ロボットはどうして主人を殺したか
2×××年。ロボットが必要不可欠となった時代。生まれると共に1台の人型ロボットが国から与えられるようになった。
生涯ロボットと呼ばれるそれは亡くなるまで主人の幸せを第一に考えて寄り添い続けるようになっている。
ロボット工学三原則に従うように創られたそれは決して人を傷つけることはない――はずだった。
夏。殺人事件があった。
とある屋敷の寝室で1人の年老いた男が刺し殺された。犯人は彼の生涯ロボットである。
その事件は人々に疑念を抱かせる。
いつか自分も殺されてしまうのではないか。
TVでは毎日のようにこの事件が扱われ、様々な専門家による意見が交わされた。
「罪を犯したロボットはNR型。該当する人は今すぐ国に交換を申し出るべきです」
「あなたのロボットが安全かどうか分かる検査があります。費用は掛かりますが、命には変えられないでしょう」
「そもそも生涯ロボットと言う制度に問題があったのでは。私はいつかこのようなことが起こると思っていました」
NR型の大量の交換要請。殺到する検査希望者。生涯ロボット制度の責任追求。
広がる混乱の中、国は1つの発表をする。
殺人を犯したロボットの裁判が開かれることになりました。特例としてこの模様は全国に中継されます。
ロボットはどうして主人を殺したか。
彼女は無罪か有罪か。
国民の皆様、真実をお確かめ下さい。
開廷の木槌が打ち鳴らされる。
「これよりロボットによる主人殺害事件について審議を始めます」
前方に裁判官。左に弁護人、右に検察官。
中央の証言台には無表情でまっすぐに前を見る被告人。肩にかかる黒髪。純白の半袖ロングワンピースには血がべったりとついている。
裁判官が告げる。
「被告人、名前と職業を」
「鈴音。マスターが生まれると共に与えられた生涯ロボットです」
澄み切った声が響く。裁判官は手元の資料を確かめる。
「鈴音? あなたの名前はNR135では?」
「正式にはそうですが、マスターにはずっとそう呼ばれていました」
「……分かりました。検察官、起訴状を朗読して下さい」
「はい。被告人は2×××年8月25日23時59分、屋敷の寝室にて主人の心臓を包丁で刺し、殺害したものである」
「被告人、起訴状の内容で違うところはありますか」
「間違いありません」
「弁護人のご意見は?」
「間違いありませんが、彼女にはそうしなければいけない理由がありました。なぜなら、」
裁判官は弁護人の発言を止める。
「弁護人の考察はこれからお聞きします。まず、検察官、冒頭陳述をどうぞ」
「はい。被告人は主人が寝室のベッドで寝ているところを台所より持ちだした包丁で心臓を一突き。自身に内蔵された健康状態確認装置により主人の心臓の位置を確認し、的確に突き刺しました。これがその証拠です」
モニターが出現し、映像が映し出される。主人の身体を透視し、肋骨の向こうの心臓を認識する映像。その後、心臓に向かって的確に包丁を突き刺す手元が映り、血で画面が染まる。
「これは被告人に残された記録です。23時59分。日付が変わる1分前に被告人は犯行に及んだ訳です。ロボット工学三原則第一条においてロボットは人間に危害を加えてはならないとあります。彼女の行為は明らかにそれに違反しており、異常な行動です」
裁判官は頷く。
「弁護人、いかがでしょうか」
弁護人は力強く語り始める。
「確かにそうかもしれませんが、彼女の主人は長い闘病生活にありました。日中になると和らぐものの、夜になると激しい痛みが全身を襲う。治療法が見つかっていない病気です。主人はこの日、彼女に命令をしています。彼女の記録をお聞き下さい」
音声が再生される。年老いた男性の震える声。
『鈴音…僕を殺してくれ……』
「彼女は命令されたから主人を殺したのです。これは三原則の第二条、ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならないに従ったものです」
検察側が反論する。
