願いごとを綴れば叶いますか 1
アビーはここ数ヶ月、頑張っていた。
それがたとえ空回りだとしても、確かに頑張っていたのだ。
七通目の手紙を最後に、ジュードは音信不通になった。間に合わなかったという事実は受け入れるしかない。でも、アビーは彼に言ったはずだ。
「ジュード様は、嘘つきです……」
こんな場所からでは、彼に届かないとわかっている。それでもアビーは、窓からローメリナの方角にむかって、声を震わせながら吐き出した。
すっかり、窓の外をみることが癖になってしまっていた。
水曜に届かなくなった手紙が、いつか遅れてくるのではないかと、まだどこかで期待しているのだ。
配達の少年がやってきても、いつも申し訳なさそうな顔をアビーに向けてくる。いい加減、諦めなければならない。
ここしばらくの間、アビーは家庭教師をつけて勉学に励んでいた。でも、もうそれも昨日で終わりになった。
すっかり暇になってしまった。
だったら以前のように散歩に行って、絵を描いて過ごせばいいのに、今はそんな気力もない。
午後になって、アビーはソファーに座って、ぼんやりとしていた。しばらくすると、まぶたが重くなる。昨日の夜、考え事をしはじめて、あまり眠れなかったせいだ。
横になってまぶたを閉じても、窓から入り込んでくる光りを感じる。暖かくて、やわらかい日差しだ。すごく心地が良くて、いい夢を見ることができそうな気がしてきた。
教会。ステンドグラス。古いピアノ。白い服を着た司祭。そして祭壇の前で、悲しそうにうつむく少年。
(これ、……なんだっけ?)
アビーは自分が見ている夢は、過去の情景なのかと漠然と理解した。どこか懐かしさを感じたからだ。
レクイエムを演奏するときに思い出す情景と似ている。だけど、この夢には「人」がいる。
『しさいさま、なんであのおとこの子は、アビーとおしゃべりしてくれないの?』
『あの子の大切な人が神に召されてしまったんだ。あの子はまだそれを受け入れることができないのだよ』
『…………お祈りのピアノをひくわ』
そうして、幼いアビーは鎮魂歌を弾きはじめたのだ。誰かわからない少年の、大切な人のために。
演奏が終わって振り向くと、少年は顔をあげていた。金の髪を持つその少年は、大きな青い目を見開いて、ぽろぽろと涙を流す――。
「――お嬢様、まだお昼寝中ですか? でもそろそろ起きてください。お茶の時間ですよ」
メイドのホリーの声により、アビーは現実に引き戻される。
「…………ホリー……私、昼食をたべて、昼寝をして、また食べたら、農場にいる子ブタと間違えられて、市場に売られてしまうかもしれない」
アビーは眠たい目をこすりながら、むくりと起き上がる。
「だったら、いい考えがあります。紅茶にお砂糖を大量に入れないこと。そして、スコーンは私がお嬢様の分も食べましょう」
「だめよ、ホリー。あなたが出荷されてしまったら、私とても困るもの」
アビーはあわてて、ソファーの目の前のテーブルに置かれたスコーンを、自分の手元に引き寄せる。
食欲をみせたアビーに満足して、ホリーはにこりと微笑んだ。
「おかわりもありますから、たくさん食べてくださいな。それから……スティーヴ様からお手紙が届いています。お嬢様がお昼寝をしている間に届いたんですよ」
青い封筒がある時は、郵便配達の少年は午前中に屋敷に届けてくれていた。しかし、そうでない時はだいたい午後にやってくる。少年には弟や妹がたくさんいて、アビーが渡すおやつを楽しみにしていたはずなのに……眠ってしまって申し訳ないことをした。
「ちゃんとスコーンを渡しておきましたから、大丈夫ですよ。……コイン入りのね」
「ありがとう! さすがホリー」
アビーは一度、スコーンを頬張る手を止めて、ホリーから渡された手紙を開く。
「何かしら?」
スティーヴがアビーに直接手紙を書いてくることは珍しい。
いつもは、父のマニギスや長兄レイモンドへの手紙に、アビーへのメッセージが添えられていることが多い。しっかりと封がされていると、なんだか他の家族には見せられない、秘密のやりとりのようで、どきどきしてくる。
開封して、じっと広げた手紙を見つめる。書かれていたのはたった一行。
――アビー、どうしたい?
どくん、と心臓が音を立てた。
(スティーヴお兄様は、どこまでご存じなのかしら?)
数ヶ月前に、次兄の同僚の騎士ジュードと出会ったこと。彼から手紙をもらっていたこと。そして、その手紙は今は途絶えてしまったこと。詳しい話は、お互いにしていない。
でも、意味もなくこんなメッセージを送ってくる人ではないのだ。
自分で考えるんだ。子供の頃、彼はアビーに何度もそう言っていた。心に正直でいいとも。
「私は、どうしたいんだろう……」
望むことはある。わからないことを知りたい。
今、ジュードはどうしているのか。何を思っているのか。
そして、彼と話がしたい。アビーは彼に自分のことを、もっと知ってもらいたいと思っていた。
そのためにはこのユホスの街を出て、ローメリナに行かなければならない。
(できっこないわ。私には、できないの)
そこは馬車で二日でたどり着く地だ。上流階級の家庭なら、買い物や社交のために滞在することは珍しくない。
それでも、アビーにはためらう理由がある。そして、きっと父や長兄は猛反対する。
父の願いは、アビーがこの街で穏やかに暮らすこと。街にすんでいる誰かと結婚すること。
この街の人たちは、皆アビーに優しい。だから、何の心配もいらない。それが一番幸せ。……そう思いこんできたが、今になってようやく違うとわかった。「誰か」が具体的になってしまったら、アビーはどうしていいかわからなくなる。それは嫌だと心がはっきり叫んでいる。
アビーはその晩、ローメリナにいるスティーヴ宛に手紙を書いた。
自分の望みを正直に綴る。
――ローメリナに行きたい。