今隣にいるあなたに伝えたい 3
舞踏会から一夜明けた翌日。アビーは久しぶりにすがすがしく、心地よい気分で目覚めた。
夜には正餐を共にするために、ジュードがバウロズ邸にやってくるはずだ。
どんな服を着て、どんな話をして過ごそう。
もし昼間会うことができれば、公園にでかけて散策しながら二人だけで話をしたかったが、ジュードには仕事がある。
休日にも会いたいと、誘ってもいいのだろうか。貴重な休みの時間を自分のために使って欲しいと願うのは、わがままに思われないか心配だ。今夜、次の約束を交わすことができるだろうか。
これから先の日々について、考えを巡らせながら過ごしていた。
そうして昼過ぎに、ホリーから思わぬ来客を告げられる。
「お嬢様、ジュード・ノリス様がお見えですよ」
「え? まだ約束の時間ではないわよね……」
アビーは首をかしげながらも、すぐに自室から出て階段を降りていく。
ジュードは騎士服の姿で玄関ホールに立っていた。しかし、アビーが期待するような優しげな笑みは見せてくれず、硬い表情のままだった。
何かよくないことがあったのだ。アビーは浮ついていた気持ちを引き締めて、ジュードの前に立った。
「どうかしたのですか? いらっしゃるのは夕方になるとばかり思っていました」
「急な用件なんだ。すまないが、夜の約束は見合わせてほしい。実は……スティーブが今、難しい状況に陥っている」
「スティーヴお兄様が?」
厳しい表情で頷いたジュードは、そこから騎士団で起きた出来事をアビーに語った。
スティーヴが、サインのない絵の出所がわからぬよう、オークションの主催者に手を回して証拠を隠滅したというのが問題になっているのだという。命令に背いたとして、スティーヴは今拘束され、いずれ何らかの罰を受けるかもしれないのだ。
話を聞き、顔を青ざめさせたアビーを気遣うように、ジュードが続ける。
「そもそもスティーヴが手を回さなかったとしても、オークションの主催者側には守秘義務がある。この件に関しては、正直騎士団のやりかたに疑問を感じている。政治とも犯罪とも無縁で、本来は騎士団が介入すべきものではなかった」
「ジュード様、それでもすべて私のせいです」
この話を聞くまで、アビーはサインのない絵のことなどすっかり忘れていたのだ。自分の無責任さに、ただ落ち込むばかりだった。
「……アビー、君がサインのない絵の作者で間違いない?」
「はい」
ジュードの問いへの返事は、もうためらうことはなかった。ジュードも確信を持っていたから、ここにやって来たのだろう。驚くこともしない。
「絵はもともと気軽に描いて、気軽に人に見せていました。このバウロズ邸にも、つい最近まで飾ってもらっていたくらいなんです。……オークションに出したのも、チャリティーだと聞いて、よいことだと深く考えず提供しました。ジュード様がユホスの街にやってくるまで、まさか話題になっているなんて知りもしなかったんです」
浅はかな自分を呪わずにはいられない。こんなことになるのなら、絵を外に出したりせず、ユホスの街でただ静かに暮らしていればよかったのだ。
アビーの存在が、また家族を追い詰めてしまっている。
「ジュード様が絵の作者を探していることは、父から聞いていました。黙っていてごめんなさい。名乗り出て、なぜサインを書かないのか……そこに注目されてしまうことが怖くて隠していました」
「ああ、わかっている。実は、絵のことは少し前から気付いていたんだ。もしスティーヴが罪に問われるのなら、知っていて黙っていた私も同罪だ」
このままでは、アビーの大好きな二人を酷い目に合わせてしまう。
解決するためにはどうしたらいいのか。
「私……お兄様のところに行きます。……いえ、騎士団の偉いかたに会いに行って謝罪します」
正直なところ、知らない相手にすべてを包み隠さず話すのは怖い。もうすでに多くの人たちに、自分が読み書きできないことは知られている。笑いものになって解決できるものならいい。だが今回は、理解を得られないといけないのだ。それはとても難しいことだろう。
「アビーが許してくれるのなら、私から上官に話す。……だが、それでもおそらくすべては解決しない」
「なぜですか?」
「隊律に背いたことは事実なんだ。私もスティーヴも。……だからアビーは、私とは別の方向から動いてほしい」
「別の?」
「騎士団経由ではなく、直接王妃様に会いに行くんだ」
ジュードが自分の上官をあまり信用していないことは、今までの話からなんとなく察することができた。
それならば騎士団を経由せず、直接権力者に庇護を求めるのは有効な方法に思えた。
「でも、どうやって?」
突然、アビーが一人で「私が絵を描きました」と王宮を訪ねて、すんなり会える相手ではないのだ。
「バウロズ夫妻や私の両親からのツテを探すしかないが……それでは時間がかかるし、ひっそりと動くのが難しい。私として不本意だが、ルイス・ブライトウェルに頼むことはできるだろうか。君は彼と親しいようだったが? ブライトウェル家なら、王族とも繋がりがある」
「……それは、難しいです」
ジュードは、ルイスとアビーの間に何があったのかを知らない。アビーとしてはルイスを頼るくらいなら、わずかな可能性をかけて直接面会を求めたほうがましに思えた。でも、ルイスとのことを詳しく説明している余裕はない。
ほかに何か有効な手段はないだろうか。必死に考えていると、アビーの頭の中にはふと、ユホスの街にいる頼もしい老絵師の顔が浮かんだ。
「そうだ! いい方法がありました。ジュード様、少し待っていてください」
アビーはその場にジュードを残して、自分の部屋を目指して駆け上がる。
ちょうどそこにいたホリーに手伝ってもらい、ユホスから持ってきた荷物から一通の封書を探して、手に取った。そうしてまたジュードの所に戻る。
「これです。メイナード先生が困ったことがあったら頼れと、紹介状を書いてくださったんです」
「すごいじゃないか、アビー」
三通書いてもらったうちのとっておき「宮廷書記官宛て」の封書を見せると、ジュードがこの日はじめて、険しかった表情をやわらげ微笑んでくれた。




