それぞれのエピローグ 〜マフディ家の場合〜
カマール・ハシムは、小さなコーヒーカップをテーブルに置きながら、ため息をついた。
この国の、洋風コーヒーは、マズい。
挽いた豆が沈殿した、トルココーヒーも旨いと思ったことはないし、チャイも口に合わない。
三星ホテルのカフェ。
冷房が効いてるだけでも、有り難いとしようか。
半分アジア、半分ヨーロッパのトルコ共和国。
首都、イスタンブール。
世界で一番、旅行者ズレしていると言われる、この街は、身を隠すのには適した場所だ。
二人のボディガードは、離れた席で目を光らせている。
西洋かぶれなこの国は、自分の様な敬虔なムスリムには、座りが悪い……が、ほとぼりが冷めるまでの我慢。
身なりのいい、禿頭の痩せた老人は、考える。
自分の人生の大半は、『釣り』だった。
エサとポイントを選び、釣果を待つ。
自分が、ハシム家を繁栄させる事が出来たのは、ひとえに、『待つ』事が出来る、忍耐のお陰だった。
仇敵である、マフディ家。
跡取りの一人息子が逃げ出し、あとは待つだけだった。
何もしなくて、良かったのだ。
なのに。
昼食を終えた、東洋系の観光客が、入ってくるのを眺めながら、カマールは、ため息をついた。
……いつから、星のめぐりが悪くなったのだろう。
州警察……とは名ばかりの、悪党の親玉・シンを抱き込んだ辺りか。
ヤツは、役に立つクズだったが、ペドフィリアと言う悪癖があった。
そんな事は、どうでも良かったが、そのせいで、役に立たないクズである、自分の息子ごと、殺されるハメになったとくれば、性癖を呪わざるを得ない。
息子と、その仲間、シンの死体も一切上がって無いが、キル&ダンプは、バロチスタン名物だ。
長男は死んだが、まだ、娘の息子、幼いながらも孫がいる。
ハシム家は、続いていく。
自分でも驚いたが、長男が死んでも、なんの感慨も沸かなかった。
ただ、マフディの手に掛かったのは間違いない以上、復讐は、果たされなければならない。
礼拝を呼びかけるアザーンが、ホテルの外から聞こえる。
窓から差し込む、8月の過酷な太陽は、外出する気を失せさせた。
………妙な事に気づいた。
いつの間にか、カフェのテーブルの大半が、陽気な、東洋人の若者達で占められていた。
バックパッカーらしい、軽装に舌打ちする。
このカフェには、ドレスコードがない。そして、中国人は、アメリカ人くらい、やかましい。
……皆、中国系に思える。
というか、自分には、東洋系は、皆、同じにしか見えない。
ボディガードの方を見ると、ウェイターが、運んできた、タブレットらしいものをのぞき込んでいる。
10秒……
20秒。
バロチスタンから、連れてきた、二人のボディガードは、静かに立ちあがる。
隣の席の中国人達4人が、親しげに近寄ると、肩に手を置いた。
カマールの心臓が跳ね上がり、声が喉につっかえる。
そうだ、思い出した。
シンから、報告を受けていた。
館から、ロシア人少女を連れ出したのは中国人で、それ以後、連絡が途絶えた事を。
「よお、爺さん。機嫌はどうだい?」
前の席に、いつの間にか、若い東洋人が座っていた。
黒髪に、黄みの少ない白い肌。
30に届かない、若造。
目鼻立ちの整った顔に、楽しそうな笑いを浮かべている。
「俺の方は、ハッピーだよ。ガキのお守りから開放されて、鉄火場の空気を吸ってるからな」
「………聞いてないが? 誰だ」
「まあ、聞けよ。アンタは、闇サイトで、暗殺者を雇った。南米への潜入から、ヨーロッパでの誘拐まで、なんでもござれの、優良会員サイトだ。それで……」
中国人の目が鋭くなった。
「日本にいる、マフディの、暗殺を依頼した……それ以前に、許せんのは、オマエラが時間を浪費させたお陰で……バイクから落とさねえ様、クソガキごと、ガムテープでグルグル巻きにされたんだ……週間ジャンプの束みてえによ?」
「……言ってる意味がわからんが」
「バックレるには、遅すぎたな?」
「……いや、『ウイークリー・ジャンプ』の方だ」
「そっちはいいから」
カマールは、高い天井を仰いだ。
4人の東洋人と去って行く、ボディガードには、見向きもしなかった。
ここまでか。
「貴様らは、マフディの何だ?」
「雇われだ。顔に泥を塗られたケジメを取りに来た」
東洋人は、背もたれに体を預けて、宣言した。
「迅速・確実・来た時よりキレイに、が我社のモットーなんでな……それとオマエたちに、闇サイトの紹介をした奴を教えろ……ユンファだ。タンゴに接触」
スマホをテーブルに置いた、ユンファが言った。
「そいつ等を探してる……長いことな」





