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一方通行の手紙を書いています 1

 任務でユホスの街に行っていたジュードは、都に戻ると真っ先に同僚、スティーヴ・バーネットに会いに行った。……とはいっても、二人は同じ官舎住まいで、部屋は隣という関係だ。自分の部屋に荷物を置くついでに、隣の部屋の扉を叩いたのだ。


「お帰り。いやあ悪かったね」


 彼はソファーで優雅にくつろぎながら、まったく悪びれない態度でジュードを出迎えた。

 もともとは、スティーヴも一緒に行くはずだった。一人旅になったのは、彼が出発直後に、「生死に関わるかもしれない腹痛」で脱落したからだ。

 ユホスの街まで往復し四日間ほど不在にしていたが、今、彼はぴんぴんしている。

 

「悪いと思っていないだろう。それより……ユホスの街で君の妹に会った」


 別れる時、迫真の演技で体調不良を訴えた彼は、自分の父親でユホスの領主であるマニギス・バーネットに一筆書いてくれた。そのおかげで、バーネット家で一晩のもてなしを受け、アビーと食事を共にし、おまけに彼女のピアノの演奏まで聴くことができた。何にも代えがたい貴重な時間を過ごせたので、一人で偏屈な老人のところへ行かせたスティーヴへの恨みも少しだけやわらぐ。

  

「めちゃくちゃかわいかったでしょう。妹はね、ユホスの妖精っていわれてるんだ」

「ああ」


 普段は、あまり意見があわない男だと思っていたが、この件に関しては完全に同意したく、ジュードは深々と頷いた。 

 スティーヴは自分の妹の容姿を褒め称えるが、それは決して大袈裟ではない。アビーは「妖精」のように可憐で美しかった。

 少女と大人の中間、あどけなさを残す汚れのない微笑み。

 見る角度によって、複雑な色の輝きを生み出す淡褐色の瞳。そして、めずらしいストロベリーブロンドの髪。

 帽子が風で飛ばされた時に、風になびいた髪が羽の代わりになって、彼女はどこかへ飛んでいってしまうのではないかと、錯覚した。

 そして釘付けとなった目の前の女性が、同僚スティーヴの妹だと知り、運命に感謝した。以前会ったときは、どこの誰かもわからなかった。今はお互いがどこの誰なのか知っている。それだけで大きな一歩だ。

 

「……なんで顔を赤くするのさ。気持ち悪いな」

「アビー嬢には、その、……まだ、決まった相手はいないのだろう? 彼女はいつローメリナにやってくるのだろうか?」


 アビーは十六歳。上流階級の娘なら、社交界にデビューする歳だ。

 

「いきなり本気すぎて、ドン引きだよ」

「私は本気だ」

「アビーはね、難しい子だよ。君はあの子の全部を受け入れることができるかな?」

「絶対の自信がある」

「父と兄は、きっと反対するだろうな」

「確かに私は次男で家を継ぐ立場にはない。しかし努力次第では、騎士団で高い地位を望むことはできる」

「逆だよ。父はアビーを街にとどめておくつもりなんだ。多分いくら待ってもあの子はここには来ない。上流階級の家に嫁がせる気がないんだ。あの子を窮屈な世界に押し込めておくことができないからね」


 スティーヴが何を言っているのかわからず、ジュードは混乱した。

 彼女は美しい。そして性格も素直でかわいらしい。社交界にデビューすれば、おそらく注目の的となるだろう。上位貴族や王族の伴侶に望まれたっておかしくない。ノリス家の跡取りではないジュードでは不足だというのなら、悔しいが理解できる。しかし、なぜかスティーヴは逆だという。


「それは、絵を描くからなのか? 私はそれを悪いことだと思わない」


 令嬢らしくない部分も、アビーを彩る魅力だと素直に思えた。

 お手本のような淑女ではなく、天真爛漫なままの彼女のほうがずっといい。

 

「ふーん、君はアビーが絵を描いていてもいいんだね」

「ああ、もちろんだとも。私は宝石ではなく、たくさんの絵の具を彼女に贈るだろう」

「そう言ってくれてありがとう。父や兄の考えはともかく、僕個人は君を応援するよ」

 

 ――きっと無理だと思うけど。曖昧に笑うスティーヴからそんな本音が垣間見えたが、ジュードは気付かないふりをした。



  §



 上司への報告を済ませたあとは二日間の休息に入ることが決まっていたが、報告書を書き終えて提出に向かうジュードの足取りは重い。

 

 ジュードがユホスの街を訪れた目的は、最近話題のある絵を描いた画家を探すためだった。三ヶ月前のチャリティーオークションに出品された絵だ。

 とある貴族が高値で落札しサロンで公開してから、非常に優れた作品だと、ローメリナの貴族の間で徐々に話題となっていった。サインのないこの絵は一体誰が描いたのか……作品の所有者が鑑定に出したところ、とても新しい絵であることがわかった。

