後編 初めての長編を投稿して
こうして初めての長編小説を、9月2日の朝、昼、夕と3話投稿した。
その後四日間とも無事に投稿できて、10話が私の手元から旅立った。一年近く自分だけの話だったのでそんな感覚がした。
ありがたいことに、過疎ジャンルなので日間上位に入り、順調な滑りだしだった。投稿四日目には小さいながら100ポイントブーストが起きたらしい。その前後で一挙にブックマークが20件増えた。
さすが長編。短編とは大違いだ。今までの最多ブックマーク数が30ちょっとくらいだったので、いとも簡単に抜き去った。
連載開始から二週間で、二つもありがたいレビューをいただいた。感想も思ったよりいただけて、楽しいことばかりだった。さらにはFAまでもいただき、何だか自分が小説として書いた世界が、いろんな人に受け取ってもらえていることが分かって、嬉しかった。
ただし、全部書き上げてあるから見直すだけと思っていたが、先の方に変えたい部分が見つかった。それを辿っていくうちに、もっと主人公の心情を書く部分が最初の方に必要だと感じ、あちこち書き換え、17話目を丸ごと書き直すことになってしまった。
その後も、その週に投稿する予定の推敲をしながら、先の8話から10話くらいを見直す必要があり、この時点ですでに案外余裕がないことが判明した。
ついでに、あまりにもパソコンの前で座っている時間が長くなったせいで、旦那に題名を見られ、呆れられてしまった。
「『ゆるキャラは異星人』って何? まさか本当にそんな小説書いているの? ふざけすぎ!」と。
ブックマークが50件になったときは嬉しくて、活動報告をわざわざ上げたりした。我ながら単純である。
しかし、連載開始から一か月を過ぎると、月間ランキングからいなくなったせいか、どんどんアクセス数が減り始めた。話数は増えていくのに、どんどん読まれなくなっていく。
ブクマ58件目からはぴたりと止まり、たまに1件ついては1件なくなり、また1件ついては1件なくなる。アクセス数も最初は一日200PVくらいあったのに、更新しても二桁しかいかない。
短編しか書いていないと、どうしても長編の感覚は分からないものだ。私はこれまで、一番長くても2万字程度の物しか投稿したことがなかった。
投稿したあとすぐにポイントや感想などがいただける短編と違い、長編の場合はいくら投稿しても、何の反応もないときがある。数字なんか気にしなければいいのだが、実際にはどうしても目に入るので、意識せざるを得ない。特に出だしでよい思いをしたから余計にいけない。
更新したあとに、時折妙に寂しい気分になってしまうのは、誤算だった。
連載から二か月を過ぎて、始まりの方が読まれていないことが分かり、投稿時間帯を変えた。それでやっとブックマークが2、3件増えた。
10万字ブーストはもちろんなかった。
このころになって、連載前にほぼ推敲ができていると思っていたのは、大きな間違いだったことに気づいた。
全然書けていないと感じて、焦り出した。未だにセリフと説明しかない部分があるし、次から次へと修正点が出てきて、一話丸ごと書き直しの回も出てくる。もう先の方まで見るゆとりもない。どの話も投稿寸前まで直している状態で、だんだんと追い込まれるようになってきた。
考えてみれば、短編をやっと投稿していた程度の筆力しかない。自分でもお粗末だと思う。当たり前の結果だった。
私なりに何度も自分の書いたものと差し向かい、展開に無理なところがないか紙に書き出したり、分かりづらいところを見つけては直し、足りないところを探しては書き加え、無駄なところを探しては削除し、その上でもう少しいい表現がないか考えた。
考えたけれど、私の力ではどの程度できたか疑問だ。時々何度も読み返し過ぎて、訳が分からなくなった。他の人ならもっと上手に書けるのにと、嘆いたり捻くれたりしたくなることもあった。
それでも、手詰まりになったときに一晩眠ると、解決することがあった。二日に一回更新だと投稿までに二晩あるので、冷静に考えられる機会が二度はあった。
もはや連日更新にしなくて助かったとしか思えない……。残念ながら、一通り書いたあとであっても、毎日投稿なんて私には絶対に無理だということがよく分かった。
二か月に一回投稿が、一週間に三回およそ四か月間投稿、というだけでも実は結構な冒険だったかもなあと今は思う。
作中では宇宙人が二度もすっ転んでいるが、書いている私は何度も何度も転んでいる……。
それはそうと。感想を書いてもらったときはもったいなくて、翌朝ゆっくり返事を考えられる余裕があったのは、よかったと思う。
想像力の豊かな人たちが私の文章を補って読んでくれたのだと思う。書いたことを丁寧に読み取ってくれる感想を数多くもらえた。ヘタレなキャラクターを心配してもらったり、異星人の情報(こちらはリアルな話)をもらったりもした。
数字の上では全く変わらなくても、手間をかけて温かい感想やメッセージをくださるかた、活動報告に「読んでいます」とコメントをくださるかたの存在に、とても救われた。
感想を読んで、私自身がそれならこう書いてみよう、こうしてみようという、指針をもらうことも多くて、ありがたかった。実際に感想欄に出てきたアイデアを使わせてもらったこともある。
折り返し地点を過ぎると、これまでの伏線を回収するのも、そんなに容易ではないことに気づいた。
連載開始から二か月半、一話ごとの文字数が最初に比べてかなり多くなってきたので、話数を増やした。
けれど、私は本当に何も知らなかった。連載は書き出しより、終盤の方がずっと大変なことを……!
