オジサン構文
「ぼくは、保険として、橘さんに待ち合わせ場所で隠れてる様に言われたんだ。何もなかったら、帰れって言われてね。案の定、やらかして、リーファが怒って帰ろうとしたんだ。勿論、リーファは、ぼくが来てる事、知らなかった」
一気に喋ると、オリガも、ナディアも、口を半開きにしてる。
グラスの氷が溶ける音。
ローテーブルに、眼を向けた。
五つのコップには、ピーチティー。
4人とも好きな飲み物だ。
前に集まった時は、これを飲みながらゲームして、ゲラゲラ笑ってたのにな。
ジャス子が、ある意味、ぼくをかばった。
「二人に、謝れは言い過ぎ。……ベルさん、パキスタンへは、自分が行きたくて行ったんでしょ? ねえねに謝るのは、ベルさんでは?」
そのとおりだ。
謝れって言ってから、しまったって、思ってたから、助かる。
ホントに、コイツ、間に入るの上手いよな。
「そうだな、悪かった……でもさ、リーファ、ホントに我慢してくれたんだ。橘さん、超ズレてるからな」
「……林堂くん、ソレ、どんな感じだったんスか?」
ハスマイラさんが、離れたトコから、初めて口を挟んだ。
あ、怒らせたかな? 一応、ハスマイラさんが、好きな男性だもんな、マダオなのに。
……いや、チガウ。
不安そうな顔だ。
みんな、ハスマイラさんを振り返っている……
リーファだけは、下を向いたままだ。
「……記憶消したい記憶消したい」
相棒が、呟く言葉に、同情せざるを得ない。
「……イヤ、アタシなりに、娘さんへの接し方と、lineのうち方のレクチャーは、して来たつもりなんスよ。役に立たなかったのかなって」
リーファが、顔を上げた。
「……あ、パパのlineから、大量のハートマークと、オジサン構文が消えたの、ハスマイラのお陰だったんだね」
「oh……」
オリガが、かすれた声を漏らす。
ぼくは、ハスマイラさんを、悲しく見つめる。
ハスマイラさんの顔に、怯えに似たものが走った。
……でも、言わなきゃ。
三人を、仲直りさせる為だ。
ぼくは、元気よく手を上げて言った。
「待ち合わせの改札で……いやあ、梁 梨花今日は、とびきり可愛いな! パパ、嬉しいよ……周りから、『あれ、パパ活?』って声がしました」
周りから上がる悲鳴。
深くうつむくリーファ、無表情のジャス子。
真っ青になったハスマイラさんに、ぼくは無慈悲な追討ちをかける。
「……ちなみに、その時の橘さん……」
皆が、ぼくを見つめる。
誰かの喉がゴクリと鳴った。
ぼくは、声が震えるのを止められなかった。
「カッター襟出しノータイ、ストライプ・スーツで、ロレックスはめてました」
能面のまま、ジャス子の腕と顔に、ずぞぞぞっと、さぶいぼが立った。
完全に、自制を失ったハスマイラさんが、立ち上がり、腰の引けた怒声をあげる。
「ふ、ふざけんじゃ、ねえべさ! ずっとレクチャーして来たのに、そんな、おぼん・こぼんか、コムロ・Kみてえなカッコで、行くわけねえっぺよ!」
「ヤメテ……ヤメテ……」
クッションに土下座して、顔を埋めるリーファの声が切ない。
僕が多分、据わった眼で、ハスマイラさんの視線をガッチリ受け止めると、褐色美女は、唇を震わせ、ソファに崩れ落ちた。
「ボス……何考えてるっぺ」
オリガと、ナディア、ヒィヒィ声を上げて抱き合っている。自分に重ね合わせると、恐ろしくて、死んでしまいそうなんだろう。
「……ジャス子、そこまでキてるなんて、想定してなかったの。そこまでねえね、苦労したんなら……そりゃ、謝れ言いますわ」
「は? 何言ってんの? 相棒は、耐えたんだよ。帰らなかったんだぜ?」
空調の音が、大きく聞こえる程の、静けさが、白い部屋をつつんだ。
「……無理じゃ」
ナディアが、オリガと抱き合い、震えながら首を振る。
「うちのパパより、イタいのんがおるとか……しかも、隣に」
リーファは、クッションに土下座したまま、小刻みにぷるぷるしているだけ。
「ワタシ……ハジメテ、パパがイナイコト、カミサマにカンシャシタヨ」
ジャス子が、青ざめた顔で立ちあがって、スカートの膝を払う。
「マァ、この話は、これ位に……」
「話聞いてた? リーファ、帰らなかったんだよ。じゃあ、なんで帰ったか聞くべきだろ? キツイぞ? こんなのでヒィヒィ言ってる、オマエラに耐えられるかな?」
そういう、ぼくの全身にも、思い出しトリハダが、立ってきた。
オリガと、ナディアが、両手とほっぺを合わせて震え、ハスマイラさんは、アブラ汗を浮かべて、お経を唱えている。
ジャス子の眼が、追い詰められた、獣みたいに輝き始めた。
「ベルさん、調子に乗らないで。もう分かったって言ってる………」
ぼくは、断固として首を振った。
「分かってない。絶対に分かってない。リーファが『死ね、キモオヤジ』って言った気持ち、絶対に分かってない……橘さん、デカい声でこう言ったんだ」
「……やめ……」
真っ青になって、一歩近寄るジャス子。
「パパ、今日のデート、スゴく楽しみにしてたんだ!」
……楽しみにしてたんだ
……しみにしてたんだ
……みにシテ
……テ
幻聴が、木霊する。
同じだ。
あの時と同じ。
部屋のどこかで、Dioが、スタンドを使って、時間が止まる。
全員が、蒼白のマネキンに変わり。
代わりに。
か細い泣き声が、リーファが顔を埋めてるクッションから、漏れてきた。