちする。
コイツ、自尊心を取り戻しやがった。
……まあ、もういい。
シンがやった事に比べりゃ……な。
米沢は、私を静かに見上げて言った。
「これが、僕からのお仕置きです」