なろうでは、連載途上で停止する率が高いというが、誰だって最初から「エタる」ことは考えていないだろう。むしろ、最初はこわごわ投稿していても、だんだんと書きなれて調子が出てくる人もいるかと思う。
それでも、広げた物語の風呂敷を畳むときこそ、ものすごくエネルギーがいるし、難しい気がする。完結まであともう少し、と思ったときの方が危険があるのではないだろうか。
終わりに向けての盛り上がり、伏線回収、登場人物たちの変化、前と比べて詳しく書くべきところ、よりよい表現を考えるべきところなどなど。結末に向けて急速に厳しくなってきた。
このころにはすでに修正だらけになっている。書き込んだ分、余計に複雑になって、この先はさらに困難があるとしか思えない。自分のここまでの筆力の一つ上二つ上のレベルを求められるような気さえしてくる。
終盤が見えてきても、長いトンネルの向こうが覗けるという感じは全くなく、もっと闇が濃くなったような。いろいろと悩み、削ったりしながらも書き加え、字数は確実に増えていく。
全く余裕がなくなった。
ついには、投稿する当日になっても内容に納得ができない回が出てしまった。いっそ納得いかない部分を削除してしまおうと考えたが、諦め切れない。普段はお昼過ぎに投稿することが多いのに、旦那と子どもに「夕食まだ?」と何度も声をかけられる中で、やっと投稿に漕ぎ着ける。
このときはかなり消耗してしまった。
「執筆中小説」には、連載当初よりワードからコピーした10話分が常に入っている状態になっていた。それがひどく重たく感じた。
しかし、何とかそこを乗り越える(これまでで予想できる話だが、人に助けてもらった)と、いつの間にかワードには残りがなくなっていた。「執筆中小説」がとうとう8話になり7話になり6話になる。すでにその画面に対する緊張感もなくなっていて、減りだすとどこか寂しささえ感じた。
大詰めの展開に来て、続いて星をくださったかたがいた。読んでくれている人を感じ、努力が報われたような気がした。
来週で完結すると活動報告で予告をしたとき、初めてブックマークが2件なくなった。
2件なんてたくさんある人には痛くもかゆくもないかもしれない。しかし、今まで1件の増減があっただけだったのが、あと数話で終わりだと予告した日に一番多く減少したので、ショックを受けてしまった。
結局、完結まで増えず、完結したあとまた減った。
やっぱり悲しい……。
よくブクマが剥がれたと叫ぶ人がいるが、短編と長編ではだいぶ感覚が違う。
短編だとブックマークより評価者数の方が多くなるので、ブクマの数はさほど気にならなかったのだ。それに一度つくと意外と減らない。そんなことにも初めて気づかされた。
長編連載をしていて、数字が伸びないと悩んでいる人は、一度短編を書いてみたらいいのではないかと思う。もしかしたら、すぐによい結果が得られるかもしれない。
もちろん、きちんとした結末のついた短編であることは言うまでもない。
最初に書き上げた3月末のときが14万字ちょうど56話。大丈夫だろうと連載を開始した9月初めの時点で18万2000字58話。実際に連載が完結してみれば、60話で19万4000字を越えていた。
後ろ二つは一万字ちょっとの差だけれど、改変だらけで、もはや連載開始前とは別物という感じがする。
完結ブーストはなかった。あっさり読まれなくなった。
これまでの短編と比べると、評価ポイントも低かった。六十倍くらい書いたのになあと思う。
私の心の中に冷たい風が吹き抜けていく……というところだが、連載中も完結後も、感想、メッセージ、レビュー、FAをいただいた。こうした温かい応援のおかげで、私の心は凍りつくことはなかった。むしろかけがえのない光を灯してくれた。
支えてくださった皆様、完結後も忘れないでいてくださった皆様、新たに見つけてくださったかたがたにも心からお礼を申し上げたい。
本当に貴重な経験をいっぱいさせてもらえたと思う。
思い切って長編連載をして、ダメージもあった。
