ハスマイラは見た
ぼくは、目を見開いて、凍りついてる、相棒から唇を離した。
視界が、ところどころ赤くて、体が重い。
ぼくに両肩を掴まれて、ひっくり返った犬みたいに、両手をちぢこまらせた、リーファ。
真っ赤な顔して、宇宙人を見るような眼で、ぼくを見ていた。
とっくに、暑くなり始めた朝の太陽が、照らすリビング。空調が、静かに音を立ててる。
ぼくは、しゃがれた声でたずねる。
「……治った?」
「コ、コラー!!」
リーファが、ギョッとしたように、入り口を振り返ると、ハスマイラさんが、大声を上げて部屋に入って来る所だった。
リーファが、慌ててぼくを背後にかばおうとしたせいで、布団に放り出された。
「違うの、これ違うって! ……ってか、ハス、いつの間に!?」
真っ赤な顔した、パンツスーツのハスマイラさんが、手に持ってた車の鍵を放り出して、ズカズカ迫ってくる。
「近くまで来たら、超エロい声がしたから、そっと覗いてました! 昼ドラみたいにペロってたとこから!」
「いや、ならフツー止めるだろ、どこの家政婦さ!? アタシが言うのもなんだけど!」
大の字に寝転んで、ぼくは天井を見上げた。
喉、乾いたな。
ハスマイラさんの声が、あちこちから降ってくる。
リーファが、通せんぼしてるのがわかった。
「凜、寝ボケてるだけだって! それより、熱、病院!」
「ナニを白々しい……んじゃ、アレはなんスカ? 朝ダチとか言わさないッスよ!?」
リーファの振り向く気配。
一瞬置いて、甲高い悲鳴が、長くひびく。
うるっさいなあ、頭ズキズキすんのに……
「な、なんだべ、後半、嬉しそうに聞こえたっペよ!?」
「う、うれしそうとかないし! 変なコト言うなし!」
「なら、指の隙間から見るのやめ! アタシ、それで失敗してるべさ!」
「……あのさ、ハス」
「ナンスか? のくッス、悪い子は、よその子でも容赦しないッスよ!?」
「アレ……間違いなく、アレしてるよね? アタシで、ああなったんだよね?……蹴るな、ゆずれない、闘いがあるんだよ!」
「天井眺めてて、ああなったかもしれないッスよ? ……蹴るなって。なんか、少年、ヘラヘラ笑ってるし……ああっ、吐いた、笑いゲロ!…… むせてる、ヤバイッス!」
目を覚ませば、知らない天井。
ぼくは、しばらく、身動きせずに、ここがどこかを思い出そうとしていた。
少し視線をずらすと、ぶら下げられた透明の容器から伸びたチューブが、見えた。
……病院か。
ベッドは、僕の寝ているやつだけ。
個室だ。
学校の保健室みたいに、特徴のない部屋。
カード式のテレビと、小さなクローゼット。
誰かが持って来てくれたのか、見覚えのある僕の荷物。
窓から見えるビルと、民家の屋根を、少しだけ色のついた太陽が、ギラギラと照らしてる。
夕方4時くらいかな。
頭痛は治まってる。
体はダルいけど。
……大分、思い出してきた。
サトシに、吐きながら喚き散らして、その後、肩を借りて着替えたことも。
でも、それ以降の事が、全く思い出せない。
……気分が重くなる。
何人かは、間違いなく怒らせてるはずだ。
僕は、のろのろと体を起し、自分のスマホを探した。
とりあえず、手もとに無いと、落ち着かない。
白い大きな枕のそばにも、アクエリアスの350mLが置かれたテレビのそばにも無い。
僕は舌打ちした。
これ、母さん来たのか?
……それはないはずだ。
色々やらかしたから、ハスマイラさん経由で、没収されたのかもしれない。
まあ、病人にスマホ、イジらさない、つもりなだけかも知れないけど。
ぼくは、ため息をついて、また、横になった。
「ストップ。ため息は、幸せが逃げる」
「おわあっ」
どこからとも無く、女子の声。
僕は、慌てて、体を起し、警戒する。
大して広さのない部屋。
クローゼットの陰、窓の外、誰もいない。
「そ、その声は、ジャス子。どこだ!?」
「ここ」
「おうっ!?」
ごろごろと、ミイラのポーズで、ベッドの下から転がり出てきた、ジャス子に、2回目の悲鳴をあげる。
「オマエ、なにやって……のわあっ」
すっくと立ち上がった細い影は、無機質な仮面を被ってて、3回目の悲鳴を上げてしまった。
いや、違う。
サンバイザーのひさしを、下ろしてただけだ。
ミニのタイトスカートに、ニーソックスとネックレス、昨晩と違う姿。
なんか……オシャレだな。ホコリまみれだけど。
「フフ……ツカミは成功。ハローアゲインだよ、bro?」
「ホコリはたくな、病室だぞ……」
いつも通りの反応にホッとする。
「オマエ、帰らなかったのか?」
ぼくの側の、丸椅子に腰掛けながら、ジャス子は言った。
「お腹減ってたし、乗り換えの京橋駅で、ダラダラしてたら……凛くんが入院するって、グループlineがあったから」
背筋を伸ばして、ジャス子が言った。
サンバイザー越しに。
「お礼と、お詫びを、駒口家代表で言いに来たの……後、お別れと」