笑わなくても
場の空気が凍結する。
誰か。
誰か、何か言わなくちゃ。
だけど、聞こえてくるのは、スタッフルームのざわめきと、中高一貫大会の代表決定トーナメントの実況だけ。
何より、僕の頭を ーたぶんぼくだけじゃないー
ぼくらの頭をよぎるのは。
『ここ、とぼけていいとこなの? 本気で戦った、こいつら相手に』
って事だ。
かと言って。
正直、そんなにズルしたとは思ってないんだ。自分より強いヤツに代わりをしてもらったんじゃないから。
ナディアママ達、大人も黙っている。
これが、あの時の、助けてもらう前のりょうちんだったら、「証拠でもあるの? 寝言は後ろ髪切ってから言ってね!」
とか言ってやれるけど。
ぼくは………
「悪かった、その通りだ」
サトシに倣って素直に謝った。
リーファ達には悪いけど、ここで、謝らなかったら、それこそ、負けた気がする。
サトシ達全員が、ギョッとして、僕を見た。
いや、アケミ(37)は、驚かない。
「やっぱり、男子やったんやね……声が無理してたし」
「ぼくは、昨日までパキスタンの奥地にいたんだ」
アケミ(37)が、眉をひそめた。
「……冗談やろ?」
「マジだ。表に金髪のコがいるだろ?あのコの命がかかってた。間に合わないかもしれないから、代役を頼んだ。ついでに、警察にも捜されてる」
カレンまでもが、あっけに取られた顔をしている。
僕は、ワンショルダーのバッグから、パスポートを取り出して、スタンプの日付を見せた。
「このウマ娘の恰好は、僕の顔を隠すためだけに、二人に付き合ってもらったんだ」
アケミ(37)は、パスポート、次いで、僕を信じられないものを見る目で見てたけど、呆れたように言った。
「じゃあ、さっきの誘拐騒ぎもその関連? それで、よう、人の事責めれたもんやね? 大会潰すとこやったのに」
言われてみれば……そうだな。
リーファが、歯切れ悪くボヤく。
「私達だって、やりたくてやった訳じゃ……」
「知らんがな。ええ迷惑やわ」
気詰まりな沈黙。
不満げなリーファですら、黙っている。
確かに、何か言う資格はない気がして来た。
「……けど」
ポツリと眼鏡女子が言った。
「うちらも迷惑かけたしな。やりすぎやわ、サト。負けたチームからしたら、うちら煽りキッズ以外の何もんでもないで」
保護者のお兄さんが、スマホを見ながら、口を開いた。
「そろそろ……」
「理由あったもん、自分の為ちゃうもん。にいには、悪くない」
カレンが遮った。
アケミ(37)が、初めて怒りを顔に出した。
「それこそ、相手からしたら、知らんがなやわ。そうや、サトは、いつでも、人の事ばっかりや!わかってるんやったら、その無愛想な顔、やめよし!」
サトシが、胸を押さえたまま、顔をしかめた。
……コイツ、どこか、悪いのか?
「沙菜、やめろって」
サトシが、アケミ(37)を初めてそう呼んだ。
「やめへん! 私、こんな大会、出たくて出たんちゃう! アンタが……ジャスミン笑わせたい言うから……」
顔を覆う、アケ……沙菜。
ソッポを向いてる、カレン……ジャスミン……か。
ドラえもん姿でうつむく、サトシが……
すごく、辛そうで。哀しくて。
……ぼくらは、何を言えたろう。
保護者のお兄さんが、眼鏡越しに、悲しそうな視線を向けて言った。
「ジャスミン………今、沙菜の言った事、よく考えた方がいい」
頑なに、横を向き続けるジャスミン。
喉がふるえ、眼に涙が光っていた。
保護者のお兄さんが、言葉を無くしている、僕らに対し、申し訳無さそうに言った。
「お騒がせしました、僕達はこれで。全国大会、頑張って下さ……」
リーファが、遮る。
「何度もゴメンナサイ、サトシ君、この子を笑わす為に……この聞き方やめる。どうせ、違うって言うから。この子は、笑わないの?」
サトシは、言いにくそうに、答えた。
「……まあ。でも、いつかは」
「違うよ。この子は、笑わないんじゃない」
リーファは悲しそうに続けた。
「笑う訳にはいかないんだ。何で、分かってあげられないの?」
弾かれたように、リーファを振り返るジャスミン。心底、たまげた顔で。
そして、サトシ達も全員、黒髪の小6女子を見つめる。
ウマ娘のカツラをとっても、やっぱり、リーファは美人だった。
「理由は分からない。でも、これだけは言える」
リーファは、唇を震わす、ジャスミンを痛ましそうに見た。
「一番辛いのはこの子。サトシ君、こんな事して笑わそうとしても、この子が、責任感じるだけだよ。笑わない、理由は、絶対に言わないだろうけど……信じてあげて」
リーファは、自分に言い聞かせるように言った。
それは……
リーファ、もしかして、それって京子叔母さんに言いたい事なの?
「この子は、みんなの事大好きだよ……笑わないアタシが保証する」
リーファを見つめる、カレンの眼から大粒の涙が流れた。
一つ。
また一つ。
滝の様に流れ出したそれは、くしゃくしゃになってしまった、顔と相まって……
すごく……
年相応の泣き顔で、僕達の心を動かした。
同じように、少し潤んだ眼で、リーファは、金髪のオカッパに言った。
「なんて顔してんのさ……バーカ」
最後の『バーカ』に込められた温かさに飛び込むように、ジャスミンは、リーファにしがみついた。
「ごめんなさい、ゴメンナサイ! 私の蹴り、当たらなかった!? ホントにゴメンナサイ!」
リーファは、ジャスミンの頭に顎をのせるように、抱き締めた。
「誰に言ってんのさ? 10年早いんだよ」
奇跡を見るような、サトシと、眼鏡のお兄さん。
沙菜は、口元を覆って、涙を流している。
……この娘の事、ホントに心配してたんだな。
大人達が、涙を流す中、リーファは、言った。
「私は、橘 梨花。台湾名は、梁 リーファ。 ……アンタの名前は?」
次のセリフで、僕とナディアは笑ってしまった。
リーファ、初対面で、ナディアに名乗り返さなかったこと、ひきずってやんの。
「ちゃんと名乗らないと、後で恥かくよ?」