完結したときは12月27日で、公式企画の冬童話にすぐ取りかからなければ間に合わなかった。
何とか年末に一通り書いてみた。ところが、自分で読み返してみて、ぞくっとした。それはどう見ても、投稿した長編の影響を受けたとしか思えないものだったのだ。
慌てて別のものを考えた。自分としては最短記録の、たった二週間で『綿毛のきらきら』を書いて投稿した。長編連載で追い詰められた経験があったから、何とかなったのかもしれない。
しかしながら、長編の記憶はなかなか消えないし、まだ忘れられないんだなあとしみじみ思ったものだ。
実は今日まで、長編を書くときに使ったあらすじや箱書き、一覧表やメモ用紙が捨てられないままになっていた。
でも、こうやって思い出して書いてみると、恥ずかしい面もあるけれど、やっと気持ちが落ち着いた。もう何も思い残さず、紙のリサイクルにすべて出せそうだ。
二年経った私の総文字数は、このエッセイまで含めて、ようやく三十万字に達することになる。あ、やっぱり少ないか。
私のなろう二年目は、のんびり投稿していたのが、企画に沿ってお話を考えたり、締切りに間に合わせて投稿したりしたこと。これまでにあり得ないスケジュールであり得ない長さの物を投稿したことが印象深い。
他のかたにはごく普通のことであっても、私なりに挑戦したことがあったなと思う。
しかしながら、周りの人たちがどんどん投稿していく中で、自分にとって小説を書くことは、ひどく難しいことだと何度も証明されてしまった気がする。人一倍かけてやっとのことで自分の物語を綴っていると思うと、力のなさを嫌というほど味わった。
二年もここにいると、才能のある人を見つけてしまうことも多い。当たり前のように毎日投稿している人、複数の長編の連載をしている人、レビューやFAを次々送れる人、どんどんすぐれた作品を書く人、多方面で活躍する人も多い。
私などは自分がのろのろと書く以外には、何とか読んで評価を入れ、感想を書くことくらいしかできない。悩んだところでたいしたものを書けない自分なんてと、しょげてしまうことも実に多い。
確かに、次々と流行に沿った新作を書き、どんどん更新して読者の期待に応え、ランキングを駆け上がり、ついには書籍化したりする人たちが煌びやかに見える。
けれども、よく考えると、なろうでのあり方はそれだけではないはずだ。
自分としては、たとえ落ち込んだりすることがあっても、マイペースで好きなものを書いていいこの場所で、まだまだやっていけたらいいなと思っている。
長編を連載している最中には、二度とこうしたことはできないと感じ、もうこりごりだと思ったこともある。それでも、短編とは規模の違う、自分の空想を形にできる喜びがあった。長編への憧れはまだ尽きない。
思い起こせば、悩んでいるときも焦っているときもとにかく夢中だった。登場人物の勝手な動きに翻弄されつつも、だったら書いてやると、逆に燃え上がったこともあった。常にどこか楽しい気持ちを持って書き続けていたことを覚えている。
下手でも好きなものを書き切った達成感は大きい。日常の雑事では経験できないことだ。今後も細々と書き続け、いつかまた長編にも挑戦したいと今は思っている。
そして、ここまで応援していただいたことが励みになり、感謝の気持ちでいっぱいだ。自分の力だけではできなくても、ここにはたくさんの支えてくれる人がいるから、できることがある。
もしかしたら、私のように不器用で、かろうじてやっているような人もいるかもしれない。ここに記した私と同じくらい書くのに苦労している人もいるかもしれない。
そういう人には、一緒に楽しみつつ頑張りましょうと声をかけたい(私だけじゃないと思いたい)。
昨年はなろうの上にも三年、と書いた。
しかしながら、今の私の歩みでは、時々立ち止まったりしつつ、もっとずっと先まであるのではないかと思っている。
お読みくださって、ありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いします。