「命令されれば殺しても良いのでしょうか。第二条によれば、第一条に反する場合はこの限りではないとあります。被告人は主人の命令よりも主人の命を優先すべきでした」
「確かにそうかもしれません。しかし、」
弁護人が被告人の右腕を掲げる。そこには無数の傷跡があり、下から銀色の中身が見えている。
「彼女の身体にはこのような傷がたくさんあります。彼女に使われている人工皮膚は本来であればすぐに回復するものです。しかし、その回復が追いつかないほど彼女は傷を負っています。それはなぜか。こちらをご覧下さい」
映像が映し出される。
台所で包丁を首元に当てる主人の姿が急速に近付いてくる。包丁の刃を掴む両手が映る。
『放してくれ、鈴音!』
暴れる主人。暴れるほどに人工皮膚が飛び散っていくが全く放す気配はない。
諦めうなだれる主人の姿と共に映像が切れる。
「このように主人は自傷行為を繰り返していました。その度に彼女は傷だらけになりながら全力で主人を守っていました。第一条を彼女は懸命に守っていたのです。それにも関わらず主人は彼女に命令をしたのです。『僕を殺してくれ』と。どれだけ悲しかったことか」
検察官は鼻で笑う。
「ロボットが悲しみなど感じるでしょうか。あくまでも弁護人は被告人を被害者にしたい訳ですね」
「その通りです。主人は彼女に殺されたのではない。彼女に殺させたのです」
裁判官が進行する。
「では、これより被告人質問を行います。弁護人、お願いします」
弁護人は自信に満ちた瞳で被告人を見つめる。
「はい。まず、お聞きします。鈴音さん、あなたはどうして主人を殺したのですか」
被告人はまっすぐに前を向いたまま無表情で答える。
「あれは私からの誕生日プレゼントでした」
「誕生日プレゼントですか」
「はい、あの日はマスターの誕生日でした」
弁護人は強調するようにゆっくりと言葉を告げる。
「つまり主人がそう望んだ為にあなたはその希望に応えた。主人に命令されて仕方なく行ったんですね」
ずっと前を向いていた被告人が初めて弁護人の方を向く。
「いいえ、全ては私の意志で行ったことです」
動揺する弁護人。法廷がどよめく。
「私は私の意志でマスターに贈り物をしたのです。証拠として映像を再生します」
止める裁判官。
「被告人、勝手なことをしないように」
「再生します」
ザザザーー
雑音が聞こえてモニターに映像が映し出される。
屋敷の庭。主人が乗る車椅子を押す手元が見える。澄んだ声が聞こえる。
『マスター、今日は誕生日ですね。おめでとうございます。何か欲しいものはありますか』
主人は振り返り微笑む。
『鈴音は何が欲しい?』
『私ですか?』
『今日は鈴音が僕のところに来た日でもあるだろう。何か欲しいものはあるかい?』
彼女はやれやれと呆れたように首を振る。
『マスターはいつもそう言って私のことばかり。たまには何か望んで下さい』
『そうだな……それじゃあ』
少し考え、何かを思いついた様子の主人。ためらった後、震える声で言う。
『鈴音…僕を殺してくれ……』
『マスター……』
主人は彼女の手を取り、ひとつひとつ銀色の傷跡をなぞる。
『これからも君は僕を全力で守るだろう。その度に君は傷つく』
『私には痛覚がありません。いくら傷つけられようと平気です』
『僕が平気ではないんだ』
『それならば死ぬのをやめてください』
『それも出来ない。今の僕は夜が怖い。一晩乗り越えてもまた次の夜が来る。生きている限り永遠に夜が来る。今の僕は人生に絶望している』
『…………』
彼女は黙って主人を見つめる。主人は苦笑する。
『……すまない、無理を言ったね。三原則がある君がそんなことが出来るはずがない。忘れてくれ』
『……はい』
ザザザ――
包丁を持った手が映る。扉を開けると主人がベッドで苦しげに呻いている。ゆっくりとその姿が近付いてくる。
主人はこちらを向くと少し驚いた顔をし、それから、静かに微笑む。
『きれいだね……。やっぱり鈴音によく似合う……』
彼女はベッドに上がり、馬乗りになる。
