おムコに行けない
「……んまに、どこから説教すりゃええんか、わからんわ」
遠くで、声が聞こえるけど、聞こえるだけで、意味が頭を素通りしていく。
ぼく、気を失ってるんだな、ってヒトゴトみたいに考えてただけ。
ナディアの声は聞こえない。
「さっき看た時、左手首、そんな熱もってなかったから、おかしいオモタで……話は後や。お嬢ちゃん、目ェ覚ましたる」
お母さんが、僕を足で転がして、仰向けにさせた。僕は無抵抗。
「なあんか、クサい事言うとったけど、男はみんな……基本コレや」
膝丈のデニムが、パンツごと一回軽くひっかかってから一気におろされ……
ナディアのあられもない絶叫が響き渡った。
「何て事すんだよ、クソババア!」
マジギレしてるぼくを、コーラの入ったグラスから口を離して、ガン付けするクソ母。
水滴の浮いたコップを、居間のテーブルに、叩きつける。
「……なんて事するんや、エロガキ。おん? 横見てみ、横や」
ぼくの横には、両手で真っ赤な顔を覆って、正座している、ナディア。
濡れたチャドルの代わりに、ぼくのTシャツと、ハーフパンツをはいている。
そっちを見ないようにして、ぼくは噛み付く。
「そそそれと、これとは、別だろ!? なんであんな事する必要があるのさ!?」
クソ女は、答える代わりに、凛々しい顔で言った。
「……俺……ナディアの事、パルテナみたいに綺麗だと思ってるんだぜ(キリッ)」
「うわああああ!!」
ぼくは膝立ちになって、宙を引っ掻く。
やめろ!
いや、やめろください!
冷たい目をした、母さんはナディアにも容赦なかった。
「……リーと……おんなじ事」
ナディアの悲鳴が響き渡る。
フローリングの床にガンガン頭突きしながら、喚く。
「殺して! 殺してください!」
思い思いのムーブで、身悶えするぼくたちを、面白くも無さそうに眺める母さん。
「悪い事する子にゃ容赦せんで? ヨソの子とか関係あらへん……」
母さんは、スマホを持ち上げ、身の毛もよだつ事を言った。
「母さん、佐竹さんちと、仲ええねん……クラスのボスなんやろ?」
ぼくとナディアは、訳のわからないことを喚きながら、母さんにすがり付いた。
「か、母さん、何でそんな事思い付けるの? 血液、何色!?」
「そ、それやったら、今ここで死にます! さたん、太陽系まで広めますけん、【RT企画】とか書いて!」
みっともなく泣きじゃくるぼくらを、うっとうしそうに引きはがし、母さんは言った。
「寄ってくんな、むさ苦しい。アンタら、今回はどっちもどっちや。給食、食べてるチビッコどもが、乳繰り合おうなんざ、百年早いわ」
唯一神を称えるように、土下座を繰り返すぼくらから、目を離して、母さんは独りごちる。
「保険証、持たせて放り出す……ママもグルなんか? 説教や……けど……もう、そんな歳なんやな……凛なんか、四年まで、『逃走中』のハンターは、サイボーグやって信じてたのに」
サラッと、黒歴史やめてくださいます?
「あのな、ナディアちゃん。凛のチンチン見たやろ? あれ、好きとかキライとかとは別やの。それ勘違いしたら、たいへんなことになるで……」
熱くなった顔で俯く僕と、ナディア。
二人とも正座だ。
母さんは、ため息をついて、静かに言った。
「性の事は、きちんと考えなイカン」
「はい……」
いたたまれず、モソモソと、支度をして、ぼくらは、玄関を出た。
柵にとまっていたセミが、ジッ、と鳴いて、入道雲に向かって飛び立つ。
こないだのジャスミンみたいに、肩がずり落ちそうなTシャツと、ハーフパンツ姿の、ナディア。
濡れたチャドルの入った、スーパーの袋を提げている。
二人でエレベーターを待ちながら、ぼんやりと消えていくセミを見送った。
「……凛」
ちょっと、緊張しながら、僕の下の名前を呼ぶ、ナディア。
「何?」
「うち……コンプレックスの塊やから……その」
モジモジとスーパーの袋の持ち手をいらう。
「嬉しかった……うちの……裸で……その」
顔が熱くなって、ぼくは明後日の方を向く。
その続きを言えず、ナディアは、黙り込む。
えっと……
そりゃ……見て、触って、触られて……何にも感じるなって無理だろ?
ナディア……リーファと、ベクトル違うけど、間違いなく美人だし。
胸も……アレだし。
場の緊張が高まる。
その時、エレベーターが到着した。
……昨日、キスした相棒を乗せて。