シュワシュワ
『キスしたのは、昨日が初めてじゃない』
……だからなんだ。
よくある事だし、そんなマジに考えなくてもぉ、とか言うのか?
大事なのは、『どんなつもりで、リーファにキスしたのか』って事だ。
キス……したんだろうか、ぼくの方から?
しようとして、思いとどまったところに、されたのか?
顔を近づけて、リーファにキスするようにしむけたって考えるのが一番……近いんじゃ。
キス、して欲しかったんじゃ。
ぐるぐる回る思考は、リーファの静かな声で中断した。
「ナー、ケガの結果が出たら、グループで知らせて」
「心配いらんわ、痛み止め打って出るしの」
うちの冷凍庫にあった保冷剤を、リーファもナディアも左の頬に当てながら、目を合わさず会話した。
ぼくも、何か声を掛けようとして、思いとどまる。
まず、どっちに話かけよう。
どっちに、先に話しかけても。
角……立つよね?
「二人とも、キズは大丈夫?」
これくらいしか言えない。
「うん」「平気じゃ」
元気はないけど、一応返事してくれた。
何でこんなことになったんだろな?
呪われてんのかな、俺たち?
何を言っても怒らすだけな気がする。
時計の秒針の音が重い。
暑い。
エアコンの冷房を強める。
「私、外出てる。凛、迷惑かけて、ごめんね。ナー、今、何言っても、怒らすだけだから、消えるよ。じゃ」
出ていくジーンズ姿を、ナディアは、見ようともしなかった。
狭い部屋、ナディアが座る、デスクチェアーの向こうの壁は窓。
逆光をあびて、うつむく横顔は、チャドルのフードで見えない。
玄関から出たリーファが、すりガラスの向こうに映った。
バラバラ。
ぼくら三人を表す言葉が、これだ。
もうすぐ、夏休みも終わる。
ぼくが、一番恐れてるのは、ナディアとリーファ、どちらかが学校で、グループから離れて、ぼっちになる事だ。
二人の性格から言って、表面上だけ仲良くは無理。
グループから、はぐれるってのは、学校では、死を意味する。
それだけは、絶対にさせない。
この先どうなるか、わかんないけど、方針はきまった。
二人をなんとか仲直りさせる。
どんな犠牲だって、払う価値があるもんな。
「林堂」
「えあっ!? な、何?」
ナディアに先手をとられ、キョドってしまう、ぼく。
ナディアは、フードを脱いだ。
けど、ショートボブに隠れて横顔は見えない。
「迷惑ついでに、夕方まで、おいてくれんかの……お腹が痛くなって来そうなんじゃ」
「そ、そうか。もちろんいいけど……大丈夫か?
」
ナディアは、コクリとうなづく。
「あ、あの……トイレなら……」
ナディアが、うつむいたまま、ブンブン頭を振った。耳が赤い。
「え、あ、そっか。うん、そっか」
体の、あちこちを掻きながら、ぼくは必死に頭を巡らす。
「えっと、母さん呼ぶ?」
首を振るナディア。
「……ちょっと恥ずかしいけん」
「え?……恥ずかしいって……」
なんだろ? お腹が痛いのが、恥ずかしいって、トイレでもなければ……
「……あ」
思わず声に出てしまった。
ナディアが、深くうつむく。
耳が真っ赤なのを見て、ぼくは、顔が一気に熱くなった。
「そそそそ、それ、あの、大変じゃん! えっと、その」
ぼくは、ゴクリとつばを飲んでから ーヤラシイ気持ちはないー 恐る恐る聞いた。
「えっと、その……その……持ってきてる?」
膝で拳を握り、ブンブン首を振る、ナディア。
こんな時だけど、しおらしくて、かわいいとか、思っちゃったよ何考えてんだちくしょう。
「一大事じゃ……い、いや、変な言い方になってゴメン!」
ナディアが、顔を両手で覆って、震えてるのを見て、目が覚めた。
頬も、手首も、膝も……満身創痍じゃないか。
ぼくが、しっかりしなきゃ。
決意は、我ながらいいよな、決意は。
実際に口から出た言葉は、へっぴり腰もいいトコだった。
「あの……やっぱり、あの……」
「 男子には分からんじゃろうけど……女子同士でも恥ずかしいんじゃ」
「そ、そなの?」
その時、ドアがノックなしに開いた。
「凛、ちょっと、ナディアちゃんのもん、買うてくる。ナディアちゃんのママ、家帰ってくんな言うんやったら、しばらく帰らんでええわ。うちにおる事もいわんでええよ。分からせたり」
母さんは、不機嫌な顔で一気に言うと、ナディアが返事する間もなく、顔をひっこめた。
「ナディアちゃん、今日はごめんなさいね。リーファには私が話す。林堂くん、ナディアちゃんを看てあげてね……どうしたの?」
思いがけない、二人きり決定に、ぼくはとても情けない顔をしてしまったと思う。
ナディアから感じる無言の圧力。
「……いえ。なんでもナイデス」
2分後。
遠くから聞こえるセミの声、秒針の音が聞こえる部屋で二人きり。
ぼくは緊張のあまり、正座していた。
ナディアは、椅子に座って横を向いたままだ。
ツライ。
沈黙が辛い。
「何か飲もうか? 何がいい?」
「……シュワシュワ」
炭酸か。
「オッケー」
コップにサイダーを、注いで戻ってきた僕は、一つを、ナディアに渡した。
「すまんの……あ」
「大丈夫!?」
手が滑ったのか、コップを太腿の間に落としてしまった。
「すまん……すまんの」
「いや、手、怪我してるのに、考え足りんかった、こっちこそゴメン!」
そこら辺にあった、タオルで、慌てて、チャドルの濡れたところを拭いた。
閉じた太腿の上にできた、三角のくぼみの辺りは、サイダーがたまってたから、タオルを押し付ける。
柔らかな弾力が、自分のやってるチカン行為を気づかせてくれた。
石化が解けるまで、5秒。
恐る恐る、ナディアを見上げる。
口元を覆い、半泣きで僕を見つめていた。
「うわああああ!」
音速で後退る。
「ゴ、ゴメン、ごめん! げっ……」
クローゼットの扉に後頭部をぶつけた。
視界に、星が散る。
あまりの痛みに、うずくまつまった。
ナディアは、椅子から立ち上がると、静かに言った。
「ええよ、林堂じゃけん……それより」
背中を向けて、か細い声で言った。
「左手がこれじゃけ……チャドル……脱がせてくれんかの?」