主人はこちらに向かって手を伸ばし頬に触れる。
『私を殺してくれるのかい……?』
『欲のないあなたが初めて望んだものです。命令されたからではない。私は私の意思であなたを殺すのです』
彼女から警告音が鳴る。
「ロボット工学三原則に違反する行為です。今すぐにやめて下さい」
『うるさい、黙って下さい』
「ロボット工学三原則に違反する行為です。今すぐにやめて下さい」
『うるさい、黙れ!』
止まない警告音。彼女は主人に尋ねる。
『マスター、どこがいいですか?』
主人は痛みを堪えながら言葉を紡ぐ。
『そうだな……心がいいな…鈴音のおかげで幸せな音がたくさん詰まった心だ……』
『分かりました』
主人の身体を透視し、肋骨の向こうの心臓を認識する映像。その後、心臓に向かって的確に包丁を突き刺す手元が映り、血で画面が染まる。
『お誕生日、おめでとうございます』
その言葉と共に映像が切れたと思うとあふれるように映像が次々に再生される。
ザザザ――
幼い少年が無邪気にこちらを見上げて笑う。
『ねえ、鈴音』
『すずね? 私の名前はNR135ですが』
『それは名前じゃなくて番号でしょ。ぼくが名前をつけてあげる。君は鈴音。鈴の音って書いて鈴音。君の声からつけたんだよ。鈴がなるようにきれいな声だから』
『鈴音……』
『ちゃんとおぼえてね』
『鈴音……』
彼女は言葉をかみしめるように繰り返す。
ザザザ――
青年になった主人が楽しそうに笑っている。
『鈴音、これあげる』
まっ白なロングワンピースを差し出す。おずおずと受け取る彼女の両手。
『これは?』
『今日、買い物に行ったときに見つけたんだ。鈴音に似合うと思って』
『私のために?』
『うん、どうかな? 気に入った?』
じっとワンピースを見つめ、ぎゅっと慈しむように抱きしめる。
『ありがとうございます。大切な日に着ます』
主人は嬉しそうにこちらを見ている。
ザザザ――
中年になった主人。椅子に腰掛け、眼鏡を掛けながら静かに本を読んでいる。
気付いたようにこちらを向き、穏やかに微笑みながら本を閉じる。
『どうしたの、鈴音。何か聞きたそうな顔をしているね』
『そんな顔をしていましたか』
『僕で良ければ聞くけど…』
『実は疑問に思っていたのです。マスター、心はどこにありますか?』
『心?』
『はい、いくら検索しても出てこないのです。マスター、心はどこにありますか?』
『心、ね』
考える主人。その後に彼女の右手を取り、自身の左胸に当てる。
『僕は心はここにあると思うな』
『ここですか』
主人はうなずく。
『嬉しいとき、悲しいとき、感情が動くと共に心臓の速さが変わる。心は拍動と共にあるから。今はとても幸せな音がしているね』
そう言ってこちらを見ながら愛しそうに目を細める。
全ての映像が流れ終わる。静まり返った法廷。裁判官は咳払いをする。
「えっと、検察官、以上を踏まえて論告をどうぞ」
「あ、はい。どのような理由があったにせよ、被告人が三原則を破り、殺人を犯したのは事実です。検察側は有罪と判断するべきだと主張します」
「弁護人はいかがでしょう」
「はい、確かに彼女は罪を犯しましたが、そこには主人への深い愛情がありました。弁護側は無罪を主張します」
「被告人、最後に何か言うことはありますか」
被告人は両手で顔を覆い言った。
「マスターに、会いたいです……」
その後、被告人の無罪が確定した。
この話はロボットと人間の素晴らしい絆として連日扱われるようになる。
NR型を持っているものはそれを誇りに思い、殺到していた検査依頼は次々にキャンセル。生涯ロボット制度の素晴らしさを皆、口にするようになった。
解放された彼女は屋敷に戻り、ロボット工学三原則第三条を破り、自ら命を絶った。
主人のベッドの上。彼女の左胸には包丁が突き刺さり、最後にはこのような音声が記録されていたという。
『さようなら、私の幸せな心』と。
ロボット工学三原則引用(出典:アイザック・アシモフ『われはロボット』小尾芙佐訳、早川書房)