ワシントンとイチゴポッキー
自分の顔から、血の気が引いていくのが、はっきり分かった。
ソウナンダヨ、女子って、メッチャいい匂いがするんダヨ。
おんなじ小学生なのに、何が違うんだろうな?
5年の時の林間学校でも、風呂上がりの女子が、あんまりにも普段と違って見えたから、男子同士で理由も言わず、肩パンし合ったもんだ。
そんで、階段ところに、知らないオバサンが座ってるな、と思ったら、いつもはキレイな家庭科の先生が、単にスッピンなだけ、だったとか……
アレは恐怖体験だった。
この間、わずか1.5秒。
太ももに、ジャス子が、しがみつくのが分かった。
「そ、そう、来てたんですよ、女性!」
「……面会禁止でしょ?」
「あの、あの人、ここに運んで来てくれた、ハスマイラさんが」
「……そうなんですか? ナースステーションの方には、連絡なかったみたいだけど」
「えっと、ぼくが頼んでた、おでんツユ缶と、うまい棒を置いて、すぐに帰りましたから、連絡しなかったのかなって……スミマセン」
「あー……まあ、食べられるのは、いい事だし、いいか」
検温と、酸素濃度を測ってから言った。
ジャス子の体温と、ミントの香りに、生きた心地がしなかった。
「熱は下がってるから、明日には退院。夕食は、そこに置いときます」
ぼくは、固い声で返事をし、ダンボールをかぶって偽装してる、スネークのような気分で、看護師さんを見送った。
ドアが閉まった途端、ぼくは、枕にバッタリと倒れた。心臓が、バクバク言ってる。
「緊張した……勘弁しろよ」
ニュッとぼくの横に顔を出した、ジャス子が、赤い顔で笑った。
「オツカレ」
「オツカレじゃねーよ。早よカエレ」
至近距離で、上目遣いに見上げるジャス子。
蛍光灯を反射した、青い目が、キラキラ輝いてる。
不覚にも、ドキっとした。
「ジャス子疲れた。ちょっと休憩」
ぼくのワキにすり寄ってくる、ジャス子。
それを押しのけるぼく。
「離れろって!」
「だが断る。ベッドの寝心地いいしな!」
「てめ……」
ケラケラ笑う、小さな顔を掴んで押しのけようとした。
「ちょっとくらい、いいじゃんよ。ずっと、ユックリ眠れなかったし」
それを言われると……
「大きく構えようぜ? 年上だろお?」
ぼくはムッとして、頭を軽くはたくと、横になった。
「ちょっと休んだら、カエレよ?」
「おう」
そう言って、ぼくの腕を伸ばして、枕にした。
……まあ、いっか。
「さっきの続き、やっと言える……私、ママ達と会ってくる。だから、お別れ言いに来た」
布団を引き寄せ、眩しい天井を眺めながら、息がかかる距離にいる、オカッパが言った。
「あ……そうだったな。そうか、どこで会うんだ?」
「色々、手続きがあるらしくて……今、ワシントンだってさ」
他人事みたいに、言うジャス子。
「マジか……でも良かったな。お父さんに会えるじゃん」
「んー……実感無い」
「……それもそうか。どれくらい、向こうにいるんだ?」
「わかんない……戻って来ないかもだし」
「えっ?」
思わず、顔を上げたぼくを、満足そうに見上げるジャス子。
「その反応が見たかった。親次第だよ。住む場所なんて、私が選べないじゃん」
そりゃそうだけど。
ぼくは、なんとも言えない気持ちで、横になった。
……サトシとも、やっとしがらみなく向き合えるのに。
そりゃ、誘拐されたお父さんは、悪く無いし、誰も悪くないんだけど……
なんか、勝手すぎん?
ジャス子の都合は?
「なーんだよ、寂しいか? んー?」
ぼくの方を見て、満面の笑顔で煽る、新・アメリカ人。
ぼくは、ムッとして言った。
「オマエこそ、寂しくないのかよ? 僕らはともかく……サトシや、沙菜と離れるって?」
何故か、安心したように笑う、金髪。
オリガと一緒にいる時も思ったんだけど、金髪の女のコ、しかも美人と二人きりだと、なんか、映画の中にいるみたいだ。
「まだ、帰れないって決まってないよ。それに、実際は、全力で抵抗するつもりだしね」
「……そっか……そだな」
ジャス子が、起き上がった。
「お腹空いたろ? ゴハンだぞ……うわ、ショボいな。さすが病人」
返事も待たず、テレビの前のトレーに手を伸ばす。
白ご飯、メインは魚の煮物、こんにゃくと、野菜の煮付けに、牛乳。
正直、全然足りない。
ガッカリした。
寝すぎて、少しぼうっとするけど、それ以外は元気だ。胃袋も。
「……先に、歯、磨いてくる」
ぼくが、ベッドから降りるのに手を貸してくれたジャス子は、備え付けの洗面台で顔を洗ってる間、ぼくの荷物をガサゴソ漁っていた。
「さすが、ハスマイラ・ネキ……アンパン、カレーパン、ポテチ、一通り揃ってるぜ?」
「マジ!? サイコーじゃん!」
ぼくは、口から泡を飛ばしながら言った。
口をゆすぎ、いそいそと、ベッドに戻り、ジャス子に言った。
「んじゃ、トレイくれ。さっさと食べて、ポテチにかかるわ」
「うむ……はい、あーんして」
「自分で食えるわ!」
「ダメ。姉ちゃんの言う事きけ」
う、とうとう来たな、謎の姉モード。
ぼくは、さっき、わんわん泣いた事を思い出して、顔が熱くなった。
それに気付いたのか、ジャス子も、顔が赤くなる。
「な、何だよ。いいじゃん、二人だし。心配すんな、二人の時だけしか言わないよ」
「……」
ぼくが不満そうな顔をすると、眉を寄せ、何かこらえるみたいな顔で、頭を撫でて来た。
「そんな顔すんなって……ヤバイから」
「何がだよ?」
「何がでも。ったく、ホントにガキっぽい……」
「ほっとけ」
ちょっとふくれて見せた。
ジャス子は、スプーンを握った手で、自分の襟もとを握って、深呼吸した。
「ダメだ。コレに弱いな、私……」
何言ってんだ?
すーはー、すーはー。
目をそらし、赤い顔で、咳払い。
そして。
ジャス子は、気を取り直したように、笑うと宣言した。
「さ、世話になったし、これくらいさせろよ? 次、いつ会えるかもだし。そしたら、ポテチだけじゃなく、私のカバンのイチゴポッキーもやるぞ?」