ボンボン時計と夜の魔法
「リーファ、ぼくだ。服着てるんなら開けてくれ」
僕は、風呂場のドアをノックした。ステンレスを叩く音が、淡い照明だけの廊下に響く。
毎回来るたび思うけど、やたらデカイよな、コイツん家。
この階の部屋は、下の階の倍サイズあるらしいけど……
ここに二人は寂しいよ。
リーファパパはあんなんだし、ママはリーファが小さい頃に離婚したらしくて、いまどうしてるか、ぼくは知らない。
リーファと、京子叔母さん。
ぼくの見る限りは、リーファの方が距離をとり続けてたカンジだ。
よく見たら、それなりに傷のある、ドアの向こうに、人の気配。
「ジャスミンは?」
リーファの、か細い声。
「ぼくが、寝てた部屋で寝てる」
言い終わらないうちに、カギが開く音。
ピンク色のふわふわ素材のショートパンツ、胸元にポンポンが2つ付いてる、ノースリーブを着たリーファが、疲れきった顔で立っていた。
お風呂あがりだからか、いつものリーファのいい匂いが、強くする。
「……寝ちゃってた」
ホントかどうかはどうでも良かった。
「……ぼくもだ。とりあえず、ぼくもシャワー浴びたい。パキスタン出て以来だもん」
20分後。
いつも、スマブラしてるリビングで、照明を落とし、ぼくらはテレビを見ていた。
水滴の付いたコップが2つ、濡れた髪、二人の膝には1枚のブランケット。
隣り合って、ソファに埋まり、どちらも無言。
……ぼくら、今日、優勝したんだぜ?
浮かれて、沢山話す事があるはずなのに。
がんこ寿司では、サトシ達がいたから、スマブラの話は避けたけど、充分楽しかったもんな。
もうしばらくしたら、京子さんも帰って来るはず。
時計は23時前。
いつもは寝てる時間だから、この時間帯の番組は新鮮だ。
でも。
全然中身が頭に入って来ない。
しばらく、ぼんやり、画面を眺めていると、リーファが、ぼくの肩に頭をのせてきた。
「……次来る人、パパと結婚するかも知れないんだって」
ぼくが、言葉の意味を理解するのに、1秒以上かかった。
「……つまり、リーファのママになるって事? リーファ、その人知ってるの?」
「全然。パパの部隊の人らしいけど……」
「リーファのパパ、何考えてんだろな。それで、京子さん、出てくの?」
「……うん。大学の授業も、ほとんど無いから、実家から通うって」
「そっか。寂しいな。低学年の頃から一緒にいたもんな」
「……うん」
沈黙。
「あたしさ……ずっと一人みたいなもんじゃん?」
「おい……ぼくはどうした、相棒」
リーファは小さく笑って言った。
「一緒に暮らしてる人の話だよ。このマンション、セキュリティは、厳重だから、ユンファ達も、住むところは別だし……」
テレビの光が映る、暗い天井を見上げながら、相棒は続ける。
「マトモな、話し相手は、京子さんだけだった」
「の、ワリには、オマエ冷たくなかった?」
リーファがスネた顔で言った。
「わかってるよ……だってさ。思っちゃうんだ」
リーファは、膝の間に、顔を埋めた。
「仲良くなったって、どうせ、この人もいなくなるんだって」
「なんちゅう、ネガティブ思考……」
ぼくは、呆れて言ったけど……
ブランケットに、顔を埋めた、リーファの声が震え出した。
「わかってるよ、自分がネクラだって。でも、そうじゃん? 実際、京子さん、いなくなるじゃない。だったら、別れる時辛くなるばっかだし……逃げて……何が、悪いんだよ……」
「リーファ……」
「パパなんてさ、タダ私に甘いだけじゃない、自分の事ばっかで。結婚? したけりゃ、しろよ? どうせ、私はいつでも、関係ないじゃん。 ニヤニヤしながら、時々会いに来るだけなんだから……私はペットじゃない!」
「……あー、だから、パパの事、あの人って呼んでたのか。でもさ、オマエも、ワリと……いや、かなり塩対応だぞ? 優しくして欲しいんなら、あれもどうかだろ?」
ズケズケ、遠慮なく言うぼくに、リーファが顔を上げて嚙みつく。
「パパ、いつ死ぬか分かんないんだよ!? 少しでも他人でいたいっての! マトモに心配してたら頭がおかしくなるわ!」
「……それは……そうかも」
リーファが、また、膝を抱える。
コイツ、これ、クセなんだよな。落ち込むと、メッチャわかりやすい。
んで、ガンガン反論したら、怒ってわめき出す。イイトコで、そーだな、ゴメンって言ってやると……
「わかってるよ。根本的な解決にならないって。でも……」
反省しだす。『でも』付きで。
「距離とってたんだろ? で、予測通り、お別れの時が来た。ねえ、どんな気持ち? ねぇネェ?」
げしっと、ワリと本気で蹴られた。
「……わかんない」
「言えよ。寂しくなるって。京子さんに」
「そんなの……」
「ジャスミンに言われるぞ? ねえね……ダサって」
リーファが、マジでニラんで来るのを、ぼくは、ニヤニヤ笑いで受け止める。
にらめっこ、どっちが勝つかって?
リーファ相手に負けたことないんだ、ぼく。
リーファの口もとが徐々に上がっていって……
ぼくのひざにダイブして来た。
「はいはい」
リーファの頭を撫でてやる。
良かった。落ち着いたみたいだ。
頭を撫でるのをやめると、抗議するように足をバタバタさせて、自分の頭を指してくる。
「いくつだよ、オマエ」
頭を撫でると、大人しくなった。
ぼくの太ももに頬ずりしてきてくすぐったい。
もう片方の足を抱き締めて来るから、リーファの胸が、太ももに当たる。
そんなのレスリングで慣れてる。
のに。
時計が、重厚な音で、23時を告げた。
奏でられる、鐘の音、リーファの猫のように満足気な横顔。いつもより、濃い香り。
そうだ、疲れてるんだ、俺。
だから……
リーファの顔を、抱え起こしたりするんだ。
キョトンとした、リーファの顔が、みるみる強ばって……赤くなっていく。
お互い目を離さない。
いや。
離せない。
ぼくは……感じたことの無い衝動に襲われ、今いる場所の感覚が無くなった。