 今を生きる画家ならば、見つけ出して自分も素晴らしい作品を手に入れようと、多くの貴族が動き出した。

 その話は、芸術を愛する王妃の耳にまで届くことになる。そして、ジュードの上司が、自ら王妃に画家の捜索を申し出てしまったのだ。

 まず、専門家に依頼して調べてもらった。すると、今はユホスという街に住む老画家メイナードが好んで使っていた青の顔料と、サインのない絵に使われていた顔料が非常に酷似しているというものだった。しかもメイナードは、自分で顔料を作り出す人物としても有名なのだ。


「メイナード氏の作風とはかなり違っているが、彼ならわざと変えてくることも考えられる。もしくは彼の弟子か」


 メイナードと交流があった画家に聞いたところ、本人説と弟子説の可能性が考えられるという。とはいえ、可能性の話ばかりしていても仕方がないので、唯一の手がかりであるメイナード本人を、直接訪ねることが決まったのだった。

 

 森の奥に一人で住む、自称「引退して余生を送っているただの老人」メイナードは、変人だった。

 かつては宮廷に出入りしていた人物だと思えないほどの暴言を吐き、斧を振り回してきたのだ。

 国王の肖像画を描いた時、不敬罪で捕まらなかったことが不思議でならない。そんな印象の老人だった。


 結局絵の件はほぼ収穫なく戻ってくるはめになり、事実をそのままに書いた報告書を読んだ上官の機嫌は予想通り最悪だった。

 結果が変わる訳でもないのに、小言が続く。


「何かひとつくらい成果があるだろう! 無理矢理ひねり出せ」  

「……スティーヴ・バーネットの一家とメイナード氏は懇意にしているそうなので、彼なら何か知っているかもしれません」


 半分事実、半分八つ当たりで生け贄を差し出すと、上官は見事に釣られた。


「バーネットを呼んでこい」


 ジュードは仮病で逃げた同僚に対してのささやかな復讐を果たしつつ、上官から逃れることに成功したのだ。

 しかしこの時実は、自ら放った言葉に、すぐに一抹の不安を覚えてしまった。

 メイナードの絵の具を手に入れられそうな人物を一人、すでに知っていたからだ。

 そう、彼女は絵を描く。


(まさか、ありえない。私はマニギス殿にも、旅の目的を告げたのだから)


 ユホスの街で最初にアビーと出会ったとき、彼女のキャンバスにどんな絵が描かれていたのか、ジュードははっきり見ていない。だからアビーの技量はわからない。

 しかし、もしそこまでの才能があるのなら、隠しておく必要はないだろう。実際、王妃は才能ある芸術家を庇護するために、探しているのだ。もちろん、そのこともマニギスに伝えている。それに彼女の兄、スティーヴもとっくに知っていることだ。

 名乗り出ないということは、アビーがサインのない絵の作者ではないのだ。ジュードは自分に言い聞かせるように、そう結論付けてしまった。


  §



 自室に戻ったジュードは、身体を休める前にさっそく、ユホスの街のアビー宛てに手紙を書くことにした。

 実はローメリナに戻ってきてすぐに雑貨店に立ち寄り、便箋やカードを購入しておいたのだ。

 まずジュードは便箋を一枚机に置き、さらさらとペンを動かした。



   * * * * *



 私の妖精、アビーへ


 十年の歳月を経て

 私たちは再び巡り会った

 これは奇跡か、神の思し召しか

 私の心はアガパンサスの花で埋め尽くされている

 この花が枯れないうちに

 あなたを迎えに行きたい――

 

 

   * * * * *



 ジュードは「ああああ!」と唸り声をあげながら、書きかけの手紙をくしゃくしゃと丸めた。

 

「これではダメだ! 迎えに行きたいなどと、時期尚早すぎる。いきなり重苦しいものはやめて、もっと短くしよう」


 そもそも相手は、子供の頃、二人が出会ったことを覚えていないのだ。

 当時ジュードは十歳だった。

 保養地クルバーツに滞在していたのは、悲しい出来事が重なり、心の静養を余儀なくされていたためだ。

 そのクルバーツにある教会で、幼いアビーと出会った。いや、言葉すら交わしていないから、出会ったというより見かけたと言うほうが正しいかもしれないが。

 自分よりずっと小さなアビーは、教会にあるピアノで子供とは思えない見事な演奏をした。彼女が奏でる澄んだ音色で、弱っていた心が洗われるようだった。十歳の少年ジュードは、はじめて感動で涙を流したのだった。

 その時彼女が弾いていた曲が「アディンセルのレクイエム」だ。

 少年時代のジュードは、その演奏を聴いたことがきっかけとなって、良い変化があった。彼女の記憶から消え去っていたとしても、恩人のような存在なのだ。

 しかし、せっかく再会できた今、大切なのは過去ではなく未来だ。

 

 ジュードは何度も手紙を書き直し、悩みに悩んで、結局はカードに一行だけ言葉を綴った。



『この出会いに感謝する。――ジュード・ノリスより』


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