ファルコンのヒザは、リアルでも通用するか ーその実践と考察ー
『境清掃サービス』って書かれた、つなぎの背中を追いながら、僕は思った。
そういえば、ナディアのお姉さん、鈴香さんは大丈夫なのかな?
心臓が鳴るのにあわせて、僕の頭を真っ赤な痛みが襲う。
ナディアに言おうと思ったけど、リーファパパがなんとかしてくれてるって信じよう。
頭の中はパルプンテ状態、どうする、どうするって言葉だけがグルグルしてる。
喉は緊張で痛いし、呼吸も上手くできない。
引きずられていく、ナディアママ。
ヒザ下までのタイトスカートから出る白い脚。
履いてるパンプスが脱げないか心配だ。
「歩け、殺すぞ」
ガッと言う顔を殴る音、ママの苦しそうな声。
思わず出た、僕のやめろっていう声は、ナディア達の悲鳴にかき消された。
「殺しちゃる!」
ナディアの涙声。
リーファが震える声を絞り出す。
「そうしようか?私史上、最高のマジギレだよ」
……僕もだ。
ここまでだれかに、殺意がわいたのははじめてだ。
………行くか?後ろから、片足タックル?
体重差があっても、相手が歩いてる時なら、別だ。うまくつまづかせる事ができれば、簡単に倒れる……うまく行けば。
エスカレーターまで、5歩くらい。
ママを巻き込みたくなければ、今しかない!
そのとき、エスカレーターの遥か下、入り口から見覚えのあるオジサンが入って来た。
小柄で、ガッシリしたスキンヘッド。
リーファの護衛だ!
廃工場で、オスマンさんと通訳を尋問した時にもいた。あの人が、SchoolGirlだったのか。
リーファの冷たい声が貫いた。
「現着確認……殺せ。方法は任せる」
いいぞ、リーファ。
僕自身も、完全に殺意の塊になっていた。
恥ずかしいとは思わない。
頼まれもしないのに、殺しに来たのはコイツだ!
大事な大会をぶち壊して、ナディアママを殴りやがった!
僕は唸った。
「リーファ、殺っちまえ」
「り。―殺―」
僕らは全員一線を越えようとしていた。
その時。
遠巻きに眺めていた集団の中から、飛び出して来たヤツがいた。
ドッジボールの時みたいに、腕を振りかぶってサイドステップで、軽やかに迫ってくる。
エスカレーター直前まで来た男は気づかないけど、僕は気づいた。
ナディア達もだ。
そいつは歯を食いしばり、手に持っていた黒い物体を全力で投げた!
弾丸のようにぶっとんで来たそれは、男の頭に激突して、派手な音をたて、粉々に飛び散る。
スゲェ、正確なピッチングだ!
野球少年か?
宙を舞うパーツを見て気づいた。
あれ、プロコンじゃん!?
「ぐぉ」
男は、頭が一瞬傾く程の衝撃に、声を洩らした。
前に進むこと以外は、無視していた男が、さすがにそちらをニラんだ。
真っ赤な顔をして、肩で息している男子は、ヤケクソのように喚いた。
「そ、そのネーチャン離せや、ゴラァ!」
「「「りょうちん!?」」」
僕ら三人、仰天して叫んだ。
なんで!?
なんでなんでなんで!?
頭が今度こそ、ホントに真っ白になった。
でも男はプロだった。りょうちんを無視して、エスカレーターに向き直り、逃げるのを最優先にしたんだ。
「ぐがぁっ!?」
突然、男が、はっきりと悲鳴を上げる。
僕は見た。
背後から見えるナディアママの左手の指全て。
男の太い腕に、半ばまでめり込むのを。リンゴを握りつぶす握力が成せる業だ!
男がアクションを起こす前に、ナディアママの体がスッと沈む。
首に巻かれた男の左腕を巻き込むと、エスカレーターのてっぺんで、思い切り腰を跳ね上げた。
お手本のような、ナディアママの一本背負いで、巨体はキレイに宙を舞う。
重力に従い、男は背中から、物凄い音と共に、エスカレーターのステップに激突した。
もんどりうって、エスカレーターを、転がり落ちていく。
上りのエスカレーターで、こちらに向かってた、スキンヘッドも、さすがに驚いていた。
「ママ!」
エスカレーターに倒れこんだナディアママも、ズルズルとステップを落ちて行くのを見て、僕は叫んだ。
慌てて駆け寄ると、白い肌を踏まないようにステップを駆け下り、下からナディアママを抱え起こす。
ダンダンダンダン、とステップが揺れた。
帽子の脱げた頭から血を流しながら、男がエスカレーターを駆け上がってくる。
その、悪夢のような絵面に、僕はチビリそうになった。
不死身かよ!?
「ネーチャン、こっち!」
駆け寄ってきてた、りょうちんが、ナディアママの手を引っ張る。
「寝てろ!」
りょうちんの親が、持ってた荷物を男に投げつけた。
何、この救世主たち!?
よく似た、別人か?
カッコ良すぎんだろ!
男は、一瞬も止まらず駆け上がってきたが、
「ああ、もう、くっそ!」
ヤケクソのように、りょうちんの親が、追加で投げた四角いバッグはかわせなかった。
Switchの収納バッグを目の辺りにくらい、一瞬動きが止まる。
「逃げろ、オマエラ!」
りょうちんの親父さんは僕らに叫んだ。そのまま、りょうちんと一緒に、額から、血を流しているナディアママの手をとって、人ごみに逃げる。
りょうちん達、崩れたカッコと同じくらい、顔は恐怖で崩れてるけど、カッコいい!
ホントにさっきのりょうちん達か?
「みんなも、早く!」
ナディアママが振り返って叫ぶ。
「どっちか連れてかねえと、金にならねえんだよ!」
吠えながら、僕から数メートルの距離まで迫る男。
スキンヘッドが、その後ろで銃を抜いた。
僕はエスカレーターを駆け上がって逃げる。
そこで見たのは、壁際まで下がって呼吸を整えるナディア。
「わりゃ、誰のママにィ……!」
ナディアは吠えると同時にスタートを切った。
僕に向かって。
僕の背後の大男に向かって!
「凛、しゃがめ!」
リーファの鋭い声に、僕は男の方を向き、体を沈めると、ナディアに背を向けた。
「ナディア、行っけぇ!」
僕の背中でトン、と踏み切り、ヒシアマゾンは、軽やかに舞い上がった。
登ってきていた男より高く!
ジェットコースターの逆落しみたいな、エスカレーターのてっぺん、その上空で、ヒシアマゾンの髪が怪鳥の羽のように広がった。
「色つけとんじゃあああ!!」
鋭く突き出した膝が、男の顔の真ん中にめり込む。
白い歯が、何本か勢い良く、男の口から飛んだ。
運動神経抜群のナディアならではの……
ファルコンの殺し技、『ファルコン・ストライキング・ニー』を食らってのけぞる男。
けど。
男は倒れなかった。
ドタドタと、体勢を崩して何段か落ちながらも、ナディアを両手でキャッチする。
マスクも脱げ落ち、素顔を晒しながら、流れる鼻血を舐めとり言ったんだ。
「……ってことは、オマエが本当の娘だな?」